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第33話

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 BELのある屋上階は焼けた鉄板の如き熱さだった。暑いどころではなかった。

 空調の効いたBELにそそくさと乗り込むメンバーは制服二人組とセンリー、それにセフェロ支社長のエデンス=マクリスタルの四人だ。本社レアメタル輸入部門部長は業務があるとかで支社に残った。

 王宮は同じく砂漠に浮かんだ島でもオフィス街のあるここではなく、別の場所らしい。貴族専用ともいえる島があるのだという。
 それなのに一般人はメディアでしか殆ど見られない貴族、それも直系王族が突然バザールに現れたものだから、あの騒ぎだったのだ。

「一時間ほどの行程です」

 小型BELの前席に座ったセンリーが言った。

「結構な距離があるね。ところでセンリーはBELには酔わないの?」
「BELなんかで酔うものですか」

 当然とばかりに胸を張る体育会系精神を持つ秘書に皆、苦笑いをした。

「あ、あそこもビル街の島だよ、シド」
「ああ、裏にフラットが建ってるのも同じだな」

 BELの窓外に見える島は小さいながらも宙港施設が付随しているところまで同じだった。それもあっという間に後方に流れ、暫くしてまた新たな島が見えてくる。

「何でこんなにバラバラに作ったんだろうな?」

 シドの疑問にはマクリスタル支社長が答えた。

「何でも元々果実類を輸出していた極貧時代、この砂漠は殆ど畑だったそうです。しかしレアメタル輸出が主流となり畑は放置され、居住地だけがオフィス街として残り発展し、畑や湖は砂漠化。それでそれぞれの街は砂に浮かぶ島の如く離れてしまったとか」

 ハイファが前席に身を乗り出してセンリーに訊く。

「セフェロ星系の食料自給率は?」
「二十四パーセントにまで落ち込んでいますね」

 よどみないセンリーの回答にシドはバザールで踊っていた女性を思い出していた。その力強い踊りはこのセフェロ星系に昔から伝わる、実りの神に捧げるものだったという。白い砂を眺めつつ見たこともないこの星の十五世紀前の風景に思いを馳せた。

 背の高い椰子状の木と穀類とが緑と黄金色の格子模様を形作り、そこでは貧しいながらも大人も子供も一緒に収穫に精を出す。
 湖で野菜を洗い、その傍らでは泳ぎ遊ぶ子供たち……それが今より幸せか否かは、きっと今この地で暮らしている人々でさえ、判りはしないだろう。

「王宮かあ。何を喋ればいいんだろうね?」

 あまたの星系を駆け巡り多種多様な人間を演じてきたスパイでも、まさかそんなハメになるとは思ってもみなかったらしい。ハイファは結構本気で困っているようだ。

「セフェロ星系政府の首相も同席されますので、念のため」

 涼しい顔で更にダメ押しして消沈させるセンリー。恨みでもあるのだろうか。

 幾つもの島を眼下に眺め、やがてBELは減速し王宮の島の上空に差し掛かった。

 王宮は一見してそれと分かる、まるでAD世紀中世さながらの建築物だった。どっしりとした質量のある広い広い建物からは、先端に巨大タマネギのような物体のくっついた塔がキノコのように何本も生え出している。

 タマネギは大抵金色、その他の部分は殆どが碧かった。現在のテラ本星基準ではかなりの成金チックな色使いと言わざるを得なかった。特にカルチャーダウンはしていない筈なのに王宮らしき一番デカい金と碧の建物の集合地帯の周囲に建ち並ぶ貴族たちの屋敷も、同じく本星におけるAD世紀中期の大金持ち風情を漂わせている。

 それらのピカピカした建物と宙港施設だけでこの島はいっぱいだった。ビルは一棟も建ってはいない。宙港は島のふちにあり今は小型宙艦が二隻だけ停泊していた。
 だがBELとコイルは列を成して駐められていて殆どが貨物専用らしく、これは日々の生活物資を運んでいるようだ。荷物の積み卸しをする様子が上空から眺められる。

 それらの並びからさほど離れていない場所にBELはランディングした。

 一行のために待機していたのは大型VIP用コイルだった。暑さを避けて早々に乗り込む。
 すると内部全体がクッション材で表面は宗教画のような絵が織り模様で描かれ、後部の窓はステンドグラスという既に一歩どころか数十歩間違って悪趣味に走ってしまったシロモノだった。
 誰か手前で止める奴はいなかったのだろうか。

 広いコイル内はクッション材の一部がシート状の形になっていてふかふかのソファといったところである。趣味は悪くても座り心地は悪くなかった。

「ねえ、シド。ここまでで――」
「――帰りたいとこだよな」

 囁き声もセンリーは聞き逃さない。

「首相との会見は三十分間、王の謁見は二時間を予定しております」
「嘘でしょう、首相と三十分に王と二時間~っ!?」
「はい。これは王宮側からの要請です。間に午餐会が入ります」
「喋ることも思いつかないのにご飯まで一緒って何の拷問なの?」

 確かに幾ら高級なメシだろうが、そんな所で果たして味覚が正常機能するのだろうか。この分では消化不良は必至だろうと、しがない平刑事は内心溜息をついた。相手が王だろうが皇帝だろうがハイファの背後に立ち続ける気でいるのは変わらない。

 その間にもコイルはするすると走ってゆく。まもなくこの星で数指に入るであろう巨大建造物の門をフリーパスし建物のエントランスで停止、その車体を沈ませた。
 降りてすぐに日陰だったのは幸いだった。

 だが皇宮警察か軍隊か何かの儀仗隊が、大理石に似たピカピカに磨かれた石材で出来た長い長い廊下の両側に立ち並び、いきなりラッパで音楽を奏でたと思ったらそのまま栄誉礼を始めたのには度肝を抜かれた。

 数十名の兵士が立てつつの状態から号令により一糸乱れぬ動きで捧げつつをする。

 ずらりと整列した兵が全員で胸前に銃を捧げ持ち、全く揺らぐことなく何かを待つようにじっと立ち続けるのを唖然と眺めたシドは今まで国賓などと言われてもピンと来なかったが、これでより一層何かの間違いじゃないのかという意識が高まった。

 シドとハイファも警察官に軍人、ときに自分も演じてきたこの儀式が表す意味くらいは民間人より理解している。相当な重要人物に対する扱いだ。

 テラ連邦議会議長でもあるまいし、栄誉礼を受けるような晴れがましい身分になった覚えのないハイファがチラリとシドに向けた目は困惑に溢れていた。

 と、そのラッパの音が奏でる演奏が終わらぬうちに、薄い緑色の紗を幾重にも重ねて、腰には精緻な飾り刺繍を施した帯、それに左肩から斜めにかけた美しい織りの細布と先っちょに下げられた金色のデカいメダルというエキゾチックな衣装を着けた老人が、儀仗隊が仕事を終えるのも待てずに走り出てきた。

「ハイファス、ハイファスじゃなっ!?」

 そう叫ぶなりハイファをひしと抱き締め、そのままグラグラと揺り動かす。

 プラチナブロンドで御年の割に長身の老人はハイファと同じ若草色の目から滂沱と涙を流しハイファの制服に擦りつけた。「えぐえぐ、おうおう!」とひとしきり一人で泣くと周囲の儀仗隊員全てが跪き頭を垂れる中でハイファを見上げる。

「おお、なんと! これほどまでにエンジュにそっくりとは、我が孫よ!」

 それだけ叫ぶと再びテラ連邦軍の制服を掻き抱き涙を流し再び揺さぶった。どうやらこの老人がセフェロ王その人らしかった。王様といえば王冠を被っていると思い込んでいたのでシドには判断がつかなかったのだ。斜めがけのメダルが王の印なのか。

「何故今まで訪ねてはくれなかったんじゃ! 恨むぞ、恨むぞよ!」

 周囲の反応及び本人の挙動から王だと判断したが、それはともかくシドは揺り動かされるハイファをじっと見た。ハイファの方も虚ろな目でシドに助けを求めていた。

(本っ当に『王になれ』なんて言われねぇんだろうな?)
(……ちょっと自信がなくなってきたかも)

 シドと目で会話するハイファは細い躰を揺らされ続けて眩暈が始まっていた。 

◇◇◇◇

「何じゃ、もっと食べんのか。こっちはセフェロでしか採れんのじゃぞ」
「じゃあこっちはもちっと焼くよう言いつけるか」
「遠慮するでないぞ。ほら護衛のそなたも。若いんじゃ、もっと食わんか」

 セフェロ王だけ見ている分には帰省した孫を迎えたタダの田舎の爺さんだった。それが喩え野球の試合ができるほど広大な午餐会場で何処もかしこも目にも眩い金ピカの装飾が施されていたとしてもだ。いや、金ピカではなくおそらく本物の金だろう。

 とにかくそんな広大な広間の隅っこで午餐会は続けられていた。

 先に首相との会合があった筈だが何故か予定は前倒しとなり、親友で護衛と称したシドと主賓のハイファだけがこの午餐会場に連れてこられたのだった。

 今頃はセンリーとマクリスタル氏が首相と会っているのかも知れない。さんざんこちらを脅した罰だ。ざまあみろとシドは思ったが自分たちの状況はもっと厳しい。

 それでも一時間近く経過した頃には、王でも中身は爺さんだと割り切れるようになっていた。ついでに言えば爺さんの連れ合いである王妃も常識的なご婦人である。

「あなた、そんなに無理に勧めてお腹を壊したら大変ですよ」

 おっとりした口調でたしなめるプラチナブロンドに若草色の目をした王妃の他、午餐会には約二十人の給仕が待機し、あとはハイファの叔父や叔母に当たる男女五人が同席していた。つまりハイファの母・エンジュの弟や妹たちでセフェロ王の子供である。ハイファ曰く『現王にはうじゃうじゃいる』子供で跡継ぎ候補たちだった。

 皆が成人で男女全員がプラチナブロンドに若草色の瞳を持ち、造作も美しい者ばかりである。王族と貴族間の婚姻が繰り返された結果この画一感が生まれたのだろう。

 そんな彼らと髪の色は違えど造作において引けを取らず、というより確実に一族の一員だと一見して分かるハイファは堅い制服姿であっても明るい金髪が却って映えて美しく、シドは何となく縛った金色のしっぽに触れたくなったが、ここは我慢だ。
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