暗黒騎士の大逆転

モト

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第2章

海の宮と暗黒騎士

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 目の前にある島がいよいよゴールだ。
 暗黒騎士ザニバルのベンダ号と巫女マヒメの雷蛇は並走しながら、島に続く海道へと突っ込んでいく。

「海の宮に一番乗りするのは私よ!」
 マヒメは青い右瞳を爛々と輝かせ、雷蛇をベンダ号に幅寄せしてくる。

「勝つのはザニバルだもん!」
 ザニバルは雷蛇の稲妻をものともせず、ベンダ号で幅寄せし返す。

 島までの岩場は半ば沈んでいる。海に出ている狭い部分をつたって行かねばならない。そして岩場にはトリイが連なっている。二人ともが通れるほどの広さは無い。先にくぐった方が圧倒的に有利だ。

 海岸でぶつかり弾き合いながら二人は最初のトリイへ。
 そこに大波が来た。
 ベンダ号が足をとられて滑る。すぐに立て直すが遅い。
 その隙をついて雷蛇が最初のトリイをくぐった。

「勝利はいただきだぜえええ!」
 左瞳を白く光らせてマヒメが雄たけびを上げる。

「あげないもん!」
 ベンダ号も続いてトリイに突入。
 岩場から岩場へとジャンプするように走る。
 車体は激しく揺れて、ザニバルもあらゆる方向にシェイクされる。魔装がぶつかり合い、けたたましい金属音が鳴り響く。

 二人は次々に岩場のトリイをくぐる。
 波を浴びても雷蛇の稲妻は勢いを損ねていない。むしろ増している。

「逃避こそが力なんだぜええ!」
 雷蛇の力はマヒメに宿る悪魔ボウマによるもの。ボウマは逃避の悪魔。逃げ時の今こそ力を発揮する。

 ベンダ号は全速で走るも雷蛇に追いつけない。
 このままでは負けてしまう。

<ザニバル、しっかりしておくれよ! あいつの手下なんて絶対に御免だよ!>
 ザニバルの魔装に宿る悪魔バランが悲鳴を上げる。

 雷蛇は遂に島へと上陸した。
 岩ばかりの島にもトリイが連なっており、頂上へと続いている。頂上に見えるトリイは一際大きい。あそこが終着点なのだろう。ザニバルはとても強い星脈の力を感じる。

 雷蛇はトリイの列をくぐって頂上へと進んでいく。
 遅れてベンダ号も上り始める。
 両者の距離は縮まらない。

 ザニバルは怖い。
 負けたらバランとお別れになる。
 ヴラドのことも教えてもらえない。
 今までの苦労は水の泡、これからの未来は真っ暗。
 怖さに震えて涙も出てきそうだ。

 雷蛇との距離がさらに離れた。もうこのままでは絶対に追いつけない。凄まじい恐怖。
 恐れおののきながらザニバルは全身に力を込めた。
 恐怖こそがザニバルの力なのだから。

「私の勝ちだああああっ!」
 いよいよマヒメの雷蛇が最後のトリイをくぐろうとしたときだった。

「戻れ!」
 ザニバルはベンダ号に命じる。
 ベンダ号はアルテムの杖が変じた姿だ。それがたちまち杖に戻る。

 水平に杖を持ったザニバルは続けて命じる。
「塔になれ!」
 杖は伸びて巨大な塔と化す。
 塔はトリイの列を瞬く間に貫く。ザニバルはその先端にいる。恐るべき速度で雷蛇のすぐ後ろに至る。

 さらにそこからザニバルは跳んだ。
 塔からの加速力を受けて、黒い弾丸のように打ち出される。
 暗黒の瘴気を長いマントのごとくたなびかせて一直線に最後のトリイへ。

 最後のトリイをくぐろうとしていたマヒメの脇を、黒い線のようにザニバルがかすめる。その直後に空気を叩きつけるかのような音。

 ザニバルはトリイを先にくぐった。そのまま飛んでいく。島の頂上、すなわち海の宮を通り抜けて島の向こうへ。

「ザニバルの勝ちだもん!」
 その声が響きながら遠ざかり、下へと落ちていく。

 マヒメは最後のトリイをくぐるや、運んできていた塔を頂上の中央に立てた。塔を杖に戻し、雷蛇を解除。慌てて頂上の端に駆け寄り、ザニバルが落ちていった向こう側を見下ろす。
 島の裏側は崖になっていて、はるか下では波が岩場にぶつかり白く崩れていた。

「ザニバルはどこ? 沈んでしまったの!?」
 マヒメは必死に見回すが、どこにもザニバルの姿は見当たらない。
 あの重そうな暗黒騎士が浮かんでくるとは思えないし、泳げもしないだろう。

<ボウマ、ザニバルを助けなきゃ>
<ちょい待ちなよ! ボウマはなあ、水が苦手なんだぜ! だいたい助ける義理なんてねえだろ>

<義理?>
 マヒメは思い返す。
 暗黒騎士のことを。

 傲慢で不気味で禍々しくておどろおどろしい。
 たった今まで競争してきて自分を打ち破ったむかつくやつ。

 でも、頼んだとおりに暗黒騎士はやってきた。
 競争を始めて、マヒメを村から連れ出してくれた。
 心がくじけたとき助けてくれた。

 マヒメは頂上に運んできた神樹の苗木を見る。枯れそうだったあの苗木が頂上で根を伸ばし、葉が鮮やかな緑色を取り戻している。

 ザニバルのおかげでもう無理だと思っていた遷宮をやり遂げることができた!

<なによ義理ばっかりじゃないの! ボウマ、行くわよ!>
<へいへい、行きゃいいんだろ。このままにしときゃ負けを無かったことにできるっつうのに>

 マヒメは巫女服をすばやく脱ぎ捨てた。
 細身だが美しく整った裸身が露わになる。

 バヂリ

 肌の上を稲妻が走る。
 マヒメの身体を稲妻が取り巻いていく。
 電離風が巻き起こって渦巻となる。

 マヒメは風を巻いて崖から跳んだ。
 そこから海面へと落ちつつ電離風でさらに加速する。

 水鳥が狩りをするかのように、マヒメは海に突入。泡を引いて一直線に海中を進みながらザニバルを探す。見つけられない。息が尽きそうになってくる。

 海中だとマヒメは稲妻を使えない。いったん泳いで水面に戻る。
 海上に手を伸ばして無理やりに稲妻と電離風を巻き起こし、身体を海上へ。そこから上昇した後、海中に再度突入する。
 しかし海底まで目をやっても、どこにもあの黒い姿はない。

<死んで消えちまったんじゃねえの>
<ふざけたこと抜かしていると追い出すわよ、ボウマ! ……あ! 消えた、もしかして?>

 暗黒騎士の重そうな魔装、あれを解除しているのかもしれないと思い至ったマヒメは人間の姿を海中に探す。

<……見つけた!>
 海中の遠くに流されていく白い姿。

 マヒメは浮上し直して、その白い姿へと潜り迫る。捉えた。
 両腕で抱いて上へ。海上に顔を出す。

 マヒメは目を疑った。
 自分が今助けて胸の内にいるのは、幼くて華奢でかわいらしい少女。頭には濡れた獣耳がぺしょんと折れている。目をつむり、服の張り付いた胸をゆっくりと上下させている。

<だ、誰? 間違えた!?>
<いやあ、溺れている人間がたまたまここにもう一人いるってこたあねえだろ>

<だったら、まさか、この子がザニバルだって言うの!>
 マヒメが抱きしめている少女はあまりにも弱々しい。あの恐怖の暗黒騎士の中身だとはとても信じられない。

 少女は無意識に抱きついてきた。
 その愛らしさにマヒメは胸を高鳴らせてしまう。

「とにかく助けなきゃ」
 マヒメは少女を抱きながら泳いで島の表側へ。
「川で泳ぎを覚えておいてよかった」

 マヒメは少女をお姫様抱っこして、トリイの列をくぐりまた頂上を目指す。
 白い透き通るようなエルフの肌に夏の日差しが暑い。だが抱きかかえた少女の体温はすっかり冷えている。寒いのか、しっかりしがみついてきてかわいい。

 アルテムの杖が落ちているのを途中で見つけた。拾うには手が足りない。どうしようかとマヒメが思った時、少女が身じろぎするやマヒメの胸から飛び出してアルテムの杖を拾い上げた。

 少女は慌てた様子でトリイの柱に隠れる。
「ふにゃーっ!」
 獣耳の毛を逆立て、マヒメを激しく警戒している。
 マヒメから見ると、まるで怒った子猫のようだ。
 少女の顔が赤いのはマヒメが裸だからというのもありそうだ。
 
「ザニバル?」
 マヒメは声をかけてみる。

「ち、違うもん! マリベルだもん!」
 マリベルと名乗った少女は頭の後ろに長いポニーテールの黒髪を垂らしている。そのポニーテールが不安げに揺れる。

「今回の勝負は私の勝ちね」
「そんなことないもん、ザニバルの勝ちだもん! ……あ」
 少女ザニバルは失敗したという顔になる。

 マヒメはくすりと笑い、最後のトリイをくぐり直してまた頂上へ。
 自分の巫女服を拾って着る。

 ここ、海の宮をマヒメはあらためて落ち着き眺める。
 白い砂利が敷き詰められた広場。中央には運んできた苗木が植わっている。
 苗木は高く伸びて、もはや立派な神樹になっていた。

 結局、マヒメの運んできた苗木が一番乗りの神樹だ。ザニバルはただ走っていただけで苗木を運んではいなかったのだから。
 ザニバルのおかげで成し遂げられたのだとマヒメは深く実感する。

 神樹の枝々には白いつぼみがある。
 この海の宮に溜まっている莫大な星脈の力を吸い上げて、神樹はつぼみをみるみる膨らませる。
 つぼみは育ちきって花が開き始める。
 神樹は白い花に包まれていく。清らかにかぐわしい。

 マヒメは万感の思いで花満開の神樹を見上げる。
「間に合ったわ……!」

 そこにおそるおそる少女ザニバルが近づいてきた。その胸にはひしとアルテムの杖が抱かれている。
 アルテムの杖に染みこんでいた赤黒い血は海に流されたのか消えていた。

 ザニバルはマヒメに並んで神樹を見上げる。
「ザニバルの勝ちだよ」
「そうね」

 ザニバルはかわいらしい顔をきっと引き締めてみせた。
「ザニバルが勝ったから、約束どおりマヒメを叱るんだよ」

「はい」
 どんな目に会わされるのかとマヒメは唾を飲む。

 ザニバルは懐から包みを取り出す。マヒメが作った朝食だ。
「マヒメはねえ、ちゃんと朝にご飯を食べなきゃダメなの!」
 そう言ってザニバルは包みを開き、中からオニギリを取り出してマヒメに渡した。

「ご飯?」
「ご飯を食べるのは大切なんだから!」
 ザニバルは口をとがらせる。叱るためにとても怒ってみせているのだ。

 マヒメはオニギリにかじりついてみる。美味しい。しっかり包んでおいたからか海水に浸ってはいない。久しぶりに食べ物の味を感じている。

 マヒメはオニギリを半分に割ってザニバルに差し出す。
「ご飯は一緒に食べるものよ」

 ザニバルはオニギリを受け取って眺め、
「うん、そうだね。一緒に食べるのも大切だもんね」
 ザニバルは小さな口でおにぎりをかじる。お腹が減っていたザニバルはぱくぱくと勢いよく食べていく。

 マヒメは感じる。
 アルテムの杖に遺されていた恐怖が花の香りと共に昇華されていくのを。
 皆の想いが天に還っていく。皆は、神樹は、村は、マヒメは救われたのだ。この小さな暗黒騎士に。

「ありがとう、暗黒騎士ザニバル。この恩は決して忘れないわ」
 マヒメはザニバルに深々と礼をした。

「ざ、ザニバルじゃないもん! マリベルだもん!」
 ザニバルはむせながら、必死に反論する。

「もう遅いわよ」
 マヒメは吹き出した。
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