大好物はお兄ちゃん

モトシモダ

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1章

8話

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 美夜は兄の衛士から右肩に乗せてもらってプールを見物している。この高さからなら、前の席で立っている男たちもそんなには視界の邪魔にならない。スタジアムの一番後ろからだから距離はあるけれども、ドラマチックな音楽に合わせてプールの双子姫やイルカたちが舞い踊る様が見えて楽しい。

 でも美夜には気になることもある。また衛士が自分ではない誰かに気を取られている気がする。美夜を見ているようで、だけど美夜を通して別の誰かを見ているような。

「お兄ちゃんのバカ」
「どうした、見えにくいのか?」
「よく見えるし!」
 
 衛士にちょっといらつきながらも眺めている美夜の中で、恐怖と安堵がごちゃまぜになったような気持ちが浮き上がってきた。自分がどうしてそんな気持ちになるのかわからなくて美夜は戸惑う。衛士にぎゅっとくっついてみると恐怖は薄れて、でも強い恥ずかしさに襲われる。おかしい、こんなの自分じゃない。
 美夜は試しにもっとくっついてみる。もっと恥ずかしくなる。

「落ちそうなのか?」
 衛士が心配してくる。
「んん」
 美夜は衛士と目を合わせたときに既視感を覚えた。そうだ、前にも同じ会話をした。今感じている気持ちはかつての記憶だ。家族がいなくなって独りぼっちになってしまって、そしたら背の高い年上の男が寄ってくるようになって、新しい家族と言われたけれども怖くてたまらなくて。
 男に連れてこられた水族館も暗くて恐ろしくて、だからイルカは好きだったけれども席の一番後ろに隠れていたら何も見えなくて、みじめで心細くて涙をこぼしてしまった。
 そしたら男が肩に乗せてくれたのだ。男からは美夜を思う優しい気持ちが伝わってきて、美夜がイルカに喜べば一緒に喜んでくれた。
 怖くてたまらなかった男のことを初めて美夜はよく見つめて、その笑顔に引き込まれて、そして美夜にとって男は大好きな兄になった。思わず見とれてしまう気持ちが恥ずかしくなって、やっぱり兄から逃げようとしてしまっていたのだが。

 お兄ちゃんが見ていたのはあの頃の美夜なのかと、美夜は問う。
 美夜の記憶が、お兄ちゃんが見ているのはずっと美夜だよと答える。

 美夜が衛士に密着すると、衛士から心臓の強い鼓動が伝わってくる。熱い血を感じる。とてもおいしそう。
 美夜の瞳が緋色に輝く。

「お兄ちゃんが欲しい……」
 美夜は紅い唇を舌なめずりする。

「ここにいるだろ」
「あたしはもう逃げたりしないよ。だからお兄ちゃんも、血がつながった永遠の家族になって」
 美夜はありったけの力を込めて魅了の能力を衛士に発動する。燃えるように美夜の瞳が煌めく。

「いただきます」
 美夜は衛士の首筋に噛みつこうとして、
「だからダメだって」
 衛士にするりとかわされ、抱きなおされた。お姫様抱っこだ。

 美夜は目を瞬かせる。
「こんな近くから魅了を頑張ってるのに!?」
「今更かかるわけないだろ……」
 衛士が言葉を漏らす。

「お兄ちゃん、どうして血族になってくれないのよ! そしたら本物のお兄ちゃんなのに!」
「そんなことしたら兄妹じゃいられなくなるだろ!」
「訳わかんないし!」

 その時、場内に大きなアナウンスが流れた。
「それではいよいよクライマックス! 双子姫から祝福が贈られます!」

 双子姫が潜って水上から消える。
 水面に小さな渦が生まれ、広がり大きくなって遂にはプール全体が渦巻く。
 その両端から双子姫がそれぞれ渦巻の勢いに乗って飛び出した。水しぶきと共に高く高く舞い上がる。
 双子姫はジャンプの頂点で手をつなぎ、上から美夜の方に目を向ける。微笑みながらくるりとお辞儀をするや、まっすぐ伸ばした手からブーケを飛ばした。

 ふわりと滞空しながらスタジアムの奥へと向かっていったブーケは衛士と美夜の元へ。美夜は片手を伸ばしてブーケをキャッチする。水を弾く素材でできているのかブーケは濡れていない。

「ブーケのカップルに祝福を!」
 アナウンスが流れて、場内は割れるような拍手と歓声。

 ショーは終わった。
 衛士は美夜を下ろして立たせる。

 美夜はブーケを大事そうに胸に抱えている。
「ブーケをもらったカップルは幸せに結ばれる伝説があるんだって」
「伝説って、このショーは今年始まったんだろ」

 美夜は頬を膨らませる。
「お兄ちゃん、ほんとデリカシーがわかってないよね。だから魅了もかからないのかなあ」

 衛士は肩をすくめながら、心の中でつぶやく。会ったときから魅了されているのに今更魅了されたりするものか。
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