交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第10話

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「熱も下がったようだが、寒気は治まったか?」
「ええ、お蔭様で」
「何だ、元気がないな。まだ痛むのか?」

 二人はベッドに横になっていた。真っ白だった京哉の顔色も常態に戻り、熱は汗と共に流れ出ていったようで、酷い風邪のような症状は全て治まっていた。

 ただ、代わりに京哉が自力で立てないという症状が新たに判明したので寝ているしかなく、原因たる霧島も今度こそ本当に添い寝と腕枕をしてくれている。

「いえ、こうしていれば、今はそんなに」
「そうか。だが傷つけてしまった、すまない。何なら医者に診せて――」
「――勘弁して下さい」
「あそこまでしてしまう気はなかった筈なんだ。本当にすまん」
「もういいですから、貴方は凹まなくていいです。けど……」

 こぶしを握り締めた京哉は声を震わせて叫んだ。

「あああ、まさか男とヤリすぎて、それも僕が『彼女』で、あんな声までっ!」
「もう喚くな、騒ぐな。躰に障るぞ。後悔しているのか?」
「後悔させたと思っているんですか?」
「いや。だが、だったら何も問題ないだろう。ゆっくり養生すればいい」

 躰を通して響いた低音に僅かながら宥められた京哉だったが、現実を直視しない訳にもいかない。確かに目に心地良い、眉目秀麗なる言葉をそのまま具現化したような横顔を見つめながら言い募る。

「そうは言いますけど僕、明日は在署番ですよ。ううう、いったいどうすれば!」
「心配するな。風邪をこじらせたと連絡しておいたから大丈夫だ、問題ない」
「……誰に?」
「強行犯係の前原に。もう有休申請は通っているから気にせず休め」
「本当に前原さんにですか? わああ~っ!」

 思わず顔からサッと血の気が引いたのを自覚しながら京哉は頭を抱えた。
 前原なんぞに霧島警視から連絡が入ったら、警務課腐女子の活躍を待たずして噂を署内にスピーカーで叫ばれるも同然だ。
 それなのに霧島は暢気なもので、

「夫が妻の世話をするのは当然だろう?」

 などと涼しげ且つ晴れ晴れと抜かす。勝手に余計な事をしてくれた男を殴りつけたい思いに駆られたが、京哉の細腕では敵う筈もなくグッと我慢した。
 そこで殴る代わりに事実を突きつける。

「まだ同性婚は認められていませんよ」

 だが霧島は怯む様子も見せず、涼しげな表情を全く崩さなかった。

「私に必要なのは既成事実だ」
「ああ、そうでしたね……」

 京哉は霧島の『誰でも良かった』という科白を思い出し、今頃になって不思議に空虚な思いが胸に広がってゆくのを感じる。

 偶然居合わせた自分に降ってきた災難が、まさかこんなことにまでなるとは思っても見ず……そうだ、これは災難だった筈なのだ。
 おまけで霧島がこの自分に同情しただけ、何を勘違いしそうになっているのかと密かに自嘲の笑みを零した。

 それでも霧島の腕は温かくも妙に居心地が良く、今はゆったりと落ち着いた鼓動を感じ取りながら京哉はいつしか静かに寝息を立てていた。

◇◇◇◇ 

 丸一日寝込んだだけで京哉は立ち歩くことが可能になった。まだ色々と難はあったが表情に出さず、朝六時過ぎには二人共すっかり身支度を整える。

 だがチェックアウトする直前になって霧島は京哉に言い募った。

「前原が言っていたが、きみは今日非番だろう?」
「けど休日とは違いますから呼び出しがあったら遠すぎて困りますし、昨日から行方不明隊長の霧島警視は出勤でしょう?」

 軽く茶化して言ったが霧島は大真面目に答える。

「機捜には連絡してあるから問題ない、大丈夫だ。そもそも私の仕事は責任を取ることだからな。それに隊員とは違って隊長は基本的に日勤だ。もし京哉が残るなら私もここに戻ってくるぞ?」
「いいえ。これ以上は甘えていられませんし、やっぱり僕は官舎に帰ります」
「そうか。では気を付けて帰ってくれ。何かあれば電話かメールをくれていい」
「はい。霧島警視もお気を付けて」

 話に聞いた霧島の自宅マンションも真城市なのに、二人はウィークリーマンションの前で別れた。何となく癖で互いに身を折り敬礼したのが可笑しかったが、笑いもせず左右に分かれて歩き始める。しかし京哉は二十メートルほど歩いて振り返った。

 どんなものに対しても胸を張っているかのように颯爽と往くオーダーメイドのスーツ姿が小さくなり、見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

 やがて再び歩き出した京哉は北風に吹かれつつ角を曲がり、ポケットから携帯を取り出した。朝から新着が一本。桜木だ。

【一週間後、本部に来られたし】とあった。

 久々の本部呼び出しは大きな仕事を予感させた。


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