祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 7

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「わかったようるせいなあ、ところで拓のやつクラブさぼってテレビ観てたぞ、なんか元気なさそうだったから美味いもん食わせてやれよ、冷奴でどうやって柔道やれるっつうんだよ、分厚いステーキでも食わせてやれよ」
「あなたに言われなくてもわかっています。昨日の晩は四百グラムのステーキを食べさせました、冷奴はあなたのおかず、拓は今晩すき焼きです」
「おまえよう、拓に美味いもん食わせるのはいいよ、だけどなんで俺だけが冷奴なんだよ」
「あなた冷奴好きじゃない、夏は奴とお母さんの糠漬けがあれば何もいらないってよく言ってるじゃない」
「だけどたまには肉食いたくなるもんじゃねえか、それを言われなくても先に察して用意するのがいい女房じゃねえのか」
「すいませんねえ、あたしは出来の悪い女房で、これから半年間は収入も途絶えるし、一人で子供達の世話をしなければいけない出来が悪くて不幸な女房です」
 いつも世津子の一言で現実に引き戻される。さっきまで心地よく聞こえていた太鼓の響きが一変、奈落の底に落ちていくのを後押ししているように聞こえる。笑って撥を振り下ろす守屋にやつ当たりしたくなった。
「いいから帰ったらなんか酒のつまみ持って来てくれ」
「ええ、帰ったらすぐに冷奴とお母さんの糠漬けを用意してお持ち致します旦那様」
 分の悪い賢治の応対を耳にして、俊夫が申し訳なさそうな顔をして蚊取り線香の煙を見つめていた。線香の紫煙が裸電球に向かって一直線に天井へ立ち昇っている。
「暑いわけだよなあ、風が全然ないもんなあ。それに薮蚊もそこを通過しなきゃあ死なねえぞ、本当に運の悪いやつだけがあの煙の柱にぶつかって死ぬんだ。ついてねえ奴っているよな」
 そのついていない薮蚊が一匹ふらふらと古い畳の上に仰向けに落ちてきた、足をぴくぴくともがいている。賢治はその蚊をつまみあげ外に放り投げた。ゆっくり落ちる蚊に自分の心境を重ねている。俺はこの蚊と同じく、運悪く煙柱にぶつかってしまい、刑務所に入る羽目になってしまったのだと自分を慰めるのであった。飲酒運転を懲りることなく繰り返し、例え人を傷つけていなくても、ここで見逃してしまえば、将来必ず不幸な結果をもたらすと判断した裁判所は正しく、決して運の善し悪しでないことを自覚していない。
コンクリートに落ちた蚊が再びふらふらと飛び始めた。
「ようしがんばれ」
「なんですか?」
「いやなんでもない、ところでトシちゃん飯どうすんだ。うちの奴に用意させるから心配するなって言いたいとこだけど自信がねえんだ、悪いな。もう二十歳過ぎたんなら酒は飲めんだろ?」
「いえいえ気にしないでください、食事はあとでコンビニに行って何か買ってきます。酒も少しはいけます」
「そうだよ、酒は飲んだ方がいいに決まっている。飲まない奴とは話できねえよなあ、じゃあ悪いけど二人で留守にするわけにはいかねえからトシちゃん買い出しに行ってくれる?ええとねえ、ビールを、二本ずつにするか?それと日本酒だと効くの早いし、すぐ眠くなっちゃうからなあ、焼酎にしよう、『いいちこ』でいいや、一升のパックと氷をそうだなあ、すぐ溶けちゃうから三パックも買ってきてもらおうか、これ財布、全部持っていって、トシちゃん食いたい物や飲みたい物があったらそっから買ってくればいいよ、久しぶりだから、神様と三人で一杯やろう」
 
 お囃子の屋台から子供達が降りて、残った中学生達が屋台の上を片付け始めた。
「ようし下りて来い、ライト消すぞ」
 酒屋の守屋が仕切っている。ライトが消されると目の前が一瞬眩んで何も見えなくなった。暗闇に視覚がが戻るのに数秒かかった。守屋が賢治に近づいて来た。
「賢ちゃんお先に、一人?」
「いやコンビニに酒を仕入れに行かせてる」
「なんだよ、酒ならうちで買えばいいじゃんよう」
「あっそうだ、守屋さんとこ酒屋だったもんなあ、忘れてた、わりいわりい」
 母のサキは酒類、味噌醤油、他食料雑貨を守屋酒店から注文しているが、世津子は高値という理由で購入していない。昔はこの町のほとんどの所帯が守屋酒店から仕入れていたが、最近は酒の激安ショップに買出しに行く人が多くなっていた。
 醤油一本から配達してくれる利便さはあるが、定価で売られているため、激安ショップの二倍近くする。付き合いを大切にする町の古い者も、急な入用になったときだけ、想い出したように注文する。『酒は守屋で』と描かれた木製の看板も朽ちかけていた。
 トシが買出しから帰って来た。
「ビール四本と、いいちこ、それに氷と、つまみにいかの燻製買って来ました」
 賢治は守屋の前でばつ悪そうにそれを受け取り、財布を浴衣の袖口に落としこんだ。
「それじゃ。朝方は意外と冷えるから、腹出して寝てると寝冷えするよ」
 守屋は撥をベルトに差し、配達用のバイクで帰っていった。
「失敗したなあ、気が付かなかったもんなあ、守屋んとこで買えばよかったなあ」
「守屋さんて、あの酒屋の守屋さんですか?わーっ、目の前でビールといいちこなんて言っちゃった、まずかったですかねえ」
「しょうがねえよ高いんだから、今時定価で買う奴はいねえぞ、潰れるかもしれないな守屋、でもしょうがねえか昔儲けたんだから、盛者必衰とは上手いこと言ったもんだ。でもあれだけ囃子の面倒看てくれているのになあ、俺達祭り関係者ぐらいは買ってやった方がよかったかもなあ、ああ、でもあそこたぶん氷売ってねえぞ、この蒸し暑いのに氷がなくちゃあ焼酎飲めねえもんなあ、しょうがねえよな、だけど相当ショックだったようだなあ俺達が他所から酒を仕入れたのが、めいっぱい肩下がってたもんなあ、明日から囃子の指導に来なかったらヤバイなあ、俺達のせいにされるかもなあ」
「俺達って、ぼ、僕もっすか?」
「トシちゃん、それが酒飲みのつらいとこなんだわ、ちょっ悪いけどそこのチャリンコ使っていいから守屋まで飛ばして行って日本酒買って来てくんない、あれ、なんて言ったっけなあ、ああそうだ、『両関、銀紋』秋田の酒で銀紋入りはこっちじゃなかなか手に入らないって自慢してた、俺も一度呼ばれたときに飲んだけど確かに美味かった、それ頼むわ」
「わかりました、でもなんかわざとらしくないすっかねえ、守屋さんに同情で買いにきたと思われませんかかねえ」
「うーん、そう言われるとそうかもしれないなあ、商人てのはその辺勘がいいからなあ、まあ大学生の君に上手いこと言って貰おう」
「うわーっ、わっかりました。じゃあ行ってきます」
 御仮屋の灯りは一晩中消灯されることはなく、その灯りは番屋の中を一晩中照らしつける。仮眠は交代で許可されているが、うるさいことは誰も言わない。番屋に務めて、神様の傍にいるだけで、いくら熟睡しようが責任を果たしたと認められている。しかし古畳に座布団を枕にして横になっても、慣れなければ熟睡はできず、ほとんどが寝不足で翌朝を迎える。
 「おおい賢坊、ここにあった自転車知らんか?」
 町の長老のひとりである吉田が、チジミのダボシャツに腹巻姿で番屋の上がり口に腰を下ろして言った。
「あっなんだ、あれ吉田さんのですか、すいません、今守屋まで用足しに行かせてるもんで、五分もあったら、戻って来ますけど」
「なんだよ、宮出しのあと、ここで一杯引っ掛けたから、転んじゃいけねえと思って置いといたのを取りに来たんだよ。畑と反対方向だから朝じゃ面倒だからよ、まったく、しょうがねえなあ」
「すいません、もう戻って来ると思うんですけど、いや、走って行けって言ったんですけど、置きっ放しだから大丈夫ですよって中田重太郎さんとこの倅が、あっ来た来た」
 自転車の籠へ、新聞紙に包まれた一升瓶を差込み、俊夫が前屈みになって漕いでいる。右足でペダルを踏み込むときにウギー、ウギーと音を立てている。
「このチャリンコひどっいすねえ」
 俊夫が息を切らせて戻って来た。
「トシちゃん、それ吉田さんのチャリンコだって、だから言ったじゃねえか、吉田さん待ってるから一言謝っとけよ。すいませんね吉田さん、まだ若いからイケイケで」
 賢治は俊夫にウインクした。
「うわーっ、わっかりました」
 俊夫は自転車から降り、大きなスタンドをかけ、スタンド止を蹴飛ばした。
「すいません、勝手にお借りしちゃって、古い、いや年季の入った自転車だからてっきり、はい、すいません」
「てっきりなんだよ、てっきりゴミかと思ったってか。重太郎さんとこの倅さんだって、へー、立派になったなあ、たまにゃあ重太郎さんに顔出すように言っといてくれ、朝のうちは畑に出てるけど午後は家にいるからって、誰か客がくりゃあ、酒飲む言い訳が立つんだ、な」
「はい、伝えておきます」
「おい倅、これ忘れもんだ」
「いやそれは自転車を無断で使ったお詫びです、収めてください」
 番屋に入りかけた賢治が飛び出してきた。籠に指を差しているが言葉は無い。
「そうかい、そりゃあわりいなあ、酒だなこれ?、そうかい、すまねえなあ、親父に近いうちに顔出すように伝えといてくれよ、そうかい、こりゃあすげえなあ。おい倅、自転車使いてえときはうちにくりゃあ庭に転がってるから好きに使っていいぞ、そうかい酒かあ、そりゃあすげえや、賢坊、おめえもたまには顔出せ、じゃあな、例大祭は頼むぞ」
「あっ吉田さん、よしって、聞いちゃいねえや」
「すいません賢治さん、つい口が滑ってしまって、僕もう一回守屋酒店に走って行って来ます。もちろん自腹で買いますから」
「気にすんなって、地元の長老に二~三千円の中元贈ったと思えば安いもんだ、大先輩だもんな」
「えっ、二~三千円て、あの酒の代金ですか?こっちじゃ手に入らない『両関銀紋』のことですか?」
 賢治は浴衣の袖口から財布を出して中を確認した。
「あれ、諭吉は?」
「レシートも入れてあります」
 俊夫が申し訳なさそうな顔をして賢治に言った。
「五千六百両てあの酒?」
 俊夫がこくんと頷いた。
「あの『両関銀紋』?」
 再び頷いた、それも肩まで揺らして。
「あの野朗、調子よく太鼓なんか叩きやがって、太鼓持ちってのはあいつのことだなふざけやがって、他所で酒仕入れて寂しそうな顔してたから同情して買ってやりゃあこれだ、五千跳んで六百両ときたもんだ。普通地元の仲間だよ、六百両はまけるだろう。ようし守屋潰す、潰しに掛かる」
  八時を回るといくらか風が吹き込んで来て、蚊取り線香の煙が部屋中を徘徊し、薮蚊を締め出しにかかっている。
 「遅くなりました、あーらトシちゃん暫く、どう大学は?偉くなるんだろうねえ、国家公務員とか大きい会社の研究員とかになっちゃって、香織を忘れないでね」
 世津子の後ろに鍋を持って拓郎が立っていた。久しぶりに会う俊夫に恥ずかしそうに一礼した。
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