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第10話
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マンション五階の五〇一号室に着くと早速霧島は風呂を溜め始める。溜めている間、京哉はベッド上安静を申し付けられ救急箱の体温計を渡された。
電子音で引き抜いてみると、なるほど自分は三十九度近い熱発患者なのだと京哉も納得する。
「風呂は一人で大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、それくらい。それより忍さんはご飯を食べたんですか?」
「それなら詰め所で幕の内を食ったから心配するな」
安堵した京哉は寝室でスーツを脱いだ。硝煙を浴びたのでこれはあとでクリーニング行き、ドレスシャツと下着類はバスルームの前の洗濯乾燥機に放り込む。
エアコンも入れていないのに寒さに肌を粟立てながらバスルームに飛び込み熱いシャワーを頭から浴びた。全身を洗いヒゲも剃ってから流してバスタブの湯に浸かる。
幾らもせずボーッとしてきて湯あたりする前に上がった。バスローブを着てドライヤーで髪を乾かすと霧島と交代だ。パジャマに着替えてリビングの二人掛けソファに腰掛ける。すぐに寒さに耐え難くなり寝室から毛布を持ってきて被った。
「おい、京哉お前、顔色が真っ白だぞ……っと、すまん。起こしたか」
「いえ。ここで本格的に眠る訳にもいきませんから」
「そうか。ならこのメモリだけ見ても大丈夫か?」
頷くと霧島がロウテーブルにノートパソコンを置いてブートする。USBメモリをセットすると文書ファイルがひとつきり。開くと何かの一覧表が現れた。
「キーリン資源開発会長、衆議院議員上沢修二、坂東化学工業社長……これは何だ?」
「僕が過去にスナイプで暗殺したターゲットの一部です。ご丁寧にスナイプした日時まで載ってます。八人分の詳細データ、沙織のハッタリじゃなかったんですね」
そこで京哉はファミレスで話したことを全て霧島に告げた。
「八名か、洩らされたら命取りだな」
低く呟かれて京哉は霧島を見上げる。そして唐突に笑いが込み上げた。互いに多少奇矯な部分があるのは分かっている。それでも霧島は灰色の目を眇めて京哉を見た。
「笑いのツボが一致せんのだが」
「すみません、本当に可笑しくて。どのみちバレたら吊るされますが、沙織に洩らした人間はたった八人しか知らないんですよ。暗殺肯定派の中枢に食い込んでたような大物じゃないです。政敵に産業スパイその他諸々で僕は三十二人殺してますから」
まさかの数字に霧島は京哉を見返したまま絶句する。無邪気に京哉は続けた。
「大体、五年も飼われてたんですよ? 暗殺されたこと自体を会社ぐるみで隠蔽したケースもあれば、暗殺実行本部のバックアップが処理した例もあります。それより僕はあの頃、休暇の残日数ばかり心配して……」
「京哉、分かった。分かったから話したければ、そのうち詳しく聞くからな」
優しく低音を響かせた霧島は毛布の上から京哉の肩を抱いた。
この鳴海京哉という男は至極真っ当だが、あまりに重たいものを背負わされたせいで僅かながら心にヒビが入ってしまっている。そう霧島は捉えていた。
だからといってヒビ割れかけた心は優しさを失っていない。まだ、誰よりも真っ当だと霧島は感じる。
常日頃からヒビを繕ってやりたい、いや、この自分以外に癒し繕える者はいないと自負していた。一生をかけてでも繕い欠けた箇所は埋めてやるつもりでいたが、沙織の出現は痛かった。これではヒビが広がる一方だ。
厄介なことになったとは霧島も思ったが、それでも京哉への愛情は薄まらず愛しさは募るばかりである。
「厄介か。おい、話を戻すがこの部屋まで知られているのは厄介だな」
「まあ、喩え乗り込んできても靴下の臭い男よりはマシですけど」
「お前はそうだろうが、私はこの部屋に女性を入れる気など断じてないぞ」
「何とか食い止めるよう努力はしますよ」
「そうしてくれると有難い。だが得るものはなかったな」
「おそらくこれは僕の非道な行いを忍さんに知らしめるためのものですよ」
眉間のシワに不機嫌を溜めた霧島は珍しくも吐き捨てる。
「ふん。女子高生如きが、ふざけた真似をする」
「けど沙織は単なる女子高生じゃない。あれでもアガサ商事の現社長ですから。それなりの人脈もあるでしょうし、舐めてかかる訳にはいかないでしょう」
ファイルを閉じてノートパソコンの電源を落とした。
今日はもう店じまいだ。
京哉は寝室に向かおうと立ち上がってふらつく。すかさず霧島が支えてくれた。ゆっくり寝室に移動すると救急箱から冷却シートを出し、自分で額に貼り付けてからダブルベッドに横になる。隣に横になった霧島が腕枕をして抱き締めてくれた。暑いだろうに大柄な男は足まで絡める。
「京哉、大丈夫だ。お前は警察の総力を以て護られた身、今更逮捕などされん」
「有難いんですが、たまに逮捕された方が良かったかもと思います。逮捕されて法廷で罪をさらけ出され、罵声を浴びて死刑執行の宣告を受ける……それこそが悪夢から覚める唯一の方法かもって」
「そんな淋しいことを言うな、こうしている私も夢だと思うのか?」
「夢だとしたら、すごく都合のいい夢ですよね」
「まだ悪夢も見るのか?」
柔らかな低い声に京哉は頷く。
「フラッシュバックも酷いのだろう?」
「お見通しですか。だけど本当に大丈夫です。僕には忍さんがついていますから」
「ああ、私はいつでもお前の傍にいる。私が護る、だから大丈夫だ、問題ない」
低く甘い声を聞きながら京哉は強い眠気を感じた。以前は高熱の寒気で震えながら眠ることもできなかったのだ。その頃に比べたら温かさを得た今は大違いだと思う。
そして柔らかな眠気に意識を沈めたが、滑り落ちたのはまたも悪夢の淵だった。
◇◇◇◇
ハッとして目を開けると三十センチくらいの至近距離から霧島が覗き込んでいた。
「目が覚めたか。酷いうなされ方をしていたぞ」
「すみません、起こしちゃって」
「もう六時半だからいい。今週の食事当番は私だ、お前は熱を測って三十七度以下なら起きてシャワーを浴びてこい。汗も酷いぞ」
言われてみればパジャマは絞れるくらい濡れていた。肌に貼りついて気持ち悪い。体温計で熱を測ると汗をかいたからか平熱まで下がっていた。軽く息をついて起き出すとシャワーを浴びて着替えた。キッチンに出て行くと香ばしい匂いが漂っている。
霧島の定番朝メニューであるバゲットのフレンチトーストに冷凍ほうれん草と京哉の好きな赤いウインナーのソテー、インスタントのカップスープとコーヒーの朝食を頂いてしまうと二人で後片付けをして京哉は換気扇の下でニコチン補給だ。
TVニュースを聞きつつ昨日返却しそびれたシグ・ザウエルP230JPを寝室のライティングチェストの引き出しから出して二人はショルダーホルスタに収める。銃に関しては霧島が武器庫係に連絡したので問題なしだ。
あとは特殊警棒や手錠ホルダー付きの帯革を腰に巻いてジャケットを着た。
「じゃあ、今日はどちらが運転しますか?」
「お前は病み上がりだからな、私がしよう」
電子音で引き抜いてみると、なるほど自分は三十九度近い熱発患者なのだと京哉も納得する。
「風呂は一人で大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、それくらい。それより忍さんはご飯を食べたんですか?」
「それなら詰め所で幕の内を食ったから心配するな」
安堵した京哉は寝室でスーツを脱いだ。硝煙を浴びたのでこれはあとでクリーニング行き、ドレスシャツと下着類はバスルームの前の洗濯乾燥機に放り込む。
エアコンも入れていないのに寒さに肌を粟立てながらバスルームに飛び込み熱いシャワーを頭から浴びた。全身を洗いヒゲも剃ってから流してバスタブの湯に浸かる。
幾らもせずボーッとしてきて湯あたりする前に上がった。バスローブを着てドライヤーで髪を乾かすと霧島と交代だ。パジャマに着替えてリビングの二人掛けソファに腰掛ける。すぐに寒さに耐え難くなり寝室から毛布を持ってきて被った。
「おい、京哉お前、顔色が真っ白だぞ……っと、すまん。起こしたか」
「いえ。ここで本格的に眠る訳にもいきませんから」
「そうか。ならこのメモリだけ見ても大丈夫か?」
頷くと霧島がロウテーブルにノートパソコンを置いてブートする。USBメモリをセットすると文書ファイルがひとつきり。開くと何かの一覧表が現れた。
「キーリン資源開発会長、衆議院議員上沢修二、坂東化学工業社長……これは何だ?」
「僕が過去にスナイプで暗殺したターゲットの一部です。ご丁寧にスナイプした日時まで載ってます。八人分の詳細データ、沙織のハッタリじゃなかったんですね」
そこで京哉はファミレスで話したことを全て霧島に告げた。
「八名か、洩らされたら命取りだな」
低く呟かれて京哉は霧島を見上げる。そして唐突に笑いが込み上げた。互いに多少奇矯な部分があるのは分かっている。それでも霧島は灰色の目を眇めて京哉を見た。
「笑いのツボが一致せんのだが」
「すみません、本当に可笑しくて。どのみちバレたら吊るされますが、沙織に洩らした人間はたった八人しか知らないんですよ。暗殺肯定派の中枢に食い込んでたような大物じゃないです。政敵に産業スパイその他諸々で僕は三十二人殺してますから」
まさかの数字に霧島は京哉を見返したまま絶句する。無邪気に京哉は続けた。
「大体、五年も飼われてたんですよ? 暗殺されたこと自体を会社ぐるみで隠蔽したケースもあれば、暗殺実行本部のバックアップが処理した例もあります。それより僕はあの頃、休暇の残日数ばかり心配して……」
「京哉、分かった。分かったから話したければ、そのうち詳しく聞くからな」
優しく低音を響かせた霧島は毛布の上から京哉の肩を抱いた。
この鳴海京哉という男は至極真っ当だが、あまりに重たいものを背負わされたせいで僅かながら心にヒビが入ってしまっている。そう霧島は捉えていた。
だからといってヒビ割れかけた心は優しさを失っていない。まだ、誰よりも真っ当だと霧島は感じる。
常日頃からヒビを繕ってやりたい、いや、この自分以外に癒し繕える者はいないと自負していた。一生をかけてでも繕い欠けた箇所は埋めてやるつもりでいたが、沙織の出現は痛かった。これではヒビが広がる一方だ。
厄介なことになったとは霧島も思ったが、それでも京哉への愛情は薄まらず愛しさは募るばかりである。
「厄介か。おい、話を戻すがこの部屋まで知られているのは厄介だな」
「まあ、喩え乗り込んできても靴下の臭い男よりはマシですけど」
「お前はそうだろうが、私はこの部屋に女性を入れる気など断じてないぞ」
「何とか食い止めるよう努力はしますよ」
「そうしてくれると有難い。だが得るものはなかったな」
「おそらくこれは僕の非道な行いを忍さんに知らしめるためのものですよ」
眉間のシワに不機嫌を溜めた霧島は珍しくも吐き捨てる。
「ふん。女子高生如きが、ふざけた真似をする」
「けど沙織は単なる女子高生じゃない。あれでもアガサ商事の現社長ですから。それなりの人脈もあるでしょうし、舐めてかかる訳にはいかないでしょう」
ファイルを閉じてノートパソコンの電源を落とした。
今日はもう店じまいだ。
京哉は寝室に向かおうと立ち上がってふらつく。すかさず霧島が支えてくれた。ゆっくり寝室に移動すると救急箱から冷却シートを出し、自分で額に貼り付けてからダブルベッドに横になる。隣に横になった霧島が腕枕をして抱き締めてくれた。暑いだろうに大柄な男は足まで絡める。
「京哉、大丈夫だ。お前は警察の総力を以て護られた身、今更逮捕などされん」
「有難いんですが、たまに逮捕された方が良かったかもと思います。逮捕されて法廷で罪をさらけ出され、罵声を浴びて死刑執行の宣告を受ける……それこそが悪夢から覚める唯一の方法かもって」
「そんな淋しいことを言うな、こうしている私も夢だと思うのか?」
「夢だとしたら、すごく都合のいい夢ですよね」
「まだ悪夢も見るのか?」
柔らかな低い声に京哉は頷く。
「フラッシュバックも酷いのだろう?」
「お見通しですか。だけど本当に大丈夫です。僕には忍さんがついていますから」
「ああ、私はいつでもお前の傍にいる。私が護る、だから大丈夫だ、問題ない」
低く甘い声を聞きながら京哉は強い眠気を感じた。以前は高熱の寒気で震えながら眠ることもできなかったのだ。その頃に比べたら温かさを得た今は大違いだと思う。
そして柔らかな眠気に意識を沈めたが、滑り落ちたのはまたも悪夢の淵だった。
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ハッとして目を開けると三十センチくらいの至近距離から霧島が覗き込んでいた。
「目が覚めたか。酷いうなされ方をしていたぞ」
「すみません、起こしちゃって」
「もう六時半だからいい。今週の食事当番は私だ、お前は熱を測って三十七度以下なら起きてシャワーを浴びてこい。汗も酷いぞ」
言われてみればパジャマは絞れるくらい濡れていた。肌に貼りついて気持ち悪い。体温計で熱を測ると汗をかいたからか平熱まで下がっていた。軽く息をついて起き出すとシャワーを浴びて着替えた。キッチンに出て行くと香ばしい匂いが漂っている。
霧島の定番朝メニューであるバゲットのフレンチトーストに冷凍ほうれん草と京哉の好きな赤いウインナーのソテー、インスタントのカップスープとコーヒーの朝食を頂いてしまうと二人で後片付けをして京哉は換気扇の下でニコチン補給だ。
TVニュースを聞きつつ昨日返却しそびれたシグ・ザウエルP230JPを寝室のライティングチェストの引き出しから出して二人はショルダーホルスタに収める。銃に関しては霧島が武器庫係に連絡したので問題なしだ。
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