祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 22

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 会長の磯田が重太郎を右のはな棒にエスコートした。重太郎は照れ臭そうに俊夫の隣に並んだ。
「よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、ほら俊坊、聞こえねえぞ、そんなちっちゃな声で天国までよ」
 賢治が大声を張り上げた。神輿の上下に揺られた俊夫の視線は、洋子の遺影と博子の顔が完全にラップした。
「よいさ、こらさ、よいさ、こらさ」
 重太郎が俊夫に負けじと声を上げた。もう二度とこの祭りに参加することはないだろう。秋田の山村で冬は雪に埋もれて暮らす。彼の生涯で出逢った女性はたった二人である。初めて愛した洋子と、二度目に恋した博子、不器用で愛情表現もぎごちないが、愛の深さではひけをとらないと自負する。『洋子、ありがとう、天国から俊夫を見守ってくれ、博子、なにがあろうと生涯愛し続ける』重太郎は肩の上の神様と、天国の洋子に誓った。
 
【午後八時三十分】
 
 宮入前の最後は賢治宅である。当番宅の渡御順番は決められているわけではなく、宮入前の進路手順に則って決定される。北川家は父の放蕩三昧で、土地の半分以上を失い、母屋と、人が擦れ違うのがやっとの通路、それに母屋の裏の僅かな土地に建てた賢治達が暮らす離れだけである。門も片開きの鉄扉で、神輿の先端すら覘かすことができない。したがって門に面した道路で敷地内の代わりとする。
 手伝いに来ている世津子の同級生達が、サキの指示で通路に置いた長テーブルに、手作りの料理を並べる。大きなポリ容器が三つ植木棚の前に置かれている。缶ビール等アルコール類、ジュース等清涼飲料水、もうひとつのポリバケツには新鮮なトマトと胡瓜が浮いている。それぞれに大きく砕かれた氷が面の取れた角を突き出している。
 はな棒の若い衆が抜け、顎でしゃくって拓郎に譲った。会長が神輿の後ろにいる賢治に向かって拓郎の隣を指差した。賢治は家族の前に出るのが照れ臭く手を振って断ったが、長老のひとりに背中を押され、仕方なくはな棒に入った。門の前にはサキと香織を先頭に、世津子と同級生三人、それから本家分家から手伝いに来ている親戚関係がずらっと並んで神輿を眺めている。
 
「おりゃ、うりゃ、おりゃ、うりゃ」
 
 横棒の明が神輿を煽った。かつぎ衆は最後の力を振り絞り、それに応える。北川家全員が大きな拍手でそれを労う。
 
「ねえねえ、見て見て、息子息子、拓郎拓郎、カッコよくなったでしょ」
 世津子がはな棒をかつぐ拓郎を同級生に自慢している。
「うーん相変わらずいい男ねえ、日焼けした顔に分厚い胸板、うちのひょろとは全然違うわ」
「どっち見てんの?」
「わーっあの股間たまんないわ、ねえ世津、今度だんな貸してくんない?」
「だめ、絶対だめ」
「けち」
 
 声を荒げ神輿をかつぐ拓郎を見てサキは涙が零れた。北川家から立派な後継者が誕生し、町の行事に率先して取り組んでくれることが嬉しかった。
「なに泣いてんのおばあちゃん?」
 香織が割烹着の袖で涙を拭うサキを覗き込んで言った。サキは微笑み返し、しっかりと香織を脇に抱き寄せた。
 
さーせ、さーせ、さーせ、さーせ、
まわせ、まわせ、まわせ、まわせ、
 
 神輿は道路狭しと暴れ回る。再び体勢が立て直され門と対峙した。賢治は世津子を見つめ、口ぱくで『今日やらしてくんない』と言った。すぐに読み取った世津子は大きく頷いた。
「あっおまえら、やらしい」
 同級生が賢治と世津子の暗号を解読した。世津子が舌を出して誤魔化した。
 
 神輿を下ろすと若い衆は、それぞれ勝手にポリバケツから飲み物を取る。庭には腰を下ろすスペースがないので歩道に出て休息している。北川一族が料理皿を持ち回り、かつぎ衆に勧める。この祭りのためだけに勤務先から帰ってきた者、また嫁ぎ先から帰郷する者も多く、ほとんど会う機会のなくなった幼馴染と話が弾む。彼等はタイムスリップしたかのように喧騒とした現実を忘れ、駆け回った山、小川を懐かしく語り合う。
「拓、ねえ拓」
 ばてて歩道に寝そべる拓郎に同級生の牧田温子が声をかけた。「あっ来てたの、なんか食べる?ちょっと待ってて」
 拓郎は小走りでテーブルに行き、小皿におにぎりと鳥のから揚げ、それに缶ジュースを持って温子に手渡した。
「ありがとう、おいひい」
「母さんのから揚げ人気あるんだ。柔道部の迫田先生は試合のたんびに俺に催促するんだ。もっと持って来ようか?」
「うんう、帰ってからも食べないとお母さんに悪いから、これ」
 温子が小さく折り畳んだ一枚の紙切れを拓郎に手渡した。
「なにこれ?」
 広げると地図でしか見たことのない地名が書かれていた。
「宮崎県、児湯郡郡て、だれの住所?」
「あたしね、引っ越すの、お母さんが再婚してね、新しいお父さんの田舎で暮らすことになったんだ。だから二学期からはあっちの学校に転校するんだ。たぶん二日の登校日に行けないと思うから今日拓に知らせておこうと思って、電話入ったらすぐ連絡するし」
 拓郎は鎌倉から宮崎までの道程をあたまの中で追っていた。温子の瞳は潤んでいる。二人は顔を合わせずに下を向いている。
 
「おおい、とっついてくれ、さあ宮入りだ、しっかりと神様お送りしようじゃねえか」
 ざわめく道路に、会長が嗄れてしまった喉を大きく振るわせた。それぞれが気合を入れ、ポジションについた。拓郎も温子にはなにも言えずに神輿に肩を入れた。温子も立ち上がり大きく揺れる神輿を見ている。今日一日で囃子のプロになった子供達の見事な演奏が神輿を先導する。じっと神輿を見つめている温子を世津子は気になった。
「あの子拓のガールフレンドじゃないの」
 香織が世津子に言った。
「なんか寂しそうね、呼んであげようか」
「お母さんそれがお節介なのよ、独りでいたいのかもしれないじゃない」
 
 神輿が辻を曲がり視界から外れると、温子は反対方向に歩き出した。
笛太鼓も耳から消えかかったときである。
「あっこー」
 温子の背中に拓郎の声が突き刺さった。振り返ると彼が全速で走ってくる。
破裂しそうな胸を、犬のように口呼吸で整えている。
「はー、俺、行くから、はー宮崎行くから、絶対に、あっこに会いに行くから、約束するから」
 それだけ言うと拓郎は走って神輿を追った。
「あいつやるじゃん」
 香織が世津子の肩を叩いて言った。
 
 神社に戻った御霊は神官の手によって拝殿の奥に納められ、例大祭は終わった。
 風のまったくない蒸し暑い不快な夜だった。
 
(二十一)
 
「ようしーやめー」
迫田の声で柔道部員は整列した。
「明日から登校日の二日まで練習も休みとなる。そのあとは新学期まで休みはない。秋の大会に向けてより厳しく指導する。いいか、休みだからと言ってゴロゴロしてたらあとが苦しくなるぞ、基礎トレーニングは欠かさずやって、身体を維持して置けよ。いいな、それから宿題もその期間に全部終わらせてしまえ、全部だぞ全部、いいか二年、一年、三年生は進学や就職の準備がぼちぼちと始まるから毎日は練習に参加できなくなる、二学期からは二年生が主体になって試合に臨む、十日足らずしかない休みだが、そこで練習した奴が、必ず頭角を現す。各自試合のメンバーに喰い込めるよう頑張れ、いいな、よし、礼」
「ありがとうございます」
 一年生がにこにこしながら畳を片付け始めた。みんな柔道は好きだが休みはもっと楽しい。
「先生、俺達が片付けますからもう少し練習していてもいいですか?」
 中島が迫田に言った。
「なんだ、まだ足りねえのか練習、剣道部はまだ大丈夫か?」
「はい二時からですから二時間近くありますのでそれまでには片付けます」
「ようしわかった、おまえらー、ちょっと戻せ、中島がもう少し稽古するらしいからそのままおいとけ、よかったらおまえ等も稽古つけてもらえ」
 大と拓郎以外は礼をして走るように帰っていった。
「やるのか?」
 迫田は残った大と拓郎を交互に見つめて言った。
「うっす」「おっす」
「ようし、俺時間たっぷりあるから審判やってやる、いいだろう中島」
「おっす」
「なんかハンデあんのか、北川には両手使わないとか、後ろ向きでやるとか、内田には片手か、それとも足技は抜きとか、それぐらいしないと面白くねえだろうおまえも」
 迫田にこけにされた二人は下を向いてしょんぼりしている。
「いや、手加減はしません、十本ずつ相手します」
  
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