9 / 27
8
しおりを挟む「それで、ご提案のこの項目なんですが…、この部分ですね。この枠のところを上から見たとき…」
建部がマウスをクリックし、画面を切り替える。スクリーンに映し出されたプレゼン映像が反転し、見せたい部分が拡大された。
「建部さん、接着部分をもう少し見せていただけますか?」
「はい」
宮田、と言われて冬は資料を出した。ファイルされたそれを相沢と名取、そして同席した資材課の課長の前に置いた。映し出されているものと同じ製品の原材料や価格帯、コストなどが項目ごとにわかりやすく一覧になっている。壁の白いスクリーンの中で拡大された部分をポインタで囲った建部が、配布した資料と同じものに目を通し、説明を続けた。
「こちらが接着部になります。従来のものよりも六パーセント強度を上げているので、以前のような剥がれや脱落は起こりにくくなっています」
「うーん、それ数値化出来てますか?」
「はい」
資材課課長の鋭い指摘に、冬は即答した。
「お手元のファイルの二ページ目、⑤の赤字をご覧ください。このように従来製品と他社の同等品、そして今回企画したこちらのものとの耐久値のグラフからして、この製品の利点がお分かりいただけるかと思います」
「なるほどねえ…、四パーセント未満か」
「はい」
黙って冬の説明を聞いていた課長がファイルに目を落としたまま頷いた。
「分かりました。問題はなさそうかな…、では──あとは相沢のほうにお願いします」
「はい、今日はありがとうございました」
「では私はこれで」
課長は建部と冬に頭を下げると、相沢に頷いて会議室を出て行った。ドアが閉まる音と同時に、張り詰めていた空気が一気に緩む。遠ざかっていく足音に、相沢が苦笑を漏らした。
「おふたりともお疲れさまでした」
「いえいえ、急に入っていらしたときは驚きましたが」
「それは私も」
建部の言葉に相沢が同意する。それに全員が笑った。
「まああれで納得していただけたかは微妙なとこですかね」
相沢と建部は付き合いが長い。気心の知れた相手だけあってか、建部は言いながら胸を逸らし、体を伸ばした。予定になかった資材課課長の入室に、普段鷹揚な建部もそれなりに緊張はしていたようだ。
「そんなことはないでしょう」
ファイルを捲っていた相沢が言った。
「そうだといいですがね」
「あの人、普段は出されたもの全てに難癖を付けるんですが、今日はあっさり納得してましたし、上手くいきますよ」
「そうですか」
確かに気難しそうな人だった。言葉や、接し方ひとつ間違えると二度とまともに相手をしてくれない感じはした。
「数値を明確に視覚化したのが良かったのかもしれませんね」
にこりと笑って相沢が冬を見た。
油断していた冬はその言葉に背筋が伸びた。足先を軽く蹴られ、隣の建部を見ると意味ありげに笑っている。
「…なんですかっ」
やめてくださいよ、と小声で言うと建部は素知らぬ顔をしている。
「休憩しましょうか、コーヒーでよかったですよね?」
相沢が名取を見て指示を出す。名取は立ち上がると、壁の内線を取った。
「第二会議室です。コーヒーを四人分お願いします」
その視線は小突き合う冬と建部に向けられていた。
お手洗いに、と言って冬が立つと、名取は内線を終えた。
「あー…、もう」
自分の耳が真っ赤になっている気がして、冬は急いで洗面所に行った。
ついでに用を足し手を洗いながら鏡を見れば、案の定耳は真っ赤だった。
「ほんとにもう…」
いつまでたってもこういうのは変わらない。昔からそうだ。恥ずかしかったり怒ったり、ちょっと揶揄われただけで耳が赤くなってしまう。
『真っ赤だね』
感情がそのまま色になって表れているみたいだと、そう言われたのはいつだったのか。
自分では直したくても直せないのがとてももどかしい。
小さな子供ならきっと可愛いのだろうが、成人男性でこれはどうなのかと正直思う。
「……はあ」
ため息をつき、手を拭いた。
そろそろ戻らなければ。
出口に向かおうとして振り向き、冬はぎくりとした。
「──ミヤ」
名取だ。
いつの間に──
気づかなかった。
「な、なに…」
名取はにっこりと笑った。
「さっきのプレゼン、よかったよ」
「あー…、ありがとう」
「あれ、僕がお願いしたやつだよね」
「そう、だけど…」
「役に立ったね」
何が言いたいんだろう。
確かに一昨日の夜かかってきた電話で追加の資料を頼まれた。それに付随した資料もあったほうがいいだろうと思って冬は今日の打ち合わせの間に合うようにファイル作成に力を入れたが…
それはまわりまわって名取のおかげと言えなくもない。
言われてみればそうなのかもしれないと、冬は礼を言った。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
どこかしっくりこない。
だが今はまだ仕事中だ。その思いを押し殺して、冬は笑顔を作った。
「じゃあ、おれ先戻るから──」
休憩中とはいえ、建部と相沢を待たせている。
急いで行かなければ。狭い出入り口に立つ名取の横をすり抜けようとしたとき、冷たいものが耳朶に触れた。
「──ッ!」
ばっ、と冬はそれを払いのけた。
驚いて見上げた先には、名取の手があった。
こちらに差し出されるようにして、宙で止まった指先。
今、耳に触れたのは──
くすりと名取が唇の端を上げた。
「真っ赤」
かあっと頭に血が上る。
「なにす…っ!」
「相変わらずだね」
「な──」
二の腕を掴まれ、冷たいタイルの壁に押し付けられた。
「今夜空いてるよね? 飲みに行こうよ」
冬は息を呑んだ。
なぜ、と声を上げようとしたとき、廊下から女性の話し声がした。
「えー、もうやだあ」
「それでね、そのときノガミくんがさあ…」
笑いながら近づいてトイレの前を通り過ぎていく。
掴んでいた指が離れた。
「この間駄目だったんだから、今日は行けるよね?」
言い返すタイミングを失った冬を見て、名取はそう言った。
「お疲れさまでした」
終業時刻を一時間ほど過ぎてから、冬はデスクを立った。まだ残っている同僚に声を掛け、オフィスを後にする。
「あー宮田くん、帰るのー?」
廊下の向こうから歩いてきた杉原が冬に手を振った。
「ん。今日は終わり」
「いいなあ私もうちょっとやってから帰るわ」
昼間書類の不備があったとかで、杉原はそのやり直しに追われていた。
「課長ももう帰ったんだし、無理するなよ」
「うん。でも明日に残すとめんどいからやっとくわ」
「そっか」
じゃあ、と言おうとした冬に、あっ、と杉原は声を上げた。
「そういえばどっか見つかった?」
「いや、忙しくてさ。まだ見つけてない」
「そうなんだー。ほんとごめんね」
「いいって」
一昨日、自分が教えた歯医者が冬を診なかったことを杉原は気にしていた。診なかったというよりもただ間に合わなかっただけだなのだが、事情を話した冬に、杉原はそれは締め出しでしょ! 嫌がらせじゃん! と自分のことのように怒っていたのだ。
『あの受付信じらんない! 今度文句言ってやるからね!』
『いやいいって…』
『そこで黙ってる宮田くんも宮田くんよっ』
そのときのことを思い出して、冬は頬が緩みそうになった。
杉原らしい。
「遅くなるなら、帰り気をつけてな」
「うんありがと! お疲れさま」
杉原と別れてエレベーターに乗り、下に降りて社を出た。
帰宅する人の流れに沿って大きな交差点を渡り、いつもの道の一つ手前で曲がる。
待ち合わせの時間はもう過ぎていた。ごめんと入れたメッセージに大丈夫と返され、冬は気が重かった。
これから名取と会う。
「……」
道端の自販機に目が留まった。
そうだ。
近づいて冬はペットボトルの水を買った。
断り切れなかった己の弱さが嫌だ。
痛みは気持ちに連動しているのだろうか。
きっとそうなのだろう。痛くなりそうな予感に、忘れないうちにと冬は鞄から薬を出して口に入れ、買ったばかりの水で流し込んだ。
***
スマホの画面を睨みつけながら、大塚は煙を吐き出した。灰皿にぎゅっと煙草を押し付ける。その煙がやけに目に沁みて、狭い喫煙所を出た。
「何考えてんだこいつは…」
思わず漏れた呟きに、通り過ぎる何人かがちらりと振り返る。だが大塚は構わなかった。誰にどう自分が見られようが構わない。
もう一度スマホを見てため息をつく。
画面には陽気なスタンプとともに長めの文章が添えられていた。
『こないだはありがとうな! めちゃくちゃ助かったわ。それで悪いんだけどまたお願いするわ! おまえ評判良かったってマツさんからすげえ褒められてたし、持ってるもんしっかり使わないと損だぞ! じゃあ頼んだ!』
「……」
何だこの頭の悪そうな文面は。
やたらと『!』が多いのが気持ち悪い。
しかもお願いではなくて決定だ。
やると決めつけられているあたり心底舐められていると思う。
「…誰がやるかよ」
一度きりの約束だったのだ。
反故にしても文句は言わせない。
『持ってるもん使わなけりゃ損だぞ!』
捨てたものを拾って、それでどうなるというのだろう。
大塚は駅に向かって歩き出した。いい加減腹が減っていた。昼の仕事が長引いたおかげで昼食を取り損ねていた。
どこでもいい、安くて食えるところ。
早くテーブルに並ぶ料理を腹に収めたい。
大塚は繁華街に入り、目についた居酒屋に入った。
「いらっしゃいませえ!」
店内は間口から思うよりもずっと広かった。奥の座敷では大人数の飲み会が開かれているのか、にぎやかな声が聞こえる。
「カウンターどうぞ」
案内され、カウンター席に通された。入り口から入って真ん中あたり、店内の奥が見える場所だった。
大学生くらいのバイトがメニューをくれる。酒は飲まない。こう見えて下戸なのだ。とりあえず冷たいお茶と早く出てくるものなら何でもいいと適当に注文した。
「おまたせしました―」
「どうも」
すぐに来たお茶をひと口飲む。出されたお通しは大塚の好きなものだった。
箸を取り、何気なく顔を上げて、手が止まる。
見覚えのある顔に大塚は目を瞠った。
まさか。
「──」
少し離れたテーブル席に向かい合って座っている、スーツ姿のふたりの男。
そのひとりは宮田冬だった。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
イケメン天才画家に溺愛されて、灰色の世界が色づきました
砂原紗藍
BL
描いて、触れて、好きになる。
“色が見えない僕”を、イケメン天才画家が全力で甘やかす。
大学生の七瀬ユウは、透明感のある美少年としてちょっとした噂の的。
けれどユウは“色”が見えない。
一年前、心が壊れ、灰色に沈んだ日々を送っていた。
そんなユウの前に現れたのは、イケメンの若手画家・高来 湊。
出会って早々、湊はユウをモデルにスカウトしてきて――
「君、すっごく可愛い。俺に描かせて?」
強引だけど面倒見がよく、意外と優しい湊。
実は彼は、作品が三億で落札されるほどの“とんでもない天才画家”。
そして、週一のセッションで、ユウの世界は少しずつ“変化”し始める。
ところが、とあるトラブルをきっかけに距離が縮まりすぎてしまい、湊の溺愛スイッチが完全に入ってしまって……?
「ユウは俺が守る。絶対に」
これは、色を失っていた大学生が、イケメン天才画家に甘やかされて恋に落ちていく物語。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~
大波小波
BL
鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。
彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。
和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。
祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。
夕食も共にするほど、親しくなった二人。
しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。
それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。
浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。
そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。
彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる