大好物はお兄ちゃん

モト

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1章

7話

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「もう間もなく双子の人魚姫ショーが開演となります。観覧されるお客様は会場のライブスタジアムまでお急ぎください」
 水族館内にアナウンスが響く。

「お兄ちゃん、行こうよ」
 美夜は元気そうに言った。
 ついさっきまで意識を失っていたのが嘘のようだ。

 俺としては大事をとって休ませたいところなのだが、美夜はさっさと歩きだす。こうなるともう美夜は俺の言うことなんて聞いてくれない。仕方なく俺もついていく。

 階段を上がって通路をしばらく進むと外に出て、明るい景色が開けた。
 円形のプールを中央にして、扇状の観客席が広がっている。俺たちが出てきたのは観客席の最後部ドアだ。俺たちが来るのは遅かったらしく、観客席は後ろまで埋まっている。

 天気が良い。青空の下、明るい日差しが眩しく目を刺す。
「ん!」
 階段を下りていこうとした美夜が両腕で顔を覆う。白い煙が美夜から立ち上り始める。

 俺は慌てて美夜を後ろから抱える。観客席後ろの覆いで陰になっているところまで美夜を引きずるように連れ戻した。

 美夜はじたばたして、
「ここからじゃ見えないよ!」
 確かに、観客席の特に後ろ側は大人が多く座っているので、美夜の背では立っていてもプールはよく見えないだろう。

 しかしそうも言ってられない。
「馬鹿、太陽で焦げちゃうだろ!」

 美夜は自分の身体から立ち上る煙を見た。髪の毛の先が少しちりちりになってもいる。
「これぐらいならいけると思ったのに……」
 美夜は露骨にがっかりした表情をしている。

 美夜は半端なヴァンパイアだ。力があまり使えない代わりにヴァンパイアの弱点である太陽の光も致命傷にはならない。とはいえ今日のように日差しが強いと身体にダメージを及ぼしてしまうようだ。くれぐれも気を付けねば。

「身体に悪いだろ。もう帰ろう、美夜」
 そう言った俺を美夜はにらむ。
「絶対帰らない! ここが肝心なの! 大事なことがわかりそうなの!」
 美夜はもう梃子でも動きそうにない。

 見たところ、美夜からの煙は収まっている。俺は眉根を寄せて考える。この陰にいる分には大丈夫のようだが、プールが見えていないのではまた飛び出すのではないだろうか……

「絶対に前には出るんじゃないぞ。無理そうだったらすぐ中に戻るからな」
「はいはい」
 美夜は生返事する。不安だ。

 スタジアムの一番後ろからだとプールはちょっと遠くて様子がわかりにくい。
 さらに後ろの方の観客席には双子姫のファンらしい青年男性がずらりと座っている。背が低い美夜の視界はさえぎられてしまう。美夜はぴょんぴょん跳ねて見ようとしている。

「皆さん、こんにちは!」
 壁に据え付けられたスピーカーから挨拶の声が響き渡った。
 大水槽で聞いたのと同じ、ルリとサンゴの声だ。
 俺はプールを見下ろす。

 プールではイルカたちがのんびり泳いで回っている。
 ルリとサンゴはそのプール奥のスタンドにいた。
 俺はまじまじと二人を見てしまう。二人の下半身はイルカのような尾だ。尾の端には大きなヒレがパタパタとしていて扮装ではありえない。人魚属が変異した姿だった。
 二人の上半身はビキニの水着、下半身の腰回りはパレオで覆われている。
 首に巻いている白い帯はどうやら水中用無線マイクのようだ。

「へえ、あの人たちも人間じゃなかったんだ」
 美夜が感心した声で言う。

「話してただろ、人魚属だって。それと魔属も人間だぞ」
 そう言いながらも人魚属が変異した姿を目の当たりにすると驚きがある。
 一部の魔属には姿を変える能力があるということを知識としては持っていたが実際に見るのはこれが初めてだ。魔属は数が少なく、変異を見せたがらないとも聞く。ルリとサンゴは珍しい例だろう。

 ルリとサンゴは別に無理やりやらされてるとか見世物扱いされているといった感じでもなく、自然に楽しそうに挨拶をしている。
 ルリは大きく手を振り、サンゴは礼儀正しそうに頭を下げている。
 ルリの視線がこちらに向いて、目が合った気がした。
 ルリはサンゴと目配せして、二人がそろってこちらの方を向く。にっこりした笑顔を浮かべていて、やはり俺たちに気が付いてくれているようだ。

 陽気な音楽が流れ始めて、ルリとサンゴはプールに飛び込む。水中に姿を消してからちょっと経つと二人は回りながら水上へと飛び出した。それにイルカたちが続く。

 まるで水を舞台にしたフィギュアスケートかダンスのように、ルリとサンゴは踊るように泳ぐ。イルカと共に織りなす群舞だ。
 時に二人が手を取りあって旋回し、時にイルカと一列となって水上に弧を描き、またイルカに乗って水上を行進してみせる。
 観客たちから大きな歓声が上がる。
 人魚とイルカが共に演技をすることで実現している見事なショーだった。

 だが困った。
 見とれたファンの男性たちが総立ちになり、高い壁を作ったのだ。俺はまだしも、美夜にはプールの景色がさえぎられてしまった。男性たちは興奮していて、注意しても聞きそうにない。

 美夜は背伸びしながら隙間から覗き込もうとしていて危なっかしい。陰から出てしまいそうだ。
 ここは前来たときのようにしてあげるべきだろうか。
 そういえば、あの時の美夜は人を怖がって前に座ろうとしなかったあげく、一番後ろからではイルカがまるで見えなくて泣きそうになっていた。
 いやしかし、あの後から美夜にはずいぶん距離を置かれるようになってしまった気がする。本当は嫌だったのかもと思うとためらってしまう。 

「お兄ちゃん、また他の女のこと見てたでしょ」
 悩んでいると美夜からにらまれていた。

「人魚姫のショーなんだから、そりゃ見るだろ」
「そういうことじゃないし! 美夜にはプール見えないし!」
 美夜はご機嫌斜めだ。
 楽しみにしていたショーが見れないのではそれもそうか。
 俺は覚悟を決めた。

「ほら、ここに乗れよ」
 俺はしゃがんで右肩を美夜に示す。

「なに?」
 美夜は虚を突かれた様子で肩を眺めた後、恐る恐る俺の肩に腰を下ろす。
 俺は右腕で美夜の両足を支えてから、
「しっかり掴まってろよ」
 美夜の左手を俺の頭に回させて一息に立ち上がった。
 
「うわ! 見えるよお兄ちゃん!」
 俺の背がプラスされて、美夜は高い位置からプールが見えるようになった。
 俺たちは一番後ろにいるから、他の客をさえぎって迷惑をかける心配もない。

 身体が触れ合ってどぎまぎしてしまう気持ちは、美夜に決してばれないように抑える。立派な兄がそんな気持ちを抱くなんてありえないはずだ。
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