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祭囃子を追いかけて 20
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「どうだった上手く話せたかい?」
植木の隙間に生えた小さな雑草をむしりながらサキが訊ねた。
「はい、今晩うちの人に話してみます」
「そうだねえ、だけど刑務所行くようなばかったれの意見なんか聞くかねえあの賢い香織が、不憫だよう、あんたも香織も拓も、申し訳ないねえ」
「何もお母さんが謝らなくても、きっと反省してくれますよ」
「そんな子じゃないよあいつは、うちのひとの血引いてるから」
世津子は笑った。
「あっそうそう、今晩は御仮屋の番があるから大変だけどお願いしますね、賢治にはさっき言っといたから、それと明日の支度を昼頃からぼちぼち始めないとねえ」
「はい、昼からでいいですか?洗濯終われば用はありませんから」
「いいよ昼で、蕎麦でもゆでておくから一緒にどうだい?」
「ごちそうになります。それから明日は友達の、去年遊びに来た二人が手伝いに来ます」
「手伝いなんていいからゆっくりと遊んでいってもらいなさい」
「いやいいんですよ、家を空ける口実で来るんですから、こき使ってやりましょう」
サキが首を振りながら笑った。
「お囃子も音がそろってきたねえ、さあ明日は忙しいよ」
賢治は蒲団の上で胡坐をかき二人の話を盗み聞きしていた。香織の一大事を自分抜きで話し合っているのが情けなかった。母親からはばか呼ばわりされ、女房は誘いを拒み続けている。それは自業自得と諦めても、せめて娘や息子の相談仲間には入れて欲しかった。世津子が流しでまな板を叩く音が聞こえる。賢治の遅い朝食の支度をしている。そろそろ声が掛かる頃である。賢治は声が掛かる前に起きるか、声が掛かるまでこうしていようか迷った。煙草に火をつけ吸い終るまで考えることにした。
「あなたー、ご飯食べてください、片付かないから」
煙草を消す前に世津子に呼ばれた。
「拓は?」
「クラブです、早くして」
襖を開けると、祭囃子の太鼓が寝不足の賢治の頭に響いた。
「酒屋の野朗朝っぱらからハッスルしやがって」
「偉いじゃない守屋さん、お店閉めるっていうのに朝から子供達の世話なすって、少しは見習ったらどうですか」
「閉めんのか店、何やんだ店閉めて?」
「あたしに聞いても知らないわよ、張り紙してあるわよ。『長い間お世話になりました。今月いっぱいで店を閉めます。全品二割引に致します。ありがとうございます』って手書きで案内してるわよ」
そう言いながらごはんと味噌汁を賢治の前に置いた。色よく漬かった茄子の浅漬けと、かますの干物が次の盆で運ばれた。
「食べたら流しのボールに浸しておいてください。ゴミは入れないでよ」
「どこ行くんだおめえは?」
「買い物、午後からお母さんと明日の支度にかからなければならないから。お酒は守屋さんで注文してきます、いいでしょう?」
「二割引ってあいつも最後までがめついねえ、普通四割五割は当たり前じゃねえのか。ああ注文してやれ、俺が飲んでる焼酎あったら少し買いだめしておけよ、ビールや酒と違って長持ちするから」
「いいえ明日の分だけにします。あなたは月曜日から半年も留守にするのよ、買いだめしても邪魔になるだけですから」
賢治は刑務所行きをすっかり忘れていた。朝起きたばかりはいつもそうである。大概世津子の一言で現実に引き戻され、背筋に寒気が走る。拓郎が歯を喰いしばり、父親の哀れを悔やみ、涙を浮かべている姿が一瞬瞼の奥に浮かんだ。
「仕事行くんですか?お弁当は用意してありませんよ」
「ああ、コンビニで蕎麦でも買って食うから」
「御仮屋の番忘れないでくださいね」
「ああわかってるようるせいなあ、さっきおふくろからも念を押されたよ。帰ってきてシャワー浴びたら、母屋には声をかけないで行くから、七時頃には支度して来てくれ」
世津子が返事もせずに前掛けを外し、賢治の蒲団を上げ始めた。かますの口が半開きで笑っているように見える。
「てめえこの野朗、ふざけやがって、こうしてやる」
賢治は箸でかますの目を突っつき、首の骨を折って背中に押し付けた。裏返しになってもやはり口は半開きだった。
(二十)【例大祭】
賢治の山崎町と内田が暮らす山ノ内町は同日に例大祭が行われる。神輿が定められた時刻、場所にて行き合うのである。寛文年間(一六六一~一六七二)から続いている伝統ある行事である。
「なんだ少ねえんじゃねえか、何人いるんだ」
氏子会の会長磯田がかつぎ手の人数を数えている。賢治の頼んだ助っ人を含めても四十人である。
「この町の若いもんはこれしかいねえのか」
磯田の嘆きを聞いた年配の男が申し訳なさそうに言った。
「悪いねえ、うちの信二がどうしても仕事で抜けられないって言うからわしが代わりにかつぐよ」
倅の半跨を借りてきたのか、太腿の辺りがすかすかで、白いキュロットスカートを穿いているようだ。かつぎ手の若い衆と同人数程度の年寄りが神輿を囲んでいる。神官の礼に合わせて頭を垂れ、順番に玉串を奉納している。神事は無事終え、最後に神輿の周りを取り囲んだすべての町民に神官の祓いが届いた。それまで騒いでいた子供達も親に手を引かれ頭を下げている。片目を開けて離れた場所にいる遊び仲間に笑いかけている。
【午後二時】
「ようし行くぞおらーっ」
「おうーっ」
会長の掛け声と共に若い衆達が、暗黙の了解で決めているポジションへと肩をいれた。神輿が上がった。神が町内を渡御する。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
戦争や貧しい時代の一時期に神輿渡御は中止されたが、四百年前から変わらぬ掛け声である。江戸前のように揃った足運びではないが、けんか神輿と例えられるくらい荒いかつぎ方である。
りゃーら、りゃーりらり、ひゃりらひゃりら
ひゃーりら、ひゃーり、ひゃらり、
てん、てん、てんてん、てんつくて、
ひゃーりら
囃子が神輿を先導して歩く。これから神輿が通ると近隣にふれ回る。トラックの荷台に乗り込んだ子供達は、揃いの空色の囃子半纏に統一され、練習した成果を披露している。小さい子供達の鼻には白粉が塗られ頬には薄紅がさされている。
年寄り達は今年も神輿が上がったことに感謝し、宮入までの無事を祈っている。神輿に取り付く人数は縦棒前後左右合わせて二十八人から三十人、横棒に取り付くのは前後左右二人ずつの合わせて八人、残った四、五人が交代要員として待機しながら神輿の周りに取り付いている。「よいさおうりゃ」威勢のいい若い衆が神輿を煽ろうと横棒を持ち上げた。
「待て待て待て待て」
神輿の前で監視している会長がそれを抑えた。
「今からそんなことしたら最後まで持たない、それにこんなとこで張り切ったって誰も見てないよおまえ」
窘められた若い衆はぺこんと頭を下げた。
「ばかだなあいつは」
会長に抑えられたのは賢治が連れてきた高橋工務店の佐々木である。賢治は神輿から少し離れたうしろで団扇を仰ぎながら神輿について行っている。
今年で七回目になる明は町内の若い衆とも顔馴染になっていて、左側の横木に取り付いている。今年初めてのサブは明の指示で後ろ側縦木の神輿のすぐ後ろにいる。神輿を煽ったときでも撓りの効かないきつい位置である。その顔に楽しさは感じられず、仕方なく付き合いでかついでいるといった感じである。
その隣には中田重太郎家長男の俊夫がいる。かつぎ手は少ないが、長老達やかつぎ手の家族が神輿の回りに取り付き盛り立てている。長老達は揃いの浴衣を着ている。それぞれが暑さ対策を凝らしている。大きな麦藁帽子を被っている者が多い。浴衣に麦藁帽子、手には団扇か扇子、首には手拭をぶら下げ、汗を拭きながら山道を歩いている。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、
山ノ内町では午前十時に神輿をあげ、既に町内を回り始めている。この町は著名な寺や神社が存在し、神輿が国宝級の山門を潜る様はタイムスリップしたように華やかだ。かつぎ手の中にはその寺社仏閣の建立に携わった職人の子孫も数多くいて、鎌倉でも職人の多い町である。
練り歩く鎌倉街道は片側通行止めにしている。この町ではかつぎ手の減少を早くから察知していた。昔からの風習でかつぎ手は町内の若者でと熱望する長老達も多かったが、神輿があがらない危機を唱えられると反論は出来ず、仕方なく受け入れたのだ。色とりどりの半纏を纏った若い衆に囲まれた神輿は街道を激しく、かつ華やかに練り歩く。その数は楽に百名を越えている。それに長老達をはじめ、関係者、協力する商店街を加えると神輿が見えないほどになる。三重、四重になった外から拝むと、神輿の上の鳳凰だけが上下に羽ばたいて見える。
鎌倉市内からだけではなく、横浜、東京他各地から応援の手が来ている。応援に来てくれた神社には応援で返すことになる。担ぎ手が増えるのは嬉しい事だが、氏子達はそのお返しに応援に行かなければならない。その付き合いは未来永劫続く。この土地に生まれた子等は、親からのバトンを受け取り、それをまた子に繋いでいく。
掛け声は独特で始めて応援に来る連中は一同に、聞き覚えのない、ある意味滑稽に戸惑い失笑する者もある。しかし、歴史の重みがすぐに彼等の戸惑いを跳ねつけ、この神輿を、この神を、かつぐ喜びに浸っていく。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、
山崎側は山内側と行き会うまでに幾つかの町内を越えて行かなければならない。通過するそれぞれの町の長老や役員達が決められた場所で出迎え、労いの言葉と些少の酒肴を振舞う。
「かーっ、この暑いのに日本酒なんか飲めねえよ、あーっ喉からっからだ。サブちょっとビール買って来いよ」
「この近く売ってんとこないっすよ、ちゃりんこでもあれば十分ぐらいで行ってこれますけど」
「そうか、じゃあいいや、行き合い場所まで行けば酒屋あんから我慢すんべえ」
「コーラならたくさん用意してくれてますよ」
「コーラか、いいや我慢する。楽しみとっとく、ところで拓はしっかりかついでんのか?」
「はい、拓は前棒の二番目でがんばってますよ、ハナを狙っているらしいんですけどなかなか抜けてくんないみたいですよ」
「甘いっつうんだよ、あのおじさんタフだから絶対ハナを離さないよ」
「そういえばみんなが日陰で休憩してるのに、定位置から離れないっすもねえ。ところで社長は全然かついでないじゃないですか?みんな汗だくなのに社長のダボシャツだけ乾いてますね」
「まだ早いっつうの、それにこんな山道で力出したって疲れるだけだじゃねえか」
「そうっすねえ、俺も外れてもいいっすか?」
「おまえは駄目、力の限りかつぎなさい」
「おおい、出すぞう」
会長の合図と共に若い衆がぞろぞろと神輿を取り囲んだ。それぞれが同じ位置に肩を入れる。拓郎がとぼけて隣のハナ棒に肩を入れた。
「おい、おまえ賢坊んとこの倅だろ、中学生か?十年早い」
仕方なく元の二番目に入り直した。山ノ内町のように外部の保存会参加を認めていないこの町のかつぎ手は少人数ではあるが、祭りを使命と位置づけた精鋭が揃う。大方が三十代四十代で、農家の跡取りが多い。かつぎ手の半数以上が賢治より年上で、会えば『賢坊』と、がきの頃からの愛称で呼び捨てにされる。
ひゃーら、ひゃーりらり、ひゃらり
てんつく、てん、てん
道幅が狭くて、迂回していた囃子が追いついた。子供達がトラックから跳び下り、用意されたお菓子やジュースを受け取りはしゃいでいる。
「ほうら、もう神輿出るぞう、トイレに行きたいもんは行って来なさい。五分だけ、すぐ出発、いいな五分」
まとめ役の守屋が五本指を指し上げて子供達に案内した。付き添いの母親や中学生が子供達を引率して自治会館のトイレへ急がせる。
「店閉めるって?残念だなあ、なんとかならねえのか」
浴衣の裾をたくし上げた老人が守屋に近づき訊ねた。
「あっどうも、もうずっと前から親父とも話していたんです。コンビニって話もいただいたんですけど、おやじもおふくろも、少しのんびりしようってことになって、はい、おじいさんの代からお世話になりましてありがとうございます」
「そうかい、さびしくなるなあ、村から酒屋が消えるなんてよう、畑の帰りに一本引っ掛ける楽しみがなくなっちまうな、まあがんばりなーよ」
子供達がトイレから戻り、トラックはゆっくりと走り出した。守屋は助手席に乗り込み、窓から顔を出して最後の確認をしている。神輿が上がった。行き合い場所を目指して若い衆の意気があがる。
【午後三時十五分】
途中山ノ内町の使者が迎えに来て、行き合い場所まで先導する。この先導も途中町の出迎えも、すべて数百年受け継がれてきた歴史ある行事である。山崎の神輿が到着する時刻に合わせて使者は待機している。十五分や時には三十分ぐらい遅れることもあるが、万が一早く来た場合に山之内の使者がいないとそれは無礼に当たるためかなり前から待っている。
使者は山崎側を労い山の内に戻る。今度はいち早く知らせるために山道を走る。七月後半の炎天下には辛い役どころである。
神官は暑いところで辛抱することもなく冷房の効いた高級車で、缶コーヒーを飲みながら待機している。
使者を送るとかつぎ衆は俄然意気が上がる。最後方にいた賢治がいつのまにか神輿の先導をしている会長の隣に陣取り、棒先に手をあて、神輿の動きを仕切り出した。
「おまえ本当に調子いいなあ」
「そうおう?会長ここは若いもんに任せて」
苦笑いしながら磯田は賢治の肩を叩いた。
「おうりゃあ、元気ねえぞう」
植木の隙間に生えた小さな雑草をむしりながらサキが訊ねた。
「はい、今晩うちの人に話してみます」
「そうだねえ、だけど刑務所行くようなばかったれの意見なんか聞くかねえあの賢い香織が、不憫だよう、あんたも香織も拓も、申し訳ないねえ」
「何もお母さんが謝らなくても、きっと反省してくれますよ」
「そんな子じゃないよあいつは、うちのひとの血引いてるから」
世津子は笑った。
「あっそうそう、今晩は御仮屋の番があるから大変だけどお願いしますね、賢治にはさっき言っといたから、それと明日の支度を昼頃からぼちぼち始めないとねえ」
「はい、昼からでいいですか?洗濯終われば用はありませんから」
「いいよ昼で、蕎麦でもゆでておくから一緒にどうだい?」
「ごちそうになります。それから明日は友達の、去年遊びに来た二人が手伝いに来ます」
「手伝いなんていいからゆっくりと遊んでいってもらいなさい」
「いやいいんですよ、家を空ける口実で来るんですから、こき使ってやりましょう」
サキが首を振りながら笑った。
「お囃子も音がそろってきたねえ、さあ明日は忙しいよ」
賢治は蒲団の上で胡坐をかき二人の話を盗み聞きしていた。香織の一大事を自分抜きで話し合っているのが情けなかった。母親からはばか呼ばわりされ、女房は誘いを拒み続けている。それは自業自得と諦めても、せめて娘や息子の相談仲間には入れて欲しかった。世津子が流しでまな板を叩く音が聞こえる。賢治の遅い朝食の支度をしている。そろそろ声が掛かる頃である。賢治は声が掛かる前に起きるか、声が掛かるまでこうしていようか迷った。煙草に火をつけ吸い終るまで考えることにした。
「あなたー、ご飯食べてください、片付かないから」
煙草を消す前に世津子に呼ばれた。
「拓は?」
「クラブです、早くして」
襖を開けると、祭囃子の太鼓が寝不足の賢治の頭に響いた。
「酒屋の野朗朝っぱらからハッスルしやがって」
「偉いじゃない守屋さん、お店閉めるっていうのに朝から子供達の世話なすって、少しは見習ったらどうですか」
「閉めんのか店、何やんだ店閉めて?」
「あたしに聞いても知らないわよ、張り紙してあるわよ。『長い間お世話になりました。今月いっぱいで店を閉めます。全品二割引に致します。ありがとうございます』って手書きで案内してるわよ」
そう言いながらごはんと味噌汁を賢治の前に置いた。色よく漬かった茄子の浅漬けと、かますの干物が次の盆で運ばれた。
「食べたら流しのボールに浸しておいてください。ゴミは入れないでよ」
「どこ行くんだおめえは?」
「買い物、午後からお母さんと明日の支度にかからなければならないから。お酒は守屋さんで注文してきます、いいでしょう?」
「二割引ってあいつも最後までがめついねえ、普通四割五割は当たり前じゃねえのか。ああ注文してやれ、俺が飲んでる焼酎あったら少し買いだめしておけよ、ビールや酒と違って長持ちするから」
「いいえ明日の分だけにします。あなたは月曜日から半年も留守にするのよ、買いだめしても邪魔になるだけですから」
賢治は刑務所行きをすっかり忘れていた。朝起きたばかりはいつもそうである。大概世津子の一言で現実に引き戻され、背筋に寒気が走る。拓郎が歯を喰いしばり、父親の哀れを悔やみ、涙を浮かべている姿が一瞬瞼の奥に浮かんだ。
「仕事行くんですか?お弁当は用意してありませんよ」
「ああ、コンビニで蕎麦でも買って食うから」
「御仮屋の番忘れないでくださいね」
「ああわかってるようるせいなあ、さっきおふくろからも念を押されたよ。帰ってきてシャワー浴びたら、母屋には声をかけないで行くから、七時頃には支度して来てくれ」
世津子が返事もせずに前掛けを外し、賢治の蒲団を上げ始めた。かますの口が半開きで笑っているように見える。
「てめえこの野朗、ふざけやがって、こうしてやる」
賢治は箸でかますの目を突っつき、首の骨を折って背中に押し付けた。裏返しになってもやはり口は半開きだった。
(二十)【例大祭】
賢治の山崎町と内田が暮らす山ノ内町は同日に例大祭が行われる。神輿が定められた時刻、場所にて行き合うのである。寛文年間(一六六一~一六七二)から続いている伝統ある行事である。
「なんだ少ねえんじゃねえか、何人いるんだ」
氏子会の会長磯田がかつぎ手の人数を数えている。賢治の頼んだ助っ人を含めても四十人である。
「この町の若いもんはこれしかいねえのか」
磯田の嘆きを聞いた年配の男が申し訳なさそうに言った。
「悪いねえ、うちの信二がどうしても仕事で抜けられないって言うからわしが代わりにかつぐよ」
倅の半跨を借りてきたのか、太腿の辺りがすかすかで、白いキュロットスカートを穿いているようだ。かつぎ手の若い衆と同人数程度の年寄りが神輿を囲んでいる。神官の礼に合わせて頭を垂れ、順番に玉串を奉納している。神事は無事終え、最後に神輿の周りを取り囲んだすべての町民に神官の祓いが届いた。それまで騒いでいた子供達も親に手を引かれ頭を下げている。片目を開けて離れた場所にいる遊び仲間に笑いかけている。
【午後二時】
「ようし行くぞおらーっ」
「おうーっ」
会長の掛け声と共に若い衆達が、暗黙の了解で決めているポジションへと肩をいれた。神輿が上がった。神が町内を渡御する。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、よいさ、こらさ
戦争や貧しい時代の一時期に神輿渡御は中止されたが、四百年前から変わらぬ掛け声である。江戸前のように揃った足運びではないが、けんか神輿と例えられるくらい荒いかつぎ方である。
りゃーら、りゃーりらり、ひゃりらひゃりら
ひゃーりら、ひゃーり、ひゃらり、
てん、てん、てんてん、てんつくて、
ひゃーりら
囃子が神輿を先導して歩く。これから神輿が通ると近隣にふれ回る。トラックの荷台に乗り込んだ子供達は、揃いの空色の囃子半纏に統一され、練習した成果を披露している。小さい子供達の鼻には白粉が塗られ頬には薄紅がさされている。
年寄り達は今年も神輿が上がったことに感謝し、宮入までの無事を祈っている。神輿に取り付く人数は縦棒前後左右合わせて二十八人から三十人、横棒に取り付くのは前後左右二人ずつの合わせて八人、残った四、五人が交代要員として待機しながら神輿の周りに取り付いている。「よいさおうりゃ」威勢のいい若い衆が神輿を煽ろうと横棒を持ち上げた。
「待て待て待て待て」
神輿の前で監視している会長がそれを抑えた。
「今からそんなことしたら最後まで持たない、それにこんなとこで張り切ったって誰も見てないよおまえ」
窘められた若い衆はぺこんと頭を下げた。
「ばかだなあいつは」
会長に抑えられたのは賢治が連れてきた高橋工務店の佐々木である。賢治は神輿から少し離れたうしろで団扇を仰ぎながら神輿について行っている。
今年で七回目になる明は町内の若い衆とも顔馴染になっていて、左側の横木に取り付いている。今年初めてのサブは明の指示で後ろ側縦木の神輿のすぐ後ろにいる。神輿を煽ったときでも撓りの効かないきつい位置である。その顔に楽しさは感じられず、仕方なく付き合いでかついでいるといった感じである。
その隣には中田重太郎家長男の俊夫がいる。かつぎ手は少ないが、長老達やかつぎ手の家族が神輿の回りに取り付き盛り立てている。長老達は揃いの浴衣を着ている。それぞれが暑さ対策を凝らしている。大きな麦藁帽子を被っている者が多い。浴衣に麦藁帽子、手には団扇か扇子、首には手拭をぶら下げ、汗を拭きながら山道を歩いている。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、
山ノ内町では午前十時に神輿をあげ、既に町内を回り始めている。この町は著名な寺や神社が存在し、神輿が国宝級の山門を潜る様はタイムスリップしたように華やかだ。かつぎ手の中にはその寺社仏閣の建立に携わった職人の子孫も数多くいて、鎌倉でも職人の多い町である。
練り歩く鎌倉街道は片側通行止めにしている。この町ではかつぎ手の減少を早くから察知していた。昔からの風習でかつぎ手は町内の若者でと熱望する長老達も多かったが、神輿があがらない危機を唱えられると反論は出来ず、仕方なく受け入れたのだ。色とりどりの半纏を纏った若い衆に囲まれた神輿は街道を激しく、かつ華やかに練り歩く。その数は楽に百名を越えている。それに長老達をはじめ、関係者、協力する商店街を加えると神輿が見えないほどになる。三重、四重になった外から拝むと、神輿の上の鳳凰だけが上下に羽ばたいて見える。
鎌倉市内からだけではなく、横浜、東京他各地から応援の手が来ている。応援に来てくれた神社には応援で返すことになる。担ぎ手が増えるのは嬉しい事だが、氏子達はそのお返しに応援に行かなければならない。その付き合いは未来永劫続く。この土地に生まれた子等は、親からのバトンを受け取り、それをまた子に繋いでいく。
掛け声は独特で始めて応援に来る連中は一同に、聞き覚えのない、ある意味滑稽に戸惑い失笑する者もある。しかし、歴史の重みがすぐに彼等の戸惑いを跳ねつけ、この神輿を、この神を、かつぐ喜びに浸っていく。
よいさ、こらさ、よいさ、こらさ、
山崎側は山内側と行き会うまでに幾つかの町内を越えて行かなければならない。通過するそれぞれの町の長老や役員達が決められた場所で出迎え、労いの言葉と些少の酒肴を振舞う。
「かーっ、この暑いのに日本酒なんか飲めねえよ、あーっ喉からっからだ。サブちょっとビール買って来いよ」
「この近く売ってんとこないっすよ、ちゃりんこでもあれば十分ぐらいで行ってこれますけど」
「そうか、じゃあいいや、行き合い場所まで行けば酒屋あんから我慢すんべえ」
「コーラならたくさん用意してくれてますよ」
「コーラか、いいや我慢する。楽しみとっとく、ところで拓はしっかりかついでんのか?」
「はい、拓は前棒の二番目でがんばってますよ、ハナを狙っているらしいんですけどなかなか抜けてくんないみたいですよ」
「甘いっつうんだよ、あのおじさんタフだから絶対ハナを離さないよ」
「そういえばみんなが日陰で休憩してるのに、定位置から離れないっすもねえ。ところで社長は全然かついでないじゃないですか?みんな汗だくなのに社長のダボシャツだけ乾いてますね」
「まだ早いっつうの、それにこんな山道で力出したって疲れるだけだじゃねえか」
「そうっすねえ、俺も外れてもいいっすか?」
「おまえは駄目、力の限りかつぎなさい」
「おおい、出すぞう」
会長の合図と共に若い衆がぞろぞろと神輿を取り囲んだ。それぞれが同じ位置に肩を入れる。拓郎がとぼけて隣のハナ棒に肩を入れた。
「おい、おまえ賢坊んとこの倅だろ、中学生か?十年早い」
仕方なく元の二番目に入り直した。山ノ内町のように外部の保存会参加を認めていないこの町のかつぎ手は少人数ではあるが、祭りを使命と位置づけた精鋭が揃う。大方が三十代四十代で、農家の跡取りが多い。かつぎ手の半数以上が賢治より年上で、会えば『賢坊』と、がきの頃からの愛称で呼び捨てにされる。
ひゃーら、ひゃーりらり、ひゃらり
てんつく、てん、てん
道幅が狭くて、迂回していた囃子が追いついた。子供達がトラックから跳び下り、用意されたお菓子やジュースを受け取りはしゃいでいる。
「ほうら、もう神輿出るぞう、トイレに行きたいもんは行って来なさい。五分だけ、すぐ出発、いいな五分」
まとめ役の守屋が五本指を指し上げて子供達に案内した。付き添いの母親や中学生が子供達を引率して自治会館のトイレへ急がせる。
「店閉めるって?残念だなあ、なんとかならねえのか」
浴衣の裾をたくし上げた老人が守屋に近づき訊ねた。
「あっどうも、もうずっと前から親父とも話していたんです。コンビニって話もいただいたんですけど、おやじもおふくろも、少しのんびりしようってことになって、はい、おじいさんの代からお世話になりましてありがとうございます」
「そうかい、さびしくなるなあ、村から酒屋が消えるなんてよう、畑の帰りに一本引っ掛ける楽しみがなくなっちまうな、まあがんばりなーよ」
子供達がトイレから戻り、トラックはゆっくりと走り出した。守屋は助手席に乗り込み、窓から顔を出して最後の確認をしている。神輿が上がった。行き合い場所を目指して若い衆の意気があがる。
【午後三時十五分】
途中山ノ内町の使者が迎えに来て、行き合い場所まで先導する。この先導も途中町の出迎えも、すべて数百年受け継がれてきた歴史ある行事である。山崎の神輿が到着する時刻に合わせて使者は待機している。十五分や時には三十分ぐらい遅れることもあるが、万が一早く来た場合に山之内の使者がいないとそれは無礼に当たるためかなり前から待っている。
使者は山崎側を労い山の内に戻る。今度はいち早く知らせるために山道を走る。七月後半の炎天下には辛い役どころである。
神官は暑いところで辛抱することもなく冷房の効いた高級車で、缶コーヒーを飲みながら待機している。
使者を送るとかつぎ衆は俄然意気が上がる。最後方にいた賢治がいつのまにか神輿の先導をしている会長の隣に陣取り、棒先に手をあて、神輿の動きを仕切り出した。
「おまえ本当に調子いいなあ」
「そうおう?会長ここは若いもんに任せて」
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「おうりゃあ、元気ねえぞう」
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妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
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ファンタジー
妻から手紙が来た。
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「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
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百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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