大好物はお兄ちゃん

モトシモダ

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1章

2話

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 未明の暗い道を、俺と義妹の美夜は二人して歩いている。

 季節は春。この時間はまだ肌寒い。
 俺は肩に穴が開いたパーカーを長袖Tシャツの上にまとっている。この風がすうすう通り抜けるパーカーは着たくなかったが、美夜から水族館に行くならこのパーカーしかないと駄々をこねられてしまった。どうもこれを見て水族館のことを思い出したらしい。かつて水族館に美夜を連れて行ったとき着ていたのがこれだったからか。だったらかじるのは勘弁してほしかった。

 美夜は白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶり、長い黒髪を揺らめかせている。いかにも避暑地のお嬢様然とした姿だ。このワンピースなども俺のクレジットを使って勝手に買ったのだろう。

 呆れながら美夜を見ていると、美夜は自慢げに見返してきた。
「どう、かわいいでしょ」

「寒くないのか」
「アンデッドは寒がったりしないの! 馬鹿じゃないのお兄ちゃん!」
 美夜は一瞬で不機嫌顔になる。

「だけど、ここから水族館までまだ遠いぞ。歩きで本当に大丈夫なのか」
「全然なんともないし!」

 俺は美夜の足元を見て不安になる。ヒールの高めなパンプスだ。長く歩くには向いていないだろう。
 時間が早すぎてまだバスは動いていない。タクシーは余計なことを聞かれそうだからと美夜が嫌がった。車やバイクはまだ高校二年の俺には手が届かない存在だ。自転車だと日が照ってきたときに日傘を差せない。残る手段は徒歩だけだ。

 完全なヴァンパイアではないからか、美夜は日の光を浴びても眩しがる程度で灰になったりはしない。しかし夜が明けてから出かけるのはどうしても嫌だというので二人して歩き始めることになった。

 俺の足取りは重い。深夜に起こされたのでまだ眠い上に、出かける前に作った大きな弁当入りバックパックの重さがずっしりと肩に食い込んでいる。

 美夜の足取りは軽い。妙に楽しそうな様子で軽やかに歩いている。もちろん手荷物は無しだ。夜は美夜の時間ということなのか。

 俺たちの進んでいる歩道は広い車道に並んでいる。時間的に、車道のほうを通るのは大型の輸送トラックばかりだ。トラックのライトが強く俺たちを照らしては通り過ぎていく。

 こんな殺風景なところを歩いて美夜は何が楽しいのか。そんなに水族館が待ち遠しいのだろうか。昨日までは水族館のことをまるで覚えてもいないようだったのに。
 まあ、それも仕方ないか。前に美夜を水族館まで連れて行ったのはあの事故の前なのだから。

 俺は思い返す。
 あの頃の美夜は人見知りで、俺が近づくとびくびく怖がっていた。はた目には、まるで俺が新しい妹をいじめているみたいだったろう。
 これではいけない、なんとか妹に親しまれる兄になろうと俺は美夜を遊びに誘った。あれこれ提案した中で乗ってくれたのが水族館だった。イルカのショーを見たいというのが美夜の希望だった。
 奇妙な深海魚や恐ろしげな鮫を見ては逃げ出しそうになっていた美夜だったが、イルカのショーでは本当に喜んでくれていた、と思う。俺はこれで兄妹になれるきっかけを掴めたと安堵したものだった。それも束の間だったが。

 眠い夜道で遠くに思いをはせていた俺は、夢に入りかけて意識が飛びそうになる。 
 頬にぴしりと痛み。さらに連続して痛みが襲う。
 無理やり現実に意識を戻される。
 まぶたを開くと美夜が頬を膨らませていた。
 俺は美夜から平手打ちされていたのだ。

 美夜がさらに手を振り上げたので、
「もういい! 目は覚めたから!」
 腕でガードする。

 美夜は不承不承といった様子で手を下ろした。
「お兄ちゃんの馬鹿! 事故ったら死んじゃうんだからね!」
 俺を叱りつけてくる。
 美夜の顔はいつもより青ざめて見える。両瞳は紅く輝いていて真剣に怒っているようだ。

「すまない、悪かった」
 俺は道端の自動販売機でホットの缶コーヒーを買った。

「美夜は何を飲む?」
「お兄ちゃんの血」

 美夜の言葉はスルーして、俺はホットのミルクティーを買った。美夜が飲まないこともない飲料だ。
 美夜に差し出すと、ふてくされた態度で受け取ってくれた。

 歩きながら缶コーヒーを飲むと、熱さと香りのおかげで少しは目が覚めてくる。
 美夜にあの事故のことを思い起こさせてしまったのかもしれない。あの時の記憶はまだ戻っていないようだが、このところ少しずつ昔のことを思い出してはいるようだ。気を付けないと。

 美夜が俺の手を急に掴んだ。
「どうした!?」
「眠いんでしょ。あたしが引っ張ってあげる」

 華奢な少女とは思えない力でぐいぐいと俺は引っ張られて、つんのめりそうになりながら小走りになる。
 美夜の引っ張る速度は上がっていって、俺は引きずられそうな危険を感じる。
「もう眠くない!」
「手を放しちゃだめだからね!」
 美夜は手をもっと強い力で握ってきた。
「手を放してくれよ! 大丈夫だから! 痛い!」

 美夜が急に手を放して、俺はつんのめりそうになる。
「足が痛くなった。おぶって」
「だから言ったろ」

 俺は美夜を背中におぶおうとして、スカートの長さに挫折した。無理におぶおうとすれば長いスカートが引き裂かれてしまう。
 仕方なくお姫様抱っこで前に担ぐ。
 美夜は華奢な見た目以上に軽くて、そんなに負担ではない。だが軽すぎて不安になる。体温が低くてひんやりした感触ということも合わせて、美夜の身体はまるで生命に欠けているかのようだ。

 ときどき美夜は糸が切れた人形のように動かなくなることがある。以前は動かない時間のほうが長かったぐらいだ。そのたび、このまま永遠に動かなくなるのではという恐怖に俺は襲われてきた。

 おとなしく担がれて目をつぶっている美夜の様子にまた動かなくなるのではと心配が募る。
「美夜、起きてるよな?」

 美夜はばちりと目を開いて、
「はあ? せっかく浸ってるのに邪魔しないでよ!」
「……浸るって、何に?」
「……お兄ちゃんのあほ! まぬけ!」
 なぜか頬を赤くした美夜から罵倒される。どうしてだ。
 ともかく元気なのは良かったが。
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