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サンタが街に男と女とB29 2

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 私が外に出るとさっきまで壕の中に向かって叫んでいた学生が倒れているのを見つけました。息はありましたがシャツもズボンも焼け焦げ背から臀部にかけてひどい火傷を負っていました。私は看護の経験がありますが手当てをする薬もなく、ただ壕の中に抱えていき、患部を冷やし清潔に保つことぐらいしかできませんでした。学生の意識は朦朧としており、至急治療をしなければ助からないと思いました。
「ひでえ火傷だな、待ってろ女学生、ガキに薬調達してやるから」
 この防空壕に逃げるよう教えてくれた赤シャツの男でした。その晩赤シャツが医者を伴い壕にやってきました。
「おい藪医者、このガキの火傷が一番ひでえようだ。そっから診てやれ」
 年配の医者は彼に借りがあるようで、言われるままに頭を下げ治療を始めました。その治療と適切な薬のおかげで、一週間後に学生は歩けるまでに回復しました。ケロイド状の跡は生涯消えることはないでしょうが、普通に動けるようになっただけでも幸運だったと言えるでしょう。空襲の翌日、自宅がある山田町まで走って帰りました。すぐにでも壕を飛び出して帰りたかったのですが、学生だけではなく、壕の中にいる大勢の怪我人の看病でそのタイミングを失っていたのです。予想はしていましたが家は跡形もなく、自宅があった一帯は燃えてなくなっていました。近くの壕に飛び込んだ両親は真っ黒になって死んでいました。運良く生き残った雑貨屋のおばさんが、ご自身の両親と共に火葬してくれました。火葬場など連れて行ける状況ではなく、大概が道路に薪を組んで火葬にしました。

「防空壕の中も外もひどい状況だったんだろうなあ。運良く壕に避難できた人は警報解除で外へ出たとき複雑な心境だったろう。誰に罪があるわけじゃないが」
「確かにそうでしょうねえ、でも生きることがやっぱり優先なのよ。強く生きて、この惨劇を後世に伝えていくことが最高の供養になるんじゃない」
「そうだね、君の言う通りだと思う。そうだ、君がおばあさんの話をまとめて小説にすればいいんじゃないかな。きっと売れると思うけど」
「それは『白猫ヤマト殺人事件』を読んでから言って」
「へいへい」
 二人は笑って立ち上がった。

おとこ

「あれ、ここはホテルじゃなかったか?」
 元町を抜けフランス山の下を通過し、突き当たりの橋を渡る手前で父が言った。
「そうだよバンドホテル。僕も知らなかった。そういえば新聞広告に入っているなあこの店、ホテル業界も厳しいんだなあ、老舗の看板だけじゃあやっていけないらしい」
 自治会の歩け歩け大会でこの前を通ったのが四年前だった。そのときは確かにホテルだった建物がそれほど改造もされずに安売りのスーパーに変わっていた。
「あの辺りの工場のグラウンドだった」
 父は山下の方を指差して言った。
「どうする父さん、山下公園の中を通っていくかい?大桟橋から向こうに遊歩道ができたんだ。それとも中華街を抜けて行くか?」
「ああ、そうしよう」
「ところで父さんさっき死に損なったって言ったけどあの火傷のこと?」
「ああ、おまえには恥ずかしい思いをさせたようだ。学校に行くのを嫌がって母さんを随分と困らせた。私は一人で銭湯に行けるようになって良かったんだがね。帰りに一杯引っかけることができたからな」
 やはり父も覚えていた。鏡の前に立って、火傷の跡を見るたびに、私が首を振り、銭湯に行くことを拒んだロケーションが浮かんでいたに違いない。
「ごめん」
「何が?」
「いやなんでもない」
「私は運良く花咲町の防空壕まで辿り着いた。途中に壕はたくさんあったのだろうが一面の火の海でわからなかった。壕に逃げ込んだから安心だとは限らないがね。むしろ逃げ場を失い焼け死んだ人達が大勢いた。」
「でも山下から花咲町まで随分あるよ、よく逃げ切ったね」
「偶然だ。走ったらここからどれくらいかかる?」
「そうだなあ、息の続く人なら二十分あれば充分だと思う」
「二十分ねえ、長い二十分だったろうね」

 防空壕の入り口は人でごった返していました。私は軍の関係者に、入り口付近を整備するよう指示され、避難してきた人達を誘導していました。いくら押し込んでも入り切れる人数ではありませんでした。校舎は燃え上がり校庭は火の海になっていました。その中を縫うように走り、運良く壕に辿り着けても中に入れない人で溢れていました。
「すいません、もう少し、もう少し中へ詰めてください」
 みんな膝をつき合わせ、空気の入る隙間もないほど詰めてくれました。しかし全員が壕の中に避難することは不可能だとわかっていました。私に指示した軍人が、校庭で立ち往生している親子を救いに出て行きました。私もその軍人の後に続くと「おまえは残れ」と一喝されました。親子を両脇に抱えるように彼は戻って来ました。あと数歩で助かると思った刹那、彼の軍服が燃え上がりました。前のめりに崩れかけた彼は踏ん張り、二人を中へ押し込むようにゆっくりと倒れました。私は彼の元へ走り、腕を引っ張って中へ入れようとしましたがその先は意識を失い覚えていません。気がつくと女学生が私の身体に薬を塗っていました。全身にこらえようのない痛みがあり、自然と涙が出てきました。痛くて泣いたのは初めてでした。そのときばかりは死んでいた方が楽だったと感じました。しかし生きている以上こうしているわけにはいかず、看病してくれた女学生に礼を言おうと、上半身を起こそうとしましたが、全身に激痛が走り、堪え切れずに声を上げて泣き叫んだのを覚えています。
「諦めなさい。今のあなたは一人では何もできないのよ。それにほら、少し動いただけで傷から血が滲んでくるじゃない。怪我人はあなただけじゃないの、薬も包帯も限られているわ。無駄にしないようにするにはおとなしくしていることね。やらなければならないことがあるのはここにいるみんな一緒、迷惑をかけないように我慢しているの。わかった?」
 彼女の尤もな説教で諦めました。
「すいません、今何時ですか?」
「夜の九時」
「もうそんな時間ですか、十二時間も意識がなかったんですね僕」
「はあ?三日と十二時間ね」
 私は唖然としました。もう四日も経っていたのです。防災訓練に行き、訓練が始まる前に本番を迎えてしまったのでした。引率をはじめみんながばらばらになり走った。同郷の浩ともはぐれてしまった。私は火傷を負ったが一命は取り留めた。立ち上がれるようになったら何から先にすればいいのか頭が混乱しました。
「お、学生、口が利けるようになったか、この女学生に感謝しろよ、おまえにとっちゃあ命の恩人だ。仇で返すようなことしたらこのバッカスのジョーが許さねえからな」

「父さん、またすごい人が登場してきたね」
「ああ愚連隊が大勢いた。大概通り名を持っていて、当時としてはカッコよかったんだろうなあ。生涯で一番世話になった二人だった。もちろん母さんを除いてだ」
 両親が別れてもう十五年になる。特別な理由があって離婚したのではなく、お互いの存在が気にならなくなってしまったそうだ。母は笑って家を出て行ったらしい。父も手を振って見送ってくれたと後に母が言っていた。母に会うのは一年に一度くらいだが、電話は頻繁にしている。大した用もないが、年一度の再会のときに照れ臭くないよう布石のつもりである。母の実家は建設会社を営んでおり、その事務を手伝っていたが、最近目が霞むらしく、休む日が多くなって社長である兄に迷惑を掛けていると、受話器から伝わる声にも元気がなかった。私の感だが元の鞘に納まるかもしれない。別れるときにはなんの不安もなかったが、また一緒になるのかと想像すると胸が高まった。その高まりは期待からではなく、必ずややってくる経済的問題からである。
「父さんなんか食べるかい?」
「そうだな、今日は断食しようかな、やっぱり無理だな。軽く食べようか」
「じゃあ歩きながら肉まんといきますか」

おんな

「映画なんていったっけ?」
「観たくないんでしょ、恋愛映画だから」
「いやそうじゃなくて君と会っているときはずっと向かい合って話をしていたいんだ」
「嘘つき。いいわ、割引券だから半年間は有効だし、アクション映画のときまた来ましょう。私が我慢して付き合ってあげます」
 私達は映画鑑賞を急遽取りやめた。私の付き合った男性は皆、恋愛映画が苦手のようである。もしかしたらほとんどの男性がそうなのかもしれない。戦争、殺人、暴力、最終的にそれらを叩きのめす正義のヒーロー、私は彼等に勧められるままに劇場に付き合わされたが今もって感動したことはありませんでした。しかしエンディングのメインテーマに涙を拭い、劇場を出たあと興奮して内容を振り返る彼等は実に愛くるしく、また付き合ってあげようと思ってしまうのです。私が話す祖母の戦争体験を、真剣な眼差しで聞いている彼もまた、祖母をはじめとする罹災者を救うヒーローの登場を待ち侘びているのかもしれない。
「ランドマーク、上ってみようか?」
「景色もいいけど料金も結構高いわよ」
 展望台の喫茶店でコーヒーを注文し繁華街を見下ろした。
「この街がすべて燃えてしまったんだ?」
「そう、向こうの埠頭からすぐ下の花咲町まで全部。富士山の上でねB29が五百機とP51戦闘機が百機以上合流してやってきたのよ」
「わが軍は?応戦したのかね?
「あそこに茶色い建物が見えるでしょ関内駅のすぐ後ろに、あの市役所の上に高射砲があったり、あと、こっちこっち、野毛の公園にもあったのよ高射砲。でも高度五千メーター以上でしょ、届かなかったらしいわ。それとあまり知られていないけど日本軍も十数機が上昇して果敢に戦ったって」
「へー、そりゃあすごいな。それで成果は?」
「何機かは撃墜したらしいけど」
 彼は空中戦に興味があるらしく、日本軍戦闘機の機種とかを矢継ぎ早に私に問い質してきた。そう言えば始めて図書館で会ったときも飛行機の写真集を広げていた。しかし祖母も私も戦闘機に興味などなく、彼の質問に答えるだけの知識はなかった。私が首を振ると、残念そうな彼の眼が気になった。
「学校はおばあさん?」
「それっきり。しばらくはボランティアで罹災者の看護をしていたの。肉親を失った悲しみに耐えてね。でも食べていかなければならないでしょ、みんな食料なんてそう簡単に手に入らないから。食べ物の恨みは凄いらしいわよ」

「僕が食料を調達して来ましょう。ほらもう充分動くことができますから」
 学生は痛みを堪え、二度三度とその場でジャンプしました。涙を流し、嘘笑いで堪える真面目さが滑稽でなりませんでした。壕にいた人みんなが笑っていました。明け方彼は大きな袋を下げて戻ってきました。米と野菜でした。どこから調達して来たかなどと野暮な質問をする人はいません。金もなく、それに一日の肉体労働でこれだけの量を購入できるわけがありません。無一文の彼が購入することはない。本人は盗んで来たとは言わないし他の誰もが盗んで来たのかとは聞かない。どこからか調達して来たのです。壕に仮住まいしている人達で手分けして米を炊き、野菜を煮ました。
「おいしい、おいしいね」
「さあ、みなさんたくさん食べてください。また明日調達して来ますから」
 私もいただきました。白いご飯に一切れの大根を乗せ、その煮汁をかけただけでしたが美味しかった。
「あなたも食べたら」
「僕は外で食べましたから」
 生唾を呑みながらみんなの食事を見つめている彼に、私の茶碗にご飯を盛り、野菜は売り切れてありませんでしたので汁だけを掬い、彼に差し出しました。
「君が食べてください、僕は本当に、はい、そうですか、それじゃあいただきます」
 さらさらっとほんの数秒で流し込みました。よっぽど空腹だったのでしょう。そして翌日も彼は調達に行くと言って出て行き、朝方に帰って来ました。みんな彼に感謝していました。怪我は薬より栄養によって回復するのだと知りました。腹が満ちると冗談が飛び出します。笑うことが心の傷には最良の薬となりました。『頑張ろう』というお互いを励ます声が暗く湿った壕の中を塗り替えてくれました。彼の調達はほとんど毎日続き、米のないときは小麦粉だったり、缶詰や魚の干物なんかもぶら下げてきました。しかし二週間したある日、手ぶらで逃げるようにして帰って来たのです。顔は腫れ、火傷跡からは血が滴り落ちていました。
「どうしたの?ねえ、ひどい傷じゃない」
「すいません、なんでもありません。みなさんすいません、調達に失敗してしまいました。明日はしっかりと仕入れて来ます。すいません。おやすみなさい」
 彼は壁の方を向いて横になりました。肩がひくひくと揺れていました。静まり返った壕の中を、我慢しても消し切れない彼の嗚咽が耳に入りました。その切ない呻き声をごまかすために、片足のない男が口笛を吹いていました。

「誰かにやられたんだな彼、たぶん街の愚連隊とか」
「彼はそのことは一切口にしなかったらしいわ。おばあちゃんにも話してくれなかったって」

おとこ

「父さんお茶にする、ビールにする?」
「愚かな質問をするんじゃない」
 中華街のスーパーで青島ビールを買った。さすがに歩きながらの飲食には二人とも抵抗があり、どこかに腰かけようということになって横浜公園まで歩いた。ほんの数分ではあるが、肉まんは冷め、ビールは温くなってしまった。
「中華街は当時どうだったの?やっぱり賑やかだったこんなに」
「戦前は知らんが戦中戦後はやはり闇市だったな、バラック建ての中華料理屋が並んでいた。金持ちはカツ丼とか天丼とか食べることができた。なんでもあった」

 私は少し動けるようになると女性達に世話になっているのが恥ずかしくなり、痛みを我慢して食料を調達に出かけました。調達といっても宛などなく、関内牧場と言われるほど焼け野原となった市街地をさまよいました。桜木町の駅に行くと焼けた電車を兵隊達が片付けていました。駅前にあった闇市はすべて燃えてしまいましたが、空襲から一週間もしないうちにバラック建ての屋台が立ち並び始めました。横浜は昨年の暮れから頻繁に空襲を受けていたので、それなりに慣れていたのかもしれません。
「よう学生、こっちこい」
 防空壕で医者を手配してくれた、バッカスのジョーが私を呼び止めました。
「ありがとうございます。生き延びることができました。これから世話になった壕の方々に少しでも役に立ちたいと考えています」
「そうかいい心掛けだ、助けた甲斐があるってもんだ。それでどうお返ししようってんだ学生」
「はい、食べ物が不足しているので調達に行こうと考えてます」
「穏やかじゃねえなあ、いいか言っとくがな、ここの闇で調達するのは止めとけよ。瓦斯橋から緑橋までの屋台は俺が面倒看てる。苦情がくりゃあとっつかまえて半殺しの目に遭わせなきゃならねえからなあ。わかったな」
「はい」
「南京街知ってるか?あそこはこんなとこと比較にならねえくらいなんでも揃ってる。昼間の明るいうちに算段つけといて、夜中にぱくってこい。いいか同じ店を二度やるなよ。その火傷ぐらいじゃすまねえぞ。それからなあ、ここら辺に屯(たむろ)してるうちは毎日一回ここに顔出せ、いいか毎日だぞ。上下関係だけははっきりさせとかねえとなあ」
 バッカスは私の脇腹にボディーブローを軽く見舞って伊勢佐木町の方に歩いて行きました。私は彼のアドバイス通りに南京街を物色して歩いた。一番品物が豊富な店に目を付け、品物の置き場所を頭に叩き込んだ。そしてそのバラック建ての裏に回り、入りやすそうな所や壁板の破れているような所をチェックして回った。何度も何度も確認して、夜中になるのを横浜公園で待っていた。『平楽』という屋号だった。灯りのある小屋もあったがほとんどが灯りを落とし静まり返っている。裏に回る。破けた板の間に手を突っ込むと米俵に触れた。トタンの切れ端を鋭利に改造したにナイフで米俵をゆっくりと擦った。トタンの先に米の感触が伝わる。シャーという音を出して米が板の間から流れ落ちてきた。拾った南京袋を押し当てた。二升はあった。トタンで開けた穴から上にある米だけが流れ落ちたのだ。私は袋の口を紐で縛り、音を立てずに退散した。花咲町の防空壕に戻る途中、民家の軒先にぶら下げてあるだいこんもいただいた。泥棒をした悔いは、壕で喜ぶ人達の笑顔で完全に消去された。それどころかもっとたくさんの食料を調達しようと意欲をかきたてた。私は壕の中でサンタというあだ名を付けられた。夜中に南京袋を背負って帰ってくるからでしょう。横浜ではそう呼ばれるようになってしまった。私は煽てに乗って有頂天になっていました。みんなの喜ぶ顔を見ていると、次はもっと美味いものを食わせてやりたくなった。南京街をひと通り荒らし終えると伊勢佐木町でも調達しました。しかし、バッカスのジョーが言った通り、南京町ほど品物が揃っている闇市はなかった。治外法権というか、ここでは軍や警察の捜査も厳しさを欠いていた。私は、バッカスが念を押して注意した『同じ店に二度入るなよ』を犯してしまったのです。初めて手を汚した『平楽』の裏に回り、板の破れ目から手を差し込んだ。米俵を確認した。そのときでした。強い力で差し込んだ手を引っ張り上げられた。必死に抜こうともがいたが複数の手に握られ離してはくれなかった。中国語が飛び交い、懐中電灯が私の顔を照らした。次の瞬間頭に衝撃を受けた。それから七、八人はいたと思うが全身を蹴られた。中には女もいて甲高い声を張り上げて、板で私を打ち付けました。板には釘が出ていてそれが火傷に刺さった。
「それくらいにしてやれっ」
 少し離れた所から男の太い声がした。その一声で私は救われた。中から手を離されると踏ん張ることもできず、土手の下のゴミためまで滑り落ちた。私はふらふらになりながらも本町小学校まで辿り着き、井戸で全身を洗い朝方壕に戻った。みんな私の帰りに気付いていたようだが気を遣い、そっとしておいてくれました。もし誰かに慰めの言葉でもかけられたら、私は恥ずかしさで逃げてしまっていたでしょう。背中を向けた私の傷を、彼女が何も言わずに手当てをしてくれた。誰かが『ラバウル小唄』を口ずさんでいたが、あれは口笛だったかもしれない。

「父さん缶、捨ててくるから」
父と指先が触れた。六十年前白い米を掴んだ指先に。

おんな

「しかし地下鉄の駅構内は立派だね」
「でも地域の人達は口を揃えて不便になったって、高島町と桜木町の駅はなくなってしまったんですから。恩恵を受けているのはみなとみらいや中華街に来る観光客と官庁をはじめとするビジネスマンだけ」
「そう腐るなって。全国規模で見れば便利になったんだろうから。でもこんなに発展するなんて考えてもみなかっただろうなあおばあさん」
「でも当時の方が良かったってよく零しているわ、特に近所付き合いとか、みんな家族同様だったのよ。そう壕の中でも」
 
 五月二十九日の大空襲のあと、もう空襲はないだろうとみんなが楽観していましたが、六月十日に再度空襲がありました。中区と磯子区が駄目押しの被害を受けました。二十九日の大空襲は焼夷弾でしたが今回は爆弾でした。一面が火の海になることはありませんでしたが、被弾すると大きなコンクリートの建物も吹き飛んでしまいました。みんなが立ち直りかけていたのにまた壕での生活を余儀なくされました。行き場所を失った人や介護を要する人達は終戦までそこで生活していました。サンタも帰郷するタイミングを逸してしまい、ひたすら食料調達に励んでいました。彼は一命を救ってくれた恩返しのつもりでした。幾度か店側の制裁をうけましたが、それに懲りることなく食料を調達したり、連絡の足となったりして、朝から深夜まで休むことなく働いてくれました。
 
【八月十五日】

『なんじ臣民の衷情(ちゅうじょう)も朕よくこれを知る。しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す』
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