13 / 48
第13話
しおりを挟む
疑問を抱いたまま更に舞台に近づくと火を焚いている以上、当然ながら人がいた。
「すみません。どうしてこの舞台は後ろを向いているんですか?」
舞台上を見つめるその男は、闖入者を咎めずに抑えた声で答えた。
「これは幣殿といいます。奥の社が神殿です。幣殿で行われる神事は全て神殿におわす天之紅津命に捧げられるものです。人に見せるためのものではありません」
「はあ、神様が観客……アメノクレツノミコトですか?」
言いつつ煙が目に入った京哉は伊達眼鏡を外して目を擦る。男は構わず続けた。
「そうです。結界を破りて神域に来たりし方々、今暫くお静かに……っ!」
そこで素顔の京哉を初めてまともに見た男は目を瞠って息を呑み、凍り付いたように身動きを止めていた。明らかに京哉を驚愕の目で凝視している。
瞬きもせず見つめられ、伊達眼鏡を掛け直した京哉は不思議な思いで男を見返した。
特徴といえば男性の割に髪が長いことが挙げられる。うなじでひとつに縛っているが、その先は腰近くまで届いていた。身に着けているのは白いシャツにジーンズと黒のジャケットで、割と普通ではあるがコートもなく結構寒そうだ。
細身だがしっかり骨太な印象で身長は霧島より少し低い程度か。歳も霧島と変わらない、二十七、八だと思われた。
まだ見られているのを意識しながらも、いつまでも見つめ合っていては霧島のご機嫌を損ねてしまうと思い至った京哉は男からさりげなく視線を外し、霧島と共に幣殿の正面に向かって歩を進める。
暫く黙ってさえいれば咎められないらしいので、その間に舞台上の何かを鑑賞するくらいは許されそうだ、その程度の興味だった。
だが幣殿の正面に出た途端、京哉は全身の血が逆流するような感覚に陥る。
舞台に目が、意識の全てが吸い寄せられた。
誰かが踊っている。
踊りというより舞っているのだ。
何の音もなく巫女が舞っている。それは剣舞だった。
真っ白の着物に緋袴を着け、金糸の刺繍を施したうすものを羽織っている。細腕が操っているのは房飾りのついた七、八十センチはあろうかという刀だ。神宝によくある枝分かれしたものではなく直刃の、磨き上げられた剣だった。真剣か模造刀かは分からない。
鏡のように熾火を映した神剣に魅入られ、京哉は剣舞に目が釘付けとなる。
鎮守の杜を渡る風の音さえ別世界のものの如く遠くなっていた。
巫女は短い黒髪を乱しているが、神懸かったように足音ひとつさせない。
激しい巫女の動きは人が発する熱気がなく、既に神子たる者なのだと思わせた。
うすものが翻る。紅の神剣が宙を薙いだ。銀光が閃き何者かを両断する。
目を見開き、息さえ殺して、京哉は立ち尽くしていた。
血に染まったような神剣から目が離せない。妖しく胸の奥がざわめいて――。
いつの間にか巫女は板の間に端座していた。神剣を両手で頭上に頂き礼をする。白刃を置いて立ち上がろうとし、叶わずその場に倒れ伏す。
「トーヤさま!」
叫んできざはしを駆け上った男を、京哉はただ目に映していた。
一方の霧島は半ば呆気にとられて舞台上の出来事を眺めていた。白木のきざはしを駆け上った男が巫女を抱き起こすのを目で追い、ふと気付いて傍らの京哉を見ると、こちらはこちらで真っ白な顔をして突っ立っている。思わず『お静かに』も忘れて大声を出した。
「京哉……京哉、大丈夫か!」
霧島が出した不意の大声で京哉はビクリと肩を震わせて我に返った。
「えっ、あっ、何でしょう?」
「何を呆けている、それとも冷えて風邪でも引いたのか?」
「何でもないですから、そう心配しないで下さい」
「ならいいが。雨に濡れっ放しだ、具合が悪ければ早めに申告だぞ」
「はいはい」
だがやはり心配で京哉の頬に手を当てたが熱はない。くすぐったそうにした京哉はしかし霧島の手を掴んで微笑むと人差し指を舐める。ギョッとして霧島は手を引いたが京哉は指を口に含んで離さない。ごく官能的な感触が霧島をぞくりと震わせた。
けれどこんな所でその気になっている場合ではない。次に手を引くと京哉は素直に手を離したが、見上げてくる目には明らかにとろりとした情欲が湛えられている。
「京哉、お前どうかしたのか?」
「何でも……ないですよ。あっ、それよりあの巫女さん、どうなったんでしょう?」
突然現実に舞い戻ってきたかのように京哉は舞台に目を向けた。見れば長髪男が巫女を横抱きにして幣殿から降りてくる。霧島と京哉は居合わせた者の作法として駆け寄った。
男は巫女を抱いたまま、きざはしに座り込む。二人は巫女を覗き込んだ。
巫女は乱れた黒髪が顔に掛かり表情が見えない。意識が朦朧としているにも関わらず、抜き身の剣を抱き締めている。霧島が見たところ剣は紛れもなく真剣だが刃引きがしてあるらしい。相当な重さであろうその白刃に、巫女はまるで縋ってでもいるようだった。
「すごい、綺麗な剣……」
「紅津之剣です」
京哉の呟きに応えた男が、押し殺したような声を出す。
「トーヤさまの御髪を除けて頂けますか?」
その声色に隠されたものを推し量ることはせず、京哉はあっさりと巫女の前髪を左右に指でかき分ける。だがその手は途中で止まった。霧島が息を呑んだのが分かる。
「――って、何これ……?」
トーヤと呼ばれた巫女は生き写しといっていいほど、京哉にそっくりだったのだ。
「すみません。どうしてこの舞台は後ろを向いているんですか?」
舞台上を見つめるその男は、闖入者を咎めずに抑えた声で答えた。
「これは幣殿といいます。奥の社が神殿です。幣殿で行われる神事は全て神殿におわす天之紅津命に捧げられるものです。人に見せるためのものではありません」
「はあ、神様が観客……アメノクレツノミコトですか?」
言いつつ煙が目に入った京哉は伊達眼鏡を外して目を擦る。男は構わず続けた。
「そうです。結界を破りて神域に来たりし方々、今暫くお静かに……っ!」
そこで素顔の京哉を初めてまともに見た男は目を瞠って息を呑み、凍り付いたように身動きを止めていた。明らかに京哉を驚愕の目で凝視している。
瞬きもせず見つめられ、伊達眼鏡を掛け直した京哉は不思議な思いで男を見返した。
特徴といえば男性の割に髪が長いことが挙げられる。うなじでひとつに縛っているが、その先は腰近くまで届いていた。身に着けているのは白いシャツにジーンズと黒のジャケットで、割と普通ではあるがコートもなく結構寒そうだ。
細身だがしっかり骨太な印象で身長は霧島より少し低い程度か。歳も霧島と変わらない、二十七、八だと思われた。
まだ見られているのを意識しながらも、いつまでも見つめ合っていては霧島のご機嫌を損ねてしまうと思い至った京哉は男からさりげなく視線を外し、霧島と共に幣殿の正面に向かって歩を進める。
暫く黙ってさえいれば咎められないらしいので、その間に舞台上の何かを鑑賞するくらいは許されそうだ、その程度の興味だった。
だが幣殿の正面に出た途端、京哉は全身の血が逆流するような感覚に陥る。
舞台に目が、意識の全てが吸い寄せられた。
誰かが踊っている。
踊りというより舞っているのだ。
何の音もなく巫女が舞っている。それは剣舞だった。
真っ白の着物に緋袴を着け、金糸の刺繍を施したうすものを羽織っている。細腕が操っているのは房飾りのついた七、八十センチはあろうかという刀だ。神宝によくある枝分かれしたものではなく直刃の、磨き上げられた剣だった。真剣か模造刀かは分からない。
鏡のように熾火を映した神剣に魅入られ、京哉は剣舞に目が釘付けとなる。
鎮守の杜を渡る風の音さえ別世界のものの如く遠くなっていた。
巫女は短い黒髪を乱しているが、神懸かったように足音ひとつさせない。
激しい巫女の動きは人が発する熱気がなく、既に神子たる者なのだと思わせた。
うすものが翻る。紅の神剣が宙を薙いだ。銀光が閃き何者かを両断する。
目を見開き、息さえ殺して、京哉は立ち尽くしていた。
血に染まったような神剣から目が離せない。妖しく胸の奥がざわめいて――。
いつの間にか巫女は板の間に端座していた。神剣を両手で頭上に頂き礼をする。白刃を置いて立ち上がろうとし、叶わずその場に倒れ伏す。
「トーヤさま!」
叫んできざはしを駆け上った男を、京哉はただ目に映していた。
一方の霧島は半ば呆気にとられて舞台上の出来事を眺めていた。白木のきざはしを駆け上った男が巫女を抱き起こすのを目で追い、ふと気付いて傍らの京哉を見ると、こちらはこちらで真っ白な顔をして突っ立っている。思わず『お静かに』も忘れて大声を出した。
「京哉……京哉、大丈夫か!」
霧島が出した不意の大声で京哉はビクリと肩を震わせて我に返った。
「えっ、あっ、何でしょう?」
「何を呆けている、それとも冷えて風邪でも引いたのか?」
「何でもないですから、そう心配しないで下さい」
「ならいいが。雨に濡れっ放しだ、具合が悪ければ早めに申告だぞ」
「はいはい」
だがやはり心配で京哉の頬に手を当てたが熱はない。くすぐったそうにした京哉はしかし霧島の手を掴んで微笑むと人差し指を舐める。ギョッとして霧島は手を引いたが京哉は指を口に含んで離さない。ごく官能的な感触が霧島をぞくりと震わせた。
けれどこんな所でその気になっている場合ではない。次に手を引くと京哉は素直に手を離したが、見上げてくる目には明らかにとろりとした情欲が湛えられている。
「京哉、お前どうかしたのか?」
「何でも……ないですよ。あっ、それよりあの巫女さん、どうなったんでしょう?」
突然現実に舞い戻ってきたかのように京哉は舞台に目を向けた。見れば長髪男が巫女を横抱きにして幣殿から降りてくる。霧島と京哉は居合わせた者の作法として駆け寄った。
男は巫女を抱いたまま、きざはしに座り込む。二人は巫女を覗き込んだ。
巫女は乱れた黒髪が顔に掛かり表情が見えない。意識が朦朧としているにも関わらず、抜き身の剣を抱き締めている。霧島が見たところ剣は紛れもなく真剣だが刃引きがしてあるらしい。相当な重さであろうその白刃に、巫女はまるで縋ってでもいるようだった。
「すごい、綺麗な剣……」
「紅津之剣です」
京哉の呟きに応えた男が、押し殺したような声を出す。
「トーヤさまの御髪を除けて頂けますか?」
その声色に隠されたものを推し量ることはせず、京哉はあっさりと巫女の前髪を左右に指でかき分ける。だがその手は途中で止まった。霧島が息を呑んだのが分かる。
「――って、何これ……?」
トーヤと呼ばれた巫女は生き写しといっていいほど、京哉にそっくりだったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる