ラムドリーの未来

楠丸

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4章

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 三月になっていた。昨日まで吹き荒み、草木を揺らし、窓枠を笑わせていた一番の勢いは、今日はいくらか穏やかだ。谷千代市の空は、すでに春模様で、気温も暖かい。

 今日の求は、谷千代台のレコードショップへ行き、カセットテープ一本と、ジューダス・プリーストの「背徳の掟」のバンドスコアを購入してきた。カセットテープは、ラジオのロック番組を録音するテープが尽きたため、買ってきたのだった。その金の元は、父親がくれた五千円だった。

 四街区の棟間に拡がるグラウンドのベンチに座り、煙草を吹かしながら、言ってみれば爪を出し、牙を剥いたマシンライオンのイラストレーションのアルバムジャケットが表紙のバンドスコアを開き、音符、ダブ譜を目で追っていた。自分には難しいというか、不可能であることは分かっていたも同然だった。だが、買わずにはいられなかった。それは、ギターを弾けるようになることで、去っていった友達を呼び戻し、自分を冷遇したり蔑んだ同級生達を見返してやる、という浅はかな衝動的思考が、財布の中身を支払わせることになっただけのことだった。

 吹き上げられる煙草の煙が、微風と呼ぶには少し勢いのある風に溶け、消えていく。グラウンドでは、小学生の男児達がサッカーに興じており、覇気に満ちた声が交差し、響いている。

 求は今日も、ウニ状のリストバンドを付けている。電車内で向けられた、中高齢者から眉潜めの視線、求がそれを視線で迎えた時、その人達が皆一様に目を伏せる反応を見せたことに、勝者感を味わい、それに酔った半日だった。

「おっす、先輩」機嫌の良い声が掛かり、顔をバンドスコアの譜面から上げると、手にショッピングの袋を提げた、松村が歩いてくる姿が目に入った。

「何だ、それ」「ヘビメタのバンドスコア」「メタルってジャンルは、もうそんなに長く持たねえよ」松村は言って、求の隣に腰を下ろした。

「話しようぜ」「うん」求が頷くと、松村はアウターシャツの胸ポケットから白パッケージのマイルドセブンを出し、咥えて点火した。

「俺はさ、メタルはあんまりしっくり来ねえんだよ。何だか飾りすぎてて、気取って見えるんだよな。その点、パンクは、メッセージがストレートに響いてきて、すんなり頭ん中に入ってくる感じがして、それがいいんだよ。それにメタルって、ルックスも悪いよ。顔がごついのに、ソバージュみたいな髪してたりしてさ」松村が吐き出すように言い、隣の求が興味津々の目を向けた。

「松村さんが髪、初めて染めたのっていくつぐらいの頃ですか?」「俺、関東学舎高一年で中退してすぐだったから、十六の時だったな」松村は言いばな、ブラックジーンズの膝に落ちた灰を、髑髏のリングを嵌めた手で払った。

「俺は出身が、東京の山谷地区だったんだ。あんな土地柄だからさ、ロックに溺れんのも早かったんだよ。小学校の時には、小遣いと、早々と覚えたカツアゲで貯めた金で、パンク系のシングル買い集めて、ロック好きの親戚についてって、ライブホールとか出入りしてたかんな。その頃、いつも最前列で、こうだったぜ」松村は金髪を振り乱して頭を振り、拳を突き上げた。

「俺、小五の時に、清志郎のコンサート、テレビから録音して毎日聴いてたのと、あと、六年の時に同じテレビで観た、暗黒大陸じゃがたらのライブが衝撃受けましたね。だって、客が殴り合ってて、凄かったですよ。メンバーの一人が、インタビューに、てめえらなんかに何も言うことねえよ!って答えたみたいですね。かっこいいですよ、筋通ってて。それで松村さんは、どのバンド、一番好きですか?」「決まってんだろ。ルガーズだよ。それこそガキの頃からよ」「ルガーズ?」「そうだよ。日本のパンクの中じゃ、あれがぴかいちだよ」松村が言い、求は、知らない名前を聞いたがための疑問符を顔に浮かせた。

「あれ、人、ぶっ殺したんだぜ」「どうやって殺したの?」「コンサートで、よくだせえ客いんだろ? そいつのこと、ステージに引きずり上げてよ、みんなで袋にしてよ、もう血吐いてんのにカステラみてえに蹴り続けたんだよ。やることが半端じゃねえからな。インタビューアも殴り倒してるしな」「へえ」「でも、かっこいいんだよな。一本筋が通っててさ」松村は目許に皺を寄せて笑い、短くなった煙草を足許に落とし、にじり消した。二人の前を、小学校高学年に見える少女が二人通った。二人の少女は、明らかに軽蔑するような眼差しを、松村と求に向けていた。

「今やってるバンドさ、何か違うんだよ」松村は愚痴の調子で言い、舌打ちして空を仰いだ。

「合わせてんのはパンク系なんだけどさ、メンバーみんな、元々聴いてたものが違う奴らの集まりでさ、そのせいで間違いねえと思うんだけど、何だか、アンサンブルが悪いんだよな。もう二年やってんだけど、この辺りで、別のユニット求めようかなって思っててさ」松村は顔向きを空から、小さな雑草の茂る赤土の地面に移した。

「松村さんは、やっぱりパンクがやりたいの?」「いや、今は、どっちかっていうと、ロックンロールかな。自分のことをパンクスだとも、前ほどは思わなくなったしな。十六とかの頃に比べると、人生経験も踏んだしよ」「それで歌詞は、大人達への反逆?」「それもあるけど、それだけじゃねえな。反逆とかっていう大それたものではねえけど、大人達に、言いたいことを届けることで、若い奴らからの支持を得るっていうスタンスだよ」

 求には、松村の説明が少しというかだいぶ難しいと感じられていた。それが長ければ長いほど、話されるセンテンスの意味、全体を拾えない。

「俺が新しくバンドやるっつったら、お前、入ってくれるか?」

 求は、胸中が朝焼け色に染まるような高揚を感じた。その時、自分が担当したいパートまで、頭に思い浮かんだ。

「入りますよ!」「そうか。じゃあ、もう決定だな。何やりたい?」「ボーカルやりたいけど、俺、声域狭いからな」「唄ってるうちに広まるよ」「じゃあ、ボーカルやる!」「やってくれよ」松村は言い、笑顔を求に向けた。

「お前のステージネーム、ラムドリーな」「ラムドリー?」「そうだよ。話は決まったな。頼むぜ」

 松村はマイルドセブンを一本抜き、求に渡し、火を点けてやった。それから自分も二本目の煙草を咥え、点火した。それが煙草の兄弟盃のようにも思えた。

 求は、心を高揚させながら、他の確かなものも感じていた。

 それは自分が、底のない沼の縁に片足を踏み入れたというイメージだった。引き返せと、自分の心の一部が叫んでいるように思える。だが、踏み入れた足は、間違いのないその意思に従うことなく、三歩、四歩と沼の中央へ進み始めていた。

 それが、その日に瞬いた抽象映像だが、それは、コンサートで、ださい、という理由だけで人が無残に殺されたという話が喜々として語られたことに違和間を覚えたことが呼び起こしたものだった。なお、ルガーズが起こした事件は、錯綜して語り継がれてきたことを、後年に知ることになった。

 メタルを中心に聴く求は、ルガーズのことは詳しくは知らないが、人道を大きく反れたその行いロックと切り離せないものなのであれば、自分はどこへ行き着くのか、という疑問が少し芽生える気がする。

「ちょうど昼飯時だな。萬宝に飯でも食いに行くか」松村の誘いに、求は、互いの友情感が高まったように思えた。

「お前の親父さんって、仕事は何やってる人なの?」「谷千代流通センターで、パートで働いてるんだ」国道へ続く住宅街の道を進みながら、松村が訊き、求が答えた。

「じゃあ、お前も早く職を見つけねえとな」「弟も働いてるから」「それでお前も仕事に就いたら、親父さんもだいぶ楽になるだろ。早いとこ、見つけろよ。もしお前が良かったら、俺と一緒の職場で、ドカチンやっか?」

 求は返答に詰まった。土建会社は、確かにもらいは良いはずだが、不良上がりを主とする荒くれ者の行く業界という印象が抜けず、そこへ行くとなると、またいじめられる、というイメージに行き着いてしまう。

 求が幼い時分から国道沿いに軒を構える手打ちラーメンの萬宝米原店は、平日の今日、現場系の仕事に就く者が客の大割を占めていると見え、駐車場にはトラック、クレーンを携えた車両などが多数停まっていた。

 調理と煙草の脂で黄ばんだ壁に囲まれたテーブル席に二人は座ったが、鉢巻を巻いた大工風の中年男が、店員の案内で相席した。

「俺は、こっちに越してきたばっかの頃、親が離婚してさ。元々、互いの兄弟筋のこととかあって、家同士でばちばちやってたから、そうなんのは必然だったんだけどな。俺にとって、親とか家っていうもんは、自分の腰を落ち着ける場所じゃねえんだ。だから、ガキの頃から、仲間、友達ってものを自分の行動単位にしてきたんだよ。山谷、あんな生きるのに不便な町でな。でも、おめえは、親と兄弟、大事にすんのがいいよ」「うちの親父は、髪の毛のこととか、服装のこと、あと、働け、働けってうるせえし、弟みたいな、勉強ばっかりの真面目にはなりたくない」「お前、親っていうのはな、ガキがいくつになっても、小っちゃえ頃のイメージ外さねえで心配するもんだぞ」

 そのやり取りに、相席の大工は関心の素振りを見せず、何かを考えている風に、二人の視界外に目を馳せていた。広い坪数の店内には、客達の話し声が上がり、鉄鍋のソテー音、調理器具の合わさる音が、食欲をそそるサウンドとなって響く。

「俺はお前とバンドをやろうとしてるわけだけど、その基盤には、仕事ってものがあることは、お前も分かんねえわけじゃねえだろ。俺は、音楽がてめえの思い通りにならなくても、職人として身を立てられるようにしてえんだ。おめえも考えたほうがいいぜ」「俺、ロックがあればいい。ロックが俺の手に職だから。だから、今からばりばり練習して、ぜってえ、世界目指すんだ」「それにも下積みが必要なんだぜ。俺の友達もハードコアやってんのいるんだけど、倉庫の仕事で、毎日血反吐だってよ。夜勤のあとも、二時間かそこらの仮眠、それからリハーサル、それから仕事だってよ。地獄だぜ。お前、耐えられっかよ」松村が言った時、大工の頼んだうま煮麺が来た。大工は、割箸を取り、落ち着きなさげに左右に目を動かしながら注文品を啜って食べ始めた。それからすぐに、松村の味噌ラーメン、求の醬油ラーメン、餃子、ライスを、中年女の店員が届けた。

 二人で箸を割り、食べる時になって、松村が怪訝な目を向けてきた。

「お前、箸の持ち方って、ちゃんと躾られてる?」「箸?」「お前、こんな箸の持ち方してねえか?」

 松村が再現した箸持ちは、すり減った鉛筆を持つように、箸の先端近くを握り、中指甲を突き出すような持ち方だった。その箸は、✕字に開いている。

「箸ってもんは、こう持つものなんだぞ」言った松村が、求の目前に見せた箸持ちは、箸の上部を親指と人差し指で軽く持つものだった。

「バンドやる人間だって、これぐらいのことは弁えねえと駄目だぜ」松村は言って、味噌ラーメンを食べ始めた。求も、気恥しい思いの中、醤油ラーメンを啜り、餃子に箸を付け、ライスを口に運んだ。

「おい」声を掛けてきた松村の顔には、純粋が訝しみが浮いていた。二人の若い食欲が、丼、皿を瞬く間に空にして、すぐのことだった。

「お前、餃子、一人で、ぺろっと食っちまったよな。これも良くねえぞ」松村は呆れ笑いを浮かべ、求は釈然としない顔で彼を見た。

「こういう場合の皿料理は、同じ席に座った相手に、よかったら食べて下さいっつって、勧めて一緒に食うものなんだぞ。俺はこれでも、県外とかで仕事してて、職場の上の人と同席してたから知ってんだ。まあ、お前の若さじゃまだ分かんねえこともあんだろうけどよ、こういうことは、しっかり覚えとかなきゃ」松村の言葉に優しさが滲んだ。

「うん」「今日は奢ってやるよ」二人で食後煙草を吸い、レジカウンターへ進んだ。アジア人風の女がレジに立っていた。女が訛った日本語で代金を言い、松村が千円と少しの金を渡した。カウンターには、小さなキャンディバーが、ケースに差されて置かれており、松村がそれを二本取り、一本を求に渡した。

「ごちそうさま、は?」「ごちそうさまでした」促されて礼を述べた求は、実はちゃんと分かっていたが、箸持ち、席での常識不心得を指摘された気の恥ずかしさから、感情が固まってしまっていたのだ。

 ピーク時の駐車場には、トラックや、脚立を積んだ業務車が次々と入ってきては、ドライバー、職人が降り、暖簾の下がる出入口へ歩いていった。

「じゃあな。近いうちに、メンバーの目星も付くと思うから」キャンディバーを咥えた顔で、時計台の前で言い、挙手して去っていく黒いアウターシャツの背中を目で追った。

 遠くなる背中に、不吉な翳りが浮いているように見えたことは、気のせいではないような気がした。だが、バンドスコアとカセットテープを脇に挟んだ求の思考はすぐに、始まったと信じたいミュージシャンの夢に傾いた。

 その求を、飼い主のリールに繋がれた、一頭のポメラニアンが、丸く愛らしい目でじっと見ていた。求は、キャンディをしゃぶりながら、その犬を見つめた。

 自分は、この犬のようなものだろうか。求は漠然とした思いを抱いた。良い飼い主なら愛され、悪い心を持つ人間の手に渡れば、ぞんざいに扱われる運命。

 その時、自分の行く末を思い、微かな不安が胸によぎった。

 



 

 

 

 

 



 

 

 

 
 

  

 

 

 



 

 



 


 
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