祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 14

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 十五年前、ピンクキャバレーに勤めていた里美のもとに、毎晩足を運んで結婚を迫った。当時里美には交際しているチンピラがいたが、内田の執拗なプロポーズと羽振りのよさに根負けし、チンピラと別れて付き合い始めた。内田より六つ年上だった里美は、将来の安定を最優先に考えた。二十七である、この機会を逃したら今度はいつ結婚を申し込んでくれる男が現れるかわからない。こんな、半分身体を売っているような商売女を『嫁に欲しい』なんて手を挙げる男はもういないだろう、いたとしてもやくざ崩れのチンピラに決まっている。それほど大きくはないが家もあり、その他に二十坪程の資材置き場に使っている不動産もある。内田に嫁ぐのが自分の生い立ちから考えても恵まれた話ではないだろうか、今は好きじゃなくても一緒に暮らしているうちに情もわいて好きになっていくかもしれない。内田の実家は鳶の老舗で、将来は頭を継ぐという。頭の女房になり若い衆から姐(ねえ)さんなんて呼ばれる自分を夢見て、好きでもなかった内田に嫁ぐことを決めた。
 希望と諦めを胸に抱き、鳶内田組に嫁いだ里美はそこそこ満足していた。期待ハズレはたくさんあるが、息子にも恵まれ、不良少年や暴走族あがりの若い衆からは姐さんと呼ばれている。一般常識から外れた強引な性格と、息が臭いのを我慢すればのんびりと生涯をおくれる。大が内田組を継ぐかどうかはわからないが、生まれたときから体型、性格までそっくりな内田のクローンである、たぶん四代目頭となって威張り腐るのであろう。そうしたら、隠居してゆっくりと年金生活を送ればいいのだ、借金があるわけじゃないから多少の蓄えを切り崩しながら年金で充分生活していけるとそう考えていた。それでいいと満足していた。しかし最近の内田は欲に走り出していた。利益を上げるために手抜き工事をするようになった。古い付き合いを断り、より利益の上がる業者と付き合い出したのだ。里美にはそれが許せなかった。初代先代が築いた信用と実績を台無しにしてしまうと思った。今はいい、かなりの利益が自分達を潤してくれている。しかしインチキ工事を続けていれば必ずボロが出て、世間から相手にされなくなるだろう、そうなれば大が継ぐ頃には、三代続いた内田組の信用も実績も破綻してしまう。手抜きをした基礎工事が沈下したり、ひび割れのクレームがついたりして損害賠償を求められたら、安定した老後などとのんびり構えてはいられない。大の成長、結婚、四代目襲名、そして孫の誕生、その子守役、里美のプランが音を立てて崩れていく。
「ちっとはそういうことしねえとおまえ等に贅沢な暮らしはさせられねえんだよ。いくら老舗の鳶職だってただで金くれる奴はいねえんだよ。仕事も減って工賃も手間もがくっと下がったこのご時勢に、今まで通りの生活を続けていくにはどっかで悪いことしなきゃあ無理なんだよ。おまえだって帳簿つけてんだからわかってんだろ、基礎工事やってどれだけの上がりになるか、若い衆の手間と材料代払ったら、俺の日当一万七千円にしかならねえっておまえぼやいてんじゃねえか、それだって毎日あればいいよ、うちは借金があるわけじゃねえし、家賃がかかるわけでもねえから、俺達三人とおふくろぐれい食わしていけんだろう、でも仕事がねえじゃねえか、古い工務店との付き合いだけじゃよ、多少あくどいけど予算も言い値で発注してくれるし、支払いもきれいなアクタスの仕事やってるから若い衆も遊ばせることなく使っていけるんじゃねえか、組合の会合でも頭連中はみんなあたま抱えているよ。地元の跡取りはもう地域のしがらみなんてねえから、増築や改修工事するったって安い大手に頼むしな、昔みていにどぶさらいしたり、火の用心に回って歩いていると黙っていても仕事が来る時代じゃねえんだよ。俺だってそうだろう、消防の副団長やっていたり、神輿の万年会長やっていたって、みんなそのときだけ、ブロック直してくれとか、車庫作ってくれとか言うけど、祭りが終わればそれっきりだ。月一の保存会の会合だってほとんどうちのふところから出費してるじゃねえか、みんな調子いいんだ、俺だって生活守っていかなきゃならない、基礎に鉄筋入れなくたって八雲神社の神様許してくれんだろう」
「ばか、罰が当たるよ、悪いことして僅かな贅沢するより、正直で貧乏した方が大のためにもいいに決まってんじゃん、食えなくなったら看板下ろせばいいのよ、その方が死んだお父さんもおじいちゃんも喜ぶわよ、ジロおいで、お風呂入ろう」
 里美は言うだけ言うと、愛犬を抱き上げダイニングから出て行った。その場に残ると内田のちんぷんかんぷんな理屈と説教が罵声交じりで飛ぶからである。内田は口を開け、まさに声を出そうとした刹那、里美にガラス戸を強く閉められてしまった。罵声は大きな溜息と変わり、テーブルに飛び散っているフランスパンのカスを床まで吹き飛ばした。どちらが正義かと問われれば里美の言い分が尤もであるのは内田にもよくわかっていた。ただ口惜しかった、なにもかもおまえ達のためだけにやっているのを何故理解してくれないのか、手抜き工事をするのは内田にも罪悪感はあるが、里美のため、大のためと思うとそれも吹き消してくれるのであった。
 インチキをしている自分になのか、理解してくれない里美になのか、どちらかわからないが涙がこぼれた。マグロの刺身の表面が、エアコンの強力な冷風によって乾き出してきた。楽しいはずだった夕餉もどたばた劇で終いを迎える。三崎直送の新鮮生マグロはまだ半分残っているが食欲も萎えてきた。このまま放置しておけば悪くなってしまう、しかしラップして冷蔵庫にしまったのでは『悪かったごめんなさい』と里美に謝っているようで嫌だった。内田は皿を持ったまま考え、そして閃いた。『そうだ鉄火丼だ』重なったマグロを一枚ずつきれいに並べて、日本酒と醤油をかけ、ラップして冷蔵庫に入れた。これなら無駄にならないし、里美に屈したのではなくて、自己の主張を押し通したことになるとの勝手な判断であった。
 天井で跳ねる音が響いた。大が受身の練習をしているのかもしれないし、里美とプロレスごっこをしているのかもしれない。いつもなら『うるせい、静かにしろ』と怒鳴るのだが今晩はその元気もなかった。
 
(十三)
 
「拓、おまえ俺に何か隠してない?」
 大は昨夜内田と里美がダイニングで話しているのを偶然聞いてしまったのだ。盗み聞きをしたのではなく、二人の声が大きく、階段が拡声器の役目も手伝って二階まで筒抜けだったのだ。大の部屋にエアコンはなく、入り口は無論のこと、窓という窓をすべて開けひろげているので、夫婦喧嘩の内容も逐一聞き漏らすことはない。大にとって、親友の拓郎が父親の刑務所行きを隠しているのも辛かったが、それ以上に父親が手抜き工事をしている方がショックであった。ニュースに出てくる公共事業の贈収賄事件と重なってしまうのであった。手抜き工事が発覚すれば、テレビに出てくる悪徳代議士や贈賄業者のようにその職を追われ、起訴され、懲役に服するのである。大のあたまの中を、父親が苦しい言い訳をしているテレビ映像が占領した。手抜き、賄賂、逮捕と単純に結びついてしまうのである。万が一父親が刑務所に行くような事態になってしまったときの予備知識として、北川の刑務所行きを、拓郎はどう受け止めているのかを探りたかった。
「別にないよ」
 拓郎は本当に知らない。まだ父親からも告白されておらず、家族も社員達も緘口令を引かれたかのように拓郎の前では口にしなかった。
「あっ」
 拓郎には大に内緒で、交際している女の子いたのである。それが大に知れてしまったと勘違いした。牧田温子といって、大と同クラスの子で、細身で活発な女の子であった。大も以前、その子に何回かラブレターを出したことがあった。それが彼女の友人から友人へと広まり、クラスで知らないものはいなくなってしまった。彼女は大に恥をかかせたお詫びとして、大に誘われた映画鑑賞に付き合い、そして別れ際に告白したのだった。『今日はありがとう、大にはっきりと言っておくわ、あたしねえ、好きな子いるの、だから大とはいい友達って感じでいたいの。今日のこと誰にも言わないでね、じゃあね』
 大の胸に大砲で打ち抜かれたようなでっかい穴が開き、そこを初恋が素通りしていった。このことは拓郎にも話していなかった。
「ひとつあるんだ、近いうちに大に言おうと思っていたんだけどなかなかチャンスがなくて」
 やはり拓郎は父親の刑務所行きを隠していたのだと思った。
「そうか、別に気にはしていないよ、重大事件だからなあ、そんなにぺらぺら話さない方がいい思うよ俺も」
「重大事件て言われるとすごくプレッシャー感じるな、今日は無理でも気持ちの整理をつけてあとでちゃんと話すよ。親友に隠し事はよくないし」
「気にするなって、もし俺にできることがあればはっきり言えよな、晩飯とか足りなかったらうちで食えばいいしよ。たぶんうちの母ちゃんが今日か明日、拓んちに行くぞ、その問題で」
 大の温子への思い入れは拓郎の想像以上に大きく、親友に横取りされたことが家族問題にまで発展してしまい、もう自分達の手から離れてしまって、親同士での解決以外になくなっているのだと拓郎は勘違いした。
「大んちのおふくろさんが?今日か明日?うちに来るのか?」
「ああ、父ちゃんが母ちゃんに可愛がってやれって、言ってた」
 里美は、北川家で揉め事がある度に顔を出して調停役をしている。大概は賢治の浮気話からもつれた離婚話で、世津子の嘆きを代弁し、賢治に喰って掛かる里美を、拓郎は女とは思えなかった。針金のように細身で長身、手足が異常に長い。バッハのような髪型で、やくざみたいな言葉を賢治に吐きかける。賢治も里美が苦手でたじたじとなってしまい、『わかったよ、うるせいなあ、悪かったよ、もうしねえよ』と投げやりではあるが謝罪する。早く謝った方が賢明であると経験から学習していた。
「おふくろさん髪型変えた?」
 拓郎は里美をイメージするとき必ず髪型から思い浮かべる。
「母ちゃんの髪型?最近伸ばしているからハイドンって感じかなあ、なんで?」
「いや別に」
 バッハよりハイドンの方がいくらかやさしそうな気がした。
「しかしおせえなあ、もう部活終わってから三十分になるぞ」
「正門から帰ったってことはないか?友達んちに行くとか」
「そりゃあねえよ、、あいつに友達なんているわけねえじゃん」
 練習の帰りに裏門で中島を待ち伏せしていたのである。
「大、やっぱり止さないこの作戦、絶対に無理だよあいつから一本取るなんて。二人で同時にかかっていったって可能性ないと思うよ」
「拓、やるだけやってみようぜ、それでだめならしょうがないじゃん。口惜しいだろう、コンビニにダッシュで買い物行かされたり、購買部までうさぎ跳びでパン買いに行かされたりして、恥ずかしくないのか」
「そりゃあ恥ずかしいし、なんで部活以外であいつの指図を受けなきゃならないのかと思うとあたまにくるよ」
「そうだろう、だからやるだけやるんだ、今回だめだったらまた秋に挑戦してやる。あいつが卒業するまでには必ず一本取ってやろう」
「あっ来たぞ大」
 柔道着を黒帯で丸め、それを肩から掛けて、中島が裏門に近づいてきた。がに股で分厚い胸板を反らして歩く姿を見ていると、二人の気持ちは沈んでいくのであった。
「なんだおまえら、家こっちじゃねえだろう、誰か待ってんのか?」
「おっす」「おっす」
「そうか、じゃあな、明日は休みだけどランニングぐらいはしておけよ」
 中島は鼻歌を歌いながら校門を出て行った。二人はその後姿が見えなくなるまで見送った。
「また今度にする?あいつ逃げないし」
「いや今日言う、拓追いかけるぞ」
 二人は中島のあとを追った。コンビニの角を曲がったところで中島は缶コーラを一気飲みしていた。
  
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