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1巻
1-2
とはいえ、シュタルはもうすぐ十九歳だ。そんないい歳をした自分が、解呪のためとはいえ恋人ではない男と下着姿で抱きあうなんて、ふしだらなように思えてしまう。
けれど、こうして抱きしめられると、安心する自分もいた。親がいない今、シュタルを無条件で抱きしめてくれるのはレッドバーンだけである。伝わってくる彼のぬくもりは、六年前からずっと変わらない。シュタルはふと昔のことを思い出した。
初めてレッドバーンを見たあの日、美しい彼に見惚れた。憧れは、彼の弟子として毎日一緒に過ごすうちに、いつしか恋情に変わった。それを恋だと自覚したのは、二年くらい前のことだろうか?
けれど、この胸のうちを気付かれるわけにはいかない。
レッドバーンは潔癖な男だ。シュタルが彼の弟子になってからというもの、浮いた噂ひとつ聞いたことがない。
端整な顔立ちをしているので宮廷の女官に人気があるが、どんな美女に告白をされてもいつも冷たい態度で断っていた。弟子であり、行動をともにする機会が多いシュタルは、彼が女性を振っている光景を何度も見たことがある。
そんな彼に恋心を抱いていると知られれば、下着姿で抱きあう必要がある解呪なんてやめてしまうかもしれない。彼と触れあう時間がなくなることは耐えがたかった。
だからシュタルは、この思いに蓋をする。
赤い顔がばれないように、彼の胸板に顔を埋めた。とくんとくんと、心臓の穏やかな音が聞こえる。シュタルはその音が大好きだった。心地よい音を聞きながら、いつしか眠りに落ちていく。
それはシュタルにとって、一日の中で一番幸福な時間であり、辛い時間でもあった。
朝はシュタルがレッドバーンを起こすが、休憩のときは逆になる。
「シュタル、そろそろ起きろ」
レッドバーンに肩を揺すられて目を覚ますと、午後の仕事が始まる十五分前だった。
「俺は会議があるから、王宮に行ってくる。お前は俺の執務室で書類の整理をしておいてくれ。多分、色々届いているはずだ」
「はい」
レッドバーンは言い終えてすぐ、素早く着替えて部屋を出ていく。シュタルものろのろと起きて身支度を済ませ、言われたとおりに魔導士棟の中にある彼の執務室へと向かった。
その道すがら、シュタルは会いたくない人物と鉢あわせしてしまう。
「カーロ様……」
朝といい今といい、今日はよくカーロに会う日だ。会釈をしつつ脇を通り過ぎようとすると、彼に呼び止められる。
「シュタル、待ちなさい」
「…………」
シュタルは嫌々ながらも、ぴたりと足を止めた。そんなシュタルの姿を、カーロは頭からつま先までなめ回すように見る。彼の蛇に似た視線はなんとも気持ちが悪い。
「ふむ。午後の仕事が始まるまで、まだ時間があるな」
シュタルの肩に手を回し、カーロが語りかけてきた。
風紀長という名ばかりの役職であっても、彼はシュタルより上の立場だ。邪険にはできない。
肩を撫でられて、全身が怖気立つ。レッドバーンがいたら止めてくれるのだろうが、カーロはレッドバーンがいないときに限って絡んでくるのだ。
「ちゃんと勉強はしているのか?」
「はい、きちんと励んでおります」
シュタルは無機質な声で答えた。
「そうか、ならばよい」
にやにやと薄汚い笑みを浮かべたままのカーロは、肩から手を離してくれそうもない。
「あの、カーロ様。私、急いでおりますので」
「少し話をしようではないか。軍議の時にはホワイタルの女性魔導士たちが来るだろう? 彼女たちによりよい環境を提供するために、風紀長として女性魔導士の意見を聞きたいと思っている。これも重要な仕事だ」
「し、仕事ですか……」
仕事と言われると、断りにくい。そもそも意見を出すのはよいけれど、こうして体に触れられることは不快である。とはいえ、カーロはとても気難しいので、無理に手を払って機嫌を損ねたら、あとで師匠であるレッドバーンが嫌みを言われてしまう。
レッドバーンは会議中なので、絶対にここには来ない。自分でなんとかするしかないのだが――さあ、どうやってこの場を切り抜けようかと考えたとき、「カーロ様!」と大きな声がした。
振り向くと、シュタルの同期であるコンドラトがこちらにやって来るところだった。亜麻色の髪を真ん中で分けた彼は、人懐こい笑みを浮かべている。
「どうした、コンドラト」
シュタルの肩から手を離しながら、カーロは眉間に皺を寄せる。シュタルはほっとして、そそくさとカーロから離れた。
「とてもいいものが手に入りまして、カーロ様にもお渡ししたいなあ、と」
「ほう」
カーロはにやりと口角を上げる。コンドラトは人あたりがよく、気難しいカーロとも上手に付きあえる貴重な男だ。
彼はカーロと小声でひそひそと話しつつ、後ろ手を軽く振り、シュタルに「行け」と合図をする。シュタルは心の中でお礼を言いながらレッドバーンの執務室へ行き、仕事をこなしたのだった。
一日の仕事を終え、食堂で夕食をとったあと、シュタルは湯浴みを済ませた。
女性の宮廷魔導士は少なく、入浴時間もバラバラなので、広い浴場はほぼ毎日独り占め状態である。しかし来月はホワイタルの宮廷魔導士が来るので、この浴場も賑やかになるだろう。
浴場を出ると、同じタイミングで入浴を済ませたレッドバーンに会った。二人の部屋は隣同士なので、一緒に部屋まで戻る。
「いよいよ来月だな」
「ええ、そうですね。軍議中は忙しいですが、ホワイタル国の皆さんに会えるのが楽しみです!」
「いや、軍議もあるけど、お前の誕生日の話だ。合同軍議期間の真っ最中に十九になるだろう?」
「あっ」
忙しくて自分の誕生日をすっかり忘れていたシュタルは、レッドバーンが覚えていたことに驚く。彼のほうが軍議の準備で忙しいはずなのに、きちんと覚えていてくれたことが嬉しくて、胸がぽかぽかと温かくなった。
「ついにシュタルも十九歳か。お前の村では十九になると成人として認められたんだったな?」
「はい!」
シュタルはこくこくと頷く。
そんなことまで覚えていてくれたなんてと、さらに心が弾んだ。
昔、レッドバーンへ村の話をしたついでに、村での成人年齢についても口にしたことがあった。
ここブルーク国では十六で成人と認められるのだが、シュタルの村では十九にならないと一人前として認めてもらえず、婚前の妊娠などの特例を除いては結婚もできないのだ。
「軍議期間中は忙しいが、終わったら連休がもらえる。そしたら祝ってやるから」
「ありがとうございます!」
「何か欲しい物はあるか?」
「えっ……、えーと……すみません、特に思い浮かびません」
魔力を上手に使えるようになりたいとは思っているけれど、特に欲しい物などは思い浮かばない。シュタルにしてみれば、村がなくなったのにこうして成人を祝ってくれる人がいるだけで充分だった。
「じゃあ、適当に用意しとくな」
「はい」
会話をしているうちに、部屋に着く。
「おやすみ、シュタル」
「おやすみなさい、兄様」
兄に対して持つはずがない感情を抱きながらも、シュタルはレッドバーンのことを兄様と呼んだ。
レッドバーンは本当の兄のようにシュタルのことを大切にしてくれる。ほのかな恋情を抱いている身としては複雑なものの、彼の厚意は素直に嬉しい。
部屋に入ったシュタルは、鏡台の前に腰を下ろす。鏡台の引き出しを開くと、そこには今までレッドバーンからもらった誕生日のプレゼントが大切にしまわれていた。
シュタルの瞳と同じ藍色をした髪飾り、花をモチーフとした大人っぽいブローチ、大きな銀の輪のイヤリング、色鮮やかなブレスレット、そして美しい細工が施されたネックレス。
すべて年頃の女性が喜びそうなものだ。普段は宮廷魔導士の制服に身を包んで装飾品は身につけないシュタルだけれど、レッドバーンはそれにもかかわらず装飾品を贈ってくれる。そのたびにちゃんと女性として扱ってもらえている気がして、胸が温かくなるのだった。
今年は何をくれるのだろうかと楽しみに思いながら、シュタルはそっと引き出しを閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
合同軍議まで、あと二週間に差し迫った日の朝。
「今日は薬草を採りに行く。準備しろ」
レッドバーンがパンを食べながら言った。
「いきなりですね?」
突然の提案に驚いて、シュタルはスプーンを落としそうになる。
「手の空いてる奴らに薬草採取を頼んでおいたのが届いたんだが、使えないものばかりでな。自分で採りに行ったほうが確実だ。軍議の準備もあるし、一日時間をかけられるのは今日しかない。だから、行くぞ」
魔術には薬草を使う分野もあるけれど、どんな薬草でもいいわけではない。上質な薬草を選ばなければならず、それを見極めることは難しいのだ。
「魔導士にとって薬草学も大事なのに、最近の若い奴らは薬草学に見向きもしない。地味だと感じるのは分かるが、大事なことだぞ」
ため息まじりにレッドバーンが口にした言葉は、シュタルの耳にも痛かった。
「うっ……私も精進します」
実は、シュタルは薬草学が苦手だった。
それというのも、この国は作物がよく育つが、国境付近にあったシュタルの村はそこまで土壌が豊かではなく、決まった植物しか育てることができなかったのだ。村に生えるのはごく一部の草花ばかりで、それらがシュタルにとっての植物のすべてだった。
だからシュタルは、王都に来て「こんなに沢山の植物があるなんて」と驚いた。花屋を見ても、知っている花のほうが少ない。シュタルにしてみれば、王都で初めて出会った薬草はどれも同じに見えてしまう。
そのせいで、魔術に用いられる薬草の名前と効能は暗記しているものの、実物の判別は不得意だった。
「お前は情報だけは頭にあるが、実際の知識が全然足りていないだろう? だから、沢山実物を見て覚えるしかない」
「はい、頑張ります」
副筆頭魔導士とあって、レッドバーンは魔力が強いだけではなく、知識量も膨大である。部屋を埋め尽くさんばかりの大量の本にはすべて目を通しているし、入りきらない本を置くためだけに、わざわざ外に倉庫を借りているほどだ。魔導士用の魔導図書館にすらない禁書さえ持っているという噂もある。
そんなレッドバーンの弟子として、もっと精進しなければと、シュタルは思った。シュタルも一生懸命に勉強をしているけれど、経験が足りていない。
薬草だってレッドバーンが一人で採りに行ったほうが早いのに、わざわざシュタルを連れていくのは教育のためだ。忙しい時期なのに弟子のことまで考えてくれる彼が師匠だったことは、幸運である。
朝食後、シュタルは遠出の準備をした。食堂のおばさんに声をかけて、弁当を用意してもらう。
ほかにも籠や麻袋を準備して寮の外に出ると、レッドバーンが厩舎から葦毛の馬を連れてきていた。彼の愛馬だ。宮廷魔導士は、役職につくと馬を下賜され、王宮の厩舎に馬を預けることができる。
この葦毛の馬はレッドバーンの二代目の馬だった。宮廷魔導士には、扱いやすい茶色の馬か、気性は荒いが足が強い黒馬、そして魔力に敏感な白馬などが人気である。しかし、レッドバーンはそのどれでもない葦毛の馬を選んだ。
博識な彼のことだから、葦毛の馬が何か優れた能力を持っているのかと聞いてみたところ、「お前の髪の色に似てるから選んだだけだ」と言われて、胸の奥がくすぐったい気分になったことを、シュタルは今でもよく覚えている。
二人は葦毛の馬に乗り、王都の外れにある森へと向かった。
シュタルは馬に乗れないため、馬で移動するときはレッドバーンの前に乗せてもらう。
おかげで、自分の背中とレッドバーンの逞しい胸板が密着して、どきりとした。
戦争が始まれば魔導士も戦地にかり立てられるので、彼は体を鍛えている。魔導士に筋肉は必要ないと言って全然運動をしない者もいるが、六年前の戦争ではそういう奴から死んでいったと、レッドバーンはよく言っていた。
レッドバーンは手綱を操るために両手を前方に出しており、まるでシュタルを抱きしめているような体勢である。毎日の解呪のときも抱きあっているけれど、乗馬の際はまた別なときめきを感じるのだった。
森に着くと、湖で馬に水を飲ませてから薬草を採取する。田舎育ちのおかげか、シュタルは薬草の判別は苦手なものの、植物が上質かどうかを見極めるのは得意だった。
「兄様、これはどうですか?」
むやみに薬草を抜くわけにはいかないので、レッドバーンを呼んで聞いてみる。
「よく見つけたな、これはいい。ちなみに、隣にも草が生えているだろう? これも薬草で、名前は――」
彼はシュタルに薬草の名前を教えながら採取した。
お昼の時間には、二人で持ってきたお弁当を食べる。そのあとは三時まで休憩の時間であり、それは外に出ても変わらない。
この薬草の採取場所は、レッドバーンが見つけた秘密の場所だった。馬に水を飲ませるのにちょうどよい小さな湖もあるし、湖のおかげで周囲に沢山の薬草が生えている。
この場所に辿り着くには複雑な道を進まねばならないせいか、いつ来てもレッドバーン以外の人物が訪れた形跡はなかった。もしかしたら、彼がこっそり人避けの結界を張っているのかもしれない。
今ここにいるのは二人と一頭の馬だけだ。部屋の中ならともかく、野外で服を脱ぐのは恥ずかしいけれど、今日も解呪をしてもらわねばならず、シュタルは下着姿になった。そうして、同じく下着姿で胡座をかいているレッドバーンの膝の上に座る。
レッドバーンはシュタルを抱きしめると、外套で二人の体をくるんだ。厚手の生地でできた外套はとても温かく、これなら風邪をひかないで済む。
解呪の呪文が終わったところで、シュタルはレッドバーンから離れようとしたが、彼はシュタルを抱きしめたまま離さなかった。
「に、兄様っ。離してください」
「いつもなら昼寝している時間だろう? 寝ておけ」
「いつもはベッドじゃないですか。ここは野外ですし、何より兄様の膝の上で寝るなんて、できません」
「俺のことなら気にするな。お前だって、馬に乗ってるだけでも体力を使うだろ?」
「でも……」
シュタルの口答えを許さず、レッドバーンは詠唱を始めた。すると、たちまち眠くなる。どうやら彼は眠りの呪文を唱えたようだ。
「にいさ、ま……」
「おやすみ、シュタル」
シュタルを膝に乗せたままで、足が痛くならないのだろうか? 彼は自分を甘やかしすぎだと思いながら、シュタルは眠りに落ちていった。
そして、三時ちょうどにシュタルは起こされた。のろのろと服を着て、薬草採取を再開する。しばらくして、籠いっぱいに薬草を集めた二人は、馬に乗って帰路へとついた。
その途中、シュタルがふと呟く。
「私も馬に乗れるようになったほうがいいですか?」
「ん? どうしてだ?」
「二人乗りだと、兄様が疲れませんか? 自分の馬は持てなくても、外出の際に供用の馬を貸してもらえますよね?」
レッドバーンに下賜されたのは軍馬なので、二人と荷物を乗せて走るくらいは問題ない。しかし、騎手である彼は大変ではないのかと気になってしまうのだ。
「俺はお前が馬に乗るのを見ているほうが、落ちないかヒヤヒヤして疲れると思うぞ」
「なっ……」
そこまで運動神経は悪くないはずだと、シュタルはむっとした。
「そもそも、仕事をしながら馬術を覚えるのは大変だ。それより薬草学をやれ、薬草学を。馬に乗る必要があるときには、俺が乗せてやるから」
「うっ、それはそうですけど……。でも、なんでもかんでも兄様に頼むわけにはいきません」
「馬を使う用事なんて、薬草を取りに行くぐらいだろう? それ以上の遠出なら、おそらく俺もついていくだろうし」
「だけど、巷では遠乗りデートがはやってるって聞きましたよ」
最近、馬に乗ってのデートが人気だと耳にしていたので、シュタルは何気なく口にしてみた。
「デート? なんだお前、そんな相手がいるのか?」
からかうような口調でレッドバーンが問いかけてくる。
「い、いないですけど……! でも、はやってるってことは、楽しいってことでしょうし、一度くらいはしてみたいです」
「じゃあ、俺が連れてってやる」
「えっ」
レッドバーンの答えに、一瞬どきりとする。しかし、続けられた言葉に、すぐに落胆することとなった。
「馬に乗れなくてもいいぞ? 俺の馬に一緒に乗せてやるから。そしてデートの最後に薬草をつんで帰ってこよう」
「それはデートじゃなくて、ただの薬草取りじゃないですか」
「一石二鳥だ。ともかく、お前が馬に乗れるようになる必要はない」
はははとレッドバーンが楽しそうに笑うので、シュタルもつられて笑ってしまう。
「兄様は私を甘やかしすぎじゃないですか? 最近は女性だって、馬に乗りますよ」
「お前は俺の可愛い弟子だから、ついつい甘くなる。……いいんだよ、俺に甘えれば。第一、馬から落ちたら最悪死ぬぞ。馬を御するのはお前が思っているより難しい。そんなこと、お前にやらせたくはない。それとも、お前は俺と一緒に馬に乗るのが嫌か?」
「そ、そんなことはないです……!」
「じゃあ、思う存分、俺に甘えてくれ」
すでに沢山甘えていると思うのに、彼は自分をどれだけ甘やかすつもりなのか。それとも、師匠というのは弟子をここまで甘やかすものなのだろうか?
いずれにせよ、彼に甘やかされるのはとても心地よいし、彼の言うとおり、馬術ではなく薬草学を頑張ろうとシュタルは心に誓った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
軍議の準備自体は三ヶ月前から行われるが、直前の一週間が一番忙しい。
シュタルの仕事は師匠であるレッドバーンの補佐が主なものであるが、上層部の集まる会議への参加を許されているわけではない。なので、朝に彼を起こすときと昼の休憩のとき以外は、ほとんど顔をあわせていなかった。
そして、軍議まであと三日に迫った夜だった。
シュタルは一日の仕事を終え、ようやく部屋に戻る。入浴したばかりで濡れている髪をタオルで拭きながら、薬草学の本を眺めていた。
「えーと、ここは……」
呟きつつ確認をしていると、一瞬視界が歪む。
「……?」
この時期はいつもより忙しいけれど、昼の休憩時間は確保されているので、きちんと仮眠をとっているし、無理をしているわけではない。まさか風邪でも引いてしまったのだろうかと思っていたら、急激に体が熱くなった。
「…………っ!」
体を流れる血が、燃えるような感覚におちいる。
「なっ……」
毎日レッドバーンに解呪をしてもらっているから、呪いのせいで魔力が乱れるはずはない。それなのに、シュタルの体を流れる魔力が急に不安定になり、体が震えだした。
「なに、これ……」
頭がくらくらして、喉が渇く。そしてお臍の下がじんじんしてきた。体の中心が妙に熱い。
シュタルは助けを求めるため、隣室への扉を開けた。だが、レッドバーンはまだ仕事から戻っていない様子だ。
「兄様……っ」
シュタルは床に膝をつく。その拍子に床に積まれていた本の山を崩してしまうが、元に戻す余裕すらなかった。レッドバーンの部屋に漂う彼の匂いに、さらに頭がくらくらしてくる。
まるで粗相をしたみたいに、足の付け根からじわりと液体が滲みはじめた。月のものがきたのかと寝衣の裾をまくり上げて確認したけれど、出血した気配はない。
陰部がじんじんとして、シュタルは内腿を擦りあわせる。自分の体に何が起こっているのか分からず、とても怖かった。
「んうっ……」
思わずもがいたところ、指先が布に触れる。それはレッドバーンの外套だった。何気なくたぐり寄せると、その匂いがふわりと鼻に届いて、ここにはいない彼の存在を強く感じる。
「……っあ」
お腹の奥が疼き、熱を帯びたその場所がひくひくと震えた。
「ど、どうしよう……」
シュタルは外套を抱きしめながら、何度も内腿を擦りあわせた。そうすると幾分疼きがましになる気はするが、体を支配する熱は一向に治まる気配がない。
混乱して顔が熱くなり、涙目になったとき――ガチャリと扉が開けられ、レッドバーンが部屋に入ってきた。
「兄様……!」
「シュタル! どうした?」
廊下に繋がる扉は別として、シュタルの部屋と繋がっているほうの扉には鍵がかからないので、シュタルがレッドバーンの部屋にいることに、彼は何の疑問も抱かない。
シュタルが涙目でうずくまっているのを見て、レッドバーンは手にしていた書類を投げ出してかけ寄ってきた。
「大丈夫か? 顔が赤いな、熱でも出たか?」
「分からないです……。なんか、体っ、じんじんして……」
「じんじん……?」
こみ上げてくる疼きに、シュタルはまたもじもじと内腿を擦りあわせる。それを見たレッドバーンは、「あ」と声を上げた。
「まさか……いや、まだ早すぎる。しかし、呪いの影響で体内時計が狂ってる可能性も……」
「兄様……?」
何か原因を知っていそうな口ぶりに、シュタルはほっとする。レッドバーンならば、きっとなんとかしてくれるという信頼があった。
「シュタル。お前に今起きているのは、女性の魔導士特有の現象だ。病気でもなんでもないし、命に関わるものでもないから、とりあえずは安心しろ」
「はい」
やはり、彼はシュタルの身に何が起きているかを把握している。説明を期待して見つめると、レッドバーンは言いづらそうに視線を背けた。
「……で、その現象だが――発情期だ」
「発情期……って、猫とかの……?」
予想もしていなかった答えに、シュタルはぽかんと口を開ける。
「女性の魔導士は二十歳を超えると、定期的に発情するようになる。自分で慰めて快楽を極めれば静まるんだが……お前、自慰をしたことがあるか?」
「なっ……ないです!」
けれど、こうして抱きしめられると、安心する自分もいた。親がいない今、シュタルを無条件で抱きしめてくれるのはレッドバーンだけである。伝わってくる彼のぬくもりは、六年前からずっと変わらない。シュタルはふと昔のことを思い出した。
初めてレッドバーンを見たあの日、美しい彼に見惚れた。憧れは、彼の弟子として毎日一緒に過ごすうちに、いつしか恋情に変わった。それを恋だと自覚したのは、二年くらい前のことだろうか?
けれど、この胸のうちを気付かれるわけにはいかない。
レッドバーンは潔癖な男だ。シュタルが彼の弟子になってからというもの、浮いた噂ひとつ聞いたことがない。
端整な顔立ちをしているので宮廷の女官に人気があるが、どんな美女に告白をされてもいつも冷たい態度で断っていた。弟子であり、行動をともにする機会が多いシュタルは、彼が女性を振っている光景を何度も見たことがある。
そんな彼に恋心を抱いていると知られれば、下着姿で抱きあう必要がある解呪なんてやめてしまうかもしれない。彼と触れあう時間がなくなることは耐えがたかった。
だからシュタルは、この思いに蓋をする。
赤い顔がばれないように、彼の胸板に顔を埋めた。とくんとくんと、心臓の穏やかな音が聞こえる。シュタルはその音が大好きだった。心地よい音を聞きながら、いつしか眠りに落ちていく。
それはシュタルにとって、一日の中で一番幸福な時間であり、辛い時間でもあった。
朝はシュタルがレッドバーンを起こすが、休憩のときは逆になる。
「シュタル、そろそろ起きろ」
レッドバーンに肩を揺すられて目を覚ますと、午後の仕事が始まる十五分前だった。
「俺は会議があるから、王宮に行ってくる。お前は俺の執務室で書類の整理をしておいてくれ。多分、色々届いているはずだ」
「はい」
レッドバーンは言い終えてすぐ、素早く着替えて部屋を出ていく。シュタルものろのろと起きて身支度を済ませ、言われたとおりに魔導士棟の中にある彼の執務室へと向かった。
その道すがら、シュタルは会いたくない人物と鉢あわせしてしまう。
「カーロ様……」
朝といい今といい、今日はよくカーロに会う日だ。会釈をしつつ脇を通り過ぎようとすると、彼に呼び止められる。
「シュタル、待ちなさい」
「…………」
シュタルは嫌々ながらも、ぴたりと足を止めた。そんなシュタルの姿を、カーロは頭からつま先までなめ回すように見る。彼の蛇に似た視線はなんとも気持ちが悪い。
「ふむ。午後の仕事が始まるまで、まだ時間があるな」
シュタルの肩に手を回し、カーロが語りかけてきた。
風紀長という名ばかりの役職であっても、彼はシュタルより上の立場だ。邪険にはできない。
肩を撫でられて、全身が怖気立つ。レッドバーンがいたら止めてくれるのだろうが、カーロはレッドバーンがいないときに限って絡んでくるのだ。
「ちゃんと勉強はしているのか?」
「はい、きちんと励んでおります」
シュタルは無機質な声で答えた。
「そうか、ならばよい」
にやにやと薄汚い笑みを浮かべたままのカーロは、肩から手を離してくれそうもない。
「あの、カーロ様。私、急いでおりますので」
「少し話をしようではないか。軍議の時にはホワイタルの女性魔導士たちが来るだろう? 彼女たちによりよい環境を提供するために、風紀長として女性魔導士の意見を聞きたいと思っている。これも重要な仕事だ」
「し、仕事ですか……」
仕事と言われると、断りにくい。そもそも意見を出すのはよいけれど、こうして体に触れられることは不快である。とはいえ、カーロはとても気難しいので、無理に手を払って機嫌を損ねたら、あとで師匠であるレッドバーンが嫌みを言われてしまう。
レッドバーンは会議中なので、絶対にここには来ない。自分でなんとかするしかないのだが――さあ、どうやってこの場を切り抜けようかと考えたとき、「カーロ様!」と大きな声がした。
振り向くと、シュタルの同期であるコンドラトがこちらにやって来るところだった。亜麻色の髪を真ん中で分けた彼は、人懐こい笑みを浮かべている。
「どうした、コンドラト」
シュタルの肩から手を離しながら、カーロは眉間に皺を寄せる。シュタルはほっとして、そそくさとカーロから離れた。
「とてもいいものが手に入りまして、カーロ様にもお渡ししたいなあ、と」
「ほう」
カーロはにやりと口角を上げる。コンドラトは人あたりがよく、気難しいカーロとも上手に付きあえる貴重な男だ。
彼はカーロと小声でひそひそと話しつつ、後ろ手を軽く振り、シュタルに「行け」と合図をする。シュタルは心の中でお礼を言いながらレッドバーンの執務室へ行き、仕事をこなしたのだった。
一日の仕事を終え、食堂で夕食をとったあと、シュタルは湯浴みを済ませた。
女性の宮廷魔導士は少なく、入浴時間もバラバラなので、広い浴場はほぼ毎日独り占め状態である。しかし来月はホワイタルの宮廷魔導士が来るので、この浴場も賑やかになるだろう。
浴場を出ると、同じタイミングで入浴を済ませたレッドバーンに会った。二人の部屋は隣同士なので、一緒に部屋まで戻る。
「いよいよ来月だな」
「ええ、そうですね。軍議中は忙しいですが、ホワイタル国の皆さんに会えるのが楽しみです!」
「いや、軍議もあるけど、お前の誕生日の話だ。合同軍議期間の真っ最中に十九になるだろう?」
「あっ」
忙しくて自分の誕生日をすっかり忘れていたシュタルは、レッドバーンが覚えていたことに驚く。彼のほうが軍議の準備で忙しいはずなのに、きちんと覚えていてくれたことが嬉しくて、胸がぽかぽかと温かくなった。
「ついにシュタルも十九歳か。お前の村では十九になると成人として認められたんだったな?」
「はい!」
シュタルはこくこくと頷く。
そんなことまで覚えていてくれたなんてと、さらに心が弾んだ。
昔、レッドバーンへ村の話をしたついでに、村での成人年齢についても口にしたことがあった。
ここブルーク国では十六で成人と認められるのだが、シュタルの村では十九にならないと一人前として認めてもらえず、婚前の妊娠などの特例を除いては結婚もできないのだ。
「軍議期間中は忙しいが、終わったら連休がもらえる。そしたら祝ってやるから」
「ありがとうございます!」
「何か欲しい物はあるか?」
「えっ……、えーと……すみません、特に思い浮かびません」
魔力を上手に使えるようになりたいとは思っているけれど、特に欲しい物などは思い浮かばない。シュタルにしてみれば、村がなくなったのにこうして成人を祝ってくれる人がいるだけで充分だった。
「じゃあ、適当に用意しとくな」
「はい」
会話をしているうちに、部屋に着く。
「おやすみ、シュタル」
「おやすみなさい、兄様」
兄に対して持つはずがない感情を抱きながらも、シュタルはレッドバーンのことを兄様と呼んだ。
レッドバーンは本当の兄のようにシュタルのことを大切にしてくれる。ほのかな恋情を抱いている身としては複雑なものの、彼の厚意は素直に嬉しい。
部屋に入ったシュタルは、鏡台の前に腰を下ろす。鏡台の引き出しを開くと、そこには今までレッドバーンからもらった誕生日のプレゼントが大切にしまわれていた。
シュタルの瞳と同じ藍色をした髪飾り、花をモチーフとした大人っぽいブローチ、大きな銀の輪のイヤリング、色鮮やかなブレスレット、そして美しい細工が施されたネックレス。
すべて年頃の女性が喜びそうなものだ。普段は宮廷魔導士の制服に身を包んで装飾品は身につけないシュタルだけれど、レッドバーンはそれにもかかわらず装飾品を贈ってくれる。そのたびにちゃんと女性として扱ってもらえている気がして、胸が温かくなるのだった。
今年は何をくれるのだろうかと楽しみに思いながら、シュタルはそっと引き出しを閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
合同軍議まで、あと二週間に差し迫った日の朝。
「今日は薬草を採りに行く。準備しろ」
レッドバーンがパンを食べながら言った。
「いきなりですね?」
突然の提案に驚いて、シュタルはスプーンを落としそうになる。
「手の空いてる奴らに薬草採取を頼んでおいたのが届いたんだが、使えないものばかりでな。自分で採りに行ったほうが確実だ。軍議の準備もあるし、一日時間をかけられるのは今日しかない。だから、行くぞ」
魔術には薬草を使う分野もあるけれど、どんな薬草でもいいわけではない。上質な薬草を選ばなければならず、それを見極めることは難しいのだ。
「魔導士にとって薬草学も大事なのに、最近の若い奴らは薬草学に見向きもしない。地味だと感じるのは分かるが、大事なことだぞ」
ため息まじりにレッドバーンが口にした言葉は、シュタルの耳にも痛かった。
「うっ……私も精進します」
実は、シュタルは薬草学が苦手だった。
それというのも、この国は作物がよく育つが、国境付近にあったシュタルの村はそこまで土壌が豊かではなく、決まった植物しか育てることができなかったのだ。村に生えるのはごく一部の草花ばかりで、それらがシュタルにとっての植物のすべてだった。
だからシュタルは、王都に来て「こんなに沢山の植物があるなんて」と驚いた。花屋を見ても、知っている花のほうが少ない。シュタルにしてみれば、王都で初めて出会った薬草はどれも同じに見えてしまう。
そのせいで、魔術に用いられる薬草の名前と効能は暗記しているものの、実物の判別は不得意だった。
「お前は情報だけは頭にあるが、実際の知識が全然足りていないだろう? だから、沢山実物を見て覚えるしかない」
「はい、頑張ります」
副筆頭魔導士とあって、レッドバーンは魔力が強いだけではなく、知識量も膨大である。部屋を埋め尽くさんばかりの大量の本にはすべて目を通しているし、入りきらない本を置くためだけに、わざわざ外に倉庫を借りているほどだ。魔導士用の魔導図書館にすらない禁書さえ持っているという噂もある。
そんなレッドバーンの弟子として、もっと精進しなければと、シュタルは思った。シュタルも一生懸命に勉強をしているけれど、経験が足りていない。
薬草だってレッドバーンが一人で採りに行ったほうが早いのに、わざわざシュタルを連れていくのは教育のためだ。忙しい時期なのに弟子のことまで考えてくれる彼が師匠だったことは、幸運である。
朝食後、シュタルは遠出の準備をした。食堂のおばさんに声をかけて、弁当を用意してもらう。
ほかにも籠や麻袋を準備して寮の外に出ると、レッドバーンが厩舎から葦毛の馬を連れてきていた。彼の愛馬だ。宮廷魔導士は、役職につくと馬を下賜され、王宮の厩舎に馬を預けることができる。
この葦毛の馬はレッドバーンの二代目の馬だった。宮廷魔導士には、扱いやすい茶色の馬か、気性は荒いが足が強い黒馬、そして魔力に敏感な白馬などが人気である。しかし、レッドバーンはそのどれでもない葦毛の馬を選んだ。
博識な彼のことだから、葦毛の馬が何か優れた能力を持っているのかと聞いてみたところ、「お前の髪の色に似てるから選んだだけだ」と言われて、胸の奥がくすぐったい気分になったことを、シュタルは今でもよく覚えている。
二人は葦毛の馬に乗り、王都の外れにある森へと向かった。
シュタルは馬に乗れないため、馬で移動するときはレッドバーンの前に乗せてもらう。
おかげで、自分の背中とレッドバーンの逞しい胸板が密着して、どきりとした。
戦争が始まれば魔導士も戦地にかり立てられるので、彼は体を鍛えている。魔導士に筋肉は必要ないと言って全然運動をしない者もいるが、六年前の戦争ではそういう奴から死んでいったと、レッドバーンはよく言っていた。
レッドバーンは手綱を操るために両手を前方に出しており、まるでシュタルを抱きしめているような体勢である。毎日の解呪のときも抱きあっているけれど、乗馬の際はまた別なときめきを感じるのだった。
森に着くと、湖で馬に水を飲ませてから薬草を採取する。田舎育ちのおかげか、シュタルは薬草の判別は苦手なものの、植物が上質かどうかを見極めるのは得意だった。
「兄様、これはどうですか?」
むやみに薬草を抜くわけにはいかないので、レッドバーンを呼んで聞いてみる。
「よく見つけたな、これはいい。ちなみに、隣にも草が生えているだろう? これも薬草で、名前は――」
彼はシュタルに薬草の名前を教えながら採取した。
お昼の時間には、二人で持ってきたお弁当を食べる。そのあとは三時まで休憩の時間であり、それは外に出ても変わらない。
この薬草の採取場所は、レッドバーンが見つけた秘密の場所だった。馬に水を飲ませるのにちょうどよい小さな湖もあるし、湖のおかげで周囲に沢山の薬草が生えている。
この場所に辿り着くには複雑な道を進まねばならないせいか、いつ来てもレッドバーン以外の人物が訪れた形跡はなかった。もしかしたら、彼がこっそり人避けの結界を張っているのかもしれない。
今ここにいるのは二人と一頭の馬だけだ。部屋の中ならともかく、野外で服を脱ぐのは恥ずかしいけれど、今日も解呪をしてもらわねばならず、シュタルは下着姿になった。そうして、同じく下着姿で胡座をかいているレッドバーンの膝の上に座る。
レッドバーンはシュタルを抱きしめると、外套で二人の体をくるんだ。厚手の生地でできた外套はとても温かく、これなら風邪をひかないで済む。
解呪の呪文が終わったところで、シュタルはレッドバーンから離れようとしたが、彼はシュタルを抱きしめたまま離さなかった。
「に、兄様っ。離してください」
「いつもなら昼寝している時間だろう? 寝ておけ」
「いつもはベッドじゃないですか。ここは野外ですし、何より兄様の膝の上で寝るなんて、できません」
「俺のことなら気にするな。お前だって、馬に乗ってるだけでも体力を使うだろ?」
「でも……」
シュタルの口答えを許さず、レッドバーンは詠唱を始めた。すると、たちまち眠くなる。どうやら彼は眠りの呪文を唱えたようだ。
「にいさ、ま……」
「おやすみ、シュタル」
シュタルを膝に乗せたままで、足が痛くならないのだろうか? 彼は自分を甘やかしすぎだと思いながら、シュタルは眠りに落ちていった。
そして、三時ちょうどにシュタルは起こされた。のろのろと服を着て、薬草採取を再開する。しばらくして、籠いっぱいに薬草を集めた二人は、馬に乗って帰路へとついた。
その途中、シュタルがふと呟く。
「私も馬に乗れるようになったほうがいいですか?」
「ん? どうしてだ?」
「二人乗りだと、兄様が疲れませんか? 自分の馬は持てなくても、外出の際に供用の馬を貸してもらえますよね?」
レッドバーンに下賜されたのは軍馬なので、二人と荷物を乗せて走るくらいは問題ない。しかし、騎手である彼は大変ではないのかと気になってしまうのだ。
「俺はお前が馬に乗るのを見ているほうが、落ちないかヒヤヒヤして疲れると思うぞ」
「なっ……」
そこまで運動神経は悪くないはずだと、シュタルはむっとした。
「そもそも、仕事をしながら馬術を覚えるのは大変だ。それより薬草学をやれ、薬草学を。馬に乗る必要があるときには、俺が乗せてやるから」
「うっ、それはそうですけど……。でも、なんでもかんでも兄様に頼むわけにはいきません」
「馬を使う用事なんて、薬草を取りに行くぐらいだろう? それ以上の遠出なら、おそらく俺もついていくだろうし」
「だけど、巷では遠乗りデートがはやってるって聞きましたよ」
最近、馬に乗ってのデートが人気だと耳にしていたので、シュタルは何気なく口にしてみた。
「デート? なんだお前、そんな相手がいるのか?」
からかうような口調でレッドバーンが問いかけてくる。
「い、いないですけど……! でも、はやってるってことは、楽しいってことでしょうし、一度くらいはしてみたいです」
「じゃあ、俺が連れてってやる」
「えっ」
レッドバーンの答えに、一瞬どきりとする。しかし、続けられた言葉に、すぐに落胆することとなった。
「馬に乗れなくてもいいぞ? 俺の馬に一緒に乗せてやるから。そしてデートの最後に薬草をつんで帰ってこよう」
「それはデートじゃなくて、ただの薬草取りじゃないですか」
「一石二鳥だ。ともかく、お前が馬に乗れるようになる必要はない」
はははとレッドバーンが楽しそうに笑うので、シュタルもつられて笑ってしまう。
「兄様は私を甘やかしすぎじゃないですか? 最近は女性だって、馬に乗りますよ」
「お前は俺の可愛い弟子だから、ついつい甘くなる。……いいんだよ、俺に甘えれば。第一、馬から落ちたら最悪死ぬぞ。馬を御するのはお前が思っているより難しい。そんなこと、お前にやらせたくはない。それとも、お前は俺と一緒に馬に乗るのが嫌か?」
「そ、そんなことはないです……!」
「じゃあ、思う存分、俺に甘えてくれ」
すでに沢山甘えていると思うのに、彼は自分をどれだけ甘やかすつもりなのか。それとも、師匠というのは弟子をここまで甘やかすものなのだろうか?
いずれにせよ、彼に甘やかされるのはとても心地よいし、彼の言うとおり、馬術ではなく薬草学を頑張ろうとシュタルは心に誓った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
軍議の準備自体は三ヶ月前から行われるが、直前の一週間が一番忙しい。
シュタルの仕事は師匠であるレッドバーンの補佐が主なものであるが、上層部の集まる会議への参加を許されているわけではない。なので、朝に彼を起こすときと昼の休憩のとき以外は、ほとんど顔をあわせていなかった。
そして、軍議まであと三日に迫った夜だった。
シュタルは一日の仕事を終え、ようやく部屋に戻る。入浴したばかりで濡れている髪をタオルで拭きながら、薬草学の本を眺めていた。
「えーと、ここは……」
呟きつつ確認をしていると、一瞬視界が歪む。
「……?」
この時期はいつもより忙しいけれど、昼の休憩時間は確保されているので、きちんと仮眠をとっているし、無理をしているわけではない。まさか風邪でも引いてしまったのだろうかと思っていたら、急激に体が熱くなった。
「…………っ!」
体を流れる血が、燃えるような感覚におちいる。
「なっ……」
毎日レッドバーンに解呪をしてもらっているから、呪いのせいで魔力が乱れるはずはない。それなのに、シュタルの体を流れる魔力が急に不安定になり、体が震えだした。
「なに、これ……」
頭がくらくらして、喉が渇く。そしてお臍の下がじんじんしてきた。体の中心が妙に熱い。
シュタルは助けを求めるため、隣室への扉を開けた。だが、レッドバーンはまだ仕事から戻っていない様子だ。
「兄様……っ」
シュタルは床に膝をつく。その拍子に床に積まれていた本の山を崩してしまうが、元に戻す余裕すらなかった。レッドバーンの部屋に漂う彼の匂いに、さらに頭がくらくらしてくる。
まるで粗相をしたみたいに、足の付け根からじわりと液体が滲みはじめた。月のものがきたのかと寝衣の裾をまくり上げて確認したけれど、出血した気配はない。
陰部がじんじんとして、シュタルは内腿を擦りあわせる。自分の体に何が起こっているのか分からず、とても怖かった。
「んうっ……」
思わずもがいたところ、指先が布に触れる。それはレッドバーンの外套だった。何気なくたぐり寄せると、その匂いがふわりと鼻に届いて、ここにはいない彼の存在を強く感じる。
「……っあ」
お腹の奥が疼き、熱を帯びたその場所がひくひくと震えた。
「ど、どうしよう……」
シュタルは外套を抱きしめながら、何度も内腿を擦りあわせた。そうすると幾分疼きがましになる気はするが、体を支配する熱は一向に治まる気配がない。
混乱して顔が熱くなり、涙目になったとき――ガチャリと扉が開けられ、レッドバーンが部屋に入ってきた。
「兄様……!」
「シュタル! どうした?」
廊下に繋がる扉は別として、シュタルの部屋と繋がっているほうの扉には鍵がかからないので、シュタルがレッドバーンの部屋にいることに、彼は何の疑問も抱かない。
シュタルが涙目でうずくまっているのを見て、レッドバーンは手にしていた書類を投げ出してかけ寄ってきた。
「大丈夫か? 顔が赤いな、熱でも出たか?」
「分からないです……。なんか、体っ、じんじんして……」
「じんじん……?」
こみ上げてくる疼きに、シュタルはまたもじもじと内腿を擦りあわせる。それを見たレッドバーンは、「あ」と声を上げた。
「まさか……いや、まだ早すぎる。しかし、呪いの影響で体内時計が狂ってる可能性も……」
「兄様……?」
何か原因を知っていそうな口ぶりに、シュタルはほっとする。レッドバーンならば、きっとなんとかしてくれるという信頼があった。
「シュタル。お前に今起きているのは、女性の魔導士特有の現象だ。病気でもなんでもないし、命に関わるものでもないから、とりあえずは安心しろ」
「はい」
やはり、彼はシュタルの身に何が起きているかを把握している。説明を期待して見つめると、レッドバーンは言いづらそうに視線を背けた。
「……で、その現象だが――発情期だ」
「発情期……って、猫とかの……?」
予想もしていなかった答えに、シュタルはぽかんと口を開ける。
「女性の魔導士は二十歳を超えると、定期的に発情するようになる。自分で慰めて快楽を極めれば静まるんだが……お前、自慰をしたことがあるか?」
「なっ……ないです!」
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