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第4章
課外授業 その二
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パトリシアの目前で、ビジェンはみるみる変わっていく。顔だけでなく、体の線も柔らかく変わる。
全身のバランスが変容していき、男性から女性へと移り変わる。
パトリシアは信じがたいものを目前にして呆然とする。
今やビジェンの姿はもはやどうみても美しい女性だった。小柄だが豊かな身体つきをしている。
パトリシアの驚愕っぷりに気付いたビジェンは、
「ああ、あたしらドワーフはどちらでもあるんですよ。あんまり人様にお見せするものじゃありませんが、今さら旦那に隠してもねえ。さて、ご案内しましょうか」
そう言いながらビジェンはザニバルの片腕につかまり、ぴったりくっついてみせる。
「ねえ、歩きにくいよ」
そう言いながらもザニバルはビジェンをくっつけたまま歩き出す。
ドワーフの女には髭があるという俗説の意味をパトリシアは理解した。人口が少ないうえに地下住まいで人間の前にはなかなか現れないドワーフは秘密に満ちている。その実態を知ってパトリシアは目から鱗が落ちる思いだった。
それにしても、ビジェンにいちゃつかれているザニバルを見ると、パトリシアの胸の奥がなぜか痛む。
ザニバルとビジェンは建物入口の暖簾をくぐる。パトリシアも後を追う。
ホーリータイガーのキトは身体を震わせるとみるみる小さくなっていって白猫と化した。とことこ歩いて一行に続く。
建物の中は風呂の脱衣所だった。
ビジェンは籠やタオルの説明をしてから、
「旦那、ご一緒してお背中を流しましょうか」
「いらないもん」
ザニバルはすげなく断る。
「ほんと、つれない旦那ですねえ」
ビジェンは笑い、
「お嬢ちゃん、迷子にならないようにお気をつけなさいよ。それでは旦那、また後ほど」
言い残して脱衣所を出ていった。
パトリシアは馬鹿にされたのかと思って、少しむっとした。風呂で迷子になったりする訳がない。
ともかく風呂に入って身体を暖めようと服に手をかけたところで動きが止まる。
この風呂は男女に分かれていない。混浴だ。そしてザニバルは鎧姿のまま立っている。
「ザ、ザニバルはどうするの?」
「お姉ちゃんはお風呂で続きを話してくれたから、ザニバルもお風呂でお話しするもん」
ザニバルは平然と答える。
「そうじゃなくて! あの…… お風呂に入るんでしょ……? その鎧は脱ぐの……?」
パトリシアは顔を赤くして聞く。鎧の中がどうなっているのか気になって、恥ずかしいのに言ってしまう。
「ザニバルは脱がなくていいもん。パティは早く脱いでよ」
何食わぬ態度のザニバルに、パトリシアはかっとなった。
「私が脱ぐのにザニバルが脱がないなんてありえませんわ! ふざけないでくださいまし! お風呂は服を着て入るところではありませんのよ! 鎧を着たままだなんて言語道断ですわ! 天が許しても私が許しませんわよ! 脱いでこなければお話も聞いてあげませんことよ!」
烈火のごとくパトリシアはまくし立て、
「あっちを向いてくださいな!」
ザニバルが反対側を向くや、パトリシアは服をばたばたと脱いで籠に押し込め、手拭いを引っ掴むや風呂の扉へと突進していった。
風呂の扉が勢いよく開いて閉まる音がしてから、ザニバルは向き直る。
「パティ、すごく怖いもん……」
ザニバルは赤い眼を瞬かせて考える。
魔装を着たままお風呂に入ったら、怒ったパティはもう口を聞いてくれないかもしれない。もっとお話をしたいのに。
でも、鎧を外したら中身がマリベルだってばれてしまう。そしたら、だまされてたと思ってもっと怒るかも。正体はこんなに弱いちびだって知ったらもう相手してくれなくなるんじゃ。
どっちを取ってもすごく怒られてしまう。
「ザニバル、まだでして?」
扉の向こうからパトリシアがザニバルを呼ぶ。怒った声だ。
仕方なくザニバルは一計を案じた。
魔装を開いて、マリベルの姿で外に出て、魔装を閉じ直す。
魔装をそのままここに置きっぱなしにして、ザニバルが残っているということにするのだ。
<おいおいザニバル、このバランを置いていくつもりかい!?>
<留守番よろしくね>
<おい! ザニバルがいなきゃあこの魔装は動かせないんだよ! じっと突っ立ってろってかい!>
<うん>
マリベルは小さな手で魔装の姿勢を微調整して、
<ほら、これでちゃんと怖そうに見えるもん、大丈夫>
<ザニバル! ザニバアアル!>
マリベルはてきぱきと薄い服を脱いで籠に放り込み、扉へと駆け出しかけた。そこで、かつて風呂場で走ってすっ転びかけてお姉ちゃんからきつく叱られたことを思い出し、速度を落とす。
マリベルがそっと扉を開くと、むわっとした蒸気、そしてタオルで前を隠したパトリシアに出迎えられた。
パトリシアは目を見開いて、
「え? マリベル?」
パトリシアは脱衣所に目をやる。ザニバルは突っ立ったままだ。そして白く華奢なマリベルの裸身が目前にある。
「そ、その姿!」
パトリシアの心臓が激しく鼓動する。
「ど、どうしてマリベルがここにいるの? ザニバルは入らないの? マリベルは入るの?」
頭に血を上らせたパトリシアがマリベルに詰め寄ってくる。マリベルは後ずさってしまう。
「……マリベルが代わりだもん」
「マリベルがお話をしてくれるの? 黒猫剣士のことを知ってるの? イザベルから聞いたの? それともザニバルから?」
パトリシアの矢継ぎ早な質問にマリベルは目を白黒させ、大きな獣耳を震わせる。
「どういうことなの!?」
答えられないマリベルをパトリシアは掴もうとしてくる。パトリシアは驚きのあまりにパニック状態なのだ。
怖くなったマリベルはパトリシアの手をかいくぐり、風呂場へと駆けこんだ。
「待って、マリベル!」
パトリシアはマリベルを追ってくる。
マリベルは闇雲に逃げる。逃げても逃げても奥がある。この露天浴場は途轍もなく広い。
岩場が広がり、その中に各種の風呂が作られている。あちこちの岩にさえぎられて見通しきれないが、池のように大きな風呂、泡が噴き出している風呂、川のように流れる風呂、滝のような急流の風呂…… あちこちの岩にさえぎられて見通せないが、見えるだけでも風呂だらけだ。
「待ってったら!」
追いかけるパトリシアは、さきほどビジェンから迷子になるなと言われたのは嫌味ではなかったのだと分かった。とんでもない広さだ。
「やだもん!」
逃げるマリベルは勢い余ってすっ転び、流れる風呂に飛び込んだ。
この風呂はナヴァリア州を流れる大河を模したものらしい。流れの周囲には石細工でナヴァリア各地が再現されている。
「みゃああ!」
マリベルはミニチュアな景色の中を流れ始め、そしてごぼごぼと沈み始めた。
パトリシアは目を剥く。
「マリベル! 泳げないの!?」
「みぎゃああああ」
沈んだマリベルはじたばたと溺れながら流されていく。
パトリシアもそれほど泳ぎが得意ではないが、川で泳いだことぐらいはある。マリベルを助けようと流れる風呂に急いで飛び込む。普通に足が着く深さだ。どうしてマリベルが溺れてしまうのかパトリシアは困惑するが、それどころではない。
ミニチュアな景色が山岳地帯から小さな芒星城へと流れていき、やがてパリエ郡が目に入ってくる。パトリシアの暮らしている美しい田園地帯が再現されていた。
父の事がパトリシアの頭をよぎる。温泉から遅くに帰ったら、父からどれほど怒られることだろう。しかし一瞬でそんな思いを捨て去り、泳ぎに専念する。早くマリベルを助けないと。
全力で泳ぎ続けたパトリシアはとうとう流れていくザニバルに追いついた。
パトリシアは溺れるマリベルを抱え上げる。必死に手足をじたばたさせるマリベルをパトリシアはぎゅっと抱きしめて動きを止めようとする。
マリベルは顔が水の上に出ていて息ができることに気付き、ようやく落ち着いてきた。獣耳をぱたぱた、目をぱちくりさせる。
「みゃあ……」
安心したパトリシアは自分がマリベルとぴったり暖かい肌を合わせていることに気付いて、全身を真っ赤にした。
「きゃ!」
思わず手を放してマリベルを水の中に落としかける。
「みゃああ!」
叫ぶマリベルを慌ててパトリシアは抱き直す。
「ふうううう!」
濡れていてはっきりはしないがマリベルは涙目だ。
「ご、ごめんなさいね、マリベル。でも足は着くんじゃないかしら」
そう言われてマリベルは恐る恐る足を確認し、そして両足で立とうとした。しかし流れるお湯に足をとられてまた沈みそうになる。
「みぎゃあああ!」
結局、マリベルはパトリシアに手をつながれて、流れる風呂から上がったのだった。
ここは露天浴場だ。夕焼けに染まった大火山を仰ぎ見ているうちに二人は落ち着いてきた。
風呂から出ていると秋風が冷たい。とりわけ浅い風呂をザニバルが選び、二人で入り直す。床から泡が出てくる気持ち良い風呂だ。
村までの旅で体を冷やしていたパトリシアだが、じっくり体の芯まで暖まってほっとする。
マリベルはまだこわごわとしていたが、さすがにもう逃げる気は失せている。
「それでマリベルはどうしてここに」
「それで黒猫剣士はね」
マリベルは質問に答えることなく、せきを切ったように話し出す。
パトリシアはいったん質問するのを諦めて話を聞くことにする。
「温泉に来た黒猫剣士はね、大歓迎されるの。温泉はみんな優しい人ばかりなの。でもね、火の鳥が襲ってくるの。小さな火の鳥が飛び回って、みんなの家に火がついちゃうの」
マリベルは獣耳をぷるぷるさせながら熱心にかわいらしく話す。
パトリシアにはその姿がまるで黒猫剣士のように見えた。そして閃いた。もしかして黒猫剣士のモデルはマリベルなのでは? だとしたらイザベルから黒猫剣士の話を聞いたのはマリベル? でもザニバルもイザベルから聞いたと言っていた。二人そろって聞いた? だとしたらザニバルとマリベルの関係は……?
全身のバランスが変容していき、男性から女性へと移り変わる。
パトリシアは信じがたいものを目前にして呆然とする。
今やビジェンの姿はもはやどうみても美しい女性だった。小柄だが豊かな身体つきをしている。
パトリシアの驚愕っぷりに気付いたビジェンは、
「ああ、あたしらドワーフはどちらでもあるんですよ。あんまり人様にお見せするものじゃありませんが、今さら旦那に隠してもねえ。さて、ご案内しましょうか」
そう言いながらビジェンはザニバルの片腕につかまり、ぴったりくっついてみせる。
「ねえ、歩きにくいよ」
そう言いながらもザニバルはビジェンをくっつけたまま歩き出す。
ドワーフの女には髭があるという俗説の意味をパトリシアは理解した。人口が少ないうえに地下住まいで人間の前にはなかなか現れないドワーフは秘密に満ちている。その実態を知ってパトリシアは目から鱗が落ちる思いだった。
それにしても、ビジェンにいちゃつかれているザニバルを見ると、パトリシアの胸の奥がなぜか痛む。
ザニバルとビジェンは建物入口の暖簾をくぐる。パトリシアも後を追う。
ホーリータイガーのキトは身体を震わせるとみるみる小さくなっていって白猫と化した。とことこ歩いて一行に続く。
建物の中は風呂の脱衣所だった。
ビジェンは籠やタオルの説明をしてから、
「旦那、ご一緒してお背中を流しましょうか」
「いらないもん」
ザニバルはすげなく断る。
「ほんと、つれない旦那ですねえ」
ビジェンは笑い、
「お嬢ちゃん、迷子にならないようにお気をつけなさいよ。それでは旦那、また後ほど」
言い残して脱衣所を出ていった。
パトリシアは馬鹿にされたのかと思って、少しむっとした。風呂で迷子になったりする訳がない。
ともかく風呂に入って身体を暖めようと服に手をかけたところで動きが止まる。
この風呂は男女に分かれていない。混浴だ。そしてザニバルは鎧姿のまま立っている。
「ザ、ザニバルはどうするの?」
「お姉ちゃんはお風呂で続きを話してくれたから、ザニバルもお風呂でお話しするもん」
ザニバルは平然と答える。
「そうじゃなくて! あの…… お風呂に入るんでしょ……? その鎧は脱ぐの……?」
パトリシアは顔を赤くして聞く。鎧の中がどうなっているのか気になって、恥ずかしいのに言ってしまう。
「ザニバルは脱がなくていいもん。パティは早く脱いでよ」
何食わぬ態度のザニバルに、パトリシアはかっとなった。
「私が脱ぐのにザニバルが脱がないなんてありえませんわ! ふざけないでくださいまし! お風呂は服を着て入るところではありませんのよ! 鎧を着たままだなんて言語道断ですわ! 天が許しても私が許しませんわよ! 脱いでこなければお話も聞いてあげませんことよ!」
烈火のごとくパトリシアはまくし立て、
「あっちを向いてくださいな!」
ザニバルが反対側を向くや、パトリシアは服をばたばたと脱いで籠に押し込め、手拭いを引っ掴むや風呂の扉へと突進していった。
風呂の扉が勢いよく開いて閉まる音がしてから、ザニバルは向き直る。
「パティ、すごく怖いもん……」
ザニバルは赤い眼を瞬かせて考える。
魔装を着たままお風呂に入ったら、怒ったパティはもう口を聞いてくれないかもしれない。もっとお話をしたいのに。
でも、鎧を外したら中身がマリベルだってばれてしまう。そしたら、だまされてたと思ってもっと怒るかも。正体はこんなに弱いちびだって知ったらもう相手してくれなくなるんじゃ。
どっちを取ってもすごく怒られてしまう。
「ザニバル、まだでして?」
扉の向こうからパトリシアがザニバルを呼ぶ。怒った声だ。
仕方なくザニバルは一計を案じた。
魔装を開いて、マリベルの姿で外に出て、魔装を閉じ直す。
魔装をそのままここに置きっぱなしにして、ザニバルが残っているということにするのだ。
<おいおいザニバル、このバランを置いていくつもりかい!?>
<留守番よろしくね>
<おい! ザニバルがいなきゃあこの魔装は動かせないんだよ! じっと突っ立ってろってかい!>
<うん>
マリベルは小さな手で魔装の姿勢を微調整して、
<ほら、これでちゃんと怖そうに見えるもん、大丈夫>
<ザニバル! ザニバアアル!>
マリベルはてきぱきと薄い服を脱いで籠に放り込み、扉へと駆け出しかけた。そこで、かつて風呂場で走ってすっ転びかけてお姉ちゃんからきつく叱られたことを思い出し、速度を落とす。
マリベルがそっと扉を開くと、むわっとした蒸気、そしてタオルで前を隠したパトリシアに出迎えられた。
パトリシアは目を見開いて、
「え? マリベル?」
パトリシアは脱衣所に目をやる。ザニバルは突っ立ったままだ。そして白く華奢なマリベルの裸身が目前にある。
「そ、その姿!」
パトリシアの心臓が激しく鼓動する。
「ど、どうしてマリベルがここにいるの? ザニバルは入らないの? マリベルは入るの?」
頭に血を上らせたパトリシアがマリベルに詰め寄ってくる。マリベルは後ずさってしまう。
「……マリベルが代わりだもん」
「マリベルがお話をしてくれるの? 黒猫剣士のことを知ってるの? イザベルから聞いたの? それともザニバルから?」
パトリシアの矢継ぎ早な質問にマリベルは目を白黒させ、大きな獣耳を震わせる。
「どういうことなの!?」
答えられないマリベルをパトリシアは掴もうとしてくる。パトリシアは驚きのあまりにパニック状態なのだ。
怖くなったマリベルはパトリシアの手をかいくぐり、風呂場へと駆けこんだ。
「待って、マリベル!」
パトリシアはマリベルを追ってくる。
マリベルは闇雲に逃げる。逃げても逃げても奥がある。この露天浴場は途轍もなく広い。
岩場が広がり、その中に各種の風呂が作られている。あちこちの岩にさえぎられて見通しきれないが、池のように大きな風呂、泡が噴き出している風呂、川のように流れる風呂、滝のような急流の風呂…… あちこちの岩にさえぎられて見通せないが、見えるだけでも風呂だらけだ。
「待ってったら!」
追いかけるパトリシアは、さきほどビジェンから迷子になるなと言われたのは嫌味ではなかったのだと分かった。とんでもない広さだ。
「やだもん!」
逃げるマリベルは勢い余ってすっ転び、流れる風呂に飛び込んだ。
この風呂はナヴァリア州を流れる大河を模したものらしい。流れの周囲には石細工でナヴァリア各地が再現されている。
「みゃああ!」
マリベルはミニチュアな景色の中を流れ始め、そしてごぼごぼと沈み始めた。
パトリシアは目を剥く。
「マリベル! 泳げないの!?」
「みぎゃああああ」
沈んだマリベルはじたばたと溺れながら流されていく。
パトリシアもそれほど泳ぎが得意ではないが、川で泳いだことぐらいはある。マリベルを助けようと流れる風呂に急いで飛び込む。普通に足が着く深さだ。どうしてマリベルが溺れてしまうのかパトリシアは困惑するが、それどころではない。
ミニチュアな景色が山岳地帯から小さな芒星城へと流れていき、やがてパリエ郡が目に入ってくる。パトリシアの暮らしている美しい田園地帯が再現されていた。
父の事がパトリシアの頭をよぎる。温泉から遅くに帰ったら、父からどれほど怒られることだろう。しかし一瞬でそんな思いを捨て去り、泳ぎに専念する。早くマリベルを助けないと。
全力で泳ぎ続けたパトリシアはとうとう流れていくザニバルに追いついた。
パトリシアは溺れるマリベルを抱え上げる。必死に手足をじたばたさせるマリベルをパトリシアはぎゅっと抱きしめて動きを止めようとする。
マリベルは顔が水の上に出ていて息ができることに気付き、ようやく落ち着いてきた。獣耳をぱたぱた、目をぱちくりさせる。
「みゃあ……」
安心したパトリシアは自分がマリベルとぴったり暖かい肌を合わせていることに気付いて、全身を真っ赤にした。
「きゃ!」
思わず手を放してマリベルを水の中に落としかける。
「みゃああ!」
叫ぶマリベルを慌ててパトリシアは抱き直す。
「ふうううう!」
濡れていてはっきりはしないがマリベルは涙目だ。
「ご、ごめんなさいね、マリベル。でも足は着くんじゃないかしら」
そう言われてマリベルは恐る恐る足を確認し、そして両足で立とうとした。しかし流れるお湯に足をとられてまた沈みそうになる。
「みぎゃあああ!」
結局、マリベルはパトリシアに手をつながれて、流れる風呂から上がったのだった。
ここは露天浴場だ。夕焼けに染まった大火山を仰ぎ見ているうちに二人は落ち着いてきた。
風呂から出ていると秋風が冷たい。とりわけ浅い風呂をザニバルが選び、二人で入り直す。床から泡が出てくる気持ち良い風呂だ。
村までの旅で体を冷やしていたパトリシアだが、じっくり体の芯まで暖まってほっとする。
マリベルはまだこわごわとしていたが、さすがにもう逃げる気は失せている。
「それでマリベルはどうしてここに」
「それで黒猫剣士はね」
マリベルは質問に答えることなく、せきを切ったように話し出す。
パトリシアはいったん質問するのを諦めて話を聞くことにする。
「温泉に来た黒猫剣士はね、大歓迎されるの。温泉はみんな優しい人ばかりなの。でもね、火の鳥が襲ってくるの。小さな火の鳥が飛び回って、みんなの家に火がついちゃうの」
マリベルは獣耳をぷるぷるさせながら熱心にかわいらしく話す。
パトリシアにはその姿がまるで黒猫剣士のように見えた。そして閃いた。もしかして黒猫剣士のモデルはマリベルなのでは? だとしたらイザベルから黒猫剣士の話を聞いたのはマリベル? でもザニバルもイザベルから聞いたと言っていた。二人そろって聞いた? だとしたらザニバルとマリベルの関係は……?
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