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しおりを挟む男は言った。
「久我さん?」
僕は頷いた。
その声には聞き覚えがあった。僕の名前を言うその声は、電話の向こうの声と同じに聞こえた。僕は確かめるように言った。
「常盤さん…?」
男──常盤高史は滲むように微笑んだ。
彼は若く見えた。
「そう…ごめんね、ちょっと留守にしてた」
常盤は僕の側まで近づいて来た。
「電話も出られなくてすみません」
僕は首を振った。「いえ…いいんです。お会いできてよかった」
「ほんとに」
ポケットから鍵を取り出し、ガラスドアの鍵を彼は開けた。
「どうぞ、ちょっと散らかってますけど」
開いたガラスドアの中へと促されて、けれど僕は、なぜか入る気をなくしていた。
ドアの前で立ち止まった僕を、常盤は暗がりの中で見下ろしていた。
「久我さん?」
僕は彼を見上げた。
常盤は背が高い。僕よりも頭ひとつ分は上か。
僕は常盤の切れ長の目を見て言った。
「あの…もう遅いし、実はホテルにチェックインもまだしてなくて。よかったら、これからホテルのバーで飲みませんか?それか、食事でも」
泊まるはずのホテルには、地下にバーがあると知っていた。きっと何か食べられるだろう。
驚いたように常盤は僕を見て、ふっと表情を緩めた。
「いいね、じゃあ、そうしましょう」
常盤は再び鍵をかけた。
僕はもらった名刺に記されたタクシー会社の番号に電話をかけた。
すぐにタクシーはやって来た。
どこかで待機でもしていたのか、運転手は同じ人だった。
***
ホテルにチェックインを済ませ、エレベーターで地下へと降りた。
光量の絞られた照明、濃い飴色の光が満ちたそこは狭くも広くもなく、心地よい空間だった。カウンターには3人の客がいた。ほどよく散らばった5つのテーブル席のどれにも客はいなかった。
僕たちはテーブル席を選んだ。
頼んだ飲み物と食事──やはり食事もできた──がやってくる間、お互いに改めて名乗り合う。
久我直です、と僕は言った。
「常盤高史です。仕事はさっき見た通り」
そこで飲み物がきた。
僕はジントニックを、常盤はビールを。それぞれの前にグラスが置かれる。
ウェイターが去るのを待ってから常盤は言った。
「久我さんは、お仕事何してるの?」
僕はひと口飲んでから答えた。
「普通に…サラリーマンです」
「サラリーマンって?営業?」
常盤もビールを飲んだ。
「いえ、事務職を。デスクワーク専門なんです」
「それっぽいね」
目を細めて常盤は微笑んだ。
僕は言った。
「常盤さんは、あの店おひとりでされてるんですか?大変そうだな」
ふふ、と常盤は声を出して笑った。
「町の写真館なんて忙しくもないよ。俺は後を継いだだけだし、ひとりでも全然やっていける。むしろ家族がいたら養えないかな」
「そういうものですか」
そうだよ、と常盤は頷いた。
小さく間が空き、お互い自分の飲み物に集中する。
そろそろ本題に入らなければ。
「常盤さん」
彼は僕を見た。
「あの手紙のことなんですが」
「ああ、ですよね。その話をしないと」
常盤は苦笑した。まるで忘れていたかのように言うが、もちろんそんな事はないのだろう。
「電話でも言ったけど、あれはうちの親父が預かっていたもので、半年前に死んだ後荷物を整理していたら見つけたんです」
最初に電話をした時聞いた話と同じことを常盤は言った。「顧客名簿の間に挟まってて、あなたの、久我さんの住所と名前を書いた紙と、あの封筒がメモ書きと一緒にクリップで留めてあってさ」
常盤の口調は時折敬語から親しげに砕けたものになったが、特に気にはならなかった。それが彼の大柄な体格と相まって、窮屈さを感じさせることがない。なんとも一緒にいて楽だと思えた。僕は話す彼を観察した。
歳は、僕と同じくらいか、少し下。
ホテルの明るい受付で見た彼は、暗がりで見た時よりもずっと若く見えた。
僕が想像していたものよりも、ずっと。
鞄の中から僕は同封されていた写真を取り出した。
「常盤さんは、封筒の中はご覧になってないんですよね」
「もちろん。糊付けされてたし」
僕は彼の前に、写真を滑らせた。
「電話でも言ったけど、あの封筒にはこれが入っていました」
妹の写真。多分。
そのことは先に話していた。
「これ?」
「妹の愛です」
「ふうん」
常盤は写真を手に取ってじっと見つめた。伏せた切れ長の目が小刻みに左右に動く。
「これが久我さんの妹かあ…あんまり似てないな」
ウェイターが食事を持ってきた。
ふたりとも同じものを頼んでいた。スモークサーモンサンド、レモンと揚げたてのフライドポテトがたっぷりと添えられていた。ふたつの皿の真ん中に、小さな塩の瓶とケチャップ、マスタードのボトルが置かれていく。いい匂いだ。
ごゆっくり、と言い置いてウェイターはカウンターの中に戻って行った。
「妹は8年前に失踪したんです」
ポテトを摘みあげた常盤の手が宙で止まった。じっと視線が合う。絡みつくように、思わず見つめ合い、視線を逸らしたのは僕の方が先だった。
「僕とは8つ離れてました」
「久我さん、今いくつ?」
僕もポテトを摘まんだ。
「32です」
「年上なんだ、俺は先月29になったばかりだけど…」常盤は摘まんだポテトを口に放り込んだ。「…じゃあ、妹さんは、いなくなったとき…16?」
僕は頷いた。
「ええ、僕は大学を卒業して就職したばかりで、家を出ていて…」
知ったのは少し後だった。1ヶ月ぐらい、両親は僕にそのことを隠していた。
そう言うと、常盤はビールを飲み干し、バーテンダーにおかわりの合図を送った。彼は僕を見たが、僕のグラスにはまだジントニックが半分以上残っていた。僕は首を振った。
「両親はすぐに警察に届を出して必死に捜したけれど、見つかりませんでした。去年7年が経ったので、僕が死亡届を出したんです」
「久我さんが?」
「両親はもう死んでいるので」
彼は小さく鼻を鳴らした。
「──久我さんさ」常盤が言った時、おかわりがテーブルに置かれた。「敬語やめない?俺の方が年は下だよ?」
堅苦しいのは苦手なんだ、と常盤は笑った。
「ええと…、じゃあ、──常盤くん?」
運ばれてきたばかりのビールに常盤は口をつけて、言った。
「じゃあ俺は、直さん、でいい?」
僕は笑った。「いいよ」
「それで、常盤くんは、妹に見覚えはない?」
さっき写真を見せた時の反応で、その確率はゼロだろうなと思いつつ、僕は聞いてみた。
「うん、ないな」
「そうか。君のお父さんは、ほかに何か残してはいなかった?」
常盤はサンドイッチを齧りながら頷く。
「何も…ただ、直さんから電話もらった後、俺も少し調べてみたよ」ごくりとビールで流し込んだ。「顧客名簿と注文書とか、親父の交友関係とか、当たってみたんだけど、久我愛って名前はどこにもなかった」
「そう」
僕はグラスに口をつけた。特に落胆したわけではない。そうだろうなと、心の中では思っていた事だった。
僕はなにも、妹を見つけ出したいわけではなかった。
小さくため息をつくと、常盤がごめんね、と言った。
僕は苦笑した。
「常盤くんが謝る事じゃないよ」
「でも送ったの俺だから」
ふと思い出したことを口にする。
「そう言えば、お父さんが残していたメモ書きって何が書いてあったんだ?」
「ああ…」
常盤はカーキのモッズコートの内側に手を入れて、自分の財布を取り出した。随分と使い込んでいる黒い革の折り畳み財布の札入れから、白い紙を引き抜く。
「これだよ」
差し出されたそれを僕は受け取った。
「持ち歩いてたのか?」
常盤は笑んだ目を向けただけで何も言わなかった。皿の上のサンドイッチに齧りつく。僕もそうしたかったが、すでに食欲は失せ、紙の方に意識は行っていた。
『預かり、2016年6月24日、連絡済み』
そして僕の名前と住所…これは以前のものだ。僕は一度引っ越していた。常盤の出した手紙は転送されて来たものだった。
追記。
『2017年7月までに送付すること』
それだけだった。僕はもう一度読んだ。
だが、読み取れるものなどそこには何もない。あるとすれば、日付ぐらいか…
2016年6月24日
今から3年も前の日付けだ。
写真の中の妹──8年分歳を取ったと思ったのは、僕の勘違いか…
目線を上げると、常盤がじっと僕を見ていた。
淡く暗く影を落とす目元。よく見れば端正な顔立ち。瞳の色は溶けたチョコレートのように──
僕は自分の考えにはっとした。
「直さん」
呼びかけに僕の肩が小さく跳ねた。
酒のせいだ。
言い訳ならいくらでも出来る。
「どうしてって、聞かないの?」
「え?…」
「どうして俺がそれを見て直さんに送ったのか」
探るような目をきっと僕はしていただろう。
それを面白がるように常盤は僕を見つめ続けた。
「どうして俺が今日いなかったのか」
ポケットから携帯を取り出し、テーブルの上に置いた。
「今日あんたが来るって分かってるのに、どうして留守にしたかって…聞かないの?」
僕は携帯をじっと見つめた。
「携帯持ってたんだね」
「今どき持ってないやつなんていないよ」
くす、と常盤は笑った。
「おかわりもらおうか?」
僕は首を振った。
グラスの中の酒は温く、味がしない。
びっしりとついた水滴が敷いたコースターから溢れ、テーブルを濡らしている。
胸の奥がざわめく。
「聞いたら教えてくれるのか?」
問うた僕に、常盤は薄く笑って、僕の指を撫でた。
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