31 / 64
第2章
海の宮と暗黒騎士
しおりを挟む
目の前にある島がいよいよゴールだ。
暗黒騎士ザニバルのベンダ号と巫女マヒメの雷蛇は並走しながら、島に続く海道へと突っ込んでいく。
「海の宮に一番乗りするのは私よ!」
マヒメは青い右瞳を爛々と輝かせ、雷蛇をベンダ号に幅寄せしてくる。
「勝つのはザニバルだもん!」
ザニバルは雷蛇の稲妻をものともせず、ベンダ号で幅寄せし返す。
島までの岩場は半ば沈んでいる。海に出ている狭い部分をつたって行かねばならない。そして岩場にはトリイが連なっている。二人ともが通れるほどの広さは無い。先にくぐった方が圧倒的に有利だ。
海岸でぶつかり弾き合いながら二人は最初のトリイへ。
そこに大波が来た。
ベンダ号が足をとられて滑る。すぐに立て直すが遅い。
その隙をついて雷蛇が最初のトリイをくぐった。
「勝利はいただきだぜえええ!」
左瞳を白く光らせてマヒメが雄たけびを上げる。
「あげないもん!」
ベンダ号も続いてトリイに突入。
岩場から岩場へとジャンプするように走る。
車体は激しく揺れて、ザニバルもあらゆる方向にシェイクされる。魔装がぶつかり合い、けたたましい金属音が鳴り響く。
二人は次々に岩場のトリイをくぐる。
波を浴びても雷蛇の稲妻は勢いを損ねていない。むしろ増している。
「逃避こそが力なんだぜええ!」
雷蛇の力はマヒメに宿る悪魔ボウマによるもの。ボウマは逃避の悪魔。逃げ時の今こそ力を発揮する。
ベンダ号は全速で走るも雷蛇に追いつけない。
このままでは負けてしまう。
<ザニバル、しっかりしておくれよ! あいつの手下なんて絶対に御免だよ!>
ザニバルの魔装に宿る悪魔バランが悲鳴を上げる。
雷蛇は遂に島へと上陸した。
岩ばかりの島にもトリイが連なっており、頂上へと続いている。頂上に見えるトリイは一際大きい。あそこが終着点なのだろう。ザニバルはとても強い星脈の力を感じる。
雷蛇はトリイの列をくぐって頂上へと進んでいく。
遅れてベンダ号も上り始める。
両者の距離は縮まらない。
ザニバルは怖い。
負けたらバランとお別れになる。
ヴラドのことも教えてもらえない。
今までの苦労は水の泡、これからの未来は真っ暗。
怖さに震えて涙も出てきそうだ。
雷蛇との距離がさらに離れた。もうこのままでは絶対に追いつけない。凄まじい恐怖。
恐れおののきながらザニバルは全身に力を込めた。
恐怖こそがザニバルの力なのだから。
「私の勝ちだああああっ!」
いよいよマヒメの雷蛇が最後のトリイをくぐろうとしたときだった。
「戻れ!」
ザニバルはベンダ号に命じる。
ベンダ号はアルテムの杖が変じた姿だ。それがたちまち杖に戻る。
水平に杖を持ったザニバルは続けて命じる。
「塔になれ!」
杖は伸びて巨大な塔と化す。
塔はトリイの列を瞬く間に貫く。ザニバルはその先端にいる。恐るべき速度で雷蛇のすぐ後ろに至る。
さらにそこからザニバルは跳んだ。
塔からの加速力を受けて、黒い弾丸のように打ち出される。
暗黒の瘴気を長いマントのごとくたなびかせて一直線に最後のトリイへ。
最後のトリイをくぐろうとしていたマヒメの脇を、黒い線のようにザニバルがかすめる。その直後に空気を叩きつけるかのような音。
ザニバルはトリイを先にくぐった。そのまま飛んでいく。島の頂上、すなわち海の宮を通り抜けて島の向こうへ。
「ザニバルの勝ちだもん!」
その声が響きながら遠ざかり、下へと落ちていく。
マヒメは最後のトリイをくぐるや、運んできていた塔を頂上の中央に立てた。塔を杖に戻し、雷蛇を解除。慌てて頂上の端に駆け寄り、ザニバルが落ちていった向こう側を見下ろす。
島の裏側は崖になっていて、はるか下では波が岩場にぶつかり白く崩れていた。
「ザニバルはどこ? 沈んでしまったの!?」
マヒメは必死に見回すが、どこにもザニバルの姿は見当たらない。
あの重そうな暗黒騎士が浮かんでくるとは思えないし、泳げもしないだろう。
<ボウマ、ザニバルを助けなきゃ>
<ちょい待ちなよ! ボウマはなあ、水が苦手なんだぜ! だいたい助ける義理なんてねえだろ>
<義理?>
マヒメは思い返す。
暗黒騎士のことを。
傲慢で不気味で禍々しくておどろおどろしい。
たった今まで競争してきて自分を打ち破ったむかつくやつ。
でも、頼んだとおりに暗黒騎士はやってきた。
競争を始めて、マヒメを村から連れ出してくれた。
心がくじけたとき助けてくれた。
マヒメは頂上に運んできた神樹の苗木を見る。枯れそうだったあの苗木が頂上で根を伸ばし、葉が鮮やかな緑色を取り戻している。
ザニバルのおかげでもう無理だと思っていた遷宮をやり遂げることができた!
<なによ義理ばっかりじゃないの! ボウマ、行くわよ!>
<へいへい、行きゃいいんだろ。このままにしときゃ負けを無かったことにできるっつうのに>
マヒメは巫女服をすばやく脱ぎ捨てた。
細身だが美しく整った裸身が露わになる。
バヂリ
肌の上を稲妻が走る。
マヒメの身体を稲妻が取り巻いていく。
電離風が巻き起こって渦巻となる。
マヒメは風を巻いて崖から跳んだ。
そこから海面へと落ちつつ電離風でさらに加速する。
水鳥が狩りをするかのように、マヒメは海に突入。泡を引いて一直線に海中を進みながらザニバルを探す。見つけられない。息が尽きそうになってくる。
海中だとマヒメは稲妻を使えない。いったん泳いで水面に戻る。
海上に手を伸ばして無理やりに稲妻と電離風を巻き起こし、身体を海上へ。そこから上昇した後、海中に再度突入する。
しかし海底まで目をやっても、どこにもあの黒い姿はない。
<死んで消えちまったんじゃねえの>
<ふざけたこと抜かしていると追い出すわよ、ボウマ! ……あ! 消えた、もしかして?>
暗黒騎士の重そうな魔装、あれを解除しているのかもしれないと思い至ったマヒメは人間の姿を海中に探す。
<……見つけた!>
海中の遠くに流されていく白い姿。
マヒメは浮上し直して、その白い姿へと潜り迫る。捉えた。
両腕で抱いて上へ。海上に顔を出す。
マヒメは目を疑った。
自分が今助けて胸の内にいるのは、幼くて華奢でかわいらしい少女。頭には濡れた獣耳がぺしょんと折れている。目をつむり、服の張り付いた胸をゆっくりと上下させている。
<だ、誰? 間違えた!?>
<いやあ、溺れている人間がたまたまここにもう一人いるってこたあねえだろ>
<だったら、まさか、この子がザニバルだって言うの!>
マヒメが抱きしめている少女はあまりにも弱々しい。あの恐怖の暗黒騎士の中身だとはとても信じられない。
少女は無意識に抱きついてきた。
その愛らしさにマヒメは胸を高鳴らせてしまう。
「とにかく助けなきゃ」
マヒメは少女を抱きながら泳いで島の表側へ。
「川で泳ぎを覚えておいてよかった」
マヒメは少女をお姫様抱っこして、トリイの列をくぐりまた頂上を目指す。
白い透き通るようなエルフの肌に夏の日差しが暑い。だが抱きかかえた少女の体温はすっかり冷えている。寒いのか、しっかりしがみついてきてかわいい。
アルテムの杖が落ちているのを途中で見つけた。拾うには手が足りない。どうしようかとマヒメが思った時、少女が身じろぎするやマヒメの胸から飛び出してアルテムの杖を拾い上げた。
少女は慌てた様子でトリイの柱に隠れる。
「ふにゃーっ!」
獣耳の毛を逆立て、マヒメを激しく警戒している。
マヒメから見ると、まるで怒った子猫のようだ。
少女の顔が赤いのはマヒメが裸だからというのもありそうだ。
「ザニバル?」
マヒメは声をかけてみる。
「ち、違うもん! マリベルだもん!」
マリベルと名乗った少女は頭の後ろに長いポニーテールの黒髪を垂らしている。そのポニーテールが不安げに揺れる。
「今回の勝負は私の勝ちね」
「そんなことないもん、ザニバルの勝ちだもん! ……あ」
少女ザニバルは失敗したという顔になる。
マヒメはくすりと笑い、最後のトリイをくぐり直してまた頂上へ。
自分の巫女服を拾って着る。
ここ、海の宮をマヒメはあらためて落ち着き眺める。
白い砂利が敷き詰められた広場。中央には運んできた苗木が植わっている。
苗木は高く伸びて、もはや立派な神樹になっていた。
結局、マヒメの運んできた苗木が一番乗りの神樹だ。ザニバルはただ走っていただけで苗木を運んではいなかったのだから。
ザニバルのおかげで成し遂げられたのだとマヒメは深く実感する。
神樹の枝々には白いつぼみがある。
この海の宮に溜まっている莫大な星脈の力を吸い上げて、神樹はつぼみをみるみる膨らませる。
つぼみは育ちきって花が開き始める。
神樹は白い花に包まれていく。清らかにかぐわしい。
マヒメは万感の思いで花満開の神樹を見上げる。
「間に合ったわ……!」
そこにおそるおそる少女ザニバルが近づいてきた。その胸にはひしとアルテムの杖が抱かれている。
アルテムの杖に染みこんでいた赤黒い血は海に流されたのか消えていた。
ザニバルはマヒメに並んで神樹を見上げる。
「ザニバルの勝ちだよ」
「そうね」
ザニバルはかわいらしい顔をきっと引き締めてみせた。
「ザニバルが勝ったから、約束どおりマヒメを叱るんだよ」
「はい」
どんな目に会わされるのかとマヒメは唾を飲む。
ザニバルは懐から包みを取り出す。マヒメが作った朝食だ。
「マヒメはねえ、ちゃんと朝にご飯を食べなきゃダメなの!」
そう言ってザニバルは包みを開き、中からオニギリを取り出してマヒメに渡した。
「ご飯?」
「ご飯を食べるのは大切なんだから!」
ザニバルは口をとがらせる。叱るためにとても怒ってみせているのだ。
マヒメはオニギリにかじりついてみる。美味しい。しっかり包んでおいたからか海水に浸ってはいない。久しぶりに食べ物の味を感じている。
マヒメはオニギリを半分に割ってザニバルに差し出す。
「ご飯は一緒に食べるものよ」
ザニバルはオニギリを受け取って眺め、
「うん、そうだね。一緒に食べるのも大切だもんね」
ザニバルは小さな口でおにぎりをかじる。お腹が減っていたザニバルはぱくぱくと勢いよく食べていく。
マヒメは感じる。
アルテムの杖に遺されていた恐怖が花の香りと共に昇華されていくのを。
皆の想いが天に還っていく。皆は、神樹は、村は、マヒメは救われたのだ。この小さな暗黒騎士に。
「ありがとう、暗黒騎士ザニバル。この恩は決して忘れないわ」
マヒメはザニバルに深々と礼をした。
「ざ、ザニバルじゃないもん! マリベルだもん!」
ザニバルはむせながら、必死に反論する。
「もう遅いわよ」
マヒメは吹き出した。
暗黒騎士ザニバルのベンダ号と巫女マヒメの雷蛇は並走しながら、島に続く海道へと突っ込んでいく。
「海の宮に一番乗りするのは私よ!」
マヒメは青い右瞳を爛々と輝かせ、雷蛇をベンダ号に幅寄せしてくる。
「勝つのはザニバルだもん!」
ザニバルは雷蛇の稲妻をものともせず、ベンダ号で幅寄せし返す。
島までの岩場は半ば沈んでいる。海に出ている狭い部分をつたって行かねばならない。そして岩場にはトリイが連なっている。二人ともが通れるほどの広さは無い。先にくぐった方が圧倒的に有利だ。
海岸でぶつかり弾き合いながら二人は最初のトリイへ。
そこに大波が来た。
ベンダ号が足をとられて滑る。すぐに立て直すが遅い。
その隙をついて雷蛇が最初のトリイをくぐった。
「勝利はいただきだぜえええ!」
左瞳を白く光らせてマヒメが雄たけびを上げる。
「あげないもん!」
ベンダ号も続いてトリイに突入。
岩場から岩場へとジャンプするように走る。
車体は激しく揺れて、ザニバルもあらゆる方向にシェイクされる。魔装がぶつかり合い、けたたましい金属音が鳴り響く。
二人は次々に岩場のトリイをくぐる。
波を浴びても雷蛇の稲妻は勢いを損ねていない。むしろ増している。
「逃避こそが力なんだぜええ!」
雷蛇の力はマヒメに宿る悪魔ボウマによるもの。ボウマは逃避の悪魔。逃げ時の今こそ力を発揮する。
ベンダ号は全速で走るも雷蛇に追いつけない。
このままでは負けてしまう。
<ザニバル、しっかりしておくれよ! あいつの手下なんて絶対に御免だよ!>
ザニバルの魔装に宿る悪魔バランが悲鳴を上げる。
雷蛇は遂に島へと上陸した。
岩ばかりの島にもトリイが連なっており、頂上へと続いている。頂上に見えるトリイは一際大きい。あそこが終着点なのだろう。ザニバルはとても強い星脈の力を感じる。
雷蛇はトリイの列をくぐって頂上へと進んでいく。
遅れてベンダ号も上り始める。
両者の距離は縮まらない。
ザニバルは怖い。
負けたらバランとお別れになる。
ヴラドのことも教えてもらえない。
今までの苦労は水の泡、これからの未来は真っ暗。
怖さに震えて涙も出てきそうだ。
雷蛇との距離がさらに離れた。もうこのままでは絶対に追いつけない。凄まじい恐怖。
恐れおののきながらザニバルは全身に力を込めた。
恐怖こそがザニバルの力なのだから。
「私の勝ちだああああっ!」
いよいよマヒメの雷蛇が最後のトリイをくぐろうとしたときだった。
「戻れ!」
ザニバルはベンダ号に命じる。
ベンダ号はアルテムの杖が変じた姿だ。それがたちまち杖に戻る。
水平に杖を持ったザニバルは続けて命じる。
「塔になれ!」
杖は伸びて巨大な塔と化す。
塔はトリイの列を瞬く間に貫く。ザニバルはその先端にいる。恐るべき速度で雷蛇のすぐ後ろに至る。
さらにそこからザニバルは跳んだ。
塔からの加速力を受けて、黒い弾丸のように打ち出される。
暗黒の瘴気を長いマントのごとくたなびかせて一直線に最後のトリイへ。
最後のトリイをくぐろうとしていたマヒメの脇を、黒い線のようにザニバルがかすめる。その直後に空気を叩きつけるかのような音。
ザニバルはトリイを先にくぐった。そのまま飛んでいく。島の頂上、すなわち海の宮を通り抜けて島の向こうへ。
「ザニバルの勝ちだもん!」
その声が響きながら遠ざかり、下へと落ちていく。
マヒメは最後のトリイをくぐるや、運んできていた塔を頂上の中央に立てた。塔を杖に戻し、雷蛇を解除。慌てて頂上の端に駆け寄り、ザニバルが落ちていった向こう側を見下ろす。
島の裏側は崖になっていて、はるか下では波が岩場にぶつかり白く崩れていた。
「ザニバルはどこ? 沈んでしまったの!?」
マヒメは必死に見回すが、どこにもザニバルの姿は見当たらない。
あの重そうな暗黒騎士が浮かんでくるとは思えないし、泳げもしないだろう。
<ボウマ、ザニバルを助けなきゃ>
<ちょい待ちなよ! ボウマはなあ、水が苦手なんだぜ! だいたい助ける義理なんてねえだろ>
<義理?>
マヒメは思い返す。
暗黒騎士のことを。
傲慢で不気味で禍々しくておどろおどろしい。
たった今まで競争してきて自分を打ち破ったむかつくやつ。
でも、頼んだとおりに暗黒騎士はやってきた。
競争を始めて、マヒメを村から連れ出してくれた。
心がくじけたとき助けてくれた。
マヒメは頂上に運んできた神樹の苗木を見る。枯れそうだったあの苗木が頂上で根を伸ばし、葉が鮮やかな緑色を取り戻している。
ザニバルのおかげでもう無理だと思っていた遷宮をやり遂げることができた!
<なによ義理ばっかりじゃないの! ボウマ、行くわよ!>
<へいへい、行きゃいいんだろ。このままにしときゃ負けを無かったことにできるっつうのに>
マヒメは巫女服をすばやく脱ぎ捨てた。
細身だが美しく整った裸身が露わになる。
バヂリ
肌の上を稲妻が走る。
マヒメの身体を稲妻が取り巻いていく。
電離風が巻き起こって渦巻となる。
マヒメは風を巻いて崖から跳んだ。
そこから海面へと落ちつつ電離風でさらに加速する。
水鳥が狩りをするかのように、マヒメは海に突入。泡を引いて一直線に海中を進みながらザニバルを探す。見つけられない。息が尽きそうになってくる。
海中だとマヒメは稲妻を使えない。いったん泳いで水面に戻る。
海上に手を伸ばして無理やりに稲妻と電離風を巻き起こし、身体を海上へ。そこから上昇した後、海中に再度突入する。
しかし海底まで目をやっても、どこにもあの黒い姿はない。
<死んで消えちまったんじゃねえの>
<ふざけたこと抜かしていると追い出すわよ、ボウマ! ……あ! 消えた、もしかして?>
暗黒騎士の重そうな魔装、あれを解除しているのかもしれないと思い至ったマヒメは人間の姿を海中に探す。
<……見つけた!>
海中の遠くに流されていく白い姿。
マヒメは浮上し直して、その白い姿へと潜り迫る。捉えた。
両腕で抱いて上へ。海上に顔を出す。
マヒメは目を疑った。
自分が今助けて胸の内にいるのは、幼くて華奢でかわいらしい少女。頭には濡れた獣耳がぺしょんと折れている。目をつむり、服の張り付いた胸をゆっくりと上下させている。
<だ、誰? 間違えた!?>
<いやあ、溺れている人間がたまたまここにもう一人いるってこたあねえだろ>
<だったら、まさか、この子がザニバルだって言うの!>
マヒメが抱きしめている少女はあまりにも弱々しい。あの恐怖の暗黒騎士の中身だとはとても信じられない。
少女は無意識に抱きついてきた。
その愛らしさにマヒメは胸を高鳴らせてしまう。
「とにかく助けなきゃ」
マヒメは少女を抱きながら泳いで島の表側へ。
「川で泳ぎを覚えておいてよかった」
マヒメは少女をお姫様抱っこして、トリイの列をくぐりまた頂上を目指す。
白い透き通るようなエルフの肌に夏の日差しが暑い。だが抱きかかえた少女の体温はすっかり冷えている。寒いのか、しっかりしがみついてきてかわいい。
アルテムの杖が落ちているのを途中で見つけた。拾うには手が足りない。どうしようかとマヒメが思った時、少女が身じろぎするやマヒメの胸から飛び出してアルテムの杖を拾い上げた。
少女は慌てた様子でトリイの柱に隠れる。
「ふにゃーっ!」
獣耳の毛を逆立て、マヒメを激しく警戒している。
マヒメから見ると、まるで怒った子猫のようだ。
少女の顔が赤いのはマヒメが裸だからというのもありそうだ。
「ザニバル?」
マヒメは声をかけてみる。
「ち、違うもん! マリベルだもん!」
マリベルと名乗った少女は頭の後ろに長いポニーテールの黒髪を垂らしている。そのポニーテールが不安げに揺れる。
「今回の勝負は私の勝ちね」
「そんなことないもん、ザニバルの勝ちだもん! ……あ」
少女ザニバルは失敗したという顔になる。
マヒメはくすりと笑い、最後のトリイをくぐり直してまた頂上へ。
自分の巫女服を拾って着る。
ここ、海の宮をマヒメはあらためて落ち着き眺める。
白い砂利が敷き詰められた広場。中央には運んできた苗木が植わっている。
苗木は高く伸びて、もはや立派な神樹になっていた。
結局、マヒメの運んできた苗木が一番乗りの神樹だ。ザニバルはただ走っていただけで苗木を運んではいなかったのだから。
ザニバルのおかげで成し遂げられたのだとマヒメは深く実感する。
神樹の枝々には白いつぼみがある。
この海の宮に溜まっている莫大な星脈の力を吸い上げて、神樹はつぼみをみるみる膨らませる。
つぼみは育ちきって花が開き始める。
神樹は白い花に包まれていく。清らかにかぐわしい。
マヒメは万感の思いで花満開の神樹を見上げる。
「間に合ったわ……!」
そこにおそるおそる少女ザニバルが近づいてきた。その胸にはひしとアルテムの杖が抱かれている。
アルテムの杖に染みこんでいた赤黒い血は海に流されたのか消えていた。
ザニバルはマヒメに並んで神樹を見上げる。
「ザニバルの勝ちだよ」
「そうね」
ザニバルはかわいらしい顔をきっと引き締めてみせた。
「ザニバルが勝ったから、約束どおりマヒメを叱るんだよ」
「はい」
どんな目に会わされるのかとマヒメは唾を飲む。
ザニバルは懐から包みを取り出す。マヒメが作った朝食だ。
「マヒメはねえ、ちゃんと朝にご飯を食べなきゃダメなの!」
そう言ってザニバルは包みを開き、中からオニギリを取り出してマヒメに渡した。
「ご飯?」
「ご飯を食べるのは大切なんだから!」
ザニバルは口をとがらせる。叱るためにとても怒ってみせているのだ。
マヒメはオニギリにかじりついてみる。美味しい。しっかり包んでおいたからか海水に浸ってはいない。久しぶりに食べ物の味を感じている。
マヒメはオニギリを半分に割ってザニバルに差し出す。
「ご飯は一緒に食べるものよ」
ザニバルはオニギリを受け取って眺め、
「うん、そうだね。一緒に食べるのも大切だもんね」
ザニバルは小さな口でおにぎりをかじる。お腹が減っていたザニバルはぱくぱくと勢いよく食べていく。
マヒメは感じる。
アルテムの杖に遺されていた恐怖が花の香りと共に昇華されていくのを。
皆の想いが天に還っていく。皆は、神樹は、村は、マヒメは救われたのだ。この小さな暗黒騎士に。
「ありがとう、暗黒騎士ザニバル。この恩は決して忘れないわ」
マヒメはザニバルに深々と礼をした。
「ざ、ザニバルじゃないもん! マリベルだもん!」
ザニバルはむせながら、必死に反論する。
「もう遅いわよ」
マヒメは吹き出した。
0
あなたにおすすめの小説
「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。
夏見ナイ
ファンタジー
「地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん冒険者アラン(40)。彼はこれを機に、血塗られた過去を捨てて辺境の村で静かに暮らすことを決意する。その正体は、10年前に姿を消した伝説の暗殺者“神の影”。
もう戦いはこりごりなのだが、体に染みついた暗殺術が無意識に発動。気配だけでチンピラを黙らせ、小石で魔物を一撃で仕留める姿が「神業」だと勘違いされ、噂が噂を呼ぶ。
純粋な少女には師匠と慕われ、元騎士には神と崇められ、挙句の果てには王女や諸国の密偵まで押しかけてくる始末。本人は畑仕事に精を出したいだけなのに、彼の周りでは勝手に伝説が更新されていく!
最強の元暗殺者による、勘違いスローライフファンタジー、開幕!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
《レベル∞》の万物創造スキルで追放された俺、辺境を開拓してたら気づけば神々の箱庭になっていた
夏見ナイ
ファンタジー
勇者パーティーの雑用係だったカイは、魔王討伐後「無能」の烙印を押され追放される。全てを失い、死を覚悟して流れ着いた「忘れられた辺境」。そこで彼のハズレスキルは真の姿《万物創造》へと覚醒した。
無から有を生み、世界の理すら書き換える神の如き力。カイはまず、生きるために快適な家を、豊かな畑を、そして清らかな川を創造する。荒れ果てた土地は、みるみるうちに楽園へと姿を変えていった。
やがて、彼の元には行き場を失った獣人の少女やエルフの賢者、ドワーフの鍛冶師など、心優しき仲間たちが集い始める。これは、追放された一人の青年が、大切な仲間たちと共に理想郷を築き、やがてその地が「神々の箱庭」と呼ばれるまでの物語。
追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます
黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる