祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 6

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 向かいの材木問屋の大女将が番頭に支えられて御仮屋に到着したばかりの神輿に参拝している。もう自分の足では山の上の神社まで参拝に行くことはできないからだ。足腰が衰えたり寝たきりになってしまった年寄り達が家族に支えられたり、おぶられたりして、年に一度の参拝を済ます。酒屋のおばあさんが孫におぶられてやって来た。手には半紙に包んだ賽銭を握っている。孫はおばあさんが投げやすいように神輿の方へ背中を寄せる。おばあさんが神輿の鳥居に賽銭を投げ入れた。両手を離すと後ろに引っくり返ってしまうので、片手を顔の前に立ててぶつぶつと言っている。
「もういいだろうおばあちゃん、重いんだから」
 一年に一度の参拝であるから、このときばかりと家族全員の健康を祈願する。自分の健康祈願をしてくれているなどとおぶっている孫はわかってはいない。お祈りを終えたおばあさんは孫の肩を叩き終了の合図した。
 
「しょうがねえじゃねえか仕事なんだから、あと十日しかないんだよ俺に残された時間は、たまっている仕事は終わらせておかないとまずいんだよ。明も今月いっぱいで独立するんだし、サブだけ残ったってまだ仕事は無理だろう、だからサブは吉川設備に預けようと考えている。手を付けている仕事はせめて区切りがいいとこまで進めておきたいんだよ。本当は例大祭の日だって仕事したいくらいなんだ。世津子をパートに出すわけにはいかねえだろう、俺がいない間の生活費ぐらいは残していかねえとなあ、少ない貯金を切り崩していくんじゃ惨めだしな」
 年金生活をしているサキは、いくら節約しても孫達の食費や学費に協力するだけの余裕はないので、賢治に金のことを言われると、宮出しに参加しなかったことを強く責められなかった。
「でも二十二日はちゃんとやらなきゃ駄目だよ、当番だし、ご先祖様に申し訳立たないよ」
「わかってるよ、ところで御仮屋の番はいつだ」
「今夜とお祭りの前の晩だよう、だけどいいようおまえは、明日仕事だろ、あたしが行くから」
「いいよ俺が行くよ、まさかおふくろをあの小屋に閉じ込めるわけにはいかねえべ、酒でもかっ喰らって眠っちゃうから心配すんな」
 賢治はそう言って自宅に帰った。拓郎がテレビを見ている。
「あれ、拓、クラブは?」
「迫田先生がお見合いで今日は自主トレ」
「だけど先輩達がいるだろ?」
「・・・」
「まあいいさ、一日休んだってどうってことはない、むしろ骨休みになっていいだろう、美味いもんでも食って腹の中から身体鍛えるのも大事だ、今晩あたりあれじゃねえか、おまえの好きな分厚いステ~キじゃねえか」
「さっき母さんが買い物行く前に言ってたけど、今晩は蒸し暑いから冷奴だって」
「そうか、奴か。父さんな、今晩御仮屋の番だから、シャワー浴びたらすぐに行っちゃうから。酒の肴と握り飯、それとポットにお茶入れて持ってくるように伝えてくれ、酒は自分で用意するからいいって」
「うん」
 拓郎は賢治の方を見ずに再放送のテレビドラマに夢中になっていた。更衣室の籠に浴衣と帯がきれいに畳んで置いてあった。世津子が御仮屋の番をサキから聞いて、用意しておいたのだ。シャワーを浴び身体の水滴を拭うと、髪の多い賢治は手櫛をバックに入れた。何度も何度も気に入るまで手櫛にこだわる。髪の形に納得がいって浴衣を羽織った。
「なんだ拓、まだテレビ見てんのか、目が悪くなるぞ」
「父さんのお風呂が早いんだよまだ三分経ってないよ」
 帯を締めながら縁側に下りた。
「そうだ、拓」
 賢治は息子と二人っきりの、この絶好のチャンスに、刑務所行きを打ち明けようとしたが、踏ん切りがつかず、吐きかけた言葉を呑み込んでしまった。
「なに父さん?」
「あれだろ、おまえ柔道部だよなあ、練習は?」
「さっき言ったじゃん、迫田先生がお見合いで自主トレだって」
「ああそうだったな、たまには骨休みして、美味いもんでも食って内から身体鍛えるのもいいもんだ、今晩あたりおまえの好きな分厚いステ~キじゃねえか」
「ステ~キじゃなくて冷奴だって、もうボケんの早いよ父さん」
「うるせい、行くからな、母さんにちゃんと伝えとけよ」
 賢治は網戸を閉め、世津子が揃えた雪駄を引っ掛けて、母屋の玄関前でサキに声をかけた。
「おふくろ、行ってくるかんな」
「あんまり飲むんじゃないよ」と台所あたりから返事がした。
 御仮屋までは賢治の家から歩いて三分とかからない。御仮屋のはす向かいの材木屋の駐車場に特設の屋台が設けられていて、子供達が祭囃子の練習をしている。去年までは娘の香織も笛を吹いていたが高校に入学してから辞めてしまった。子供達に笛太鼓の指導しながら太鼓を叩く酒屋の二代目守屋二郎が、撥を上へ放り投げては一回転させ、再び手におさめて叩く離れ業を、通行人がいるときだけ得意気に見せていた。
 守屋の太鼓に合わせ、ベテランの中学生が笛を吹き始めた。
 
てんてん、てんつく、てん、てん、てててんつく、てんてん、
ひゃーり、ひゃありらり、ひゃりらひゃりら、ひゃあーりーら、ひゃーり、ひゃーり、ひゃりら、
てん、てんてん、てんつくてん、ひゃーりら、
 
 太陽は山陰にすっかり隠れ、蝉の鳴き声も止んだ。小気味のいい太鼓と、天に突き抜けるような笛の音が、町内に祭りの始まりを知らせる。これからの七日間この祭囃子を追いかけて町内の皆がひとつになる。
「ご苦労様です、守屋さん今日行ったの?宮出し?」
 守屋は笑みを浮かべて首を縦に振った。賢治が見ているので守屋は撥を二回転させた。
「これだよ、ジョージ川口じゃねえっつった」
 御仮屋と繋がっている番屋に入ると若い男が読書をしていた。
「こんにちは」
 男は本を閉じて、尻を滑らせ小屋の隅に寄った。
「はいご苦労さん、ええーとどこのお兄ちゃんだっけ、俺んとこ知ってる?」
 賢治は見慣れない若者に訊いた。
「北川賢治さんですよね、中田です」
 賢治は首をかしげ、若者を記憶の底から引きずり出している。
「中田って中田敬三さんとこの中田さんかい?中田はたくさんいるからさあ、敬三さんとこにはこんな立派なお兄ちゃんいないしなあ、デブの娘とそばかすだらけのばか息子しかいないしなあ、中田茂三さんとこは男の子いないよなあ、三人の娘はみんな高校を早上がりして嫁に行っちゃったしなあ、あっそうか中田徳郎さんとこのおぼっちゃんかい、市会議員の?」
「違いますよ、裏の、中田重太郎のとこの俊夫ですよ、トシですよ、子供の頃よく遊んでもらった」
「なんだ、トシか、髭なんか生やしてんからわかんなかったよ、幾つになったんだ?」
「去年成人式迎えました」
「うわーっ、これだもんなあ、歳取るわけだ、すぐ裏に住んでいるのになかなか会う機会がないもんだなあ、もう十年ぐらい会ってないような気がするけどそうか?」
 賢治には俊夫が小学生だった頃の記憶しかなく、うっすらと髭を生やした立派な青年と結びつかなかった。
「僕は賢治さんをたまに見かけますよ、でも忙しそうだからつい声をかけそびれてしまって。大学が八王子なので近くにアパート借りています。夏休みで帰ってきたら、親父におまえ御仮屋に行ってくれって頼まれて、まあおやじも警備会社の仕事で時間が不規則だからしょうがないですけどね」
 俊夫の母親は十年前に乳がんでこの世を去った。色白の小柄な美人で、賢治が中学生のときに中田家に嫁いできた。主人の重太郎は一人っ子で、やはり母親を早いうちに亡くし、厳格な父親に育てられた。父親は自分が死んだら、百姓は辞めて勤め人になることを重太郎に勧めていた。朝から晩まで働き詰めで、僅かばかりの農地に縋っていても生活水準はあがらない、貧乏百姓は自分で終わらせようと晩酌の度に重太郎に聞かせていた。
 父親の酒の愚痴を遺言として、彼は農家を継がずに勤め人になった。国鉄に入社したが民営化と共に退職した。JRの関連会社でトラックの運転手をしていたまでは賢治の耳に入っていたが、元々無口で付き合いの不得手な性格だった重太郎は、妻の洋子の死によって、よりそれがひどくなっていた。
 
「僕が母さんが出棺のとき泣いていたら、賢治さんがあたまを強く撫でてくれたのよく覚えてます」
「トシちゃんの前で言うのもなんだけど、きれいな母さんだったなあ。君んちの母さんに朝会って、『おはよう、いってらっしゃい』て挨拶されるのが嬉しくて、わざわざ裏の塀乗り越えて、遠回りして君んちの前の路地から出かけたもんだ。俺、照れちゃってなあ、ペコンて頭下げるのがやっとだったよ」
「もう十年になります、母さん死んでから」
 
ひゃーらりら、ててん、ひゃー、ひゃーりら。
てんてん、てんつく、ひゃーら、ひゃーら、てん、
 
 学校から帰宅した囃子会の子供達やそのOB達が屋台に上がる。笛太鼓の数も増え技術も上がり、より賑やかに、年に一度のお祭を盛り上げていく。
賢治と俊夫は、六畳一間の番屋の壁に寄りかかり、梯子をつたって屋台を上り下りする子供達を見つめていた。
「そういえば君んちの母さんお祭好きだったなあ、囃子の半纏着て、駆けずり回って子供達の面倒看てくれていたっけ、あれ、そういえばトシちゃんも囃子やっていたよなあ、うちの香織も君に教えてもらったんじゃねえか?」
「香織ちゃん上達早くて、すぐに抜かれてしまいましたよ」
「うちの香織はトシちゃんが好きだったんだぞ」
「一昨日久しぶりに会いましたよ、あまり話はしなかったけどなんか今時の高校生って感じですね」
「歌舞伎の隈取してなかったか?段々濃くなっていくぞ、そのうち頬に稲妻走らせるんじゃねえか」
 陽はすっかり沈み、賢治は番屋にぶら下がっている裸電球をひねった。囃子屋台の四隅に取り付けられたライトが子供達を真っ赤に照らす。同じ町内に暮らしていても、学年がひとつふたつ違うだけで昔のように一緒に遊んだりすることはあまりない。お囃子を継いでいくのは農家や職人の子供達が多数であるが、なかには新興住宅地の子供が、お祭好きの親に無理やり囃子保存会に入会させられ、仕方なく参加しているケースもある。そんな子供は屋台の上でもひとりで笛を握ってしょんぼりしている。
 坊主頭の中学生がその男の子の横に胡坐をかいた。一音一音、指の当てる位置を教えている。男の子は坊主頭に言われるままに笛に唇をあて思い切り息を吹き込んだ。囃子のリズムとは別の高音が屋台の屋根を劈いた。男の子は生きた音が出た喜びで溶ける程に顔を崩し、坊主頭を見つめている。数年後にはこの子もベテランとなり、後継者のちびっ子に指導していくに違いない。お祭が仲介役となって屋台の上で新しい出会いが繰り返される。
「あっいけねえ、ちょっと失礼するよ」
 賢治は番屋の外に出た。裏の竹薮から薮蚊が人の温もりを察知して不安定な飛行をしてやってきた。
「トシちゃん、トシちゃん、悪いけど囃子の屋台の下に蚊取り線香あるから、持って来て点けてくんないか」
「はい」
 賢治は首筋に喰らい付いた縞模様の薮蚊を右手で叩いた。御仮屋の電話が鳴った。
「もしもし、俺だ、どこだ今?、俺は御仮屋の番してるよ。藤沢?なんで藤沢なんかに今頃までいるんだよ、もう七時じゃねえか、えっ、何?」
「この時間になると食品を安く売り出すの、そうです、あなた様の稼ぎを無駄にしないようにね」
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