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二章

魔女、薬を作る

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 私が意識を取り戻したときは昼過ぎ? いやもう夕方だ。すやすや寝過ぎた!
 曇り空にしても、窓の外が暗すぎる。

 慌てて飛び起きた。屋上から盆を回収しないと!
 そこで盆を抱えたアブリルの姿が目に入った。

「それは……?」
「シュガ姉が、曇ったら降ろしてきて守っといてって」
 アブリルはがっちり盆を抱えている。
 もしかして、ずっと盆を守ってくれていたのだろうか。いい子過ぎなんじゃないだろうか。
 盆にひびが入っているのが見えた。力を入れ過ぎなんじゃないだろうか。
 私は急いで盆を取り上げる。

「あ、ありがと」
 盆はテーブルに置いた。
 オリハルコニウムの粉末はしっかり日光を含んだようだ。

 それにしても、いつの間にそんなこと頼んだっけ? 寝る前?
「私、他に何か言ってた?」
「絶対に…… 服を脱がすなって」
 そう言うアブリルは顔を赤くしている。
 ごめん、変な意味じゃなくて、うっかり怪我の治療で服を脱がされてお肌の魔法陣を見られるのが嫌だったんだと思う。

 私は薬を仕上げることにする。
 棚にしまっておいたミスリウムの乳鉢を取り出して、オリハルコニウムの粉末を少しずつすくい入れて攪拌する。うまく溶け込んでいく。金色と銀色がひとつになって不思議な輝きになる。

「遅い、まだできないの?」
 鍛冶場に入ってきたのは、幼女のペトロナだ。
 子どもとは思えない眼できつく私を睨みつける。村長の孫ってそんなに偉いかな。
「今、できた」
「ちゃんとした薬でしょうね? 今までと違って」
 ペトロナは激しく疑ってくる。今までとか言われても知らないんですけど。

「本物の薬よ!」
 私は言い返す。
 ペトロナに言われたからやってるんじゃない。これが錬金術士として初の薬作りなのだ。失敗したら、姉はそれ見た事かと笑うことだろう。意地でも成功させてやる。

 ペトロナに言って小さな瓶を持ってこさせて、できあがった錬金薬を小分けした。

 ペトロナは疑わしそうな目だ。
「本当にできたんでしょうね?」
「試してみればいいよ」
「……ついてきて」

 私は小瓶を数本持ち、ペトロナについていって二階まで上がった。アブリルもついてくる。
 一番奥の部屋の扉をペトロナはそっと開ける。
 そこそこ広い部屋だが、空気が悪い。
 隅にベッドがあって男が寝かされていた。

「父さんよ」
 ペトロナが静かに言う。

 私は思わず息を飲んだ。
 幼女の父だったら普通に考えてそこまでの歳ではないだろう。でもその黒ずんだしわだらけな顔は死にかけの老人にしか見えず、肉体は死臭を放っている。

 ペトロナはぽつりと、
「父さんは村を豊かにしたくて、このあたりの魚は売り物にならないって言われているのをなんとかしようと、自分で食べて試してみたんだ……」

 愚かな行為とは思う。でも私にはそんなこと言えなかった。姉から愚かと言われて飛び出してきたのが自分だから。

「これを飲ませて」
 私は錬金薬の小瓶をペトロナに渡す。

「父さん、薬を持ってきたよ」
 ペトロナが呼びかけると、男は薄く目を開いた。ひび割れた唇にあてがわれた小瓶から金属色の液体が注がれる。
 男は苦しそうに時間をかけて液体を嚥下する。のどぼとけが動く。

 私は固唾を飲んで見守る。うまくいくはずだ。いって、お願い!

 男の体内から光が生じる。
 薬に蓄積されていた光が解放されたのだ。
 男の肉体がまるで光の塊のようになっていく。
 肉体のところどころで影のような黒い塊が浮かび上がる。
 光を浴びせられて影は焼かれていく。
 男は苦しみで呻きもがく。

「父さん!」
 ペトロナは男のしわだらけな手を懸命に握りしめる。

 男の額を油汗が流れる。
 男は苦悶の叫びをあげて、肉体をけいれんさせる

 影が焼き尽くされたとき、男は静かになって動かなくなった。
「父さん! 父さん!」
 ペトロナは真っ蒼になって男を揺り動かそうとする。

 アブリルが手早く男の脈を診る。
「脈は落ち着いているよ」

 それでもペトロナは不安に満ちた顔だ。
「毒だったんじゃないでしょうね!」

 私は恐怖に捉われていた。
 たくさん勉強はしてきた。
 やったことは間違っていないはず。
 でも正直言って初めてなのだ。

 無意識に拳を合わせて目をつぶり祈っていた。
 私は神様には祈れない。祈りたくない。
 魔法と錬金を司るという魔王様! 助けて!

「こんなことが!」
 アブリルの叫びに恐る恐る目を開く。

 アブリルは大きく目を見開いている。
 まさか、失敗……!?

 アブリルの視線の先、男の顔。
 私も眼を見開く。
 さっきまで死相を浮かべた老人だった顔が中年の顔に変わっていた。黒ずんだしわが消えて、肌が暖かな血の色を取り戻している。

 ペトロナが叫ぶ。
「父さんの手、あったかい!」

 男の胸がゆっくり規則的に上下している。
 その顔にもはや苦悶の様子はない。

「奇跡だ……!」
 アブリルが声を上げる。

 もしかして本当に成功した?
 光の力で体内のアンデッド部分を消すことができたっぽい!?

「母さん! 母さん来て!」
 ペトロナが下の階に向けて大声で叫び、ミレーラ女将が部屋に飛び込んでくる。
 ミレーラは男を見てしばし絶句する。
「あんた……!」
 
「おいおい…… みんな…… うるさいぞ」
 男が声を漏らす。
 ゆっくり身体を起こそうとして、ミレーラが身体を支える。
 ペトロナが飛びついて、親子三人がしっかりと抱き合う。

「あんた、身体は大丈夫なのかい……!?」
「ああ、痛みが消えて、すっかり楽になったよ。一体これは」

 そこでペトロナとアブリルが私に目を向ける。

「この方が……?」
 男がつぶやくとペトロナが、
「先生が薬を作ってくれたんだ! 先生はお医者様の神様だよ!」
 ミレーラが床に座り込み、頭を床にすりつけて、
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
 男もベッドの上で深々と頭を下げて、
「この御恩、一生忘れません……」

 アブリルも感極まった様子で私の手を握りしめる。見上げる瞳は感動の涙で潤んでいる。
「シュガ姉、本当に凄いよ! 」

 ちょっと、いや、なんなのこれ。ほめすぎでしょ。ペトロナとか手の平返しだし、なんか裏でもあるんじゃないの! これから毎日薬作りでこき使われるとか?
 それに四人もの視線を浴びせるのは止めてよ、私は人前とか苦手な訳。特にアブリルは顔が近い。

「いや、その、そんな、薬を作っただけだし」
「そうだ、シュガ姉の怪我を治さないと! 早く飲んで!」
 アブリルが私の小瓶を奪って栓を開け、私の唇に押し付けてくる。

 待って、確かにその薬で私も治るとか言った気もするけどあれは出まかせで、もし今あれを飲んだら私の身体がびかびか光り輝いて裸を見せつけるようなものなんですけど!

「私はもう大丈夫だから! ほら、他にも患者が待っているんじゃないの」
「自分を後回しにするなんてシュガ姉は騎士の鑑だよ! 聖騎士団に推薦するよ!」
「いいから、お願いだから引きこもらせて!」
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