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そうして、今再びのティータイム。ルフはもう一度人の形になっていた。
先程よりも、哀しみたちの数が減っている。
「満ち足りると消えていくのだ」
不思議そうに見渡していた私たちに、ルフはそう声をかけてきた。
「君たちの世界では、哀しみはどうしているだ?」
「どうして、って……」
突然の不思議な質問に、首をかしげてしまう。
「本人から離れることはあまりないなぁ」
ただ、その哀しみが人の中で姿を変えていくと、少々話が変わりますが、と於菟春が続ける。
「姿を変える?」
その言葉に、ルフは興味深そうに声をかけた。
「哀しみ、と名付けられたその感情が体内に残ると、やがて昇華され消えていく。それが普通ですけど、場合によっては憎しみや恨みへと名前を変えていく」
「ほう」
その名に収まりきらなくなった感情は、器となる本人を食い始める。
「名前で制御できなくなった感情は、暴走しやすい。やがて本人を逆に突き動かし、罪を犯す」
於菟春はそうして罪を犯してしまった人間を、住職として何度も何度も見てきた。
「中身が新たなる名前を欲するということか」
「それに気付けば、本人が先に名を付ける。これは嫉妬であるとか、これは憎しみであるとか」
名付けた者があれば、それはその名付け元に制御される。だが、本人が気付かないうちに名を付けることを余儀なくされれば、その感情に本人が突き動かされてしまうというわけだ。
「難儀だな」
「難儀ですよ。でもそんなものでしょう」
於菟春は手元のミントティに映る己の姿を見ながら、そう言った。
「それにしても、どうしてこの山に、哀しみが集まるようになったんですか?」
己の溜息を隠すように、於菟春は尋ねる。
「ああ、それがだな」
私たちのグラスに追加のミントティを注ぐと、ルフは苦笑いを漏らす。
「ソロモン王に封じられた時、この山に一人きりで寂しかった。寂しいなぁ寂しいなぁ、と思っていたら、我のその思いがどうやら他の哀しみを呼び寄せたらしく、そこら辺にいた哀しみ共が集ってきたんだ」
冗談のような話である。だが、現実とはこういうものなのであろうか。実際に集まってきている哀しみを目の当たりにしている私たちは、たとえ荒唐無稽に感じる話でも、受け入れざるをえない。
──そもそも今ここにいる私たちの存在自体からして、冗談のような、本当の話ではあるのだが。
「それで、寂しかった我は集まってきた哀しみ達に精一杯のおもてなしをしたのだ。そうしたら、哀しみたちは皆一様に満ち足りた空気にかわり、消えていってしまった。あぁ、寂しいなぁと思っていたら、数週間後、また別の哀しみたちがやってきたのだ」
ルフは当時のことを思い出して興奮しているのか、時折ばさりばさり、と両手を上下に動かし、まるで羽ばたいているような素振りを見せる。
「話を聞くと、我のもてなしに満足した哀しみたちが、他の仲間にそれを伝えたらしく、皆やってくるようになったのだ」
「……まさかのクチコミやったか」
「全然嬉しくないクチコミだな」
私たちの感想に、ルフは楽しそうに笑った。
「それでも良いもんだったぞ。誰もここまでこれない、寂しい山だったからな」
「一人は寂しいですからね」
於菟春は、そう言う。その言葉に、私は彼を見た。
彼は弟を亡くし、次に両親を亡くし、一人寺を受け継いだ。
しかし、彼は知っている。
彼の周りにはたくさんの人がいることを。親族も、檀家も、友人も、猫も、そして――隣にいる私も。
於菟春はそれを理解し、だからこそこう口にするのだ。
──一人は寂しい、と。
私の視線に気付いたのであろう。於菟春は軽く笑うと、おさらいしよう、と口にした。
まるで、話題を変えるために。
「先ずはあの魔神の名前」
「アスタロト、で間違いないな。名乗っとったし」
「女性だったけどな」
その言葉に、ルフが怪訝な顔をする。
「──女?」
先程よりも、哀しみたちの数が減っている。
「満ち足りると消えていくのだ」
不思議そうに見渡していた私たちに、ルフはそう声をかけてきた。
「君たちの世界では、哀しみはどうしているだ?」
「どうして、って……」
突然の不思議な質問に、首をかしげてしまう。
「本人から離れることはあまりないなぁ」
ただ、その哀しみが人の中で姿を変えていくと、少々話が変わりますが、と於菟春が続ける。
「姿を変える?」
その言葉に、ルフは興味深そうに声をかけた。
「哀しみ、と名付けられたその感情が体内に残ると、やがて昇華され消えていく。それが普通ですけど、場合によっては憎しみや恨みへと名前を変えていく」
「ほう」
その名に収まりきらなくなった感情は、器となる本人を食い始める。
「名前で制御できなくなった感情は、暴走しやすい。やがて本人を逆に突き動かし、罪を犯す」
於菟春はそうして罪を犯してしまった人間を、住職として何度も何度も見てきた。
「中身が新たなる名前を欲するということか」
「それに気付けば、本人が先に名を付ける。これは嫉妬であるとか、これは憎しみであるとか」
名付けた者があれば、それはその名付け元に制御される。だが、本人が気付かないうちに名を付けることを余儀なくされれば、その感情に本人が突き動かされてしまうというわけだ。
「難儀だな」
「難儀ですよ。でもそんなものでしょう」
於菟春は手元のミントティに映る己の姿を見ながら、そう言った。
「それにしても、どうしてこの山に、哀しみが集まるようになったんですか?」
己の溜息を隠すように、於菟春は尋ねる。
「ああ、それがだな」
私たちのグラスに追加のミントティを注ぐと、ルフは苦笑いを漏らす。
「ソロモン王に封じられた時、この山に一人きりで寂しかった。寂しいなぁ寂しいなぁ、と思っていたら、我のその思いがどうやら他の哀しみを呼び寄せたらしく、そこら辺にいた哀しみ共が集ってきたんだ」
冗談のような話である。だが、現実とはこういうものなのであろうか。実際に集まってきている哀しみを目の当たりにしている私たちは、たとえ荒唐無稽に感じる話でも、受け入れざるをえない。
──そもそも今ここにいる私たちの存在自体からして、冗談のような、本当の話ではあるのだが。
「それで、寂しかった我は集まってきた哀しみ達に精一杯のおもてなしをしたのだ。そうしたら、哀しみたちは皆一様に満ち足りた空気にかわり、消えていってしまった。あぁ、寂しいなぁと思っていたら、数週間後、また別の哀しみたちがやってきたのだ」
ルフは当時のことを思い出して興奮しているのか、時折ばさりばさり、と両手を上下に動かし、まるで羽ばたいているような素振りを見せる。
「話を聞くと、我のもてなしに満足した哀しみたちが、他の仲間にそれを伝えたらしく、皆やってくるようになったのだ」
「……まさかのクチコミやったか」
「全然嬉しくないクチコミだな」
私たちの感想に、ルフは楽しそうに笑った。
「それでも良いもんだったぞ。誰もここまでこれない、寂しい山だったからな」
「一人は寂しいですからね」
於菟春は、そう言う。その言葉に、私は彼を見た。
彼は弟を亡くし、次に両親を亡くし、一人寺を受け継いだ。
しかし、彼は知っている。
彼の周りにはたくさんの人がいることを。親族も、檀家も、友人も、猫も、そして――隣にいる私も。
於菟春はそれを理解し、だからこそこう口にするのだ。
──一人は寂しい、と。
私の視線に気付いたのであろう。於菟春は軽く笑うと、おさらいしよう、と口にした。
まるで、話題を変えるために。
「先ずはあの魔神の名前」
「アスタロト、で間違いないな。名乗っとったし」
「女性だったけどな」
その言葉に、ルフが怪訝な顔をする。
「──女?」
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