見え透いた現実~Barter.6~

志賀雅基

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第69話

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 翌日の十五時過ぎに目覚めた京哉は、意外なほど冷静に医師から自分の躰の状態について話を聞いた。そして二週間ほどの入院のあと、可能な限り早く形成手術を受ける旨を申し出た。
 一度で済まないと予測されるそれはトータルすると完全治癒には数ヶ月も掛かるという。

 だが長く厳しい戦いの説明を受けても京哉の決意は揺らがず、霧島も本人の意志を尊重したかったので、口出しは一切しなかった。

 外科と形成外科の医師たちが病室を去ると、入れ違いに精神科の医師とケースワーカーがやってきた。二人共に女性である。

 彼女たちは世間話をするようなノリで本当に世間話から生い立ちに家族構成、今回の件などのディープな話題まで巧みに京哉の口から引き出し、メモを取って今晩から眠れないようなら薬を処方すると言い、帰って行った。

 その間も点滴の差し替えなどで看護師が出入りして、かなり賑やかである。
 しかし賑やかなのを霧島は何となく有難く感じていた。京哉を静かに休ませたい気持ちがある半面、二人きりになることに対して身構えてしまっていたのだ。

 けれど夕食の時間に配膳してくれた看護師も出て行くと霧島はもう黙っていられなくなる。身を起こせない京哉を介護しジュースと薄いスープの流動食をスプーンで飲ませてやりながら他人の目がない安堵に止めようもなく感情を溢れさせつつ謝った。

「京哉。すまん。本当にすまん。迎えに行くのが遅くなった」
「いいえ、僕が悪いんです。でも、忍さん……忍さんが、泣いてる?」

 仰臥した京哉は目に零れそうな潤みを湛えている。貧血からか透けるような白い頬に霧島は熱い雫を垂らした。驚いて瞠られた京哉の目からも涙が止めどなく流れた。
 こんな風に泣いてしまうのが嫌だったのだ。だが男の意地で声の震えを呑み込む。

「泣いてなどいない。それより無理して何度も手術を受けなくていいんだぞ」
「でも僕は最後まで手術を受けたいんです。忍さんには迷惑を掛けると思いますが」
「迷惑ではない、いつもと逆だ。たまには世話くらいさせてくれ」

 タオルで口元を拭ってやり、霧島はそのタオルで自分の顔も拭くと言葉を継いだ。

「お前が元の躰に戻りたいなら止めん。けれどどんなお前も私は愛しているからな」
「有難うございます。だけど僕はちゃんとした躰に戻りたい」
「そうか。ならば本音を言わせて貰うが、私は喩えお前を抱けなくても愛している。これは一生変わらん。だが、できるなら抱きたい。愛してるから抱きたいんだ」
「僕も、愛しているから忍さんに抱かれたいんです」

 トレイの載ったテーブルを除けてしまうと、霧島はそっと京哉に口づける。すると意外な力強さで京哉に舌を吸われた。欲しがるだけ唾液を与え、京哉が満足してから離れる。

「だが本当にどんなお前も愛しているからな。何も心配せずに治せ」
「ん……あり、がと――」

 疲れたのか既に京哉は朦朧としているようだった。霧島は毛布を掛け直し、長めの前髪を指で梳いて整えてやる。しかしふいに京哉は驚くほどの大声を上げた。

「痛い、やだ、助けて……抜いて……やあ、ん、痛いよ!」
「京哉、私だ、こっちを見ろ、京哉!」
「あうっ……忍さん……助けて――」

 暴れる京哉をベッドに押さえ付けながらナースコールを押した。だがそのときにはもう細い躰から力が抜け、ベッドに沈み込むように京哉は目を瞑っていた。
 急速に眠りに入ったか気絶したかしたようだった。看護師と外科の担当医に精神科医が駆けつけ、今晩からの抗不安薬の処方を霧島と相談して決める。

 しかし京哉のPTSDに依る錯乱はそのあともたびたび繰り返され、いつ発作が起こるか分からずに霧島もますます目が離せなくなる。
 それを分かっていて止められない本人が苦にした挙げ句、霧島に対して一歩退いた遠慮がちな素振りを見せ、更にはよそよそしい態度を取り始めるまで時間はかからなかった。

 そうして最初の応急手術から十二日が経った。だが精神的に不安定な京哉の形成手術に医師が難色を示し、強い本人の希望も受け入れられずに一旦退院が決まった。
 落胆した京哉にかける言葉も見当たらず、霧島は黙って病院の駐車場から白いセダンに乗せて発車する。京哉はずっと無言で秋も深まりつつある窓外を眺めていた。

 久しぶりのマンションに帰り着いたが、京哉は霧島に殆ど目も向けない。
 おまけに荷物を片付ける霧島に目を逸らしたまま京哉は頬に硬い笑いを浮かべる。

「それくらい自分でできますよ。喩え躰は貴方のご要望に応えられなくてもね」
「私が好きで勝手にやっている、お前が負担に思うことはない」
「負担ですか? 貴方のその目の方が僕には負担なんですけれど」
「それは悪かったな。だが私はお前から目を離さん。また一服盛られても困る。おまけに私は精神科の医師からも『お前から目を離すな』と厳命されている」

 さすがにそれ以上は京哉も食いついてはこなかった。八つ当たりだと本人も分かっているのだろう。事実として霧島も目に情欲を浮かべたりしていないつもりである。

 京哉の躰は形成外科的な意味を度外視すれば経過は良好で、生活には何の支障もなかった。だからといって行為に及べるような状態でないことくらい互いに理解している。
 それだけではない、ずっと介護を続けていた霧島は知っていた。京哉の躰が一切反応しない、勃たないのだという事実を。

 更にはいつ発作が起こるか知れず爆弾を抱えているも同然で、京哉が半ば自分を無視していても構うことなく近所のコンビニに煙草を買いに行くのでも付き従った。

 それでも京哉は霧島に殆ど話しかけない。黙って淡々と二人で料理を作り食事を摂って交代でシャワーを浴び、ベッドでも京哉は霧島と少々の隙間を空けて横になる。霧島も京哉に触れることなくじっと見守り続けるのみだ。

 そんな生活を三日間続けたのち、霧島の携帯に本部長から連絡がきた。
 京哉が躰を張って得たICレコーダの音声ファイルを証拠物件に立川拓真を重要参考人とし、任意同行しているという話だった。それだけではない、京哉に自らの手で立川に手錠を掛け逮捕する権利を与えるという有難い知らせだったのである。

 だがそれを聞いても京哉は火を点けない煙草を咥えたまま呟いただけだった。

「お膳立てされてワッパ打ったからって、何が変わる訳でもありませんから」
「やってみなければ分からんだろう。僅かでも気持ちにケリがつくかも知れんぞ」

 何はともあれ変化の可能性を求めて霧島は執拗に勧め、京哉は県警本部まで出ることをしぶしぶ了承した。霧島が運転する白いセダンの助手席に座った京哉はマンションを出てから本部に着くまで一言も喋らなかった。

 本部に着くと霧島と京哉は立川を任同した捜査一課を訪れる。立川はあらかたの参考人聴取が終わったらしく、馴染みの三係長が取調室に案内してくれた。

「やたらと口の回る被疑者ですからな、何かあったら止めますんで」

 係長と共に京哉と霧島は立川拓真と対面する。立川は京哉を見て開口一番言った。

「鳴海くん、わたしの手下にヤラれて気持ち良かったかね?」
「……っ!」
「硬い異物で目茶苦茶に裂かれ、血を溢れさせながらも泣いてよがったそうじゃないか。御坂より良かったのだろう? 何ならまた手下に申し付けるが、どうかね?」
「くっ……立川、貴様!」

 蒼白となった京哉の前に出た霧島は目が眩むような怒りに駆られて立川の胸ぐらを掴み上げようとした。しかし京哉自身が割って入って留める。
 ここで暴力を振るっては相手の思う壺だ。公判の結果にも影響するのは必至である。何があろうと抑えねばならない。
 けれど増長した立川が繰り出す悪夢のような言葉は止まない。

「まだ躰は元通りではない筈だ。御坂にも抱かれてはいないのだろう。だが裂かれたあそこでは御坂に満足して貰えまい。自分で自分を慰めるしかないとは可哀相に」

 そこで霧島は京哉の異変を察知した。呼吸を不規則にして全身を震わせている。片手に触れると冷たい汗でびっしょりと濡れていた。体温も異常に低下し殆どショック症状を呈している。発作の前触れだ。

 霧島はつれてきたのを悔やみながら、さっさと立川に手錠を掛けさせようと京哉を促す。係長も京哉の様子に気付いてこれ以上は止めようとした。
 しかし蒼白な顔色の京哉は首を横に振った。まだ踏み止まるつもりだ。

 けれど目だけは強い色をした京哉に対し、呪詛の如き言葉が更に紡がれる。

「鳴海京哉、自分の躰は自分が誰より分かっている筈だ。きみはこの先、御坂に満足しては貰えない。これはきみに刺さったトゲだ。一生抜けないトゲだよ」
「五月蠅い、立川拓真。そんなものは忍さんが抜いてくれる」
「本当にそう思うのかい? 男がきみの躰を見てその気になるとでも?」
「何故、そこまで僕を憎むんですか?」

 思わず訊いた京哉に立川は笑いすら浮かべて言い放った。

「それはね、きみイコール霧島忍だからだよ。わたしは霧島カンパニー会長御曹司の霧島忍が憎いのだ。我々暴力団だろうが企業人だろうがサツカンだって同じ、頂点に立つのにどれだけ犠牲を払う? だが霧島忍、お前は生まれながらに霧島の本社社長という玉座を持って生まれてきた――」

 ねっとりとした目で立川は霧島を舐めるように見ながら続ける。

「手に入れようとしても手に入らない玉座を持ちながら、片手間にサツカンになって権力を振り翳し、法の番人面しては悦に入っている。だからわたしは『御坂』をガードにしてわたしのために働かせ、わたしのために命をも懸けさせたのだ」
「貴様は勘違いしている。私は警察官の仕事を片手間にしたことはない」
「そう思っているのは霧島忍、お前自身だけだ。お前こそ勘違いしている。お前はあくまで霧島カンパニー会長御曹司の霧島忍なのだ。それ故わたしは何の犠牲も払わず何もかもを持ち合わせた霧島忍という完璧な男から最も大切なものを取り上げることにしたんだよ。大切な大切な、鳴海京哉という存在をね」

 憎くて堪らない筈なのに、立川の霧島を見る目は愛しげですらあった。
 憧れ羨み恋い焦がれた挙げ句に憎いのだ。故に本人に手を出せなかったのだろう。

 妬みに狂った男の目を覚まさせるために一発なりともぶん殴ってやりたかった霧島だったが思い留まる。京哉自身が非常な自制心で抑えているのだ、ここで自分が暴れる訳にはいかない。
 そうでなくても立川の目を見れば既に何を言っても通じないと知れる。まともな思考など残していない、一線を越えてしまった目をしていた。

 未だ白い顔をした京哉が手錠を手にして進み出る。
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