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第8話

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「いやあ、全く、すばらしい腕前でしたな!」

 歩み寄ってきたのは紺色の制服に金モールだの飾緒だのをくっつけた艦長キャプテン・ナイジェル=ボーデンだった。
 艦内ではこの艦長が大統領であり、最高裁裁判長とでもいうべき存在である。
 制帽から薄い色の金髪を覗かせた彼が拍手を求めたことにより、硬直していた他の乗客らからも拍手が湧き起こった。

 濃いグリーンの瞳に笑みを浮かべながらキャプテンは二人に握手を求める。人々が興奮し騒がしくなった中で三者三様の制服姿は非常に目立った。

 更にはスタッフによって乗客名簿から拾い出したシドとハイファの名がアナウンスされてしまい、乗艦数時間にして二人は有名人になってしまったのであった。

「貴方たちお二人がいれば喩え宙賊に遭っても安心ですな。そうだ! このキャプテン・ボーデンの名において、貴方がたをこの艦の名誉保安官シェリフに任命したいと思いますが、皆さんどうですかな?」

 提案は厄介な別室任務を背負った二人の心中をヨソに、拍手で受け入れられた。

「すみませんでした、こんなことになっちゃって」

 ようやく着席を許される状況になり、ハイファがオイゲン博士に詫びる。

「ちゃんと護衛は務めますから」
「護衛といっても建前だ。本来はわたしのここから情報を得るのが仕事だろう?」

 と、博士は自分の側頭部を指でつついて続けた。

「その本来の仕事をさせるつもりは、わたしにはない。だが非日常を愉しんでくれと言ったのもわたしだ。この際シェリフでも死刑執行人でも何でもしていて構わんよ」

 いや、それが日常なんですとは言えず、改めて現れた給仕のワゴンから酔わない体質のシドはジントニックを、ハイファはアルコール度数の低いミモザのグラスを受け取った。杯を干す頃にはアナウンスにより同じ階のオープンバーに人々は移動する。

 艦で採用しているテラ標準時で現在二十二時三十五分、中には自室に帰る者もいたが、殆どの者が二十三時からの夜食の時間までヒマを潰そうと十七階から吹き抜けになっているオープンバーのソファやテーブル席に着く。

 意外と酒に強いらしい博士はまたブランデーグラスを手にソファのひとつに収まった。シドとハイファはソファの傍、カウンターのスツールに腰掛ける。

 夜食といっても腹が減っている訳などないのだが、博士は落ち着いた様子ながら何もかもが珍しいらしく、艦の提供するイヴェントのひとつひとつをなるべく多く体験したいらしい。ゆっくりと周囲を観察しているその目は科学者の目であった。

 だがここに来てシドは我慢の限界、丁度エアカーテンで仕切られた喫煙スペースをオープンバーの一角に発見し、あとをハイファに任せて煙草を吸いに行く。

 立て続けに二本吸ってシドは蒸発しかけていた脳ミソを宥めるのに成功した。
 ニコチン・タールが無害物質と置き換えられて久しい煙草だが、企業努力として依存性だけは残されている。刑事として張り込みなどの時こそ丸一日でも我慢できるものの、哀れな中毒患者にとって食事をし酒まで入るような場での禁煙は過酷だった。

 そそくさと吸って戻ると、ハイファはノンアルコールのソフトドリンクを、博士は相変わらずブランデーグラスを揺らしていた。

 七、八メートルはあろうかという巨大なカウンターに何人もいるバーテンダーの一人に声を掛け、シドもノンアルコールカクテルを頼んだ。幾ら酔わない体質でも護衛対象者の目前であまり飲むのも拙いかと思ったのだ。

 サラトガ・クーラーのグラスを手にシドは相棒を振り返って訊く。

「おい、ハイファ。この通常航行のあとは何処に行くんだ?」
「今晩と明日の晩、正確には明日と明後日の深夜零時に一回ずつワープ、クロノス星系第三惑星デメテルに明後日の十四時着。寄港地では決められた時間内なら降艦して見学もできる。確かそのあとショートワープして第二惑星レアにも寄港の予定」
「ふうん。じゃあ今晩はワープの酔い止め薬を飲んで寝る訳だな」
「そうなるね。朝食は七時から八時半まで。貴方本気で資料見てないでしょ」
「あれから見てるヒマがなかったんだ、仕方ねぇだろ」
「今晩中の宿題だからね」
「へいへい」

 気付くとオイゲン博士がスツールに腰掛けた二人をじっと見ていた。

「すみません、博士。五月蠅いですよね」
「ハイファス、きみはわたしにもう四回も謝っている。謝辞は安売りせずともよい」
「はあ、すみま……あっ!」
「四と五分の三回だ」
「……」

 果てしなく自分が馬鹿になった気分でハイファは黙った。
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