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第12話・別れ。そして『いない日常』

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「最期って、プー助はまだ最期なんかじゃない。広いこの海を、海を……」

 大和は洟を啜りつつ応えようとして溢れる涙に喉を詰まらせた。

 何故か分からないが、この青年には誠実に答えたかった。詳しい分野では多弁になり、それ以外は物静かで、長く付き合っているようでも二週に一度というトータルでは数えられるほどしか会っていない、最初に見た時と二回目とでは大人しいプー助と怒った時のプー助にも似た青年には――。

 大和はその青年の問いをプー助からの問いだと思ったのだ。
 本能的に、間違いないと思ったのだ。

「死ぬのを見るのが怖いとか?」
「それは、怖い。でも海に還そうと思ったのはそんな理由じゃない」
「じゃあ、どうしてです? プーは大和さんが大好きでしたよ」

「俺も大好きだ。だから、還したい。俺の自己満足で作った水槽はどんな海より綺麗な水で、最高の居心地と飯も降ってくる、天敵や漁網に引っ掛かることもない、文句のつけどころのない海だ」
「……それなのに?」

「ああ、そうだ。プー助にはこの海が似合うから。どんな敵にも負けないくらい頭もいい。餌もよく食って、嫁さんだか彼氏だか分からんが、すぐに連れ合いが見つかるくらいのイケメンだ。そんな、プー助を、俺が、独り占めなんて……自己満足のために独り占めなんて、ハリセンボン界の損失だ!」

 叫ぶなり大和は水中のプー助を指で撫で、クーラーボックスを持ち上げるとエアレーションシステムを外して放り出し、そのまま堤防の突端でクーラーボックスを傾けた。
 海水と一緒につるんとプー助も落下し、海中に潜って見えなくなる。

 ――と、思うと水面に薄く茶色と黄色のプー助の背中が浮かび、斜めになりながらも、一度ピューッと大和に水を吹いてから再び潜っていった。

 そしてもう二度とプー助は姿を現さなかった。
 だが大和は更なる不審者ぶりを発揮した。

「おーい、プー助! 女がダメな俺の代わりにたくさん子孫を残すんだぞーっ!!」

 片づけて帰ろうと振り向いたが、そこにあの青年の姿はなかった。お蔭で大和はここ数ヶ月の彼とのやり取りだけでなく、彼の存在すら朧げな気分になった。
 もしかしてプー助が人間に姿を変えて大和に会いに来ていたのかも知れない。本気でそう思いながら後片付けをして車に戻り、暫し海鳴りを聴いたのちに家に戻った。

◇◇◇◇

 あれ以来、二週に一度バイト青年を拾うことはなくなった。休みの日に金魚屋へ行ってみたが、雑然とした店のシャッターは閉められたまま、放ったらかされて風雨に晒されたサンゴや岩の上から木材がたくさん立て掛けられ、既に店舗の体を為していなかった。

 勝手にアイコンをプー助に設定していた青年のアドレスにメールを送っても宛先不明で戻ってくる。いっそのことライブハウスに訪ねて行こうかとも思った大和だったが、丁度その頃からチームリーダーを掛け持ちすることになって仕事も忙しくなり、残業や休日出勤も当たり前になってしまった。

 お蔭であの青年の事は本当にプー助の生き霊だとでも思って諦めるしかない、そう考え始めていた。
 いや、冗談抜きでプー助の生き霊だったのかも知れない。あんなに海の生き物に詳しく、大和には人懐こい笑顔も見せて、誰よりもイケメンだったのだから。

 そんな大和の思いつきが思い込みになり、心の中で真実となって定着し一ヶ月も経っただろうか。

 広告代理店の下請けでしかない大和の勤める会社だが、幾重にも手違いや勘違いが積もった挙げ句、どうしても大和のチームが提案するポスターのサンプルを顧客の許に急ぎ届けなければならなくなった。

「社用車、全部だめです、出払ってます!」
「構わないです、俺の車で。一応、必要人数は全員余裕で乗れるから」

 皆でサンプルだのノートパソコンだのを抱えて地下駐車場に向かった。

「ちょっと磯臭いけれど我慢願います!」

 普段はプレゼンだの顧客獲得交渉だのを全くしたことのないメンバーである。磯臭かろうが誰も文句は言わず緊張した面持ちだ。
 一番緊張していたのは大和だが、チームリーダーとしてそんな素振りはおくびにも出さぬよう気を引き締め車を出した。向かう顧客の社はそう遠くない。20分程で到着してしまい、時間調整も兼ねて隣のデパ地下で挨拶用の菓子を購入し包んで貰う。

 買った菓子は海老煎餅で、海老が姿のまま煎餅の真ん中でペッタンコになって焼かれている、アレだ。何となく大和は複雑な気分になりながら店員の箱を包む手つきを眺めていた。
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