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第52話
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「どう、貴方と同じ煙草にバディと同じブレナムブーケの香りよ」
「どうって……別に」
答えようのない質問を投げられ、京哉は紫煙を目で追って誤魔化す。匂いに喚起された記憶は前に肌を合わせた時の霧島の重みだった。そこから自分を撫で、抱き上げる乾いた手の感触や荒い息づかい、自分の中を貫き激しく掻き回す霧島自身の熱まで思い出す。
そうして最後に触れ合った、温室での深いキス。あれからずっと同じ部屋で寝起きしながらも、まるで赤の他人だ。触れたい、触れられたい想いでいっぱいになる。
何処までオモチャを理解しているのか、花梨が紫煙混じりの溜息をついてみせた。
「京哉さんったら、またそんな目をして……ねえ、ガード、撒いちゃわない?」
「エスケープしてどうするんですか?」
「心配しなくていいわ、父さまは怒らないから大丈夫よ。母さまもそうだった。お説教はしても本気でわたしを怒らないの。怒っても何の得にもならないから。どちらも一度は親であることを辞めたくらいに、わたしなんて要らなかったから」
「ふうん、そうでしたか。でもそれと僕が花梨を抱くことと、何の関係があるんですか? 当てつけに使われるほど僕はお安くないつもりなんですけど」
柔らかな口調は変えなかったが、きっぱりとした拒否に花梨は唇を噛んで俯く。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……そんな理由で言ったんじゃないのよ」
「僕こそすみません、少し手厳しかったかも知れませんね。けれど僕は一応ガードですし。でも貴女はとっても魅力的ですよ。仕事を忘れられたらって思うくらいにね」
「本当? わたしのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いだなんて一言でも言いましたか? ほら、煙草を消して下さい」
「煙草を吸う女は嫌い?」
「女性も男性も関係ないですよ。ただ、煙が目に入ったみたいですから」
「ええ、そうね。パウダールームに行ってくるわ。でも――」
スツールから降りた花梨は目を赤くしていた。そんな目の花梨は甘え声で訴える。
「泣かせたままにするなんて、京哉さんは酷い人ね」
何を求めているのか分かって京哉の方が戸惑ったが、思考より躰が先に動いた。
「花梨。ルージュが崩れるから、こっちで我慢して下さい」
言いつつ京哉は吸いかけの煙草を灰皿に置いて立ち、大人びたカシュクールワンピースの細い腰を抱き寄せる。花梨の前髪を片手でかき上げ、額に唇を押し当てて離れた。知られても構いはしなかったが、実際には他のガードが気付かないくらいの素早さだった。
「あの、わたし……行ってくる!」
自分で言い出しておきながら真っ赤になった花梨はハンドバッグを抱き締めて化粧室に消えた。見送ってから京哉は自分の唇を指で擦った。脂粉が濃く匂う。霧島の匂いのキスはしたくなかった。
だがチェックメイトだ。お手軽すぎて話にならない。
しかし切る目算もないカードに自分はいったい何をしているのだろうと自嘲する。
(腹いせ? それとも当てつけか? 偉そうに他人に、よく言う――)
おまけに慣れない種類の嘘は京哉に疲れを残していたが、幾ら探しても罪悪感が見当たらなくて急に破裂したように笑い出しそうになり、堪えるのに酷く苦労をした。
◇◇◇◇
誇らしげに見えるほど大胆且つ堂々と花梨は京哉の腕に自分の腕を絡め、屋敷の車寄せに降り立った。今日の往きまでは京哉のジャケットの袖か裾を掴むだけだったのに、花梨の中で京哉は随分と昇格したらしい。
いや、却ってお嬢様への更なる隷属なのかもと思いながら、ガードの体裁は保とうとして京哉は花梨をせめて左腕に掴まらせる。
邸内の大階段を上る時も花梨は掴んだ腕を離そうとはしない。その頬が紅潮しているのは酔いのせいだけではないだろう。
仕方ないのでガードというよりエスコート役だ。残るガードは荷物運びで、高い声で喋る花梨といい、見た目はけたたましくも賑やかだった。京哉はこのまま花梨から私室に引っ張り込まれないことを祈る。
その状態で二階と三階の間の踊り場まで来た時、階段を三段飛ばしで駆け下りてきた霧島と出くわした。まとった雰囲気から異変を察知した京哉は咄嗟に霧島の前に飛び出して足止めする。
「そんなに急いで、何かあったんですか?」
「天根市内で襲撃された」
天根市は貝崎市の南に位置するが、それはともかく厳しい口調と今もサングラスの下で煌めいている切れ長の目に京哉は咄嗟に言葉が出ない。
一方で花梨は京哉より積極的に霧島のダークスーツのジャケットを掴んで足止めしてから、縋るように見上げて訊いた。
「それ、本当なの? ねえ、父さまは? 何処、教えて!」
「執務室。安心しろ、無傷だ。ガードは三人殺られたが」
「三人も……って、御坂さん貴方、怪我は?」
「見ての通り、大丈夫だ。問題ない」
安堵の表情を浮かべた花梨とは対照的に、京哉は不安で呼吸まで浅くする。どう見ても霧島のスーツが元のものと違っていたからだ。三人もの死者を出すなど相当火線の激しい戦いだった筈、怪我をして着替えざるを得なくなったという想像は容易にできた。
落ち着くために茶を飲もうなどと言い出した花梨を宥め、私室に押し込んで部屋の前で張り番するガードに申し送ってしまうと京哉は身を翻す。
だが四階の部屋にはまだ霧島の姿はなかった。執務室辺りは警察への対応などで騒がしいのだろう。
「どうって……別に」
答えようのない質問を投げられ、京哉は紫煙を目で追って誤魔化す。匂いに喚起された記憶は前に肌を合わせた時の霧島の重みだった。そこから自分を撫で、抱き上げる乾いた手の感触や荒い息づかい、自分の中を貫き激しく掻き回す霧島自身の熱まで思い出す。
そうして最後に触れ合った、温室での深いキス。あれからずっと同じ部屋で寝起きしながらも、まるで赤の他人だ。触れたい、触れられたい想いでいっぱいになる。
何処までオモチャを理解しているのか、花梨が紫煙混じりの溜息をついてみせた。
「京哉さんったら、またそんな目をして……ねえ、ガード、撒いちゃわない?」
「エスケープしてどうするんですか?」
「心配しなくていいわ、父さまは怒らないから大丈夫よ。母さまもそうだった。お説教はしても本気でわたしを怒らないの。怒っても何の得にもならないから。どちらも一度は親であることを辞めたくらいに、わたしなんて要らなかったから」
「ふうん、そうでしたか。でもそれと僕が花梨を抱くことと、何の関係があるんですか? 当てつけに使われるほど僕はお安くないつもりなんですけど」
柔らかな口調は変えなかったが、きっぱりとした拒否に花梨は唇を噛んで俯く。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……そんな理由で言ったんじゃないのよ」
「僕こそすみません、少し手厳しかったかも知れませんね。けれど僕は一応ガードですし。でも貴女はとっても魅力的ですよ。仕事を忘れられたらって思うくらいにね」
「本当? わたしのこと、嫌いじゃない?」
「嫌いだなんて一言でも言いましたか? ほら、煙草を消して下さい」
「煙草を吸う女は嫌い?」
「女性も男性も関係ないですよ。ただ、煙が目に入ったみたいですから」
「ええ、そうね。パウダールームに行ってくるわ。でも――」
スツールから降りた花梨は目を赤くしていた。そんな目の花梨は甘え声で訴える。
「泣かせたままにするなんて、京哉さんは酷い人ね」
何を求めているのか分かって京哉の方が戸惑ったが、思考より躰が先に動いた。
「花梨。ルージュが崩れるから、こっちで我慢して下さい」
言いつつ京哉は吸いかけの煙草を灰皿に置いて立ち、大人びたカシュクールワンピースの細い腰を抱き寄せる。花梨の前髪を片手でかき上げ、額に唇を押し当てて離れた。知られても構いはしなかったが、実際には他のガードが気付かないくらいの素早さだった。
「あの、わたし……行ってくる!」
自分で言い出しておきながら真っ赤になった花梨はハンドバッグを抱き締めて化粧室に消えた。見送ってから京哉は自分の唇を指で擦った。脂粉が濃く匂う。霧島の匂いのキスはしたくなかった。
だがチェックメイトだ。お手軽すぎて話にならない。
しかし切る目算もないカードに自分はいったい何をしているのだろうと自嘲する。
(腹いせ? それとも当てつけか? 偉そうに他人に、よく言う――)
おまけに慣れない種類の嘘は京哉に疲れを残していたが、幾ら探しても罪悪感が見当たらなくて急に破裂したように笑い出しそうになり、堪えるのに酷く苦労をした。
◇◇◇◇
誇らしげに見えるほど大胆且つ堂々と花梨は京哉の腕に自分の腕を絡め、屋敷の車寄せに降り立った。今日の往きまでは京哉のジャケットの袖か裾を掴むだけだったのに、花梨の中で京哉は随分と昇格したらしい。
いや、却ってお嬢様への更なる隷属なのかもと思いながら、ガードの体裁は保とうとして京哉は花梨をせめて左腕に掴まらせる。
邸内の大階段を上る時も花梨は掴んだ腕を離そうとはしない。その頬が紅潮しているのは酔いのせいだけではないだろう。
仕方ないのでガードというよりエスコート役だ。残るガードは荷物運びで、高い声で喋る花梨といい、見た目はけたたましくも賑やかだった。京哉はこのまま花梨から私室に引っ張り込まれないことを祈る。
その状態で二階と三階の間の踊り場まで来た時、階段を三段飛ばしで駆け下りてきた霧島と出くわした。まとった雰囲気から異変を察知した京哉は咄嗟に霧島の前に飛び出して足止めする。
「そんなに急いで、何かあったんですか?」
「天根市内で襲撃された」
天根市は貝崎市の南に位置するが、それはともかく厳しい口調と今もサングラスの下で煌めいている切れ長の目に京哉は咄嗟に言葉が出ない。
一方で花梨は京哉より積極的に霧島のダークスーツのジャケットを掴んで足止めしてから、縋るように見上げて訊いた。
「それ、本当なの? ねえ、父さまは? 何処、教えて!」
「執務室。安心しろ、無傷だ。ガードは三人殺られたが」
「三人も……って、御坂さん貴方、怪我は?」
「見ての通り、大丈夫だ。問題ない」
安堵の表情を浮かべた花梨とは対照的に、京哉は不安で呼吸まで浅くする。どう見ても霧島のスーツが元のものと違っていたからだ。三人もの死者を出すなど相当火線の激しい戦いだった筈、怪我をして着替えざるを得なくなったという想像は容易にできた。
落ち着くために茶を飲もうなどと言い出した花梨を宥め、私室に押し込んで部屋の前で張り番するガードに申し送ってしまうと京哉は身を翻す。
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