色彩の処刑台

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第二章 濃赤の葬送曲

第二十二話 色彩の檻

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 深夜のリビングの空気は重く、甘い湿り気を帯びていた。

 響介はピアノ椅子に深く腰掛け、その逞しい膝の上に、人形のように無力な絢を横向きに乗せている。彼女の義手は外され、剥き出しになった滑らかな肌が、響介の黒いワイシャツと対照的に白く浮き上がっていた。

  響介は空いた片手だけで、静かに鍵盤を叩き始めた。

 ラフマニノフの『鐘』の変奏。 本来なら両手で重厚に奏でられるはずの旋律が、片手だけで弾かれることで、より一層、偏執的で歪んだ響きを帯びる。

「……っ……あっ……」

 絢が響介の首筋に顔を埋め、熱っぽい吐息を漏らす。

「ほら、あんたの好きなねっとりした濃い赤色だぜ」

 響介の指が沈み込むたび、絢の視界には窒息しそうなほど密度の高いドロドロの濃赤が滴り落ちる。

 響介の指先が鍵盤を踊るリズムに合わせて、絢の喉から切ない喘ぎがこぼれ落ちる。 それはもはや演奏を聴いているのではない。彼女の肉体そのものが、響介の奏でる楽器の一部として、強制的に調律されているのだ。

 彼女は濃赤の海にいた。そこは浅瀬でも海底でもない、光の届かない中層。水圧がじわじわと彼女の体を押し潰すが、その重みは苦しくも、心地よい。そこは浮き上がることも沈み切ることも拒否した、窒息に近い甘美な苦痛だった。

「……いや。もう、やめて。色が……溢れて……苦し……」

 絢の右手が縋り付くように響介の胸を引っ掻く。 響介はその痛みを愉しむように口角を上げ、わざと音の密度を濃くしていった。

 片手で紡がれる「祈りの成れの果て」は、絢の空虚な体内を隅々まで侵食し、彼女の自尊心や思考を、ドロドロとした快楽の色で塗り潰していく。溺れる苦しさに逃げようとする彼女の細い腰を、響介は大きな手で強く抑え込み、剥き出しの左腕の断端に深い口づけを落とした。密着した体温を通じて、ピアノの細かな振動が、彼女の脊髄へと直接伝わっていく。

「何逃げようとしてんだよ。まだ曲の途中だろ?ちゃんと全部俺の『色』を飲み干すまで、離してやんねぇからな」

 耳元で囁かれる低い声。 絢はもう言葉を返すことすらできなかった。 ただ、自分を抱きかかえる支配者の腕の中で、視界を焼き尽くす圧倒的な濃赤の奔流に身を投げ、溺れることしか許されない。

 響介の指が最後に重い一音を叩きつけると、絢は電流を流されたように大きくのけ反り、そのまま彼の腕の中に溶け落ちた。

 響介の奏でる「色」は、もはや欠損を埋める部品パーツではない。 彼女の全身を縛り上げ、自分なしでは呼吸さえ困難にする、色彩の檻へと変貌していた。

 それは二人を永遠に繋ぎ止め、腐らせていくための、残酷で甘美な処刑台だった───
 

《おわり》
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