ラムドリーの未来

楠丸

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5章

秒針

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「お前が面接に受からないのは当たり前だよ。その髪も、恰好も良くないし、態度も駄目だからだ」

 求は、父の一夫の述べをどこ知らずという体で、鱈の塩焼き、小松菜の味噌汁、茶碗飯の食事を貪るように食っている。家の中だが、ウニのリストバンドを嵌めている。目は、夕方から民放で放映されている、主に素人を抜擢した女子高生、女子大生のグループの可愛さ、男二人組の芸コンビの「タイマン電話」などを売りにする、中高生を中心とする若者層をターゲットとしたバラエティ番組が映るテレビに向いており、背が高く、掠れた声が特徴の、背の高いほうの片割れが、リスナーからの電話の悪口挑発に、真面目に怒り、「てめえ、この野郎!」と怒声を発している。

 その斜め前には、知春が座り、同じ鱈の食事を摂りながら、片手に持った「高校英語」の参考書を読んでいる。

「そんな頭とか恰好をしなきゃ乗り遅れる年齢なんて、あっという間に過ぎていくものなんだよ。だから、もうこの辺りで、髪や服をちゃんとしたものにして、勤めに出なくちゃいけないよ」「うるせえな。俺はメタルでパンクのロックなんだよ。将来は何が何でも、世界レベルのミュージシャンになるんだからよ」

 一夫は、これ以上の言うことは尽きた、という顔で俯いた。求の斜め前の知春は、文鎮でページを留めた英語参考書を脇に、味噌汁を啜り込んでいる。

 実は求は察している。一夫が無職の自分に、カセットテープや煙草を買う金を与えているわけは、子供達が幼かった頃、妻の散財によって、おもちゃを満足に買ってやれなかったことの負い目があるからだということを。

「そういうことを、いつも人前で言ってると」画面の中では、タレントが「てめえ、ぶっ殺してやる!」と受話器を握りしめて吠えている。

 知春は、空になった食器類を前に、腕組みをし、目の前の父と兄、テレビのやり取りを黙して聞いているように見える。

「いつか、悪い仲間の縁を呼んじゃうかもしれないよ」言った一夫が、求、知春の座るテーブルに、丸めた背中を向けた。

「俺はこれから、ばりばりバイトで稼いで、金作って、リッチになるんだよ」答えになっていない返答が、口の中の飯をもごつかせた求から出て、食べ終えた知春が茶碗と箸を置き、麦茶を飲み干した。

「聞きなさい。人生の話だ」振り返った一夫の声が、少しだけ威厳を帯びた。

「一分後、一秒後だって、生きてるものには未来なんだよ。一秒前の時間だって、もう二度とは帰ってこないんだよ。少年老い易く学成り難しって、お前も中学の授業で習っただろう。人間は、あっという間に年老いるものなんだよ。だから、たったの一時間っていう時間だって、何か、自分のためになることに使うんだっていう気持ちを捨てちゃいけないんだ。分かるか。時間っていうのは、命を持つ資源なんだよ。それは、それこそ、使うためにあるものなんだ。お父さんは流通センターの倉庫で働いてるけど、いつもつくづく思うんだ。人間の頭も倉庫と同じで、普段詰め込んでるものが、言葉や態度になって出るものなんだって。だから、今のお前はね」

 腕組みを解いた知春が、椅子の脚を鳴らして立ち上がった。

「無駄だよ」知春が父の話を遮って刺した。

「こんなことこそ、いい時間の無駄だよ。こいつは特殊学級ぎりぎりの馬鹿なんだから」

 一夫がゆっくりと、求ものろまな動作で、食べかけの鱈から弟に視線を移した。

「あんたもあんたじゃん。一応は家長なんだろ? こんな奴、追い出すぐらいの気迫の一つでも、一回だけでもいいから、見せてみたら? それでこの馬鹿がどっかで飢え死にしても、車に轢かれても、やくざに刺されて死んでも、そんなもんはこいつの天命なんだよ。親だったら、子供のためを思えば思うこそ、鬼の気持ちを持たなきゃいけない時ってもんがあるんだよ。つまりさ、それが出来ないあんたも、こいつと同等か、それ以下の馬鹿、知恵遅れだってことを言いたいんだよ」ひとしきり吐き出した知春は、自室へ足を向け、背中を見せたが、そこからさらに振り返った。

「俺にまでこんな余計なことを言わせる子不幸すんなよ。俺だって時間がないんだよ。一分だって二分だって、俺は勉強の時間が惜しいんだよ。まして、この馬鹿と違って、働きながらなんだからさ」

 肩から残した知春は、勢いよく自室の襖を閉めた。

 一夫がテーブルの「峰」を取り、震え加減の手つきで、百円ライターで点火した。一夫の口は、悲しみを呑み込んだように噤まれていた。

 求は脱力感を覚えていた。自分を棚上げし、十六歳の息子に突き上げられて沈黙するばかりとなっている父への語彙表現には、ださい、という言葉が当て嵌まると思った。

 あんな大人になんかなりたくねえ。邦楽界を席巻する、歌詞というよりは、表現方針のワンフレーズが頭に巡った。そして、それに同調する者達は、未成年の身で居酒屋で酔っ払っては嘔吐し、咥え煙草でパチンコに賭け麻雀、公共の場での暴力沙汰と、「汚い大人達」のやることを一通り履行している。

 無言で峰を吸い吐きするばかりの一夫は、深い悲愴をその顔色に浮かせていた。

「じゃあ、お父さん、これから夕勤に行くからな」一夫は弱い語勢で言い、煙草を灰皿になすった。

 
 上着を羽織り、赤い手提げ袋を持って玄関に向かう背中を見た求の頭には、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーを後ろに従えて、決まった長髪を振り乱して頭を前後に振り、シャウトを決めている未来の自分の姿以外のものは存在していなかった。

 号室の扉は、寂しい音を立てて、静かに閉まった。静けさだけが残された家で、求は頭の語彙中枢で、よし、メタルでぶっ飛ばすぞ、俺をこれまで馬鹿にしてきた奴らののケツを蹴り上げてやるぜ、と呟いていた。

 弟の怒り、父の悲しみは、確かに感じ取っていた。だが、それらが押しのけられ、自分の最大の関心事が、思考界の大割を占拠していた。

 テレビでは、会員番号制の素人抜擢女子グループが、ごっこじゃない恋愛をしたい、という旨の歌詞を持つ曲を、振り付けを交えて唄っていた。

 日本のこの時代がいつまで続くかどうかは、求には関心がなかった。時局の変節は全く意識の中になかった。気がついた時には、ビッグと呼ばれる座を手にしている。それはあたかも、朝にウェイクした時には、就寝前とは違う人間になっている、という風に。求はそれが叶うと思っている。その時に、世の中、巷の光景がどうなっていようが、自分が名声を手にしていればいい。

 先ほど、出勤前の一夫が言った、老いやすさ、時間というものの冷徹さは、求には理解が及ばなかった。事実は、コンマの時間に老い、死に向かって歩むものが、人生。

 ブラウン管テレビの中では、若く愛らしい顔をした女子グループが、業界の事情的複雑さを包んだような表情、アクションで、あたかも永遠に続くような若さをアピールし、唄い、踊っていた。とても可愛い眺めだ。

 時間が惜しい。知春は言ったが、自分は、若い日の時間を貪るだけ貪り、楽しみたいという心境だった。楽しんだ者が勝ち組。代理店がぶち上げている宣伝に倣って。

 自室へ引っ込み、阿原中学の卒業アルバムを引っ張り出した。技巧の髪をした突っ張り者、愛らしい女子に混じって、クラスの集合写真に写る自分は、サイドばかりが伸びてしまった、逆さお椀の髪型をし、その表情は、まるで断頭台の仔羊のように、不安に引き攣っている。不自然に痩せすぎた体が、学生服越しにもよく分かる。

 常に変な出来上がりになってしまうばかりの髪型、鼻のでかい顔、ぎこちない動作、舌のもつれたような話し方、中間、期末で0点を連発、通信簿には1と2が綺麗に並ぶ成績、マラソン大会では万年最後尾の体力、球技を行う際には、投げるボールが非ぬ方向へ飛んでいく、または運動会の競争ではいつもどんけつを走る運動神経、握力が左右とも20にも届かない腕力の全てを嗤われ、囃され、時に威嚇を受けては萎縮するばかりの自分が嫌いだった。だが、その自分を好きになる術を知らなかった。その術は、今も、世界レベルのロッカーになること以外のことが思い浮かばない。自分を導く人間も、松村の他は識らない。

 秒針は、確実に一秒づつを刻み、人が老いと死へ向かっていく、命が尽きる瞬間までに、自分に出来ることは。

 自分というものを、多数に訴える手段は。その堂々巡りは、求の頭の中で、繋がった言葉とならなかった。

 

 



 

 

 

 


 




 

 
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