祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 24

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煙草も酒も一切を断ち切って生活する。そこは女の香水さえも遮断されて受け付けない。交通刑務所は千葉の市川らしいが、受刑者数を超過していて他に回されるかもしれないと、役に立たなかった弁護士が言っていた。できることなら同じ交通違反でしくじった奴等と対等の立場で受刑したい。殺人、放火、強盗、それに暴力団、そんな凶悪犯と一緒の房になったらどうしよう、鳥肌が立った。ちっちゃな町で粋がって生きてきた自分が、全国規模の悪党に囲まれて太刀打ちできるのか、ぼやけた空を見つめながらハイライトをふかした。
 
「なんだよ、おまえか?びっくりさせんじゃないよ、駐車場に人影が見えるから気味悪くて覗きに来たんだよ、なにやってんだいこんなとこで?」
 サキがおもちゃのバットを握り締め母屋から出て来た。
「なんだよおふくろそのバット?それで俺のあたまかっくらすつもりだったのか、まいっちゃうなあ、物本の泥棒だったらどうすんだよそんなんで、『ビヨ~ン』とか言って倒れてくんないよ。今、明達と飯食ってきた帰りなんだ、明の奴俺が帰るまで独立すんの伸ばしてくれるってよ」
「そうかい、そりゃあ良かったねえ、ありがたいよ、世津子さんも安心するだろうよそれを聞いて」
「ああ。おふくろ、世津子頼むな、あのばか悲観的だからよう、もう少し前向きに考えられればいいんだけどなあ」
「ばかはおまえじゃないか、誰だって自分の亭主が刑務所に行くのに楽しくなれる人があるかい、ばかだよ」
「そりゃそうだ、支えになってやってくれ」
「拓は今晩母屋に寝るから世津子さんとゆっくりしな」
「なんで?気を遣うんじゃねえよ恥ずかしいじゃねえかいい齢してよう」
「さあさと、おまえも蚊に喰われるから早く戻んなよ」
「おふくろ、長生きしろよ」
「ばかだよこの子は」
 立て続けに煙草に火をつけた。箱の中はもう十本を切っている。これを吸い切ったら止めようと思った。
 
(二十三)
 
 賢治が目覚めると台所からまな板を叩く音が聞こえた。例大祭の晩とその翌日は飲み過ぎて、折角の世津子の誘いを満たしてやれなかったが、昨夜はおもいっきり抱くことができた。お互いがこんなに燃えたのは新婚以来記憶になかった。昨夜は飲み過ぎなくて良かったと賢治は思った。その上にんにくのたっぷりと効いたスタミナ料理を満喫したおかげで、普段よりもがんばれた。
昨夜の世津子の大胆な姿態と玲子の豊満な肉体があたまの中で交錯して起き掛けの賢治の性感を刺激した。賢治はトイレに行こうと寝室を出たが、先に世津子を驚かそうと考えた。流しの前で水仕事をしている世津子に気付かれぬように近づき、勃起した部分を股間に差し込むように押し当てた。薄いストレッチパンツは、素肌よりもはるかに彼女の陰部を卑猥に刺激する
「ちょっと待って」
 世津子は水洗いしていたきゅうりを、落とすように手離し、弱火にかけてある味噌汁の火も落とした。そしてそのまま二人羽織の形で寝室へとなだれ込んだ。賢治としては、トイレに用足しに行くついでの悪ふざけであったが、長期間にわたって性交渉のなかった世津子には耐えられない刺激であった。それに竹内への想いを吹っ切るためにも賢治に満足させて欲しかった。満足すれば半年間耐えることができる、燃えカスが残ればいずれ火となり再び竹内への想いが全身を支配する、いや支配されたいと想うようになるのが怖かった。先日里美が言っていた『おもいっきり抱きついちゃえ』はそれを心配しての助言であろう。世津子は自身が納得するまで賢治に絡みついた。
 
「あっ母さんの悲鳴だ」
「しーっ」
「しーって俺じゃないよ母さんの悲鳴だよ」
 香織は『しーっ』以外何も言わずに拓郎をにらみつけた。拓郎にはそれが夫婦の性交渉で発せられる喜びの声だとは到底想像できなかった。
「おばあちゃんも聞こえたでしょう?今の悲鳴」
 サキは拓郎を手招きし仏壇の前に座らせた。サキも隣に正座し般若心経を唱え始めた。
「ほらまた」
 サキは立ち上がろうとする拓郎の腕を掴んでそれを拒み、顔を見つめてウインクをした。そして経を読む声を張り上げて、世津子の歓喜をはぐらかした。
 
 遅くなった朝食は既に十一時を回っていた。玉葱とあぶらげの味噌汁やカマスの干物、賢治の好物が飯台に並んだ。
「美味い、これが半年も食えなくなるのが一番辛い、酒や煙草は無けりゃあなんとかなるがな」
「あたしは?」
「それが一番辛いに決まってんじゃん」
「嘘ばっかり」
「おはよう、シャワー浴びる、母さん大丈夫?」
 拓郎が母屋から戻ってきた。
「何が?」
 世津子は拓郎が心配している意味がわからなかった。母屋まで届くほどの声を張り上げていたとは考えてもいなかった。
「拓、ちょっといいか、大事な話があるんだ」
 賢治が拓郎を呼びとめた。世津子は気を利かし、流しの片付けを途中で止めて母屋へ向かった。拓郎は賢治の前に胡坐をかいた。
「今日練習は?」
「二日まで休み」
「そうか、でもだらだらしてたらあとがきついんじゃないか」
「今日から大と走り込みをするよ。そのあと公園でストレッチするんだ、今日から毎日」
「ふーん、がんばってるな、なんだその痣は?」
 半ズボンから覗く太腿に、大きな青痣を発見して賢治は言った。
「試合で場外まで飛ばされた、相手は三年生で、実力は超高校級だから仕方ないよ」
「そんなに実力差があるならなにも場外まで投げることねえじゃねえか、ふざけやがって、俺が痛い目に遭わせてやるか、今から行って」
「やめてよお父さん、恥ずかしいよ。迫田先生はスポーツとけんかを一緒にするなって、人に迷惑かける奴に柔道やる資格ないって言ってるよ」
「そうだな、おまえの言う通りだ、あまり考えないで行動しちゃうからだめなんだな父さん」
「それに試合を申し込んだのは俺達からなんだ、俺が十本、大が十本、大の奴、最後に一本取ったんだ凄いでしょ」
「そうか、三年生投げ飛ばしたのか大の奴、そりゃあ凄えな」
「投げ飛ばしはできなかったんだ」
「押さえ込みだって立派なもんだ」
「押さえ込みでもないよ」
「押さえ込みでもない、締め技か?審判の制止を無視して落ちるまで締め上げたとか?」
「違うんだ、その逆だよ」
「逆って?」
「中島先輩に下から車絞め喰らったんだ。完全な形になって絞め上げられたけど大の奴我慢して降参しなかったんだ。そしたら暫くして中島先輩が諦めて降参した」
「血は争えないなあ、内の倅らしいや、センスも悪いし、あたまの回転も鈍いけど根性だけは座ってる。拓は負けたって悔やむことないからな、うちの家系は元々頭脳派だから、スポーツで失敗したって学術会がほっとかない」
 拓郎が笑った。
「俺、中島先輩が卒業する前にもう一度挑戦する。それで進歩してなかったら柔道辞めようと決めた」
「そうか、でも母さんががっかりするかもしれないなあ、おまえの柔道にはかなり力を入れているから」
「まだ辞めると決まったわけじゃないから、母さんには内緒だよ」
「ああ、わかってる」
「ところで父さん、話ってなに?」
  賢治はたばこに火をつけた。おもいっきり吸っておもいっきり吐いた。拓郎が顔をしかめて、目の前を不気味に漂う煙をやり過ごしている。
「父さんな、しばらく家を留守にすることになった。そうだなあ半年ぐらいかな、もしかしたらもう少し早くなるかもしれないけどそれは父さんが決めることじゃないからわかんない」
「仕事で?」
「それが仕事じゃないんだ。父さん三年前、おまえがまだ四年生のときだから覚えてないかもしれないけど、みんなでお酒を飲んで、みんなを家まで送った帰りにな、タクシーとの接触事故に遭ったんだ。父さんが悪いわけじゃない、タクシーの運転手がど下手だったんだ。それで父さんな、運転手に注意しようと思ってな、声をかけたけど無視して無線機で会社に応援頼んでいたんだ。来た来た応援部隊が。そのうちの身体のでかい奴が父さんの胸を突いたんだ。だから父さんもやられちゃいけないと思って反撃したんだ」
「父さんは一人なのに大勢で卑怯だね」
「ああ、でもそんなこと言ってる場合じゃないから、父さんも必死になって防戦したんだ」
「父さんやられたの?」
「おいおい、俺を誰だか忘れちゃいませんかってんだ。父さんが追いかけたらみんなで逃げ出しやがった。その逃げ足の速いのなんのって、追いかけたけど父さん転んじゃってなあ。バターンて、手を前に差し出した格好で倒れていたら、タクシー会社が通報した警官がオートバイで来てな、なにを勘違いしたのか、転んだ父さんの上に乗っかって手錠嵌めやがったんだ」
「どうして?先に暴力振るったのは相手じゃないか、それに大勢で一人に対して」
「そこが世の中の矛盾しているとこなんだなあ、いくら父さんが正当でも、ちょびっとお酒を飲んでいるだけで悪者にされちゃうんだ。拓が偉くなって、その矛盾を正してくれりゃあ父さん嬉しいんだがなあ」
「俺は弁護士向きじゃないよ、それにそんなにあたまよくないし。でも父さんが留守にするのと関係あるの?」
「さあそこだ、さすが拓、いいとこついてる。そのときにな、三年間の執行猶予って判決もらったんだ」
「執行猶予って?」
「悪いことしたように勘違いさせて申し訳ないけど、法律上やむを得ないって処置なんだ。あなたは悪人ではないから、三年が十年だろうとこれから先犯罪を犯すことはないだろうから、無理を言って悪いけど受けてくんないかなあって、裁判所の面子みたいな判決だ。拓もこれから先の人生、いろんな試練が待ち受けているけど、ひとつひとつをクリアしていくんだ、へこたれちゃあ駄目だぞ」
「うん、それで?」
「それでな、その執行猶予がもう切れるっていうときにな、高橋工務店の建て前で、軽く飲んで、運転する奴が誰もいないから、父さんが、みんなを、送って行こうと車を発進させたら、検問をやっていてな、そこで捕まってしまったんだ」
「父さん刑務所入るの?」
「まあそういうことのようだ」
 拓郎の目がみるみる潤ってきた。瞳の表面張力で支え切れなくなると腕で擦った。すぐにまた溜まる。擦る。泣いていると賢治に思われたくなかった。ボロボロと畳に零れ落ちなければ泣いているとはいえない、拭い取れば汗と同じだ。拓郎が柔道から学んだひとつである。
 拓郎の思いは手に取るように賢治に伝わる。いくら親子とはいえ、男として、隠す涙を見てはいけないと天井の一転に視線を集中させた。
いくら拭ってもあとからあとから押し出される。体内に蓄積された水分がすべて涙に変わってしまったかのように流れ出てくる。
 眼からだけでは流し切れなくなった涙が鼻水となり、二本の縦樋から滑り落ちてくる。唇に伝わるところを舌でぺろっとさらう。ちらっと覗き見た賢治が飯台の下からテッシュペーパーの箱を滑らせる。拓郎の脛に当たった。鼻をかんで誤魔化す。鼻をかんだふりをして涙も拭う。飯台の上に丸く湿ったティッシュが並ぶ。
 足音を忍ばせて、世津子が網戸越しに中を窺ったが、拓郎のヒクヒクと揺れる肩を見るや、母屋に戻った。
 しばらく沈黙が続いた。話しかけるのは残酷だと賢治は思った。話しかければ涙を拭う前に下に落ちてしまう。
 最後の一滴まで拭い切った拓郎が口を開いた。
「半年間でしょ父さん、夏から冬になるから風邪をこじらせないでね、うちみたいに温かい蒲団なんてないと思うから」
「ああ」
 今度は賢治の目に涙がたまった。若い皮膚とは違い表面張力で堪える能力はない。顔をそらして誤魔化す以外にない。後ろを向いては不自然だから、顔をこまめに動かして拓郎の視線を分散させた。涙の根源である拓郎の優しさを脳から消すために、過去に体験した爆笑の場面を想像した。胡座をかいている賢治の脛にテッシュの箱がぶつかった。拓郎が戻したのである。
「父さん前科者になるの?」
「悪い言い方すればな、でもハクがつくとも言うからな」
「俺、ぐれたりしないし、学校休んだりしないからひとつ約束してくれる」
「ああ、ひとつだなんてケチなこと言わないで百でも二百でも約束するよ。なんだ?」
「絶対に離婚しないでね」
 賢治は拓郎がこんな心配をしているとは考えてもいなかった。酒酔い運転をするなと言われれば絶対にしないと約束し、浮気を止めろと言われれば取り敢えずわかったと拓郎を安心させ、出所後は回数を減らし、且つ巧妙にしようと考えていた。しかし世津子との夫婦仲を危惧しているとは。喧嘩をして大声で罵倒することはあっても手をあげたことはない、だいたい大声を張り上げたら世津子に到底敵わない、それに最近ではサキと世津子のタッグでやりこまれる方が圧倒的で、拓郎も何度となくそれを目撃しているはずだ。賢治は離婚なんて考えたこともなかった。確かに女癖の悪いのは父親譲りであったが、それは世津子では満足できずに走ったわけでもなく、嫌いになったからでもない。むしろ愛する世津子がいるからこそ安心して遊んでいると言っても過言ではなかった。甘えているのである。
「父さんは離婚しないよ、母さんがいなきゃ父さん生きていけねえじゃねえか、父さんが安心して働けるのは、母さんが家事を切り盛りし、おまえ達の世話をし、おばあちゃんの話し相手になってくれたり、近所付き合いを上手くこなしてくれてるからなんだ。そうだろう、だから父さんは離婚なんかしないんだ、わかるだろう拓」
「うん、だから母さんを離しちゃだめだよ、絶対だよ。俺そろそろシャワー浴びて大んち行くから」
 賢治は拓郎の一言に愕然とした。てっきり離婚の引導を引き渡すのは自分の方からだと決め付けていたが、拓郎が危惧しているのは、世津子の方から離れて行くということだった。所帯を持って十七年、好き勝手をやってきた。浮気の相手も十人じゃきかない、賢治が家庭を顧みず、酒と女に明け暮れても世津子は子供達に夢を託し堪えてきたのだ。世津子は生涯自分の妻であり、離れるなんて夢にも思っていなかった。もしかしたら世津子にも浮気の経験があるのだろうか、それを拓郎が知っていて、警鐘を鳴らしてくれたのか。明が独立を延期してくれて、なんの心配ごとも残さずに刑務所に行けると、気持ちに余裕ができていたのに拓郎の一言ですっかり失せてしまった。また一般刑務所の極悪人が脳を過ぎった。暴力団の若い男に刑を聞かれたらどうしよう、『飲酒運転』と答えた刹那、腹を抱えて笑い出してもじっと我慢するしかのないのか。最後のハイライトはスカスカで捻れていた。

(二十四)
 
「紹介しましょう、こちら香織ちゃん、こっちが幸一君、二人ともどうもありがとうね、いよいよ私の店がオープンしますヨ、ありがとう、ほんとにありがとう」
「料理長、おめでとうございます、あっもう料理長じゃありませんよね、オーナーですよね」
  
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