風間くんの何でもない日常

宇土為名

文字の大きさ
16 / 24

16




「そうかもしれないね」
 そうだね、と言った後、泣き笑いのような顔で先生が呟いた。
「かもじゃねえよ! なんでそんなふうに言うんだよ、んなわけねえだろ!」
 その言葉に苛立って声を上げると、先生が驚いたように目を瞠った。
 ああ、この人は──
 そいつがそうなった原因が自分の中にあると今も思っているんだ。
 今でも、自分がそいつを変えてしまったと。だからあんなことを俺に言った。
『きみは勘違いしてるんだよ』
 そんなわけないのに。
「ね、先生」
 俺は自分に落ち着けと言い聞かせ、息を整えてからまっすぐに先生を見つめた。
「そんなわけないから。…だからさ、頼むから、そんなふうに言わないで」
「……」
「それだと俺が先生を好きなのも、みんな先生のせいみたいじゃん。違うからね、それ」
 そうだ、違う。
 違うんだよ。
「俺が先生を好きなのは、俺のせい。俺が先生を好きで、どうしようもなくて、好きだって言いたくなるほど好きで、それだけなんだ。男とか、そんなん関係ないくらい好きだって、そう言うことだよ」
「…う、うん」
「悲しくなること言わないでよ」
 顔を覗き込むと、先生の目元が赤く染まった。恥ずかしいのか、俯いた視線が揺れながら膝の上に落ちている。
「ごめん…」
 どうしても確かめたくて俺は訊いた。
「行かないよね、そいつの式」
 ん、と先生は頷いた。
「行かないよ。行く理由も…そもそもないんだし」
「そっか」
 その言葉にほっと息を吐いた。行けばどんな結果になるのか、良い事などひとつもないことは今話を聞いた俺にだって分かる。それに、もしもそいつがまだ──佐根井の兄がもしもまだ先生に思いを残していたら。
 想像するだけでたまらなく嫌な気持ちになった。
 先生にそんなやつと会って欲しくない。
「先生」
 呼びかけると、先生が顔を上げた。
「なに?」
「キスしていい?」
「え…、はっ?」
 ばっ、と勢いよく先生が顔を上げた。
「キスしたい」
「え、ちょっ、待っ…!」
 逃げるように立ち上がろうとしたその腕を掴んで引き寄せる。ほんの少し浮いていた体は、再び椅子の上にすとんと落ちた。
「俺のこと、好きで合ってる?」
「そ…っ、それ、は、あの」
「さっき、逃げなかったよ?」
「え、ええっと…」
「嫌じゃないよね」
「…だから、それずるい」
「キスしたい」
「ここ学校!」
「学校じゃなきゃいいの?」
「う…っ」
 俺は身を乗り出して、狼狽える先生の頬を両手で包んだ。俺の手首を握り首を振って外そうとするのを、少し力を入れて自分に向ける。力では俺のほうが勝っている。先生の腕は細くて、折れそうだった。
「こっち向いて」
「風間く…」
「ね、だめ? したい」
 びく、と先生の肩が跳ねた。首筋まで赤くなる。
「…っ、きみ、ほんとに高校生? なんでこんな手慣れてるんだよ…っ」
「普通でしょ」
「そんなわ、っ、絶対ちがっ…、ん、だ──」
 駄目、と抗議する唇を塞ぐように、指で辿る。
 顔を近づけると、先生がぎゅっと目を閉じた。
 可愛い。
 この人ほんとに年上か?
 可愛すぎて駄目になる。
 少しずれた眼鏡を避け、俺は顔を傾けた。
「おいなにやってんだおまえ」
 くそ。
 後ろから聞こえてきた声に体が止まった。
 あとちょっとだったのに。
「平田」
「ひ、平田くんっ…」
 真っ赤になっていた先生の顔が見る間に青くなった。
 肩越しに振り向くと、平田が開いた扉のところで仁王立ちになっていた。
「随分長いトイレだよな? あ? 仕事はどうした?」
「わざわざ呼びに来るなよ」
「来なきゃ帰って来ないだろうが」
 俺を睨みつけていた平田の視線が先生に向く。
「先生も年下だからって甘やかしてないで突き放さないと。つけ上がるだけですよ」
「え、…え?!」
「ほら」
 平田は無造作に俺の上着の襟首を掴むと、ぐい、と引っ張り上げた。
「行くぞ」
「おい、引っ張るなって」
 首が締まって苦しい。仕方なく俺は立ち上がった。
「平田くん、なんで、今の、見て…見てたよね?」
 先生は驚いた顔で俺と平田を見ていた。
 平田は呆れたように肩を竦めた。
「あー、こいつに聞いて知ってますし」
「え、知っ…、はあ!?」
「付き合うんなら先生気をつけないと、こいつ案外ダダ漏れですよ」
「……!」
「つーかおまえ学校で何してんだ」
 今度は俺が肩を竦めた。
 ふと見れば、ぱくぱくと開いた口が塞がらない先生が、俺を上目に睨みつけていた。
 うあ、怒ってる。
 でも全然迫力はない。
 俺は誤魔化すように笑った。
「ごめん先生、俺行くから。あの、帰り待っててくれる?」
「待たないよ!」
「えーなんで? 一緒に帰りてえのに」
「嫌だ。もう帰ります」
「おい行くぞ生徒会長、いいからとっととやることやれ」
「先生待ってて!」
「早く行きなよっ」
「えー」
「それじゃ先生」
 平田に引きずられて保健室を出る。廊下に出る寸前、ちらりと後ろを振り返ると、真っ赤になった先生と目が合った。笑いかけると、むっとしたように目を逸らされた。

***

 昇降口の明かりがちかちかと瞬いている。
 もう誰も校舎には残っていないのか、しんと静まり返った廊下に、自分たちの足音だけが響いていた。
「あーもうこんな時間かよー」
「腹減ったあ、なんか食って帰りてえ」
 閉められていたガラスの扉を押し開けると、真っ暗な夜の中に雨の匂いがした。
「雨上がったな」
「ん」
 手に持っていた折り畳み傘を鞄に仕舞いながら、平田が言った。それに頷いて、空を見上げる。
 ちぎれたようにある雨雲の隙間から、綺麗な夜空が見えていた。
 星だ。
「まあとにかく、なんとかなってよかったよなー」
「そうだな」
 松島の言葉に返して校門横の小さな通用口をくぐり外に出た。
 すでに下校時刻はとっくに過ぎてしまっていて、門は閉ざされている。この通用口も俺たちが出た後で、事務員の人が締めに来るはずだ。残っている先生たちも、これ以降は職員用の裏口から出るようになっている。
 あーあ、残念…
 今日はもう少し話したかったな。
「なー風間、なんか食ってく?」
 声に目を向けると、先に行く薮内が俺を振り返っていた。
 少し考えて、俺は言った。
「あー…、うん、今日は帰るわ」
「そっか。じゃあまた明日な」
「ん、明日。お疲れ」
「またなー」
「じゃあな」
 分かれ道で三人に手を振り、俺は自分の帰り道を行く。
 しばらく歩いて、そう言えば今日も両親は遅かったのだと思い出した。
 家になんか食うもんあったっけ?
 母親の作り置きのおかずは、一週間分はあるはずだけど、週の半ばには飽きてくる。薮内達について行けばよかったかと思ったけど、今さらだった。俺は近くのコンビニに寄って帰ろうと、次の通りを左に曲がった。
「いらっしゃいませー」
 通い慣れたコンビニの中をぐるりと回り、弁当コーナーに行くと、見覚えのある後ろ姿に、俺は足を止めた。
 そいつが、視線に気づいたように振り返った。
 俺を見てかすかに目を瞠る。
「…風間」
「よ、櫂」
 まさか逃げてばかりの友人にこんなとこで会うなんて。
「おまえも夕飯? 俺も」
 かい──沢村櫂さわむらかいが手にした弁当を見て、俺はそう言った。



感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。