誘惑系御曹司がかかった恋の病

伊東悠香

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2章

1話 わかりにくい人3

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 私が怯んでいるのにも構わず、春馬さんは言うべきことを思い出したという表情になる。

「午後の商談を代行してもらいたいんだが」
「ええ、構いませんが。急な予定変更ですね」
「ああ……まあ」

 照れたように視線を逸らすと、春馬さんは商談の結果は明日知らせて欲しいと言い残して去って行った。
 その後ろ姿を見送りながら、瑞樹さんがボソリと呟く。

「仕事より、あの人の手料理がそんなに重要なのか」

(あの人?)

 少し憎しみのこもったような低い声に驚いて顔を上げると、瑞樹さんも私を見た。

「陽毬、お願いしたい仕事があるから部屋に戻ってくれる」
「は、はい。もちろん」

 お手洗いに行く目的も忘れ、私は瑞樹さんの後ろを小走りに追いかけた。



 部屋に戻ると、瑞樹さんはおもむろに出かける支度を始めた。
 薄化粧だったメイクをもう少し濃くして、縛っていた髪を解く。
 一気に女性らしくなった彼は、私を振り返ってその端正な顔で微笑んだ。

「商談の時、隣に座っててくれる?」
「座っているだけでいいんですか」
「うん。だから今から俺の隣にいるのに相応しい姿になってもらう」

 言いながらクローゼットのようになっている扉を開き、一着のパンツスーツを出して私に手渡す。

「これに着替えて。その後俺がメイクと髪のセットするから」
「っ、はい」

 有無を言わさぬ迫力に思わず深く頷き、私は会議室とは別に用意されていた仮眠室で着替えを済ませた。
 私のサイズはお店に行った時に把握していたのか、そのスーツは驚くほどぴったりだった。

(パンツの丈までピッタリなんて、なんだか裸を知られてるみたいで恥ずかしいな)
 着替えて戻ると、メイク道具を揃えていた瑞樹さんがふと手を止めて私をじっと見つめた。

「変、ですか?」
「ジャケットの襟が曲がってる」

(似合ってるとか、やっぱり言ってくれないんだ)

 軽くショックを受ける。

「鏡を見ないの?」

 瑞樹さんは無表情のまま目の前まで歩いてきて、私の襟元を丁寧に直してくれた。
 顔が急に近づくから、心臓がドクリと脈打つ。

(まつ毛長い……本当に綺麗な人だよね……)

「あのさ」
「はい!」

 急に顔を見つめられて、思わず背筋を伸ばす。

「スーツくらいきちんと身につけられるようになっといて。OLやってたんでしょ」
「す、すみません」
「……ボタンも外れかかってる」

 ため息をつきながら、ブラウスのボタンを留め直してくれる。
 時々触れる指の感触が妙な甘やかさを掻き立てた。

(瑞樹さん、無意識でやってるのかな。なんでこんな……)

 どきどきしている私をチラリと見て、彼は口の端をわずかに引き上げた。

「陽毬に足りないものを教えてあげようか」
「足りないもの、ですか」
「そう。それはね……自信だよ」

 意地悪そのもののような笑顔を浮かべたまま、瑞樹さんは頷いてから言った。

「自分が大事にされるべき存在だって自覚がない。だから自分を下げて表現するし、誰に対してもオドオドしてる」
「そ、それは……」

(ああ、この反応もそれなのか。否定できないだけに苦しいな)

 図星を突かれて黙り込むと彼は、静かに信じられない言葉を口にした。

「今の男とは別れた方がいいよ。そいつは陽毬を大事にしてない男だ」
「っ?」

 驚きで瞬きも忘れる私に、瑞樹さんは当然の様子で自分の首元を指でトントンとした。

「ここ、キスマークついてる」
「!」
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