交換条件~Barter.1~

志賀雅基

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第31話

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「――更に暗殺反対派の上層部に私のリークしたアガサ会長の件を監察官たちに捩じ込ませ、暗殺実行本部の詳細資料も手に入れたが……それからは一分一秒が惜しかったな。部下たちの働きに感謝しかない」

 少し遠い目をした霧島に、京哉は貫通銃創を負ってなお無表情だったのも思い出していた。自分も殺されかけた直後で少々パニクっていたのか、余計なことばかりに思考を割いてしまい、『心配度合い』がここまでとは推し量れなかったのだ。

「本当に、大変な思いをさせてすみません」
「謝らなければならんのは私だ。お前に『行くな』と一言告げたら済んだ。だが知らせなかった上に桜木も泳がせていた。何故なら請求しても無駄なガサ令状フダなしで暗殺実行本部を摘発する千載一遇のチャンスだったからだ。どうしても私はここで暗殺実行本部を潰しておきたかった。そのために勝手にお前を囮にしたんだぞ」

 怒ったような口調に京哉は微笑みつつ首を傾げて見せる。

「でも貴方には二兎を追って両取りする確信があったんでしょう?」
「そう思っていたが過信だった。作戦の発動寸前で妨害が入ったんだ。機捜車両が殆どパンクさせられてな。単純だが効果的に足止めされて整備班には借りを作り、お前は危うく……私の致命的ミス、過信の罰だな。生きた心地もしなかった。すまん」
「いいですって。それに貴方は何も悪いことをしていないじゃないですか」
「人命を軽んじたんだ、これ以上重い罪はない」
「うーん、そうきましたか……」

 頭を下げたまま停止してしまった霧島に、京哉は少々困って霧島のビールが空なのを確かめて新しい缶を開封し押しやる。やっと顔を上げた男は少し頬を緩めた。

「だがお前が生きていてくれて良かった。そうでなければ私は自分の信念に悖る重い罪を背負って生きることになっただろう。お陰で警察官でいられる。礼を言う」
「お礼を言うのは僕の方ですよ、貴方は躰を張って助けてくれたんですから。それに機捜隊員の方たちも貴方という上司を信頼して命を預けたんでしょうから、隊長殿は今まで通りに信頼される機動捜査隊長でいたらいいんじゃないかと思いますけど」
「なるほど、今まで通りか……今まで通りか」

 呟いた霧島はビールをグイッと呷る。けれど一瞬、灰色の目が泳いだのを京哉は見逃さない。食べかけの弁当と空き缶が載ったロウテーブルから視線が逸れただけなのに、まるで思考を流し込まれたかの如く霧島の脳内映像が京哉の脳でも閃いた。

「今、大事なことだから二度言ったんですよね?」
「何のことか分からんな」
「機捜隊長殿って割と素行不良じゃありません? 時々行方不明になるし」
「行方不明ではない、連絡は入れている」
「ふうん。でもデスクはゴミの山ってタイプでしょう?」
「失敬な。ゴミではなく大切な書類だ」
「大切な書類って、芋掘り遠足やPTA役員会のお知らせとか?」
「この図体が小学生に見えるのか? 報告等の提出書類だ。私は内勤だからな」
「深夜警邏に出ても内勤……ちなみに書類の山って標高はどのくらいです?」
「いい加減に五月蠅いぞ、たった五十センチだ! それがツインタワーで悪いか?」

 その状態で一ヶ月の停職に入られた周囲の気苦労を思い、京哉は深く息をつく。

「機捜の方々が上司を慕う理由が分かりません。なんか騙してないですよね?」
「騙しても、飲んでいる茶に白い粉も混ぜとらん。大体、デスクには誰も近寄らん」
「誰もって、まさか貴方も? じゃあ誰が提出書類を捌くんです?」
「紙の半減期を待ってもいられんからな、きっと誰かがやってくれるに違いない」

 じーっと見つめられて京哉は江波課長から言われた異動を思い出した。

「でも、ただでさえ貴方は重たいハンデを背負ってしまったのに、僕まで機捜で預かったらもっとハンデは重くなります。本部長は暗殺肯定派だし、派閥入りを断ったからなのか今回暗殺反対派は貴方の処分に対して何も干渉しなかったみたいだし」
「だったら何だというんだ、はっきり言え」
「もうキャリアとしての自信はないから、お荷物を引き受けても却って平気。それが貴方の本音なのかと思ったんです」

 再び出世に言及した京哉に霧島はビールを呷って不機嫌そうな声を出す。

「自信云々の問題ではない。今回私は勝手にお前を囮にしたんだ、言っただろう」
「それがどうかしましたか?」
「まだ分からないのか? お前の命を軽んじたのは恥ずべきことで謝っても謝り足りないが、それは置かせて貰うとして、つまり今更がっかりさせるかも知れないが、私と私の部下はお前のためだけにガサ入れしたのではないということだ」
「分かってますよ、それくらい。でもやっぱり悔しいし惜しいし勿体ないです」
「京哉。私たち警察官は何のためにいるんだ?」
「えっ、それは……」

 見上げた灰色の目は酔いの片鱗もなく厳しい色を宿していた。

「お前は異動を打診されているな? もしお前が私の部下になるのなら覚えておけ」
「あ、はい」

 箸を置いて京哉は居住まいを正す。灰色の目は厳しいままに霧島は口を開いた。

「悪辣な奴に人生を謳歌させ、真正直な人間を微罪で捕まえる。そのたびに悔しくも歯痒く力不足を痛感するが、私は次も見逃さない。真正直な人間の微罪でもやはり捕まえる。法は護られなければ、世が立ちゆかなくなるからな」
「……はい」
「私は腹が立って仕方なかったんだ。ターゲットがどんな悪人であれ、サッチョウ上層部や与党重鎮や霧島カンパニーがお前にやらせていたのは殺人だ。喩え立件されなくても事実としてそれが罷り通るなら、私たち警察官の存在意義とは何なんだ?」
「……」

 自分は法の番人どころか超法規的手段で裁きの神を気取っていたのである。それこそ脅迫された時点で警察を辞めていれば済んだものを、両親の事件をまるで免罪符のようにして殺人を重ね、更には『アテにされ』『向いている』などと言い放った自分が京哉は堪らなく恥ずかしくなっていた。

 俯いてしまった京哉に霧島が自分の缶ビールを差し出す。

「お前を責めているのではない。けれど私と私の部下たちは自らが信じる警察官でありたいと思った、それだけだ。私だけではなく部下たちも皆、暫く冷や飯を食わされるのは承知の上。だから京哉、何も勿体ないことはない。分かったか?」 

 黙って京哉は頷いた。警察官である自身の存在意義を懸けて霧島たちは行動したのだ。それについて京哉にはもう言うべきことなど何も残されていなかった。

 そしてスナイパーとしての自分のプライドが勘違いの上に構築された紛い物だったと改めて悟り、そこまで清廉な本物のプライドを持った者たちが通る道に、この自分が足を踏み入れてもいいものか真剣に考え始めていた。

 俯いたままの京哉を前に霧島は思い出したように付け加える。

「今回は霧島カンパニーが泥を被った。私の実家だからという訳ではないが、与党重鎮や警察上層部に捜査のメスが入らないのはアンフェアすぎる」

 驚いて顔を上げた京哉は、すました顔でビールを飲む霧島を見返した。

「まさか忍さん、そこまで斬り込むつもりなんですか?」
「私のような青二才如きは舐めるどころか警戒対象でもない筈、そこが狙い目だ。トカゲの尻尾切り的な現状を放置すれば、何れ第二、第三の霧島カンパニーが現れる」
「トカゲ本体をパクるのが目的、だから依願退職しなかった?」

 頷いた霧島は凄みを感じさせる微笑みを浮かべていて京哉はその表情に見入る。

「今すぐ足掻いてもどうにもならんのは承知している。だがいつかは決着をつける。だから私は懲戒を食らい、間抜けな姿を晒しても、この腐りかけた日本の警察組織の中で生き延びる道を選んだのだ」
「いつまでも冷や飯を食わされている気なんか毛頭ないんですね」
「言っただろう、現場組を背負うためにキャリアという道を選んだと。警察の縦割り機構でより多くの現場組を背負うには相応の階級が必要だからな」
「なんだか意外なまでの出世欲ですね、心強いですけど。そうやって昇り詰めて偉くなった忍さんは敵にパワーゲームを仕掛けるんですか?」
「それもありだろう。殺人教唆の重罪を犯して笑う奴らを許しておけるか」
「……貴方って人は」

 じつは再び出世コースに乗るつもりなのだと知って京哉は微笑まされる。懲戒処分まで食らって経歴に大きな瑕がついた以上、他の人間が言えば大言壮語だと内心で一笑に付すところだ。
 けれど霧島が口にすると警察内でも前例のない机上の空論めいた話も本当に起こり得る気がするから不思議である。


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