見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第66話

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 霧島が目覚めると窓からの白い日差しが眩しかった。
 デジタルの目覚まし時計を見ると既に十時過ぎである。ベッドに京哉はいない。

 休みだというのにもうキッチンに立っているのかと思い、ベッドから降りてのっそりとキッチンに向かった。
 そこでリビングの二人掛けソファに小田切が寝こけているのを見つけた。眉間にシワを寄せる。飯は食わせたが泊めた覚えまではなかったからだ。
 ソファの背を思い切り蹴り飛ばすと、小田切は転げ落ちてロウテーブルの脚に頭をぶつける。

 大袈裟に騒ぐ男を放っておいて霧島は冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んだ。そうして京哉から目を離さないという自身の取り決めに従って探すが、元々探し歩くほど広い部屋でもない。トイレやバスルームも開けたが京哉が見当たらなかった。

 結果として霧島は小田切に原因を押しつけた。

「小田切、貴様は京哉を何処へやった!」
「俺が知るか! つーか、京哉くんがいないのか?」
「ああ、起きたらいなかった。コンビニに煙草でも買いに出たのかも知れんが」
「携帯に連絡は入れたのか?」
「見て分かるだろう、今やっている……だが繋がらん。電源が切れているようだ」
「それって拙いんじゃないのか?」

 言われずなくてもとっくに非常事態と察知していて、身を翻した霧島は寝室のクローゼットを開ける。すると京哉のスーツが一式消えていた。
 特殊警棒や手錠ホルダーの付いた帯革はあったがシグとショルダーホルスタもない。ポツリとライティングチェストにジッポのライターがあった。

 思いついて霧島はキッチンに戻るとダストボックスを漁った。

「チッ、やられた!」

 出てきたのは錠剤のシートである。空になったそれは霧島が短い入院中に病院で貰った睡眠薬だった。くれると言うので貰ったが殆ど飲んでいないので、ワンシートを小田切と二人で分け合った計算だ。

 空のシートを投げられて左手で受け止めた小田切が眉をひそめる。

「一服盛られたってことなのかい?」
「間違いない。京哉は独りで真王組に乗り込んだんだ」
「そいつは本気で拙いな。だがどうして真王組なんかに行ったんだよ?」

 訊いた小田切に灰色の目を向けた霧島は、次にはその胸ぐらを掴み上げていた。

「分からないのか? あいつは自分なりに決着を……もういい!」

 あのガサ入れの日の一部始終を傍で見た上に、入院中にした筈の結城の話まで蒸し返して持ち出して京哉が己の気持ちを霧島に伝えたというのに、たった独りで出て行くのを止められなかったのは霧島が迂闊だったのだ。
 
 霧島にとっての結城の話は、分かりづらいが京哉にとっての花梨の話だった。

 京哉自身が想いを残すと霧島にも同じ想いをさせる。だったらこの案件は完全なる過去のものにしてしまい、何ひとつ自分の中にも残さない。
 こと霧島に関して潔癖な京哉らしい考え方である。ただ、想いこそストレートだがそこに至る思考回路が複雑かつ目的を達するためなら当の霧島ですら謀るのが難儀な処だ。

 とにかく小田切に八つ当たりをしている場合ではない。

 小田切を突き放すと寝室に向かって急いで着替え始める。慌ただしく手を動かしながら戸口に立った小田切を冷たい灰色の目で見据え吐き捨てた。

「真王組幹部と昵懇だった貴様はポケットマネーで組のシャブを買い上げては、あちこちのサツカンに甘い言葉をかけてシャブをただで渡していた。真王組幹部の信用を得るためだったのかも知れんが、何か申し開きはできるか?」
「いや。実際にシャブをバラ撒いたのは俺じゃないが、真王組幹部からシャブを買い付けたのは俺だから同罪だ。でもそれは霧島さんも最初から知っていた、だから俺を『偽善に反吐が出る』とまで言ったんだろ?」
「ああ、本部長にも報告済みでご存知だ。だが一方で貴様は組対とも繋がっていた。全ては第三者の指示通りだった。真王組幹部と昵懇になったのも、シャブを買い取り警察内にバラ撒いて更なる真王組の信用を得た手法もだ。そうだろう?」

 大きく溜息をついて小田切は肯定する。

「どうして分かったんだい?」
「私と京哉がサツカンだと最初から立川拓真は知っていたからだ。第三者……組対の誰かは知らんが貴様を意のままに操った奴は、ダブルスパイの貴様に私たちの情報をタレ込ませた。私たちの出現で金星を奪われるのを恐れたのか?」

 俯いて息を吐いた小田切は首を横に振ったが、それも否定ではなかった。

「京哉くんに言ったのを霧島さんも聞いただろ、金星を奪われるのも癪だって。あれは嘘じゃない。俺はこの手で結城さんの仇討ちをしたかった。そしてあの人は本当に金星が欲しかったんだ」

 準備のできた霧島は一ノ瀬本部長にメールを打ってから、小田切と二人して月極駐車場まで全力で走った。霧島が運転する白いセダンの中で小田切は語り始める。

「結城さんの件で俺も落ち込んでね。警視庁SATも放り出されて暫くここの警備部でくすぶってた。そんな時に組対の暴力団排除対策室に所属する井岡いおか警部補に声を掛けられたんだ。ベテランだがあの人も努力が実らない不遇の人らしくてね――」

 結城友則の仇を取らないかと誘われ小田切は心が動いた。だが捜査畑にいたこともない小田切には暴力団幹部に食い込む知恵などない。それを与えて一から十まで指図し、小田切から預かったシャブをバラ撒いていたのも井岡警部補だったのである。

 しかし小田切の中では同じサツカンをシャブで汚染する手法に疑問が湧いていた。けれどその時には既に真王組幹部と井岡警部補の間でダブルスパイとして一抜けもできない処まで嵌り込んでしまっていたのだった。

「確かに井岡警部補は俺を使って積み上げたものが崩れるのを恐れてた。あんたらが参戦すると知って目の色変えてたよ。俺は井岡警部補の操り人形だった訳さ」
「己を木偶扱いするな! 思考力が欠片でもあるなら気概を持て、京哉を見習え!」

 唐突に怒鳴られて小田切は吸い込んだ息を止める。

「京哉は自分の気持ちに決着をつけに行った。本人が自覚しているかどうかは不明だが、おそらく花梨を死なせた責任を感じていたのだろう。それに自分の中でこの件を完全に終わらせなければ己の心に残る。私に結城を思い出されたくないのと同様に、自分も花梨を思い出したくなかった」
「あのさ、言っちゃ悪いが、そんなことのために死ぬかも知れない危険を冒して真王組に乗り込んだっていうのかい?」
「貴様は知らんだろうが、京哉はそれでなくても普通でない記憶を背負って生きているんだ。これ以上背負うのは限界だと思ったのかも知れん。それを共に背負うと言った私にもこれ以上を背負わせまいと……」
「……そうか」
「だが自分のためだけでなく、あいつは何かを得るために行ったんだ」
「何かって、いったい何を?」
「おそらく花梨をあのような目に遭わせた立川拓真を挙げるための証拠だろうな。間違いない、あいつは指定暴力団の組長相手に捨て身の覚悟で究極のバーターを仕掛けに行ったんだ」
 
 究極のバーター。自らの命と引き換えにしてでも……その決心と意志の固さは霧島にも劣らぬプライドの高さの現れだった。ただ、高貴なまでのプライドも『壊れかけた心』で支えているのだ。思い詰めたら独りで考え独りで動く。
 そこに自分を挟む余地すら与えてくれないのが霧島にとっては悔しかった。
 もっともっと京哉との時間が欲しいと切実に思う。

 捨て身のバーターに小田切が押し殺したような声で囁く。

「拙すぎだろ、それは?」
「当然だ、立川は見え透いた嘘が通用する相手ではない。おそらくそれは京哉も承知している。そして京哉は我々を謀ったことで知っての通り、限りなく自分をも騙せる現実に近い嘘が吐ける」
「なら上手く躱して証拠だけ握って――」
「――馬鹿か、貴様は。この時間だぞ! 時間稼ぎにしても遅すぎる。京哉は真っ向勝負に出たんだ。だが京哉が情報とバーターにするのは……京哉が唯一持つ物、それは京哉そのものとしか思えん」
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