手のひらのロブナリア

宇土為名

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エピローグ

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 光が床の上でゆらゆらと揺れている。
 窓から差し込む明かり。
 眩しさに輪郭はぼんやりとぼやけていて、僕は目を擦る。開いたままの本が膝の上で風にぱらぱらと捲れていた。
 いつの間に眠っていたのだろう。
 誰かの声が聞こえてくる。
 その笑う声に顔を上げると、窓の外の向こうでエマが花畑の中を走っていた。
 そういえば昨日、何かを持って来ると言っていたっけ。
『エ──、』
 エマ、と声を掛けようとして声が途切れた。
 彼女の傍にシノが立っている。
 いつの間に来ていたのか──シノは自分を見上げて話すエマを見下ろしている。頷きながら、ゆっくりと腰を落とした。
 目線を合わせたとたん、その表情が緩んでいく。
 いつも顰め面ばかりで笑ったところをあまり見せない彼が、無防備な笑顔を小さな女の子に向けている。
 一度だけ見たことがある。
 二度目の夜の──あれはきっと無意識だった。
 いつも、あんなふうに笑っていればいいのに。
 そうすればきっと…
『……』
 声を上げてエマが笑った。最初はシノを怖がって近寄りもしなかった彼女だが、彼がここに来るようになって半年、今ではすっかり懐いてしまっていた。時々ここを訪れる村の人たちもシノを警備兵のひとりだと思っているようで、顔を合わせればなにかと彼に労いの言葉を掛けていた。
 領主の子息だと誰も知らない。
 知らなければ誰も彼を恐れない。
 誰も、シノを排除しない。
 生まれた場所で複雑な立場に置かれている彼が、ずっと居場所を求めているようなそんな気がしていた。
 だから、ここに来るのか。
 僕のところに。
 でもいつか、それに向き合わなければならないときが来る。
 彼も、僕も。
『あ、せんせえ!』
 窓辺に立つ僕に気づいたエマが大きく手を振った。籠を抱え、こちらに掛けてくるエマに手を振り返す。
 シノが立ち上がり、僕を見た。
『──』
 僕の名を呼ぶ。
 でも風が強く吹いて声が聞こえない。
 白い光にその姿が滲んで溶けていく。
 ゆらゆらと、淡い面影だけを残して。


「──」
 目が覚めると見慣れた天井があった。
 水の底から見上げているかのように、薄青い光が揺れている。
 自分の部屋だ。
 瞬くと、目尻を涙が零れていった。
 ああ、泣いていたのだ。
 いつものように。
 同じ夢を見ては忘れてしまう。今日もそうだったのだろう。
「……」
 ふと人の気配を感じて七緒は首を動かした。
「…篤弘?」
 廊下とリビングの境目で篤弘が眠っていた。

***

 篤弘からの着信通知をタップして、七緒は携帯を耳に当てた。
 すぐに篤弘が出た。
『おまえ今どこ』
「もう店の中。先に注文しとくけど、何がいい?」
 カウンターに並ぶ列を見て七緒そう言った。下校時刻とあってか、同じような制服を着た学生で店内はいっぱいだった。
『あーじゃあ、チーズバーガーとナゲットとコーラ、コーラはゼロのやつ』
「おっけ」
 じゃあ、と言って篤弘は通話を切った。携帯をポケットに仕舞いながら七緒は列の最後につく。前にいた女子高生が横の友人とふざけて小突き合っていた。勢い余ってふらりとよろめいたのか、七緒の胸にとん、とぶつかってきた。
「あっ!」
「おっと」
 軽い衝撃を受け止めて小さく呟くと、女子高生は真っ赤な顔で七緒を見上げた。
「すっ、すみません! ごめんなさいっ」
「いいよ。大丈夫」
 笑いかけてそう言うと、彼女はますます赤くなり、さっと前を向いてしまった。
「?」
 なにか変なことを言っただろうか。
 そんなつもりはなかったけれど、体が触れたのが嫌だったのかもしれない。
 横にいた彼女の友人も前を向き、ふたりでぴったりと身体をくっつけ合って話している。店内のうるささにその内容までは聞こえてこない。
 なにか、なんだろう。
 女の子ってよく分からないな。
 まあいいか、と内心で息を吐いた。
 カウンターで注文を済ませ席に着いたころ、篤弘が入って来た。
「悪い」
 七緒が軽く手を上げると、篤弘は向かいにどさりと腰を下ろした。
「お疲れ」
「マジで嫌になるわ」
 今日は委員会の日だった。これから塾に行かなければならないというのに、篤弘は何かと忙しい。
「これ」
 頼んでいた篤弘のトレーを前にずらしてやると、篤弘が頷いて受け取った。
「つーかさ、なんか見られてないか?」
 篤弘が小声で言った。ちらりと向けた視線の先には女の子がふたり、離れたテーブルに座っていた。さっき列の前にいたふたりだ。ちらちらとこちらを窺うようにしていて、七緒と目が合った途端、さっとあっちを向いてしまった。
「さっき列の前にいたけど」
「それだけ?」
「あー…、ちょっとぶつかった」
 それで謝られたから大丈夫って返しただけ。
 ストローを口にくわえたまま七緒が言うと、篤弘は大袈裟なため息をついた。
「おまえちょっと気をつけろよ。気軽に女になんか話しかけるな」
「それくらい普通だろ」
「おまえは特に気をつけろ」
 少し冷えたハンバーガーの包みを剥いて齧り付く。
「変なのがくっついて来やすいからな、おまえ」
 意味深にちらりと上目に見られて、七緒は返す言葉に詰まった。
 変なのって…
 わざとらしく大きなため息を吐き、篤弘は黙って口を動かした。
 わずかな沈黙が落ちる。
 七緒はストローに口をつけながらそっと篤弘を見た。
 不機嫌そうにしてはいるが、以前のような激しい苛立ちは感じない。
 何より、彼の周りの空気が澄んでいた。篤弘の後ろにいる人たちの楽しそうに笑い合う姿がはっきりと見える。
 前はこんなふうに見えなかった。
 いつも、揺れる空気が篤弘の周りを包んでいて、どこか風景から切り取られたみたいに浮き上がっていた。
 それに、あの日以来、七緒の力も弱くなった気がしていた。
 人の揺らめきは視えるけれど、それはとてもかすかなものになっていた。
 篤弘の見えないところで、そっと自分の指先を七緒は擦り合わせた。
「ま、いいけどな」
 気分を切り替えるようにそう言うと、篤弘は食べ終わったハンバーガーの包みをぐしゃりと丸めた。
「そういやさ、新聞に載ってたな、あいつ」
「え?」
「あー新聞ねえんだっけ。ネットにも流れてたけど」
 篤弘は手を拭いて携帯を取り出すと、手早く操作して画面を七緒に見せた。
「ほら、ここ。ちっちぇえけど、載ってるわ」
 指差されたところを見て、七緒は小さく目を瞠った。あの夜の出来事が記事になっている。
「オレ何にも覚えてねえから分かんねえんだけど、そういうことだったんだなーって」
「おれも…、覚えてないんだよな」
 ごっそりと抜け落ちた記憶。バイトを上がったところまでは覚えているのにそこから先は何もない。気がつけば朝で、自分の部屋のベッドの中だった。
 画面の中の文字をもう一度読む。あの夜、梶浦の部屋に侵入しようとしていた男が、昨日別件で逮捕されたとあった。その男は以前七緒の隣──今は梶浦が住んでいる部屋にいた若い母親の夫で、酷いDVから逃げた妻と子を探し出し連れ戻そうとしていたという。
 男の供述によれば、ドアの鍵をこじあけようとしていたところ、隣人が出て来て揉み合いになり、ひどく怖くなって逃げ出した──記憶は曖昧で、無我夢中で逃げ出したまたま窓が開いていた住宅に侵入して一夜を明かしたところを帰宅した住人に通報された、と続いている。
 その隣人、というのが七緒だと、男は判断が出来ないという。それは事情を訊きに来た警官から聞いた話だ。男はひどく怯えていて、上手く話が出来ない状態らしい。
「変な話だよなあ、オレもなんで七緒のとこにいたか覚えてねえし。つーか、何日間か記憶ぶっ飛んでんだよな」
 言いながら、篤弘はストローで一気にドリンクを飲み干した。
「ほんとに何にも覚えてないのか?」
「ねえって。あの朝目が覚めたとこまで、ぼやーっとしてて頭ん中が霞がかってる感じ」
「へえ…」
「ここんとこで一番前の記憶っつったらさあ、ニッケが帰って来たとこぐらいかもな」
 ニッケは篤弘の祖母の猫だ。少し前にいなくなり、またすぐに帰って来た。その話をしたのは一ヶ月以上前のことだ。七緒が帰ってくるおまじないを篤弘に教えたりしたのを覚えている。
「そんな前?」
「そう、そんでいきなりあの朝になるわけ。梶浦がさ、七緒の部屋に来て起こしてくれたじゃん、あれだよ」
「……」
 それは篤弘の様子がおかしかった時期と同じだ。不思議に重なり合う偶然に七緒の胸の奥がざわついた。
 なんだろう、これは。
 七緒の記憶が抜け落ちているのはあの夜だけだけれど、もっと何か大事なことを忘れている気がする。
 それは、あの朝目覚めたときからずっと感じていた違和感だ。
 何か、もっと──大事なことを。
「オレやっぱあいつ嫌いだわ」
 急に顔を顰めた篤弘に、七緒は考え事から浮上した。
「え、なんで」
「なんででもだよ」
 最後のナゲットを口に放り込んで、がたがたと篤弘は立ち上がる。
「オレはああいうやつがさ──」
 あ、と七緒は目を瞠った。
 篤弘の体が後ろに立つ人にぶつかる。
 篤弘は振り返って思い切り嫌な顔をした。
「おまえなんでいんだよ!」
 梶浦は篤弘をちらりと見て肩を竦めた。
「先輩こそ」
「あ?」
「こんなところにいて。今謹慎中では?」
 う、と篤弘は喉を詰まらせた。
 あの二日間の家出で──本人は覚えていないが──家族からかなり厳しく叱咤され、篤弘は今外出禁止令を出されているらしかった。学校と塾の行き帰りは送り迎えがつくという不本意なことを強いられていて、学校では揶揄いの的になっている。今日はどうしてもとせがまれて七緒はここで待ち合わせていた。篤弘が遅れてきたのは、送迎の運転手を言いくるめるのに時間がかかったからに他ならない。
「外で運転手がうろついてるぞ」
「…っ、うるっせえよ馬鹿が!」
 真っ赤になって怒鳴る篤弘の声に、周りの目が一斉にこちらを向いた。


 去って行く車に七緒は手を振った。
 篤弘は最後まで梶浦に悪態をつきまくって道行く人の視線を集めていた。
 騒がしさが落ち着いてふっと笑みが漏れる。
「あの」
 後ろからかかってきた声に、七緒は振り向いた。
 さっきの女子高生だ。
「なに?」
 彼女はちらりと隣の梶浦を見て言った。
「あの、よくここで会いますよね、えと、覚えてないかもですけど」
「あー…、ごめん。よく来るけど…」
 彼女のことは覚えていない。
「いえ、それはそうなので! えと、あの、よかったら、名前とか教えてもらえないかなあって…ほんとよかったらで、いいので」
 真っ赤になってコートの前を握りしめる小さな手に、ふっと何かの面影が重なった。
「七緒」
「えっ」
 言うつもりなどなかったのに、気がつけば七緒は言っていた。
 驚いたように彼女は勢いよく顔を上げた。
「七緒だよ、名前。えっと…?」
「えっ枝真です! 六木枝真!」
「えま」
「はいっ」
 どこかで聞いた気がする。
 どこか遠く、ずっと昔に。
「行こうか」
 と梶浦が七緒を促した。七緒は頷いた。
「じゃあね」
 はい、と勢いよく返事をした彼女に背を向ける。
 帰り道を梶浦と歩く。
 今日はバイトは休みだ。
「教えてよかったのか?」
 ふと言われて七緒は梶浦を見た。
「え?」
「さっきの」
「ああ…」
 女の子に名前を教えたことか。
 小さく七緒は苦笑した。
「だって、名前を知らないと会えないじゃん?」
「──」
 七緒を見下ろしていた梶浦がかすかに驚いた顔をした。
「そうやって繋がっていくんだって、読んだことあるよ」
 名前を知ってさえいれば、きっと出会える。
 次に生まれたときも探し出せる。
 そうやって繰り返していく。
 永遠に廻る命の環の中で。
「……」
「え?」
 ぼそりと梶浦が何か呟いた。聞き取れなくて七緒が振り返ると、梶浦は緩く首を振った。
「何でもないよ」
「──」
 その目が濡れたように光って見えるのは気のせいだろうか。
「し…」
 手を取られ、見上げた瞬間、夕暮れの雑踏の中で抱き締められていた。


 命が尽きるその間際にそれは現れた。
 彼がいなくなった世界で天寿を全うし、死ぬことを選んだ。
 もうすぐだ。
 やっと死ねる。
 やっと、彼を探しに行ける。
 やっと。
 そして俺は死んで──
 闇の中にあの蝶がいた。瑠璃色の翅がきらきらと光っている。
 導かれるようにしてついて行った。
 やがて小さな光が見えてきた。
 俺は出会えるだろうか。また再び、彼に。
 オリエンスは俺の名を──本当の名を知らないのに。
 でもあなたは知っている、と蝶は言った。
 あなたが知っているなら、きっと見つけ出せる。
 たとえどれだけ時間がかかっても、どれだけすれ違い、歯痒い思いをしても、どんなに報われなくても。
 彼があなたを覚えていなくても。
 それは初めて聞いた蝶の声だった。
『…ああ、大丈夫』
 そのためにここにいるのだから。
 オリエンス・オルレインに会うために。
 そして生まれ変わり、数えきれないほどの生を生きた。生まれ変わる度に過去の記憶は一度忘れてまた突然思い出す。
 同じ時代に生まれても出会えない。
 見つけたとしても、彼は生まれたばかりの子供で俺は死の間際だったりした。男と男、女と女、男女だったり、様々だった。
 すれ違う輪廻。
 幾度も幾度も生と死を繰り返す。
 自ら死を一度でも選べば、二度と彼には出会えないと分かっていた。
 だから生きて死んだ。
 そうして気が遠くなるほどの歳月を繰り返して、ある日、それは突然にやってきたのだ。
『あら、こんなところに保育園があったのね』
 真夏の日差し。
 手を引かれていたことを覚えている。
 蝉の声のうるささに、灼けつくアスファルトの匂い。
 そして甘い──
 手を振りほどいて走り出した俺を追いかけてきた母親が言った言葉。
『わあ、楽しそうね』
 同じくらいの子供たちがビニールプールで遊んでいた。
 花の甘い匂い。
 ロブナリアの花の──
『こんにちは』
 フェンスの向こうから大人の声がした。男だった。こんにちは、と母親が返す。
『さあ行きましょう』
 何か用があったのか、母親は俺の手を引き歩き出した。
 俺はずっと後ろを振り向いて食い入るように見ていた。だが堪らずにまた母親の手を離れてフェンスのところに戻った。
 どうして、どうしてこんなに気になるのか。
 記憶はまだ戻っていなくて、その理由が知りたかった。
 この甘い匂いはなんだ?
 どうして俺はその花の名前を知っているのだろう?
『あの』
 男に声を掛けた。男が俺を見たとき、ひとりの子供が駆け寄ってきた。
『ねえせんせー、みて!』
『何、七緒』
『これ船だよ、葉っぱで作ったんだ』
 手のひらに載せたおもちゃを見せる。
 笑っているその子供と目が合った。
 ななお。
 ななお──
『まあ、すみません』
 連れ戻しに来た母親に手を引かれ、俺は強引にそこから離された。
 その子は不思議そうに俺を見ていたが、男に何か言われ視線を逸らした。
 風が吹き、甘い花の香りに心臓がどくどくと鳴った。
 ああ、そうだ。
 そう、俺は──
 ずっと、ずっと──誰かを探していた。
 そのために生まれてきたのだ。
 記憶をすべて思い出したのはその翌日だった。


 赤くなった耳朶に唇を這わす。
 逃げようとする体を抱き締めて逃がさないように壁に押し付けるように体重を掛けると、小さく七緒が声を上げた。
「も、…だめ…っ」
「何が駄目?」
 耳元にわざと声を吹きこめば、体が震えた。愛しい。愛しくてどうしようもない。
 まだ玄関を入ったばかりなのに。
「やだ、あ、…声」
「声が嫌?」
「ばか、そこでしゃべんな…っ、んっぅ」
 後ろから抱き締めて玄関横の壁に押し付け、七緒の項に鼻先を埋めた。梶浦が息を吸い込むと、七緒の背が反り、壁にしがみつこうとする。がり、と壁に爪を立てた指を、梶浦はゆっくりと握りしめた。
 コートを引き剥がして露わになった首筋に小さく歯を立てると、あっ、と七緒が声を上げた。
「七緒…」
 足下に落ちた食材が音を立てて転がっていく。ビニール袋のガサガサとした音と梶浦が肌を吸い上げる音が合わさってひどく淫靡だった。
「痕や、あ、っ…しのぉ…!」
 だめ、と泣く声に理性が溶けていく。
 もう限界だ。
 梶浦は七緒を抱え上げると大股で歩き、ベッドにその体を落とした。逃げる暇を与えないように唇を塞いだ。


「んっ、んんっ…!」
 胸を押し返す手を掴まれ、シーツに押し付けられた。
「七緒、欲しい」
「…っ」
「欲しいよ、駄目?」
「だめ、とかそんなんじゃ、な…」
 梶浦が上から覗き込んでくる。目には涙が溜まっていた。ゆらゆらと揺れる。
 部屋の薄明かりに梶浦の輪郭が浮かぶ。
「おれ、おれ…、おまえに言わなきゃ、いけないことあって」
「…なに?」
「おれ…っ、おれね、」
 七緒は掴まれていない手で梶浦の頬に触れた。
「おまえのこと、ずっと知ってる気がして」
「──」
「初めてあったときから、懐かしくて」
 最初から気になっていた。
 何かをするたびに覚える懐かしさ。重なる面影。思い出せない夢。
「おれのこと、知ってた…?」
 いつも忘れている夢の中で、七緒は誰かといつも一緒にいた気がしていた。それは遠い記憶の繰り返しだったのではないか。
 あの夜、抜け落ちてしまった時間の中でそれを思い出した気がするのに。
 どうしても思い出せない。
「なあ、おれのこと、知ってた?」
 尋ねる声が震えた。
 息を詰めたように動かなかった梶浦は、やがてゆっくりと七緒の目尻を拭った。
「知ってたよ」
「……」
 その顔が泣き笑いに崩れる。
「ずっと、…ずっと会いたかった」
 

 抱き合うのはこれで二度目だ。
「あ、あっ、あ…っ」
 細い体を背中から覆い、指を埋める。抱き締めて中を掻き回すと、七緒は前に逃げようとした。それを引き戻すとシーツを掴む手がずるりと布音を立てる。梶浦は七緒の耳を甘噛みしながら囁いた。
「駄目だ、逃げるな」
「あッ、あ、あああッ、も、や…!」
 感じすぎて怖いのか、七緒が必死に首を振る。汗で頰に張り付いた髪が淫らだった。
「逃げないで」
 仰け反った背に体重をかけベッドに沈める。開かせた脚の間に体を入れ、腰だけを高く掲げた格好は脳を溶かせてしまいそうだった。
 指の腹を中でぐるり回し、しこりを強く押すと、七緒が高い声を上げた。
「やっ、やあああっ!」
「七緒」
「あ、あああああ、…ッ!」
 びくびくと痙攣する体を強く抱き締めなおも責め立てると、七緒の先端から白いものが飛んだ。梶浦は片手でそれを掬うと、七緒のものにぬりつけ、ゆるゆると擦り立てる。
「だめ、だめっやだやだ、しの、やめて、やめてやだあああ…っ」
「…、ななお、なな、いって」
「もお、もおいったあああっあ、ああ、っ」
 達したばかりの体は梶浦の手の動きに過剰に反応し、七緒は激しく体を仰け反らせて声を出さずに射精した。
「は、…っんん、うぅ、ん」 
 ぐったりと弛緩した体を返し、梶浦は口づけた。舌を差し込み、柔らかな七緒の舌を吸い上げる。ぴくりと七緒の体が震えた。
「ん…」
 愛しくて、愛しくて。
 どうにかなってしまいそうだ。
「あ、は…っ」
 汗ばんだ髪を撫で、細い脚を抱え上げた。指で散々解したそこに、ゆっくりと自分のものを押し当てる。
 ひく、と七緒の喉が鳴った。
「…あ、あ」
「七緒」
 焦らすように蕾の周りをぐるりとなぞり、そして一気に梶浦は先端を埋め込んだ。
「あ、あっい、あああああ」
 さらされた首筋に噛みつき、入り口まで引いてからまた一気に埋め込んだ。
「あ、あ、ああああ、っ、し、のお…っ」
「ななお、ななおっ」
 優しくしたいのにとても出来ない。
 奪うようにしか愛せない。
 今までずっと、ずっと。
「会いたかった、会いたかったんだ」
 会いたくて会いたくて、どうしようもなくて。
 生まれ変わっては死んでいくことを繰り返した。
 こんなふうに触れて、見つめ合って──
「愛してる、俺は、ずっと…」
 俺のオリエンス。
 梶浦は七緒の感じる場所を抉るように突いた。もがく七緒をきつく抱き締めて何度も何度も擦り立てた。七緒の中は熱く、柔らかく、梶浦を包み込んでくる。
「しの…」
 激しく揺さぶられながら七緒が梶浦の首筋に縋る。
「おれの、…」
 かり、と肌を噛まれた感触に、梶浦の熱が一気に膨れ上がった。ぐり、としこりを擦り立て、その奥へと先端を食い込ませた。
 ひ、と七緒が声を上げ、その脚がびくびくと跳ね上がる。
「アッ、アア──ッ」
「…くそ、七緒、ッ」
 背中に七緒が爪を立てた。その瞬間、梶浦は七緒の中に吐き出していた。
「あ…あ、あ…」
 痙攣する体を抱き締める。中に自分のものを埋め込んだまま、ぐったりとした体をゆらゆらと揺さぶり続けた。
「好きだ、好きだよ」
 俺のオリエンス。
 俺だけの。
 七緒が俺を覚えていなくても。
 あの夜ほんの一瞬だけ七緒は記憶を取り戻したが、目が覚めたときには何も覚えていなかった。操られていた篤弘も同じだ。だから梶浦はふたりが通路に倒れていたと嘘をついた。あの場から逃げた男の素性は大体察しがついていた。
 ここに住むとき、大家から前の住人が訳ありだと話を聞いていたのだ。
 男の記憶が曖昧なのもあの影の仕業なのか。
 あれを何と呼べばいいのだろう。
 人の心の奥に眠る、欲望の中に潜むもの。
『いずれまた会う』
 消滅する間際、あいつはそう言い残した。
 だが、そんな日はもう来ない。
 役目を終えた蝶が手のひらに消えていったように、七緒と自分に分け与えられたこの力もやがて消えていく。
 きっともうすぐ何も視えなくなる。
 シーツに落ちた七緒の手に自分の手のひらを重ね合わせた。汗ばんだ手の温かなぬくもりが伝わってくる。
 ようやく掴まえた。
 もう生まれ変わることはない。
 もう離れたくない。
 今度こそ共に生きていきたい。
 七緒が思い出せないのなら、はじめからもう一度、一緒にいよう。
「…好きだ」
 あのとき言えなかった言葉をもっと、注いで。
 眠ってしまった七緒の胸に顔を埋め、梶浦はくらくらするような甘い花の匂いを吸い込んだ。
 

***


 夢を見ていた。
 それはいつも同じ夢だった。
 そして目が覚めると何もかもを忘れている。
 なのに悲しみだけが残る。
 楽しいこともあったはずなのに。
 なにひとつ思い出せないなんて。
『──』
 誰かに呼ばれて振り返る。
 風が吹き、声を消してしまう。
 それは思い出だ。
 いつかの遠い、何でもない日々の記憶。
 優しい出来事。
 そして僕は死んでいく。
『…!、──…ス』
 声は遠くなってやがて聞こえなくなった。
 目に焼き付いた残像だけがいつまでも消えない。
 光る輪郭。
 頬に触れた手にはもう力が入らない。
 あんなに離れたがったのに。
 行きたくない。
 きみを置いて、ここではないどこかになんて、行けない。やっと、やっと今になってそう思うなんて。
 どうしてこんなに愚かだったのだろう。
 もしも、次に生まれることが出来たなら。もう一度きみに出逢うことが出来たなら、何もかもを忘れて最初からやり直したい。
 すべて忘れて。
 意識が水の底に落ちていく。
 神様、どうか。
 どうか…願いが叶いますように。
 消えゆく最後の瞬間、僕はそう祈った。

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