サンタが街に男と女とB29

壺の蓋政五郎

文字の大きさ
8 / 8

サンタが街に男と女とB29 終

しおりを挟む
浩に同居も進められましたが、嫁の心中を考えるとやはり負担はかけたくかった。ふた月に一度ぐらいは私の健康状態を探りがてら、酒をぶら下げてアパートに来てくれました。私の方から訪ねたことは一度もありませんでしたが、戦後六十年の催しがあちこちで騒がれる中、誕生祝をうちでやろうと誘われて決心がつきました。六十年ぶりに禁断の地に足を踏み入れました。関内駅まで迎えに来てくれた浩が、わかり易い道順を教えてくれました。彼の住居は最上階で、コの字型に広がるベランダから、当時逃げ回り、駆け回り、這いずり回った街が眼下に広がっていました。一瞬にして私はサンタに戻りました。婦長が待ってる。そう思うといてもたってもいられなくなりました。
「おい、浩、散歩に付き合ってくれないか?」
「ああ」
彼は生返事をしてそのまま眠ってしまいました。

 ランは短大を卒業して、食品会社に就職しましたが、お付き合いしている男性からプロポーズされ、二十五の歳に会社を辞めました。一年以内に結婚するとした契りは三年経っても現実になりませんでした。
「ラン、どうなの?」
「うん、彼重要なポストにいるから、なかなかタイミングがつかめないのよ」
「式なんか簡単でもいいのよ、おまえ達の意思さえしっかりしていればいいんだから」
「だいじょうぶ、おばあちゃんは心配しないでいいから」
「そうかい、ならいいけど。ジョーおじさんも心配しているみたいだから」
 それから一年間、そのことには触れずに過ぎてしまいました。
「あたし、勤めに出ようかと思って。貯金も底を突いたし、おばあちゃんどっかない?そうだジョーおじさんに相談しようかな」
 ランが何かから吹っ切れたように言いました。詳しいことはさっぱりわかりませんが、破談したことは間違いないようでした。
「勤めに出るって?いくらでも都合つけてやるがどうだラン、洗濯屋やったら。なあに洗濯屋ったってここで洗ったりアイロンかけたりするわけじゃねえ。客から取次ぐだけだ」
「お客さん来てくれるかしら?」
「それは心配ねえ、ジョーおじさんを誰だと思ってる」
 店先を改造して、奥の部屋を洗濯物置場にしました。開店当初から町工場や商店の人達が利用してくれました。バッカスの一声で連日忙しく、私も煙草売り場から手伝いに降りるようになりました。
「看板娘が窓口にいねえと寂しい。律儀だがみんな程度を知らねえなあ、忙しいと思ったら他に出しゃあいいじゃねえかなあ。ようし少し調整してやる」
 バッカスがそう言った翌日から店先がごった返すことがなくなりました。
「どうだ、このくらいで?」
「ありがとう、おかげさまで上がったり下りたりの回数が減りました。何から何まであなたには」
「何を今更、ランがここにいるだけで俺は嬉しいんだ」
 バッカスは目を細めてお客様と応対するランを見つめていました。
「ジョーおじさん、急にお客さんが減ったから心配だわ」
「俺が生きてる限り心配するな、いくらでも調整してやる。ランのしたいように」
 ランの笑い顔はだんだんサンタに似てきました。母親の蘭子より似ていました。真っ白い歯を見せびらかし、首を傾げて笑うのでした。あるときランがバッカスにきつく叱られたことがありました。それは確か平成十年の春でした。バッカスは自宅の階段から転げ落ち、足の骨を折ってしまいました。彼の暮らす野毛の公団にはエレベーターはなく、四階まで階段で上り下りしていたのです。若い人ならすぐに回復するのでしょうが、喜寿を過ぎたバッカスには、立って歩くことを奪われてしまう悲しい事故となってしまいました。それから彼は車椅子の生活を余儀なくされました。野毛の公団から老人ホームに移ることを決心したのでした。私もランも同居を勧めましたが、彼の性格からして私達の誘いを受け付けないのはわかっていました。そのホームはうちからすぐの所にあり、看護も完備も優れたものでした。彼は最新式の電動車椅子を購入し、うちまで煙草を買いに来たのでした。

「情けねえ格好になっちまった。アメリカ行きも諦めよう」
 歩道を占領して煙草をふかしながら捨て台詞を吐くのでした。
「ジョーおじさん、あたし教習所に通うわ。アメリカまでは無理だけどおばあちゃんと三人でドライブ行きましょう」
「だめだ、運転免許なんて取っちゃだめだ。おじさんは絶対許さねえ、いいか、絶対にだめだぞ。それになるたけ電車にも乗るな、根岸線は使っちゃだめだ、バスかタクシーにしろ、タクシー代がなかったらおじさんが出してやる。こっそり教習所になんかに通ったりしたらおじさん承知しねえからな、わかったなラン。婦長灰皿」
 小窓から差し出した灰皿で煙草を乱暴にもみ消して、彼はホームに帰って行きました。生まれて初めてバッカスに叱られたランは涙を浮かべていました。
「あたしだってもう三十よおばあちゃん」
「あの人はあなたの幸せしか頭にないの、わかってあげて、ね」
 マイカーでドライブするランの小さな夢はバッカスの一言でシャボン玉のように割れて消えました。そして彼女は空いた時間に小説を書くようになりました。スタンドの灯りが深夜まで、襖の隙間から私の部屋に差し込んできました。この頃から頻繁に携帯電話が鳴るようになりました。話しっぷりからすると男性のようでした。小説を書き始めてから野毛の図書館に通うようになり、そこで知り合ったのではないかと思います。この小さなつぼみが、きっと咲くよう祈るのでした。
「ジョーおじさん、あたしの処女作、読んでみて」
「ほう、毎晩遅くまで本を書いてるっておばあちゃんから聞いたけど、書きあがったのか、そりゃあすげえなあ。それでいつ映画になるんだ?」
「ジョーおじさんたら、映画になんてそう簡単になりません。まだ本屋さんにだって並ぶかどうかもわからないのに」
「そうか、そりゃあ可哀想に。よし、おじさんが今から有隣堂に行ってすぐに出版するよう脅かしてやろう。店の一番前に目立つように重ねて置くようスペース空けて待ってろってな。そうかランの本が映画になあ」
「ジョーおじさんたら。だめですよ有隣堂さんにそんなこと言ったりしたら、あたし怒りますよ」
「わかったわかった、それじゃあおじさんに読ませてくれるか」
「はい、これ。読んだら感想聞かせて」
「ああ、今晩徹夜で読み切ってしまおう。そうかこれがランの本か、チャンバラか?それともバキューンてガンマンか?」
「サスペンス、推理小説、タイトルはね、ここ、『白猫ヤマト殺人事件・クール宅配便から覗くダイヤの指』」
「し、しろねこ?随分と長いけどそりゃあ面白そうだ。たくさん書いて全部おじさんに読ませておくれ」
「はい、ありがとう」
「ああ、ラン悪いが耳を掻いてくれないか?手を上げると肩が痛くてなあ」
「はいはい」
 ランはバッカスの耳跡をやさしく掻くのでした。彼はとろけそうな顔をしてランに任せていました。

「おばあちゃん、行ってくるね」
「ああ、気をつけて行きなさい、帰りは?」
「うん、意外と早いと思う、なんか買ってくるから何も作らないで待ってて」
 ガラスの小窓からデートに出かけるランに手を振りました。

「父さんそろそろ帰ろうか?」
「ああ、そうしよう」
「おなかは?」
「いやいらん、おまえんとこに素麺があったじゃないか、もし腹が減ったらそれをいただく」
 父はグラスに残ったウイスキーを一滴も残さず飲み切った。
「嫁さんはいつ帰って来るんだ?随分とゆっくりしているようだが」
「まあ来月早いうちに戻るんじゃないかな」
「不自由はないかね?」
「毎年だからね花粉の時期は。それにもう慣れた」
「そうか、お互いに納得していればいいじゃないか。ところで母さんと連絡とっているかね?」
「そのことで父さんに聞いておきたいことがあるんだ。もしかしたら復縁するようなことはあるのかい?」
「私と母さんとか?あるわけないじゃないか。母さんがそう言ったのかね?」
「いや、いいんだそれなら」
 離婚当初母には付き合いをしている男性がいました。母のマンションに行ったときに紹介してくれました。しかしここ二~三年その影は感じなくなりました。母も七十を越し、一人身の寂しさから私にこぼしたのでしょう。
「チーフ、お勘定お願いします」
「もうお帰りですか、ありがとうございます」
 チーフは液晶が見えにくいのか、計算機の角度を変えて計算しています。ボトルを入れた方が安あがりだったかもしれません。ですがもし残っても再び父と来る日があるのかどうかわかりませんでしたので、逆に無駄にならなくてよかったかもしれない。

「おばあちゃんは?もう店閉めたでしょ?」
「毎年五月の二十八と二十九日は遅くまで開けているの。二十八日がおじいちゃんの誕生日で、二十九日が横浜大空襲の日でしょ、誰かを待つように小さなガラスの小窓を少しだけ開けてね、じーっと座っているのよ」
「そう、それじゃあそろそろ帰ろう、君に傍にいてやって欲しい」
「あら、ほんとかしら、飽きたから帰りたくなったとか?」
「ずっとこうしていたい。七月になれば一段落する。一緒になろう。嫁が無理なら煙草屋になる」
「・・・」
「チーフいくらでしょうか?」
「あれ、もう帰っちゃうの?こちらのお客様もお帰りで、寂しいじゃない」
「また寄らせていただきます。僕等にとって最高の日になりました」
「こちらこそありがとうございます。ランちゃんよかったね」
 チーフは他のお客さまに対応しながらもしっかり私達の会話も聞き取っていたのでした。
「あっそうそう、お肉を渡さなきゃ」
 小さなビニール袋にたくさんの氷を保冷のために入れてくれました。
「これだけ入れれば絶対大丈夫、おばあちゃんに宜しく。ありがとうございます」
 隣のお客様と一緒に席を立ち上がりました。年配の方が私のためにドアを開けてくれました。

 おとこ

「父さん、どうします?歩くそれとも車拾おうか?」
「ああ少し疲れた」
「OK」

おんな

「僕はいいから、タクシー拾おう」
「ありがとう。今晩おばあちゃんに話すわ」
「ああ、僕から挨拶に行くよ」

おとこ

「煙草を切らしてしまった。近くにあるかい」
「うちのすぐ下にあるけどもう閉まったんじゃないかな、販売機ならあるけど、父さんの煙草は入っていないかもしれない」
「一晩だけだ、なんでもいい、我慢する」

おんな

「運転手さんそこのマンションの前で結構です」
「はい」
「うちそこの煙草屋なんです」
「ああそうですか、たまに買ってますよ、おばあちゃんがおいでですよね」

おとこ

「父さん僕は先に上がって風呂入れておきますから。その角を右に曲がった所に販売機があります」
「ああ」
「部屋間違えないでくださいよ、十四階上がって左の突き当たり」
「まだボケちゃいない」

おんな

「おばあちゃんただいま、もう閉めましょう」
「ああお帰り、早かったじゃないか、もっとゆっくり楽しんでくればよかったのに」
「彼が心配しているから早く帰ってあげなさいって」
「やさしいひとだねえ」
「お夕食まだでしょ、お肉いただいてきましたから、支度します」

おとことおんな

 自動販売機で煙草を選んでいると、店内に薄明かりがあり、ガラスの小窓が少し開いているのに気が付きました。

 彼がマンションの角を曲がった所から私は気が付きました。小窓に向かって歩いて来るのは間違いなくサンタでした。身体ががたがたと震えました。

「『ひかり』ありますか?」
 小窓の向こうの女性は動かずにじっと私を見つめていました。
 
 サンタは私に気が付いていないようでした。訪ねて来たのではなく偶然なのだとわかりました。

「あのー『ひかり』は置いてあるでしょうか?」
「はい六十年前からずっと」
 震える声が返ってきました。
 
 しっかりと発声しようとしましたが声になりませんでした。

 そう言うと彼女は煙草を両手で包み、ガラスの小窓から差し出すのでした。震える手を伝って顔を見ると、皴だらけの婦長が泣いていました。
「ごめんなさい・・・」
 私は謝りました。それ以外に言葉を発することはできませんでした。

「ちゃんと来てくれたじゃないですか、少し遅刻ですけど」
 私はひかりを両手で包み小窓から差し出しました。
 
 私は小窓から差し出した婦長の両手を自分の両手でしっかりと包みました。
「夢はしっかりと叶ったのですね」
「ええ、しっかりと」
「静かな街になりましたねえ」
「ええ、静かな街になりました」
 
おとこ

私の足に車椅子がぶつかりました。
「申し訳ありません」
 狭い歩道で進路を妨害していたので私は謝りましたが、耳が不自由なのか、車椅子の方は気付かないようで、そのまま通り過ぎて行きました。

おんな

 バッカスがサンタの足に故意にぶつかりました。多分彼なりの制裁だったのかもしれません。通り過ぎるときに小窓に向かってウインクをしました。

了 

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

処理中です...