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僕に心を下さい

失くした君をもう一度

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 君と目があった瞬間…失敗したと思った。

 金色で柔らかい肩まで伸びた髪に青色の瞳、白い肌。

「…マスター、あなたが私を作ってくれたんですね。」

 透き通るような少し高い優しい声。大きい手のひらに細長い指。

「マスター、あなたは暖かい」

 頬に触れられた彼の手に自分の手を重ねる。

「マスター?」

『お前は、冷たい。』

 機械の音声が君に告げる。

「…マスターは、冷たいのは嫌ですか?」

『冷たいのは、好きだ』

「なら、マスターは…私が好き?」

 首を傾げる君を無視して告げる。

『…お前、名前は?』

「…マスター、私に名前はありません。マスターが、つけて下さい。」

『…エリック。』

「エリック…私の名前ですか?」

『………違う。けど、そうだ。』

「マスターは、難しいことを言うんですね。」

 エリックは、そう言って頭を撫でる。

「マスターの、名前は?」

『マスターは、マスターだ。』

「…マスターは、マスターの名前じゃないですよね?」

『…名前は無い。失くしたんだ。声と一緒に消えてしまった。だから、マスターはマスターだ。』

そういうと、エリックがまた首を傾げた。












その仕草と表情。

全てが、泣きたいほど大切で…

壊したいくらい大嫌いだった。

 











ある日、命より大切な声を失った。

なによりも大事だったもの…それを失くした時、人は死を選ぶのかもしれない。

あり得ないくらいの喪失感と絶望。

耐えられなくなって、海へと出掛けた。

崖から海に落ちゆく光を見つめ、もう2度と出ない声を思った。

日が完全に落ちた時、頬に1つの跡を落とし、前へと進もうとした。

「待って!」

その声とともに腕を掴まれる。

「君に死なれたら私は困るんだ。」

青色の瞳を揺らしながら彼はそう言った。

その言葉に首を振る。

「貴方が失くした声は確かにもう戻らない。それでも、それでも私は…貴方が声を大切にしていたように貴方が大切なんだ。」

掴まれた腕が痛んだ。

「私が…私が貴方の声として生きる!だから、生きて!貴方は生きてくれ!私のために、どうか、どうか生きてください…!」

そう言って、彼は掴んだ腕を引き抱きしめた。

「私はもう…貴方を失いたくない。」

耳元で涙まじりのそんな声が聞こえた。


その日から、エリックの為に生きると決めた。




エリックは、機械で声を作った。

「私は、貴方の声だ…でも、私だけではどうしてもまかなえない所が出てくるだろう。だから、これを使って欲しい。」

そのエリックの言葉に少し不満を覚えた。

「そんなに睨まないでくれないか…。私が貴方の声だと言う事は変わらないよ…この機械だって、私の声がきちんと混ざっている。だから、貴方がこれで喋る事は私が喋る事と等しいんだよ。」


エリックは、そう言って笑みを作り頭を撫でた。




『エリック』

「なんですか?」

エリックは、機械を作った日から名前を呼んでくれなくなった。

『…なんでもない』

「なんでもないって…貴方は寂しがり屋ですか?」

『……そうかもしれない。』

「え?」

『寂しい…寂しいよ、エリック。』


どうして、そう言ってしまったのかわからない。
けれども、エリックを見てそう思ってしまった。

エリックは、困ったように近付いて頭を撫でて抱きしめた。

「私がいるのに、寂しいんですか…それとも、私がいるから寂しいのかな…」

エリックは、そう言って抱きしめた手を離した。

『わからないよ、それでも…寂しいし、悲しいんだ』


エリックが離した手を掴んで言った。

『だけど、君がいなくなるのはダメだ。』

「どう、して…?」

エリックは、辛そうに言った。

『駄目だからだ。だって…だって、君がいなくなったら、生きる意味がなくなるじゃないか。また、失くすのは嫌だよ』

エリックは、少し目を逸らした。

「そう、だね。貴方は、私のために生きているんだもんね。」

それから、少し乾いたように笑った。




しばらくして、エリックは突然姿を消した。


なんの前触れもなく…

いや、最後に会った時に名前を呼んでくれた。

そして

「少し、出掛けるね」

そう言って、エリックは帰ってこなかった。


『お前は、声だろ!お前がいないと、駄目だろ!』

1ヶ月が経ってもエリックは帰ってこなかった。


『…なんで、生きてるんだろう。お前が居ないのに…。それなのに、生きる事になんの意味があるんだろう…』

声を失ってから始めて涙を流した気がした。



それから、1年が経ってもエリックは帰ってこなかった。

エリックのいない世界でも何故か死なずに生きていた。

エリックが帰ってくると、そう信じずにはいられなかったからかもしれない。



そんな、見えない影を追って5年が経った。


そろそろ、もう…無理だろう。

そう思って、家を出ようとした時だった。

玄関の方からドサッという音がした。

何事かと思って恐る恐るドアを開くとドサッと音を立てて何かが倒れ込むように入ってきた。

よく見ると、それは人のようだった。



 金色で柔らかい肩まで伸びた髪に白い肌。

(エリッ…ク…?)

その体を抱き上げて気付いた。

(…軽い…まるで、抜け殻みたいだ…)

その体は、人だとは思えないくらい軽かった。


(エリック…お前、死んだのか…?)



エリックの肌はとても冷たく、鼓動は少しも聞こえなかった。


エリックのいない世界では、自分の名前は無意味だった。

だって、その名前は君だけが呼んでくれたものだから。

君がいないなら、そんなものいらない。

声となった君がいないなら、

声も、名前も、なにもかも、いらない。



2度目の絶望と喪失。


それでも朽ちない君の体に涙が流れた。

(お前は、死ぬなって言うのか…まだ、死ぬなって…。お前のために生きないと駄目なのか…?)



自分をマスターとしてエリックに命を渡した。


エリックの死と同時に自分も朽ちるように、エリックに命をあげた。

でも、失敗した。

エリックは、姿も声も仕草もエリックのままなのに、マスターの事を覚えて居なかった。

それどころか、君はもう…僕の名前を知らない。

「マスター?」

僕は、その声と呼び方に涙を流して頷いた。




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