見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第33話

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 カップの底に残ったドロドロのシュガーを舐め取ろうと奇天烈な姿勢になって舌を伸ばしていた一ノ瀬本部長が甘味に納得したのか、そこで本題に入った。

「それでだ、霧島くん。本件の概要は昨日聞いたが丁度良かった。この案件に関しては、わたしも霧島くんと鳴海くんの二人に特別任務として下命しようと思っていたのだよ。いやあ、説明の手間も省けて良かった良かった」

 この本部長が『良かった』のなら自分たちにとっては不幸なことに違いない。経験則から直感した霧島は嫌そうな態度を隠そうともせず低い声の棒読み口調で訊いた。

「そうでしたか。それで計画はどのように組まれているのでしょうか?」
「まず大前提として都内の指定暴力団・黒深会に触れることはできん。我々の業界において管轄破りは何より御法度の行為だからね。そちらは警視庁に任せるしかない」
「承知しています。潜入先は真王組のみということですね」
「そのつもりで組対にも話を通してある。だが闇雲に真王組に潜り込んでも必要な情報は得られまい。上手く糸口となる幹部クラスに浸透することが肝要だ」
「その点に関して近く黒深会幹部が真王組に出張ってくるという小田切情報があります。小田切警部、本部長にご説明を」

 急に皆の視線が自分に集まった小田切はやや仰け反りながらも答える。

「たっ、ただ単に出向してくるだけではありません。黒深会の目的は真王組の執行部にオブザーバーとして幹部を送り込み、県内における真王会の現シャブ流通ルートを利用した上で、新たに大掛かりなシャブ流通ルートを構築するものであります」
「なら黒深会から送り込まれたオフザーバーの尻尾を掴めばいいだけですよね?」
「鳴海くんの言う通りだが、言葉にするほど簡単な話ではあるまい」

 そこで霧島が落ち着いた声で発言し、京哉の言葉を補強した。

「ですが本部長。この小田切ですら仕事の片手間に黒深会と真王組のシャブを嗅ぎ当てたのです。そこまで大掛かりなシノギならば却って近づき探り当てるのは、そう難しくはないと思われます。特に今回はこの小田切の悪事のお蔭で既に全体像が掴め、あとは裏付けのみという状況です」
「なるほど。この小田切警部の悪事が却って上手く作用し、今後は潜入さえ上手くいけば、あとは時間の問題ということだね?」

 自分の悪事悪事とリピートされて小田切は余計に固まり小さく萎れている。だが本人の思惑など残りのメンバーは塵ほども気遣わない。結構な鬼畜である。特に小田切に冷たい霧島は存在をガン無視して涼しく話を進めた。

「時間の問題と言えば、警視庁の組対や厚生局の麻取がこの案件に目を付けるのも遠くないでしょう。いえ、先んじて潜入捜査官を送り込んでいるかも知れません」
「分かっている。しかし喩え任務が競合しても放置はできん。敵は我が県下のシャブ流通ルートを大々的に塗り替えようとしているのだ。黒深会に依る塗り替えを阻止するだけでなく当然ながら現存する真王会のルートも潰すため、我々も早急に手を打たねばならん」

 本部長の言葉に霧島が灰色の目を煌かせる。それを見て本部長が深く頷いた。

「霧島くんは今回バックアップに回って貰う。潜入役の鳴海くんや小田切くんにとって、これ以上の心強い後ろ盾は他に考えられんだろう。では細部を詰めると――」

 そこで霧島は僅かに身を乗り出して本部長の言葉を遮る。

「待って下さい、本部長。小田切が埋められようが沈められようが一向に構いませんが、鳴海は大いに構います。鳴海だけを潜入させることなど私には考えられません。申し訳ありませんがバックアップ役は辞退させて頂きます」

 嬉しい気がした京哉だが、非常に目立つ男の灰色の目を見上げながら首を傾げた。

「でも実際、霧島警視が潜入するなんて無理じゃないでしょうか?」
「ちょっと待ってくれたまえ。今、何と言ったのかね?」
「私も潜入する、と申し上げましたが?」
「冗談ではない。みすみす霧島くんを死なせては霧島会長に申し訳が立たん。間違っても霧島カンパニー次期本社社長と名高い人物に危ない橋を渡らせるなど却下だ」

 目の色を変えて本部長は霧島に翻意を迫った。だが霧島は耳がキクラゲにでもなったような顔で聞き流す。そして言葉を尽くした本部長が息継ぎする間に口を挟んだ。

「私と鳴海はパートナーであり、どんな時も背を護り合う相棒バディです。別行動を取る訳にはいきません。誰より本部長がご存じの筈です、我々二人が二人だからこそ過去に無茶振りされた特別任務を完遂してきたのだと。今回も例外ではありません」
「しかし忘れていないかね、週刊誌に何度も載ったきみの顔は皆が知っている」
「髪形を変えて眼鏡でも掛けますので問題ありません」
「だが……だめだ。何なら潜入は沈んでも埋まってもいい小田切くんのみ、鳴海くんも含めた潜入計画はなかったことにする。きみたち二人は小田切くんのバックアップに回りたまえ。霧島くんの潜入だけは何があっても許可できん。以ての外だ」

「潜入捜査なくして今回の案件を解決に導くことはできません。小田切は既に真王組に警察官だと知られている。ならば誰が潜入するのですか? 残る鳴海に潜入任務を下すのが前提のプランになるのは明白だ。それこそ私は許可できません。だめかどうかは私の変装を見てから判断願いたい。鳴海、行くぞ」
「あ、はい!」

 立ち上がった霧島が本部長に対し敬礼したのを見て、慌てて京哉も立って身を折る敬礼をしオーダーメイドスーツの裾を翻して去る霧島を追う。

 そこで立つタイミングを逸した小田切はサシで一ノ瀬警視監と向かい合うハメになり、掌の脂汗をスラックスに擦りつけた。そんな小田切を前にしてカップの底のシュガーを再び舐め取りながら本部長は言った。

「おっと、大事なことを言うのを忘れていた。小田切くんから伝えてくれるかね?」
「はっ、何でありましょう?」
「そう勢い込まれても朗報ではないんだがね。黒深会に関わっていたとみられる我らが警察を含めた各捜査機関の潜入捜査員と思われる人員が、既に四人も東京湾に浮かんだのだ。つい先週のことなのだがね」

 小田切はここにきて本気の不幸というものを目の当たりにした気がしていた。
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