10 / 29
2章
1話 わかりにくい人3
しおりを挟む
私が怯んでいるのにも構わず、春馬さんは言うべきことを思い出したという表情になる。
「午後の商談を代行してもらいたいんだが」
「ええ、構いませんが。急な予定変更ですね」
「ああ……まあ」
照れたように視線を逸らすと、春馬さんは商談の結果は明日知らせて欲しいと言い残して去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、瑞樹さんがボソリと呟く。
「仕事より、あの人の手料理がそんなに重要なのか」
(あの人?)
少し憎しみのこもったような低い声に驚いて顔を上げると、瑞樹さんも私を見た。
「陽毬、お願いしたい仕事があるから部屋に戻ってくれる」
「は、はい。もちろん」
お手洗いに行く目的も忘れ、私は瑞樹さんの後ろを小走りに追いかけた。
*
部屋に戻ると、瑞樹さんはおもむろに出かける支度を始めた。
薄化粧だったメイクをもう少し濃くして、縛っていた髪を解く。
一気に女性らしくなった彼は、私を振り返ってその端正な顔で微笑んだ。
「商談の時、隣に座っててくれる?」
「座っているだけでいいんですか」
「うん。だから今から俺の隣にいるのに相応しい姿になってもらう」
言いながらクローゼットのようになっている扉を開き、一着のパンツスーツを出して私に手渡す。
「これに着替えて。その後俺がメイクと髪のセットするから」
「っ、はい」
有無を言わさぬ迫力に思わず深く頷き、私は会議室とは別に用意されていた仮眠室で着替えを済ませた。
私のサイズはお店に行った時に把握していたのか、そのスーツは驚くほどぴったりだった。
(パンツの丈までピッタリなんて、なんだか裸を知られてるみたいで恥ずかしいな)
着替えて戻ると、メイク道具を揃えていた瑞樹さんがふと手を止めて私をじっと見つめた。
「変、ですか?」
「ジャケットの襟が曲がってる」
(似合ってるとか、やっぱり言ってくれないんだ)
軽くショックを受ける。
「鏡を見ないの?」
瑞樹さんは無表情のまま目の前まで歩いてきて、私の襟元を丁寧に直してくれた。
顔が急に近づくから、心臓がドクリと脈打つ。
(まつ毛長い……本当に綺麗な人だよね……)
「あのさ」
「はい!」
急に顔を見つめられて、思わず背筋を伸ばす。
「スーツくらいきちんと身につけられるようになっといて。OLやってたんでしょ」
「す、すみません」
「……ボタンも外れかかってる」
ため息をつきながら、ブラウスのボタンを留め直してくれる。
時々触れる指の感触が妙な甘やかさを掻き立てた。
(瑞樹さん、無意識でやってるのかな。なんでこんな……)
どきどきしている私をチラリと見て、彼は口の端をわずかに引き上げた。
「陽毬に足りないものを教えてあげようか」
「足りないもの、ですか」
「そう。それはね……自信だよ」
意地悪そのもののような笑顔を浮かべたまま、瑞樹さんは頷いてから言った。
「自分が大事にされるべき存在だって自覚がない。だから自分を下げて表現するし、誰に対してもオドオドしてる」
「そ、それは……」
(ああ、この反応もそれなのか。否定できないだけに苦しいな)
図星を突かれて黙り込むと彼は、静かに信じられない言葉を口にした。
「今の男とは別れた方がいいよ。そいつは陽毬を大事にしてない男だ」
「っ?」
驚きで瞬きも忘れる私に、瑞樹さんは当然の様子で自分の首元を指でトントンとした。
「ここ、キスマークついてる」
「!」
「午後の商談を代行してもらいたいんだが」
「ええ、構いませんが。急な予定変更ですね」
「ああ……まあ」
照れたように視線を逸らすと、春馬さんは商談の結果は明日知らせて欲しいと言い残して去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、瑞樹さんがボソリと呟く。
「仕事より、あの人の手料理がそんなに重要なのか」
(あの人?)
少し憎しみのこもったような低い声に驚いて顔を上げると、瑞樹さんも私を見た。
「陽毬、お願いしたい仕事があるから部屋に戻ってくれる」
「は、はい。もちろん」
お手洗いに行く目的も忘れ、私は瑞樹さんの後ろを小走りに追いかけた。
*
部屋に戻ると、瑞樹さんはおもむろに出かける支度を始めた。
薄化粧だったメイクをもう少し濃くして、縛っていた髪を解く。
一気に女性らしくなった彼は、私を振り返ってその端正な顔で微笑んだ。
「商談の時、隣に座っててくれる?」
「座っているだけでいいんですか」
「うん。だから今から俺の隣にいるのに相応しい姿になってもらう」
言いながらクローゼットのようになっている扉を開き、一着のパンツスーツを出して私に手渡す。
「これに着替えて。その後俺がメイクと髪のセットするから」
「っ、はい」
有無を言わさぬ迫力に思わず深く頷き、私は会議室とは別に用意されていた仮眠室で着替えを済ませた。
私のサイズはお店に行った時に把握していたのか、そのスーツは驚くほどぴったりだった。
(パンツの丈までピッタリなんて、なんだか裸を知られてるみたいで恥ずかしいな)
着替えて戻ると、メイク道具を揃えていた瑞樹さんがふと手を止めて私をじっと見つめた。
「変、ですか?」
「ジャケットの襟が曲がってる」
(似合ってるとか、やっぱり言ってくれないんだ)
軽くショックを受ける。
「鏡を見ないの?」
瑞樹さんは無表情のまま目の前まで歩いてきて、私の襟元を丁寧に直してくれた。
顔が急に近づくから、心臓がドクリと脈打つ。
(まつ毛長い……本当に綺麗な人だよね……)
「あのさ」
「はい!」
急に顔を見つめられて、思わず背筋を伸ばす。
「スーツくらいきちんと身につけられるようになっといて。OLやってたんでしょ」
「す、すみません」
「……ボタンも外れかかってる」
ため息をつきながら、ブラウスのボタンを留め直してくれる。
時々触れる指の感触が妙な甘やかさを掻き立てた。
(瑞樹さん、無意識でやってるのかな。なんでこんな……)
どきどきしている私をチラリと見て、彼は口の端をわずかに引き上げた。
「陽毬に足りないものを教えてあげようか」
「足りないもの、ですか」
「そう。それはね……自信だよ」
意地悪そのもののような笑顔を浮かべたまま、瑞樹さんは頷いてから言った。
「自分が大事にされるべき存在だって自覚がない。だから自分を下げて表現するし、誰に対してもオドオドしてる」
「そ、それは……」
(ああ、この反応もそれなのか。否定できないだけに苦しいな)
図星を突かれて黙り込むと彼は、静かに信じられない言葉を口にした。
「今の男とは別れた方がいいよ。そいつは陽毬を大事にしてない男だ」
「っ?」
驚きで瞬きも忘れる私に、瑞樹さんは当然の様子で自分の首元を指でトントンとした。
「ここ、キスマークついてる」
「!」
0
あなたにおすすめの小説
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
恋色メール 元婚約者がなぜか追いかけてきました
國樹田 樹
恋愛
婚約者と別れ、支店へと異動願いを出した千尋。
しかし三か月が経った今、本社から応援として出向してきたのは―――別れたはずの、婚約者だった。
肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです
沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。
俺と結婚、しよ?」
兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。
昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。
それから猪狩の猛追撃が!?
相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。
でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。
そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。
愛川雛乃 あいかわひなの 26
ごく普通の地方銀行員
某着せ替え人形のような見た目で可愛い
おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み
真面目で努力家なのに、
なぜかよくない噂を立てられる苦労人
×
岡藤猪狩 おかふじいかり 36
警察官でSIT所属のエリート
泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長
でも、雛乃には……?
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる