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犬の巣
ヒビキの過去
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「俺の親父、酒飲みのろくでなしでな…。生活費は全部酒に使っちまうわ、酒があっても無くても殴るし、蹴るし…、母親は相当苦労しててな。」
ヒビキはヘラリと口を歪めて笑った。
「俺も6歳から働いてたんだけど…、やっぱ相当生活きつくてな…」
美奈子は思わず口を覆ってしまうところだった。六歳で働いていたなんて。しかし、失礼に当たると思い手に力を込め、動かないようにした。
「ある日…母親がいつものように本を読んでくれて、優しく寝かしつけてくれた。『おやすみ…明日ね』って…こう頭撫でんの…」
ヒビキはゆっくり美奈子の頭を撫でた。まるでヒビキの母親にされているように感じた美奈子は胸が苦しくなるのを感じた。
「翌朝、母親は消えてた。」
ヒビキは口元を歪めてまた笑った。その微笑みは泣きたくなるほど痛かった。
「ベッドに金貨十枚。置手紙は『ごめんなさい』だ。」
美奈子は身動きせずにヒビキの話を聞くことができないと思った。今すぐ彼を慰める言葉や行動を取りたい。しかし、動けなかった。
ヒビキが全て“過去”として話しているのが解ったから。これは彼が独りでカタをつけた問題だ。自分が慰めていい問題でもなければ、慰められる問題ではない。逆に失礼になると思った。
「俺はたった6つで、無い脳みそ使って真剣に考えた。母親は“金が無いから出て行ったんだ”ってね。」
ヒビキの前髪を風が揺らした。細めた目は、過ぎ去った昔の映像を見ているように映った。
その顔は薄っすらと微笑んでいたので美奈子は「あぁ…もう大丈夫なんだ」と思えた。
ヒビキの今の顔は子どもの頃の学芸会のビデオフィルムを見ているみたいだった。過去の自分を優しく自嘲している。
「だから、死ぬ気で金を稼いだ…。子どもだから働けるトコなんてないと思ってるかも知れねぇーけど、“子どもだから”働けるトコもあってね…」
ヒビキは新しい煙草に火をつけて、咥え煙草のまま続けた。
「運び屋として5年働いた。命の保障がない代わりに金が良くてな。5年で金貨は山ほど溜まった…けど、母親は帰ってこなかった。」
ヒビキは美奈子の体勢を変えないように煙草の灰を手の上で受けた。美奈子がそれに気付きテーブルの上の灰皿を持ち上げて差し出した。ヒビキは会釈すると手に乗せた灰を皿の上で掃った。
「親父に聞いたら…母親は俺を捨てて逃げたってことが解った。」
美奈子は灰皿を持つ手が冷たくなっていくのを感じた。ヒビキが灰皿をヒョイと取り上げる。
「突き進んだ道が間違いだったとは思わない…。そうしなきゃ生きていけなかったしな…。ただ結果が少し想像と違っただけさ…な?」
美奈子はヒビキの顔に泣きたくなった。自分を覗き込んで悲しく笑う彼はただ痛かった。
「結局、置いていかれたけど、母親はそれまで俺のこと大切にしてくれてた。それだけで十分だ。」
美奈子はコクコクコク…と泣きながら何度も頷いた。
「お前も、救われたんだろ? 生きていけると思えたんだろ?生きなきゃって…」
美奈子は口を覆い、懸命に頷いた。
辛い。お願いだからそんな風に笑わないで。
貴方は裏切られたとは思わないんですか?
嘘つきだとは思わないんですか?
「それを教えられたんなら…ペテン師でも詐欺師でも立派なヤツだよ。」
灰皿で煙草を揉み消して、ソファーの端にそれを置くとまた美奈子の頭を撫でた。落ち着いたその顔は辛さや恨みなんかは少しもなくて美奈子は泪で濡れた頬を手の甲で拭き取るしか出来なかった。もう泣けなかった。ヒビキ以上に。
「お前の信じていた人は…凄いんじゃない?俺は信じてないけどな。」
クシャッと笑うヒビキに美奈子はギュッと服を掴み、額を彼に押し付けた。
「この事、秘密な。俺、昔の事あんましゃべらねぇー主義だから…」
「はい。」
今度はちゃんと声に出して返事をした。
「頑張って、この世界に馴染みたいです。」
そう言って、美奈子は笑った。
「大丈夫だって、」
ヒビキはポンポンと頭を撫でた。
「あと…」
美奈子がまだ続けるので、彼は彼女を覗き込んだ。ん?
「あの時、あんな事を言ってしまって本当にごめんなさい…」
“あの時”にはすぐに察しがついた。
『そんなに人殺しが楽しいですか!!!』
“あの時”の言葉だ。
「あー…別に結構言われてるから、別に気にしてないけど?」
美奈子は黙っていたが、嘘だとわかっていた。あの時、自分は確実に人の心を抉った手応えがあったから。
彼らは、“殺さざる終えない状況”であり、“そういう訓練”を受けた身だったのに、“仕方なかった”のに、そんな人たちに対してなんと言う言葉を浴びせたのかと、罪悪感で胸が潰れそうになる。
美奈子が教養の授業でテーブルマナーを学ぶように、彼らは銃の使い方を習ったのだ。
突然の結婚式で上手くフォークやナイフを使えるように、銃弾を打ち込めることだって不思議ではない。すべて、教え込まれたのだ。“咄嗟”に“平然”とそうしてしまえるほど。
最初は迷いや手の振るえなどもあったことだろうが、恐ろしい事に“習慣”というのを人間が身につけてしまうと、何でも容易く出来てしまえる。美奈子が今、まったくテーブルマナーに困らないのと同じように。
「でも…さっき…『殺してやるよ』って言われたときの笑顔は一生忘れられないぐらい素敵でした。」
自分の言ってしまった咄嗟の拒絶をすべて打ち消す方法など、美奈子だけでなく人間誰しも持ち合わせていない。この言葉は煌びやかに着飾ったものでなく本心だったけれど、なるべく彼の心に響くように、実直な言葉を選んだ。
「はは、そりゃあ…死人に向けるにしちゃあ勿体ねぇーわな」
ヒビキは多分、今の瞬間で、美奈子の罪悪感を一掃しようとしたのだと思った。
美奈子はそのまま、寝息を立て始めた。
疲れて眠ってしまったのだ。
ヒビキはヘラリと口を歪めて笑った。
「俺も6歳から働いてたんだけど…、やっぱ相当生活きつくてな…」
美奈子は思わず口を覆ってしまうところだった。六歳で働いていたなんて。しかし、失礼に当たると思い手に力を込め、動かないようにした。
「ある日…母親がいつものように本を読んでくれて、優しく寝かしつけてくれた。『おやすみ…明日ね』って…こう頭撫でんの…」
ヒビキはゆっくり美奈子の頭を撫でた。まるでヒビキの母親にされているように感じた美奈子は胸が苦しくなるのを感じた。
「翌朝、母親は消えてた。」
ヒビキは口元を歪めてまた笑った。その微笑みは泣きたくなるほど痛かった。
「ベッドに金貨十枚。置手紙は『ごめんなさい』だ。」
美奈子は身動きせずにヒビキの話を聞くことができないと思った。今すぐ彼を慰める言葉や行動を取りたい。しかし、動けなかった。
ヒビキが全て“過去”として話しているのが解ったから。これは彼が独りでカタをつけた問題だ。自分が慰めていい問題でもなければ、慰められる問題ではない。逆に失礼になると思った。
「俺はたった6つで、無い脳みそ使って真剣に考えた。母親は“金が無いから出て行ったんだ”ってね。」
ヒビキの前髪を風が揺らした。細めた目は、過ぎ去った昔の映像を見ているように映った。
その顔は薄っすらと微笑んでいたので美奈子は「あぁ…もう大丈夫なんだ」と思えた。
ヒビキの今の顔は子どもの頃の学芸会のビデオフィルムを見ているみたいだった。過去の自分を優しく自嘲している。
「だから、死ぬ気で金を稼いだ…。子どもだから働けるトコなんてないと思ってるかも知れねぇーけど、“子どもだから”働けるトコもあってね…」
ヒビキは新しい煙草に火をつけて、咥え煙草のまま続けた。
「運び屋として5年働いた。命の保障がない代わりに金が良くてな。5年で金貨は山ほど溜まった…けど、母親は帰ってこなかった。」
ヒビキは美奈子の体勢を変えないように煙草の灰を手の上で受けた。美奈子がそれに気付きテーブルの上の灰皿を持ち上げて差し出した。ヒビキは会釈すると手に乗せた灰を皿の上で掃った。
「親父に聞いたら…母親は俺を捨てて逃げたってことが解った。」
美奈子は灰皿を持つ手が冷たくなっていくのを感じた。ヒビキが灰皿をヒョイと取り上げる。
「突き進んだ道が間違いだったとは思わない…。そうしなきゃ生きていけなかったしな…。ただ結果が少し想像と違っただけさ…な?」
美奈子はヒビキの顔に泣きたくなった。自分を覗き込んで悲しく笑う彼はただ痛かった。
「結局、置いていかれたけど、母親はそれまで俺のこと大切にしてくれてた。それだけで十分だ。」
美奈子はコクコクコク…と泣きながら何度も頷いた。
「お前も、救われたんだろ? 生きていけると思えたんだろ?生きなきゃって…」
美奈子は口を覆い、懸命に頷いた。
辛い。お願いだからそんな風に笑わないで。
貴方は裏切られたとは思わないんですか?
嘘つきだとは思わないんですか?
「それを教えられたんなら…ペテン師でも詐欺師でも立派なヤツだよ。」
灰皿で煙草を揉み消して、ソファーの端にそれを置くとまた美奈子の頭を撫でた。落ち着いたその顔は辛さや恨みなんかは少しもなくて美奈子は泪で濡れた頬を手の甲で拭き取るしか出来なかった。もう泣けなかった。ヒビキ以上に。
「お前の信じていた人は…凄いんじゃない?俺は信じてないけどな。」
クシャッと笑うヒビキに美奈子はギュッと服を掴み、額を彼に押し付けた。
「この事、秘密な。俺、昔の事あんましゃべらねぇー主義だから…」
「はい。」
今度はちゃんと声に出して返事をした。
「頑張って、この世界に馴染みたいです。」
そう言って、美奈子は笑った。
「大丈夫だって、」
ヒビキはポンポンと頭を撫でた。
「あと…」
美奈子がまだ続けるので、彼は彼女を覗き込んだ。ん?
「あの時、あんな事を言ってしまって本当にごめんなさい…」
“あの時”にはすぐに察しがついた。
『そんなに人殺しが楽しいですか!!!』
“あの時”の言葉だ。
「あー…別に結構言われてるから、別に気にしてないけど?」
美奈子は黙っていたが、嘘だとわかっていた。あの時、自分は確実に人の心を抉った手応えがあったから。
彼らは、“殺さざる終えない状況”であり、“そういう訓練”を受けた身だったのに、“仕方なかった”のに、そんな人たちに対してなんと言う言葉を浴びせたのかと、罪悪感で胸が潰れそうになる。
美奈子が教養の授業でテーブルマナーを学ぶように、彼らは銃の使い方を習ったのだ。
突然の結婚式で上手くフォークやナイフを使えるように、銃弾を打ち込めることだって不思議ではない。すべて、教え込まれたのだ。“咄嗟”に“平然”とそうしてしまえるほど。
最初は迷いや手の振るえなどもあったことだろうが、恐ろしい事に“習慣”というのを人間が身につけてしまうと、何でも容易く出来てしまえる。美奈子が今、まったくテーブルマナーに困らないのと同じように。
「でも…さっき…『殺してやるよ』って言われたときの笑顔は一生忘れられないぐらい素敵でした。」
自分の言ってしまった咄嗟の拒絶をすべて打ち消す方法など、美奈子だけでなく人間誰しも持ち合わせていない。この言葉は煌びやかに着飾ったものでなく本心だったけれど、なるべく彼の心に響くように、実直な言葉を選んだ。
「はは、そりゃあ…死人に向けるにしちゃあ勿体ねぇーわな」
ヒビキは多分、今の瞬間で、美奈子の罪悪感を一掃しようとしたのだと思った。
美奈子はそのまま、寝息を立て始めた。
疲れて眠ってしまったのだ。
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