風間くんの何でもない日常

宇土為名

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 甘い飴をくれた。
「そこ座って。少し休憩するといいよ」
 保健室の窓は開いていて、風がカーテンを揺らしている。
 部屋に置かれた電気ポットは先生の私物だとか。
 口の中で甘い飴を転がしている。
 いつもは噛む派なんだけど、なんだかもったいない。
 そんな気がして──
「ほら、なにがいい? コーヒーか紅茶?」
「あー……紅茶?」
「はい」
 意外そうに肩越しに振り返って笑い、先生は俺に背を向けてティーバッグを取り出した。小さな戸棚からマグカップをふたつ取り出してお湯を注ぐ。
「紙コップじゃないんだ?」
「ああ、味気ないだろ」
 確かに。
 俯くと前髪で目元が隠れる。眼鏡が湯気で曇るのが、後ろからでも分かった。
「甘くする?」
「うー、うん」
「どっち」
 呆れたように笑う声。
「する」
「はい」
 いい匂い。
 なにこれ、紅茶ってこんないい匂いしたっけ。
 暖かい風に甘い匂いが混じっている。
 花の匂い。
「チューリップの匂いだね。昨日ぐらいから咲き始めたんだよ」
 窓の外を見ていると先生が言った。
「はい、紅茶」
 少し屈んだ先生がスチールの机にふたつマグカップを置いた。
 俺は先生の顔を見上げた。
「眼鏡、曇ってるよ」
「ん、大丈…」
 手を伸ばしてその眼鏡を取る。
「こら」
 綺麗な顔。眼鏡をかけているのとは違う顔。
 いつもよりも幼い。いや、もともと先生は童顔だけど。
 この顔を俺は何度か見たことがある。
「こっちのほうがいいよ」
「悪戯しない」
 そう言いながらも取り返そうとはせずに、先生は俺の前にある自分の椅子に座った。
 俺は先生の眼鏡をかけた。やっぱり度は入っていない。
「前にも訊いたけどさあ、なんで眼鏡かけてるの?」
 前は内緒だと言われた。
 遠くから放課後の部活動をする生徒の声が聞こえてくる。
 少しの沈黙。
 先生はマグカップに口をつける。こくりと飲んで言った。
「そっちのほうが都合がいいから」
「都合?」
「まあ…色々とね」
 ふうん。
「それってさ、あいつと関係あんの?」
 マグカップを持つ先生の手が一瞬止まった。すぐに何でもないように先生は紅茶を飲んだ。
「…ないよ」
「さっきあいつに会ったよ」
 俺も紅茶を飲んだ。
「やっぱり2年だったね」
 口の中で飴が溶けていく。
「和田センセーの尻拭いでさ、杉本先生を探してたんだ」
「…尻拭いって?」
「レクのときの教室使用許可の不手際」
 ふっと先生は笑った。
「和田先生らしいなあ」
「教室に探しに行ったら、そこにいたよ」
「…そう」
「先生」
 眼鏡をかけたまま、俺は顔を上げた。
「こっち向いてよ」
 ずっと横顔だ。
 ずっと目の前の壁を見て話してる。俺は先生を見てるのに。
 もやもやする。
 ずっと、俺はもやもやしてる。
 今日は、すごくなんだか──気分が悪い。
「ねえ、さっきからさあ、なんでそっぽ向いてんの?」
「そう?」
「俺のほう見てよ」
「じゃあ、眼鏡返して」
「──」
 横を向いたまま差し出される手。
 イラッとした。
 何か、自分では抑えられない──どうしようもない気持ちが膨れ上がって、内側から胸を押し上げてくる。
 なんで俺こんなに苛ついてるんだ。
 全然、余裕がない。
 気がつけば、奥歯で飴を噛み砕いていた。
「あいつが好きなの?」
 先生が驚いた顔で俺を見た。
 俺も自分の言ったことに驚いたけど、ああそうかとどこかで腑に落ちていた。
「何言ってんの…」
「あいつはさ、先生のこと好きだよ」
「まさか、違うよ。こないだも言ったけど──」
「違わないでしょ」
 今度視線を逸らしたのは俺のほうだった。
 見てりゃ分かる。
 あいつは先生が好きだ。
 俺も…
「そうじゃないよ、あのね、風間くん、彼は」
 先生は少し慌てたように俺の顔を覗き込んだ。
「…から」
「え?」
 聞こえないと、先生が聞き返す。
 俺は顔を上げた。
「俺も先生が好きだから、よく分かるんだよ」
 先生は息を止めた。
 目が合う。
 近い距離。
 白衣の襟を掴んで、俺は先生を自分のほうに引き寄せた。
 逃げられないように強く。胸を押し返す手のひらが肩を掴む。
 風で揺れる窓のカーテン。
 甘い匂い。
 口の中に残る飴の欠片。
 余裕がなくて──忙しないキスをした。

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