祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 21

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「うんわかった」
 内田会長は使者の連絡を受け、行き合い場所に神輿を進める。行き会うときに神輿と神輿の棒先が合わせられる。これは豊作祈願によるもので、山ノ内側は男、山崎側は女であり、雌雄の神が、年に一度触れ合う。しかしかつぎ手はそんな風に解釈していない。相手の棒の上に重ねようと力が入る。それぞれのかつぎ手に一種の闘争心がみなぎり男前が上がる。
 両町の地元かつぎ手は、ほとんどが顔見知りで、競り合ってもその場で収まるが、内田側に応援で来ているかつぎ手の中には、争いを煽る早とちりも少なくない。毎年神輿の前で諍いが起こる。それを見越して、両会長他氏子会理事達がいざというときの仲裁にすぐ間に合うよう準備している。内田の血も騒ぐが、会長という立場から仕方なく仲裁側に回っている。内田が暴れ出したら止められない、だから万年会長に推薦されていると、町民はみんな知っている。
賢治にとってもこんな見せ場はない。自分の若い衆や見物客、それになんと言っても今年からは長男の拓郎もかついでいる。大勢の前で男を魅せつける。
 
【午後三時三十五分】
 
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
 
 街道から行き合い場所の辻を曲がる。赤いタオルを鉢巻にした内田が意気の揚がった神輿を先導する。三叉路を曲がり切ると神輿は街道と直角になる。かつぎ手が賢治側の神輿を確認すると俄然気合が入り、掛け声も荒くなる。街道からこの路地の両側に見物客が犇く。例大祭最高の見せ場である。
 
「よいさ、こらさ、おいさ、うりゃさ、よいさ、おらさ」
 昨夜御仮屋の番をしての寝不足、そして日本酒の飲み過ぎによる胃のむかつきも喉の渇きも忘れ、賢治が神輿をコントロールしている。山道は登りから平坦、そして下りとなる。下り斜面による加速と、かつぎ手それぞれが、山ノ内神輿を確認したことによる気合も加わりスピードが上がる。
「抑える、抑えろ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ」
 会長と賢治が若い衆の荒れた気勢とぶれた神輿の体勢を整える。もうその間五十メートルしかない。両陣営のかつぎ手の興奮が幹部達に緊張感を与える。
しかしいくら抑えられても、生まれ持った男のDNAが、体中の血を煮えたぎらせる。神を背負った男達に怖いものはなく、このときばかりはやくざも上司も弾き飛ばす力が漲っている。
 毎年かついでいる者、今回始めて神輿をかつぐ者、さらに氏子会、囃子関係者、観客、この一帯に神のパワーが降り注ぐ。昨年まで囃子で太鼓を叩いていた拓郎も例外ではなく興奮していた。さっきまで調子のいい父親だと思っていたが、神輿を取り仕切る勇士に感動し、近い将来自分もと、固く意を決するのであった。
  狭い拓郎の視覚から大を捉えた。顔だけをこちらに向け神輿をコントロールしている内田のすぐ脇で、はな棒をかついでいる。デビュー早々の四番打者である。またその横には金髪をあたまのてっぺんで束ねた里美が、男衆に混じり威勢のいい声を張り上げている。内田一家が攻めてくる。
 
【十五時四十五分】行合祭り
 
 神輿と神輿の間隔は十メートルを切った。
「邪魔だ下がれ」
 神輿の前にでしゃばって出てくる応援のかつぎ衆を大が蹴散らす。
この神聖な行事によそ者は参加できない。この土地に暮らし、生きてきた男のみが立ち会えるのだ。
 
さーせ、さーせ、さーせ、さーせ、さーせ
 
 男達の手によって神輿が宙に舞った。鎮守の神と天の神が年に一度触れ合う瞬間。そしてこの界隈を雌雄の神が支配した瞬間でもある。

まわせ、まわせ、まわせ、まわせ、まわせ
 
 神輿が回されその螺旋に渦が生じ、鎮守が天に吸い込まれた。
 
うりゃ、おりゃ、おりゃ、そりゃ、うりゃ
 
 横棒の衆が神輿を煽る。飾りが引きちぎれんばかりに激しく揺れる。縦棒をかつぐ若い衆の肩に容赦なく喰い込む。
 
よいさ、こらら、よいさ、こらさ
 
 体勢を立て直し正面で対峙した。神輿と神輿の間は僅か一メートル、神輿をコントロールしていた内田も賢治も挟まれる瞬間に身をかわす。
 
 よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
 
 双方の掛け声がひとつになった。神輿と神輿の隙間は握り拳ひとつもない。それぞれが上へ、上へと精一杯肩を張る。どちらが上になろうと、また下になってしまおうと、この祭りの本意が崩れるわけではないが、男達の賭ける気持ちは強い。双方の年寄り連中も声こそ発さないが、拳を握り締め、我軍の上位を願っている。内田側の足が下がったとき一歩踏み込んだ賢治側が運良くすっと上につけた。雌雄の神が重なった。間髪要れず理事達が神輿を分ける。
終わってしまえば勝って驕る者も、負けてふてる者もいない。やり遂げた喜びに片手を突き上げて称えあう。

よいさ、こらさ、よいさ、こらさ

ひゃーら、ひゃーりらり、ひゃらりら、ひゃりら、ひゃりら、
てんてん、てんつく、ててん
 
 緊張の一大神事を無事終えると、両方囃子衆の笛太鼓が一斉に鳴り響き、お祭り気分は更に盛り上がる。二基の神輿が鎌倉街道を上り、山ノ内総代宅まで渡御する。
 
 神官の祝儀を終えると山ノ内側に見送られ、山崎側神輿は地元に戻るのである。見送りの手拍子がいつまでも響き、山道を越えて来た神とその使い手を称える。
 
「あれっ賢坊は?」
 磯田会長が神輿の前から姿を消した賢治を捜している。
「さっき酒屋の前にいたなあ」
 はな棒をかつぐ男が言った。
「調子いいなあほんとに、負けた」
 拓郎は恥ずかしくてかけ声を潜め下を向いた。帰り道の狭い路地には街道の賑わいもなく、神輿は静かに運ばれていく。
「いいか、煽るな、うちはこれからだからな、おとなしく負担のかからねえように町まで戻るぞ、いいな」
 会長が若い衆に念を押す。上り坂になると長老達も遅れ気味になり、神輿の集団は縦に長くなった。西に傾いた太陽が容赦なく照りつける。関係者一同山側の日陰を歩く。
 
【午後五時四十五分】
 
 神輿は一端御仮屋の前に祀られる。ここですべての装飾は外され、神輿の胴にさらしが巻かれる。そして提灯が取り付けられ、夜の町内を練り歩く。

山ノ内町は、行合祭りを終えるとすぐに宮入となるが、山崎町の神輿は午後九時頃までかつがれる。昔は村の各戸を一晩中かけて回っていたが、現在は地元有力者、大農家、そして当番宅と決まっている。
 神輿が回ってくる家庭では、家族、親類縁者、友人知人総出で、かつぎ衆の飲食の接待に追われる。いくらご馳走を並べられても激しい運動のあとだけに、動悸が激しく、息も荒く、おまけに梅雨明け後の蒸し暑さである。折角長テーブルに並べられたご馳走でも箸は進まない。彼等が去ったあとに、賄方がベルトを緩めて放り込んでもたかが知れている。ほとんどが残飯となってしまう。毎年この繰り返しである。余るのはわかりきっていても量を減らすわけにはいかないのである。それは、この村での存在感を誇示するためでもあり、それを維持していく上にはどうしても必要な無駄なのである。
  最豪農の寝たきりのおばあさんが、孫、ひ孫達に身体を支えられ、役員やかつぎ衆の前に姿を現した。今年白寿を迎える。震える手を合わせ彼等にあたまを下げた。暫しの休憩で地べたに腰を下ろしている連中も立ち上がりおばあさんに一礼をした。おばあさんは神輿の前まで進むとまた手を合わせ、百年信仰してきた神に礼をした。
 ぶつぶつと何を言っているのか誰にも聞き取れないが、支えてくれている子供等の健やかな成長と、この村、我が家の安泰を祈っているのである。
 おばあさんの祈りは長い。毎年これを最後の祈りと覚悟しているのかもしれない。引き上げ際におばあさんは、一同に再びあたまを下げた。
「おうら、上げるぞう」
  静まりかえった広い庭に会長の気合が入った。神輿に取り付いた若い衆の威勢のいい掛け声が、すっかり日の落ちた鎌倉の谷戸に轟く。
 
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、
 
 ここにいる誰よりも長く神と対面したおばあさんが、大勢の子供達に支えられ、玄関の土間で合掌をして見送る。かつぎ衆にとっては見物客が犇く街道で魅せつけるのが晴れ舞台であるが、地元の年寄りが喜んでくれるほど嬉しいことはない。おばあさんのぶつぶつは門を潜り抜けるまで続いた。そして来年のこの日まで床につく。
 
【午後八時】
 
「おい、やわやわ」
 やわやわ、やわやわ、やわやわ、やわやわ、
 
 道幅が狭かったり、天上部が低かったりする場合、通常のかつぎ方では神輿を傷つける恐れがあるので、一旦肩から外し、抱えるようにして狭く低い場所をクリアする。そのときに『やわやわ』(ゆっくりゆっくりの意)と声を掛け合いそれぞれが注意し合うのである。
 中田重太郎宅の門は狭く低い。神輿の片側を地面すれすれまで下げ、なんとか門を潜る。中に入っても神輿が大きく動けるほどの余裕もない。玄関に直角に向け、その場かつぎをする。玄関前には重太郎と再婚相手の博子が並んで立ち、大きく一礼した。
 博子の胸には洋子の遺影が抱かれている。賢治が俊夫を引っ張り出し、左はな棒の若い衆に交代を頼んだ。
  
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