4 / 51
第4話
しおりを挟む
待機と言われても京哉は動かない。小田切もだ。
いつマル被が人質を傷つけ命を奪おうとするか分からない。京哉は心音三回につき一回ずつ息を吸っては吐くことを繰り返した。
その間に霧島と寺岡の会話を耳にする。
「案件はいつ発生したんだ?」
「異変に気付いて職員が一報を入れたのは今日の、いや、日付が変わったから昨日金曜の十九時十五分だが、案件発生はそれより前の十七時頃だと思われる」
「既に十時間か、人質もきついな。マル被の銃は本物か?」
「SITの説得に、返事代わりの銃弾をドアにぶちかましやがった」
特殊事件捜査班SITは人質立て籠もりや誘拐事件などの捜査専門セクションだ。
「おまけに要求が警視庁公安に身柄を持って行かれた被疑者の釈放、プラス色気を出して五千万円に逃走用のヘリ一機ときたもんだ。ふざけてやがる」
「ふん、公安の客とはな。思想犯に説得もないだろう」
だが即時の狙撃逮捕もメディア受けが悪いのをこの場の全員が心得ていて、このまま数時間は待たされるのも覚悟の上だった。夜が明ける前に決まれば御の字である。
しかし居銃してから一時間も経たないうちに、スコープの中の現場で異変が起こった。京哉が狙いをつけていたマル被の方には三名の人質が床に座らされていたのだが、その中で人質のやや高齢の男性がいきなり床に上体を倒して手足を痙攣させ始めたのである。
感情を消した平坦な声で京哉が告げた。
「人質の男性一名、何らかの発作を起こした模様。確認願う」
「ラジャー。ストレスから心臓か脳血管をやられたようだな。寺岡警視?」
「分かってる、今、本部長に伺いを立てている」
もはや倒れた人質は痙攣すら止めている。マル被が何度か蹴っていたが反応がないらしい。向こうにとっても想定外の事態で、それこそ血圧の上がったマル被は銃口を残る人質に向けて喚き始めているようだ。何かの拍子にトリガを引きかねず、これは危ない。
その時、ハンディの無線機で喋っていた寺岡が大声を出す。
「本部長見解が降りた。貴様ら人殺しは余程信用されているらしいな。ゴーサインは出たが、『可能なら殺すな』とのことだ。こちらの狙撃と同時にSIT突入班がなだれ込む」
それでも最悪の場合はマル被の脳幹を一撃で破壊し、生命活動を停止させなければならない。ずっと狙いをつけたままの京哉は小田切と呼吸を合わせるようにしてタイミングを計っていた。すうっと小田切が息を吸い込んで止める。京哉も倣った。
息を止めて心音に合わせトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸素欠乏に陥って精確な狙いがつけられなくなる。霧島の低い声が告げた。
「マル被二名が完全に姿を現した」
言い終える前に京哉と小田切の銃は銃口から火薬の燃焼炎を吐いていた。そのマズルフラッシュはそれぞれ二度、辺りを照らし出す。
「オールヒット。マル被二人は右手と右肩を撃ち抜かれて銃を取り落とした」
霧島の声と同時にスコープの中の世界では第五取調室のドアが打ち破られ、警察ではフラッシュバン、軍ならスタングレネードと呼ばれる音響閃光手榴弾が放り込まれていた。
強烈な音と光で数秒間だけ聴覚と視覚を麻痺させるこれは、不発も考え二個投げ込むのが基本である。途端に強烈な音で蛍光灯が数本割れてチカチカと瞬いた。
一瞬後にはSIT突入班が一斉になだれ込み、撃たれたショックで朦朧としたマル被二名を確保する。待機していたらしい救急車複数台も緊急音を鳴らし始めた。
そこまで見取って京哉は銃を肩から外して二個の空薬莢を回収した。霧島に預けたシグ・ザウエルP226と伊達眼鏡を返して貰ってヒップホルスタに収め、眼鏡もかけると落ち着いた気がして溜息が出る。そんな京哉の薄い肩を霧島が叩いてくれた。
スナイプで人を殺したあとはPTSDから酷い風邪のような高熱を発してきた京哉である。今回はそれもなく終わったことで霧島も安堵しているのだろう。
「ようし。速やかに撤収するぞ!」
自分の責任において人を殺さずに済んだ寺岡も機嫌は悪くないようだ。
「じゃあここは一発、寺岡隊長の奢りで一杯と言いたいけど、もうすぐ朝だしなあ」
人殺し扱いされてもへこたれない小田切が笑って言ったのち、大欠伸をかます。
「連休が潰れなくて幸いでしたね。小田切さんも香坂警視が待ってるんでしょう?」
「また約束破ったって怜に張り倒されずに済むよ」
口々に喋りながらエレベーターで一階に降り、エントランスを出てワンボックスに乗り込んだ。帰りは緊急音も鳴らさず、だが霧島の巧みな運転により十五分ほどでSAT本部に着く。辿り着くなり京哉と小田切は使用した銃の整備に取り掛かった。
銃口にニトロソルベントを浸した布を通し、内部パーツにガンオイルを吹き付けて付着した硝煙やスラッグと呼ばれる金属屑を拭き取る。
もし次回があると困るので、敢えて照準線が狂う分解整備はしない。
そのため整備も早く終わった。
いつマル被が人質を傷つけ命を奪おうとするか分からない。京哉は心音三回につき一回ずつ息を吸っては吐くことを繰り返した。
その間に霧島と寺岡の会話を耳にする。
「案件はいつ発生したんだ?」
「異変に気付いて職員が一報を入れたのは今日の、いや、日付が変わったから昨日金曜の十九時十五分だが、案件発生はそれより前の十七時頃だと思われる」
「既に十時間か、人質もきついな。マル被の銃は本物か?」
「SITの説得に、返事代わりの銃弾をドアにぶちかましやがった」
特殊事件捜査班SITは人質立て籠もりや誘拐事件などの捜査専門セクションだ。
「おまけに要求が警視庁公安に身柄を持って行かれた被疑者の釈放、プラス色気を出して五千万円に逃走用のヘリ一機ときたもんだ。ふざけてやがる」
「ふん、公安の客とはな。思想犯に説得もないだろう」
だが即時の狙撃逮捕もメディア受けが悪いのをこの場の全員が心得ていて、このまま数時間は待たされるのも覚悟の上だった。夜が明ける前に決まれば御の字である。
しかし居銃してから一時間も経たないうちに、スコープの中の現場で異変が起こった。京哉が狙いをつけていたマル被の方には三名の人質が床に座らされていたのだが、その中で人質のやや高齢の男性がいきなり床に上体を倒して手足を痙攣させ始めたのである。
感情を消した平坦な声で京哉が告げた。
「人質の男性一名、何らかの発作を起こした模様。確認願う」
「ラジャー。ストレスから心臓か脳血管をやられたようだな。寺岡警視?」
「分かってる、今、本部長に伺いを立てている」
もはや倒れた人質は痙攣すら止めている。マル被が何度か蹴っていたが反応がないらしい。向こうにとっても想定外の事態で、それこそ血圧の上がったマル被は銃口を残る人質に向けて喚き始めているようだ。何かの拍子にトリガを引きかねず、これは危ない。
その時、ハンディの無線機で喋っていた寺岡が大声を出す。
「本部長見解が降りた。貴様ら人殺しは余程信用されているらしいな。ゴーサインは出たが、『可能なら殺すな』とのことだ。こちらの狙撃と同時にSIT突入班がなだれ込む」
それでも最悪の場合はマル被の脳幹を一撃で破壊し、生命活動を停止させなければならない。ずっと狙いをつけたままの京哉は小田切と呼吸を合わせるようにしてタイミングを計っていた。すうっと小田切が息を吸い込んで止める。京哉も倣った。
息を止めて心音に合わせトリガを引けるのは十秒が限界、それ以上は脳が酸素欠乏に陥って精確な狙いがつけられなくなる。霧島の低い声が告げた。
「マル被二名が完全に姿を現した」
言い終える前に京哉と小田切の銃は銃口から火薬の燃焼炎を吐いていた。そのマズルフラッシュはそれぞれ二度、辺りを照らし出す。
「オールヒット。マル被二人は右手と右肩を撃ち抜かれて銃を取り落とした」
霧島の声と同時にスコープの中の世界では第五取調室のドアが打ち破られ、警察ではフラッシュバン、軍ならスタングレネードと呼ばれる音響閃光手榴弾が放り込まれていた。
強烈な音と光で数秒間だけ聴覚と視覚を麻痺させるこれは、不発も考え二個投げ込むのが基本である。途端に強烈な音で蛍光灯が数本割れてチカチカと瞬いた。
一瞬後にはSIT突入班が一斉になだれ込み、撃たれたショックで朦朧としたマル被二名を確保する。待機していたらしい救急車複数台も緊急音を鳴らし始めた。
そこまで見取って京哉は銃を肩から外して二個の空薬莢を回収した。霧島に預けたシグ・ザウエルP226と伊達眼鏡を返して貰ってヒップホルスタに収め、眼鏡もかけると落ち着いた気がして溜息が出る。そんな京哉の薄い肩を霧島が叩いてくれた。
スナイプで人を殺したあとはPTSDから酷い風邪のような高熱を発してきた京哉である。今回はそれもなく終わったことで霧島も安堵しているのだろう。
「ようし。速やかに撤収するぞ!」
自分の責任において人を殺さずに済んだ寺岡も機嫌は悪くないようだ。
「じゃあここは一発、寺岡隊長の奢りで一杯と言いたいけど、もうすぐ朝だしなあ」
人殺し扱いされてもへこたれない小田切が笑って言ったのち、大欠伸をかます。
「連休が潰れなくて幸いでしたね。小田切さんも香坂警視が待ってるんでしょう?」
「また約束破ったって怜に張り倒されずに済むよ」
口々に喋りながらエレベーターで一階に降り、エントランスを出てワンボックスに乗り込んだ。帰りは緊急音も鳴らさず、だが霧島の巧みな運転により十五分ほどでSAT本部に着く。辿り着くなり京哉と小田切は使用した銃の整備に取り掛かった。
銃口にニトロソルベントを浸した布を通し、内部パーツにガンオイルを吹き付けて付着した硝煙やスラッグと呼ばれる金属屑を拭き取る。
もし次回があると困るので、敢えて照準線が狂う分解整備はしない。
そのため整備も早く終わった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる