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第三章 亡国の系譜
第百六十二話 天下無双の英雄
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ジャンは席を立ち、その場を立ち去ろうとした。
「ねぇ、ジャン、先生に挨拶しなくていいの?」
「ああ、そっか。そうだよな」
シェリーに言われて、彼は教壇で資料の整理をするバーンスタイン氏に近寄った。彼はどうも、バーンスタイン氏に対して、自分から積極的に話しかけるのが億劫な感じだった。それも無理からぬこと。この講義は、彼の祖先たちの築き上げてきた帝国がどのようにして崩壊していったかについての話だったのだから、気さくに話をしようにも気まずいところがあった。
「先生!」
「おお、ジャンくん、来てくれてどうもありがとう。君にとっては少々きつい内容だったかもしれないが」
「ううん、そんなことないよ。なんていうか、父さんたちの苦労がわかったっていうか……ちょっと心を入れ替えなきゃなって気持ちになった」
「そうか、それなら誘った甲斐もあったというものだ」
そう言うと、バーンスタイン氏は軽くあたりを見回した。
「人もだいたいはけたようだし、少しだけ君が誇りに思えるような話をしよう」
彼は少し声の音量を下げてそう言った。
「誇りに思うような話?」
「ああ、そうだ。君のお父上、ジェラール・ド・ラナバンの話だ」
「父さんの……」
ジャンは正直言って、父の過去をもっと知りたかった。勝手に聞いてはいけないこともあるだろうが、聞いてもいいことならできるかぎり聞きたい。横にいたシェリーも同じ気持ちだった。
「彼のことは話せることとそうでないことがあるのだが、君らが誰にも言わないというなら話そう。約束できるかね?」
「「はい」」
「よし、いいだろう」
バーンスタイン氏はにっこりと笑い、話をはじめた。
「実はクーランが各地の拠点に無血開城を迫る策に出たのは、君のお父上があまりにも強すぎたためなのだよ。真正面から戦って勝つのは不可能だとみなされた。ジェラール殿は皇太子でありながら自ら先陣を切ることが少なくなかったのだが、それにもかかわらず戦場で傷を負ったことは一度もなかった。まさに天下無双、無敵の戦士だったらしい」
ジャンもシェリーも、あまりに話が大きすぎて声にならなかった。バーンスタイン氏はそれを察しつつ続ける。
「クーラン帝国の現皇帝、スティーブン・クーランも剣術には一言あるお方で、歳の近いジェラール殿にライバル心を抱いていたらしい。それでジェラール殿の部隊と相対したとき、彼は従者の反対を押し切って一騎打ちを申し出たらしいのだが……」
「そのあと、どうなったの?」
ジャンは少し身を乗り出して尋ねた。漁師としての父しか知らない彼にとって、父が戦士としてどれほどの力量だったのかは興味が絶えないところだった。
「馬上で切り結んだ一太刀目、ジェラール殿は陛下の渾身の一撃を、羽虫でもはらうかのように軽くはじき返したそうだ。そして陛下の剣が宙を舞うのを見た従者は、命令を無視して部隊を動かし加勢したらしい。ジェラール殿は端からそこで決着をつける気がなかったのか、陛下にとどめを刺すことなく後方に引いたそうだ。そのあと彼の雄姿を見て勢いづいたアナヴァン帝国の将兵たちは、一気呵成(いっきかせい)に攻め立て、クーランの中でも選りすぐりと言われた陛下の部隊を小一時間で敗走させたらしい」
「「……」」
言葉もなかった。ジェラールは現在でも周りから一目置かれる人物には違いない。しかしそれでも、そんな無頼の強さなど想像しようがない。だが彼の凄さはそれだけではなかった。
「驚くのはまだ早いぞ。彼はあの剣聖サンドウとも互角以上の戦いをし、最終的に押し切っているのだ」
「うそだろ!? サンドウ相手に!?」
ジャンは驚愕した。実の父が、自分の憧れの人物を相手に互角以上の戦いを繰り広げたなどとは到底信じられない。そこでシェリーが思い出したように言う。
「そういえば、シルヴァン師範はジェラールさんも、そのサンドウって人も指導したのよね。時期は違うけど」
「そういえばそうだよな! はぁー、話が大きすぎてもうわけがわからねぇ」
「ほう、ジェラール殿と剣聖サンドウにそんな繋がりがあったとはな。それは私も知らなかった」
どうやらこのことはバーンスタイン氏も本当に知らなかったようだ。
「それで、父さんとサンドウの戦いはどんな感じだったの?」
「んー、それがな、これには諸説あって、どれが事実かわからないのだ。一番多く聞かれるのが……まず先にサンドウがジェラール殿の長剣を折り、武器の強度で勝ってもなにも嬉しくないと予備の剣を一振り貸した。そして仕切りなおすと、今度はジェラール殿がサンドウの剣を叩き折り、けっきょく続行不能で勝負が流れてしまったという説だ」
「「……」」
二人はまたしても沈黙した。そして少し間を置いて、シェリーがジャンに尋ねる。
「あのさ、剣ってそんなに簡単に折れるものなの?」
「いやいやいや、そんなわけねぇだろ。つーかサンドウの剣って、普通の剣よりずっと刃こぼれしにくい、世界で一番硬い剣って言われてる代物だぜ? 実家が鍛冶屋らしいから、昔からそれを使ってたはず。いや、スゲーよ、マジで! そんなもん叩き折るなんて!」
ジェラールの驚くべき活躍を知り、ジャンはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「気をよくしてくれたようでなによりだ。さて、私はそろそろ所長たちと昼食に行かなければならないのでね。ここらでおいとまさせてもらうとしよう」
「「ありがとうございました! バーンスタイン先生!」」
二人が礼を言うと、バーンスタイン氏は笑顔を返し、教室を出ていった。
「ねぇ、ジャン、先生に挨拶しなくていいの?」
「ああ、そっか。そうだよな」
シェリーに言われて、彼は教壇で資料の整理をするバーンスタイン氏に近寄った。彼はどうも、バーンスタイン氏に対して、自分から積極的に話しかけるのが億劫な感じだった。それも無理からぬこと。この講義は、彼の祖先たちの築き上げてきた帝国がどのようにして崩壊していったかについての話だったのだから、気さくに話をしようにも気まずいところがあった。
「先生!」
「おお、ジャンくん、来てくれてどうもありがとう。君にとっては少々きつい内容だったかもしれないが」
「ううん、そんなことないよ。なんていうか、父さんたちの苦労がわかったっていうか……ちょっと心を入れ替えなきゃなって気持ちになった」
「そうか、それなら誘った甲斐もあったというものだ」
そう言うと、バーンスタイン氏は軽くあたりを見回した。
「人もだいたいはけたようだし、少しだけ君が誇りに思えるような話をしよう」
彼は少し声の音量を下げてそう言った。
「誇りに思うような話?」
「ああ、そうだ。君のお父上、ジェラール・ド・ラナバンの話だ」
「父さんの……」
ジャンは正直言って、父の過去をもっと知りたかった。勝手に聞いてはいけないこともあるだろうが、聞いてもいいことならできるかぎり聞きたい。横にいたシェリーも同じ気持ちだった。
「彼のことは話せることとそうでないことがあるのだが、君らが誰にも言わないというなら話そう。約束できるかね?」
「「はい」」
「よし、いいだろう」
バーンスタイン氏はにっこりと笑い、話をはじめた。
「実はクーランが各地の拠点に無血開城を迫る策に出たのは、君のお父上があまりにも強すぎたためなのだよ。真正面から戦って勝つのは不可能だとみなされた。ジェラール殿は皇太子でありながら自ら先陣を切ることが少なくなかったのだが、それにもかかわらず戦場で傷を負ったことは一度もなかった。まさに天下無双、無敵の戦士だったらしい」
ジャンもシェリーも、あまりに話が大きすぎて声にならなかった。バーンスタイン氏はそれを察しつつ続ける。
「クーラン帝国の現皇帝、スティーブン・クーランも剣術には一言あるお方で、歳の近いジェラール殿にライバル心を抱いていたらしい。それでジェラール殿の部隊と相対したとき、彼は従者の反対を押し切って一騎打ちを申し出たらしいのだが……」
「そのあと、どうなったの?」
ジャンは少し身を乗り出して尋ねた。漁師としての父しか知らない彼にとって、父が戦士としてどれほどの力量だったのかは興味が絶えないところだった。
「馬上で切り結んだ一太刀目、ジェラール殿は陛下の渾身の一撃を、羽虫でもはらうかのように軽くはじき返したそうだ。そして陛下の剣が宙を舞うのを見た従者は、命令を無視して部隊を動かし加勢したらしい。ジェラール殿は端からそこで決着をつける気がなかったのか、陛下にとどめを刺すことなく後方に引いたそうだ。そのあと彼の雄姿を見て勢いづいたアナヴァン帝国の将兵たちは、一気呵成(いっきかせい)に攻め立て、クーランの中でも選りすぐりと言われた陛下の部隊を小一時間で敗走させたらしい」
「「……」」
言葉もなかった。ジェラールは現在でも周りから一目置かれる人物には違いない。しかしそれでも、そんな無頼の強さなど想像しようがない。だが彼の凄さはそれだけではなかった。
「驚くのはまだ早いぞ。彼はあの剣聖サンドウとも互角以上の戦いをし、最終的に押し切っているのだ」
「うそだろ!? サンドウ相手に!?」
ジャンは驚愕した。実の父が、自分の憧れの人物を相手に互角以上の戦いを繰り広げたなどとは到底信じられない。そこでシェリーが思い出したように言う。
「そういえば、シルヴァン師範はジェラールさんも、そのサンドウって人も指導したのよね。時期は違うけど」
「そういえばそうだよな! はぁー、話が大きすぎてもうわけがわからねぇ」
「ほう、ジェラール殿と剣聖サンドウにそんな繋がりがあったとはな。それは私も知らなかった」
どうやらこのことはバーンスタイン氏も本当に知らなかったようだ。
「それで、父さんとサンドウの戦いはどんな感じだったの?」
「んー、それがな、これには諸説あって、どれが事実かわからないのだ。一番多く聞かれるのが……まず先にサンドウがジェラール殿の長剣を折り、武器の強度で勝ってもなにも嬉しくないと予備の剣を一振り貸した。そして仕切りなおすと、今度はジェラール殿がサンドウの剣を叩き折り、けっきょく続行不能で勝負が流れてしまったという説だ」
「「……」」
二人はまたしても沈黙した。そして少し間を置いて、シェリーがジャンに尋ねる。
「あのさ、剣ってそんなに簡単に折れるものなの?」
「いやいやいや、そんなわけねぇだろ。つーかサンドウの剣って、普通の剣よりずっと刃こぼれしにくい、世界で一番硬い剣って言われてる代物だぜ? 実家が鍛冶屋らしいから、昔からそれを使ってたはず。いや、スゲーよ、マジで! そんなもん叩き折るなんて!」
ジェラールの驚くべき活躍を知り、ジャンはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「気をよくしてくれたようでなによりだ。さて、私はそろそろ所長たちと昼食に行かなければならないのでね。ここらでおいとまさせてもらうとしよう」
「「ありがとうございました! バーンスタイン先生!」」
二人が礼を言うと、バーンスタイン氏は笑顔を返し、教室を出ていった。
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