恋するピアノ

紗智

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67.深紅の衣装

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※※※明日生視点です。




大晦日だ。
このまま何事もなく入れ替われば、元旦に『僕の好きなひと』は諒さんになる。
スーツ姿が見られるのは間違いないと思うけど、ゆっくり僕の相手をしてる暇はないんだろう。
覚さん(好きなほう)が仕事へ出て行って、防音室で諒さんと一緒にくつろいだ。
突然ドビュッシーの『月の光』が流れた。
顔を上げると、諒さんが胸ポケットから携帯を取り出していた。着メロだったのか。
『ごめん、電話だ』
頷くと、諒さんは電話に向かって『Hello!』と元気よく声をかけた。
そういえば僕と電話で話す時も二人は英語を使うけど、英語でも構わない電話の相手にはいつも英語を使うのかな。
電話では日本語は話しにくいんだろうか。
『どうしたの、突然? 明日生に用事?』
んん?
『うちは全然構わないよ。おいでよ』
かすかに漏れて聞こえる声が、甲斐さんの声のような気がする。
諒さんはすぐに電話を切った。
『甲斐が泊まりに来るって』
『は? どうしてですか? 帰省してたのに?』
『理由は聞かなかったなあ』
この人たちのこういう呑気な部分がいつもおかしい。
僕が笑うと、諒さんは優しい目で僕を見てた。
こういうところ、このひとも『あのひと』に似てるんだけどな。
やっぱちょっと違うんだ。
ドキドキはしない。
1時間くらいで甲斐さんが若桜家へ辿り着いた。
「ほんとに突然すみません」
「ほんとに気にしなくていいよ。ゆっくりしてって」
甲斐さんは防音室に入るなり頭を深々と下げて、諒さんはそれを止めた。
「甲斐さん、どうしたんですか? 突然」
「茅祐ちひろちゃんに追い出されました……」
茅祐ちゃんという甲斐さんの妹は、僕と同じ歳だった気がする。
ぼくは1、2度しか会ったことはないけど、昔よく甲斐さんが話をしてくれた。
「それで寮に戻っても明日生くんがいなくて寂しいので来てしまいました」
「夜穂先輩と良実先輩がいるじゃないですか」
甲斐さんは当たり前と言った顔で言った。
「こちらの方がごはんがおいしいですし」
「……」
「ははは、シェフが喜ぶよ。ほんとにゆっくりしてってね」
「まあでも2日には帰りますね。長くお世話になるのは心苦しいですから」
「気にしなくていいのに。とりあえず部屋を用意するよ」
諒さんは客間の用意が終わるとピアノを弾いてくれた。
そういえば二人は最近また背が伸びたみたいだ。
一年前とピアノの椅子の位置も高さも違う。
流れる音色に身を委ねる。
サティのジュ・トゥ・ヴ。『あなたが欲しい』というタイトルを持つ曲。
このひとも恋をしてる。
やっぱり『僕の好きなひと』と同じ相手なのかな。
『あのひと』ならこの曲をどんなふうに弾くんだろう。


夜9時過ぎに覚さんが帰ってきた。
やっぱり玄関先で諒さんと覚さんは口にキスをして、甲斐さんが少し驚いてた。
甲斐さんが目に見えるほど驚くって、よっぽどのことなんだけど、二人は気付かないんだろうなあ。
「おかえりなさい。大晦日なのに遅くまでお仕事なんですねえ」
「うん? なんか大晦日にやる生の音楽番組があってね。それにラファエルで出てたんだ」
……大晦日の生の音楽番組?
「それって紅白じゃないですか」
「あれ、知ってるの?」
「いえ、日本に住んでて紅白知らなかったらおかしいですよ。明日生くん、チェックしてなかったんですか?」
甲斐さんが僕の顔を覗きこんだ。
「え……紅白なんて大きな番組、出てるなら貴也先輩が何か言ってくると思ってチェックしてなかったですよ……観たかったのに……!!」
拳を握りしめた僕に、覚さんはあっさり言った。
「ああ、録画してるんじゃない? Amadeo?」
「うん、録ってあるよ。リビングへどうぞ」
急いでリビングへ移動した僕を諒さんは面白そうな顔で見た。
「急がなくても逃げないよ。待ってね」
覚さんがワゴンを押してリビングへ来た。
「寂しいからこっちで食べるね」
「あれ、さとちゃん晩ごはんまだだったんですか」
「だって現場で出されるお弁当俺食べられないんだもん。出番終わってすぐ帰ってきたし」
諒さんが再生してくれたラファエルの演奏を食い入るように見た。
ああ、『あのひと』がピアノを弾きながら歌ってる。
『あのひと』とあんなに親しそうに歌ってる可瀬美姫が羨ましくて仕方ない。
「明日生、ラファエル好きなの?」
諒さんが訊いてきた。
どちらかというとラファエルよりも覚さんが一人で歌ってる方が好きなんだけど。
わざわざそう言うこともないかなと思って頷いておいた。
「ラファエルね、活動期間の最後は徒咲の学祭なんだよ。無料だから観に来たらいいよ。チケット用意してあげようか?」
来年の秋の話だ。
そんな先まで覚さんのスケジュールは決まってるんだなあ。
手を煩わせるのはなんだけど、多分人気がありすぎてチケットを僕が手に入れるのは難しいだろう。
「お願いします」
「あ、私の分もお願いします。一緒に観に行きましょう、明日生くん」
「はい」
来年の11月、その時の『覚さん』は二人のどっちだろうか。
『僕の好きなひと』はどれくらい『あのひと』なんだろうか。
「ところで、さとちゃん、紅組なんですねえ……」
甲斐さんのツッコミに、覚さんは恥ずかしそうに反論した。
「多数決だろ。他の二人が女性なんだしさ」
恥ずかしそうな顔が可愛くてドキッとした。
あれ、どうして?
僕、可愛いとかそういうの、あまり興味なかったのに……。
『あのひと』に真紅の衣装が意外と似合ってるって思いながら、もう一度覚さんの顔をちらっと見た。
このひとは『あのひと』なんだってわかってるから、ドキドキしてしまうのだろうか。
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