C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

文字の大きさ
10 / 52

第10話

しおりを挟む
 マンション五階の五〇一号室に着くと早速霧島は風呂を溜め始める。溜めている間、京哉はベッド上安静を申し付けられ救急箱の体温計を渡された。
 電子音で引き抜いてみると、なるほど自分は三十九度近い熱発患者なのだと京哉も納得する。

「風呂は一人で大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、それくらい。それより忍さんはご飯を食べたんですか?」
「それなら詰め所で幕の内を食ったから心配するな」

 安堵した京哉は寝室でスーツを脱いだ。硝煙を浴びたのでこれはあとでクリーニング行き、ドレスシャツと下着類はバスルームの前の洗濯乾燥機に放り込む。
 エアコンも入れていないのに寒さに肌を粟立てながらバスルームに飛び込み熱いシャワーを頭から浴びた。全身を洗いヒゲも剃ってから流してバスタブの湯に浸かる。

 幾らもせずボーッとしてきて湯あたりする前に上がった。バスローブを着てドライヤーで髪を乾かすと霧島と交代だ。パジャマに着替えてリビングの二人掛けソファに腰掛ける。すぐに寒さに耐え難くなり寝室から毛布を持ってきて被った。

「おい、京哉お前、顔色が真っ白だぞ……っと、すまん。起こしたか」
「いえ。ここで本格的に眠る訳にもいきませんから」
「そうか。ならこのメモリだけ見ても大丈夫か?」

 頷くと霧島がロウテーブルにノートパソコンを置いてブートする。USBメモリをセットすると文書ファイルがひとつきり。開くと何かの一覧表が現れた。

「キーリン資源開発会長、衆議院議員上沢かみさわ修二しゅうじ坂東ばんどう化学工業社長……これは何だ?」
「僕が過去にスナイプで暗殺したターゲットの一部です。ご丁寧にスナイプした日時まで載ってます。八人分の詳細データ、沙織のハッタリじゃなかったんですね」

 そこで京哉はファミレスで話したことを全て霧島に告げた。

「八名か、洩らされたら命取りだな」

 低く呟かれて京哉は霧島を見上げる。そして唐突に笑いが込み上げた。互いに多少奇矯な部分があるのは分かっている。それでも霧島は灰色の目を眇めて京哉を見た。

「笑いのツボが一致せんのだが」
「すみません、本当に可笑しくて。どのみちバレたら吊るされますが、沙織に洩らした人間はたった八人しか知らないんですよ。暗殺肯定派の中枢に食い込んでたような大物じゃないです。政敵に産業スパイその他諸々で僕は三十二人殺してますから」

 まさかの数字に霧島は京哉を見返したまま絶句する。無邪気に京哉は続けた。

「大体、五年も飼われてたんですよ? 暗殺されたこと自体を会社ぐるみで隠蔽したケースもあれば、暗殺実行本部のバックアップが処理した例もあります。それより僕はあの頃、休暇の残日数ばかり心配して……」
「京哉、分かった。分かったから話したければ、そのうち詳しく聞くからな」

 優しく低音を響かせた霧島は毛布の上から京哉の肩を抱いた。

 この鳴海京哉という男は至極真っ当だが、あまりに重たいものを背負わされたせいで僅かながら心にヒビが入ってしまっている。そう霧島は捉えていた。
 だからといってヒビ割れかけた心は優しさを失っていない。まだ、誰よりも真っ当だと霧島は感じる。

 常日頃からヒビを繕ってやりたい、いや、この自分以外に癒し繕える者はいないと自負していた。一生をかけてでも繕い欠けた箇所は埋めてやるつもりでいたが、沙織の出現は痛かった。これではヒビが広がる一方だ。
 厄介なことになったとは霧島も思ったが、それでも京哉への愛情は薄まらず愛しさは募るばかりである。

「厄介か。おい、話を戻すがこの部屋まで知られているのは厄介だな」
「まあ、喩え乗り込んできても靴下の臭い男よりはマシですけど」
「お前はそうだろうが、私はこの部屋に女性を入れる気など断じてないぞ」
「何とか食い止めるよう努力はしますよ」
「そうしてくれると有難い。だが得るものはなかったな」
「おそらくこれは僕の非道な行いを忍さんに知らしめるためのものですよ」

 眉間のシワに不機嫌を溜めた霧島は珍しくも吐き捨てる。

「ふん。女子高生如きが、ふざけた真似をする」
「けど沙織は単なる女子高生じゃない。あれでもアガサ商事の現社長ですから。それなりの人脈もあるでしょうし、舐めてかかる訳にはいかないでしょう」

 ファイルを閉じてノートパソコンの電源を落とした。
 今日はもう店じまいだ。

 京哉は寝室に向かおうと立ち上がってふらつく。すかさず霧島が支えてくれた。ゆっくり寝室に移動すると救急箱から冷却シートを出し、自分で額に貼り付けてからダブルベッドに横になる。隣に横になった霧島が腕枕をして抱き締めてくれた。暑いだろうに大柄な男は足まで絡める。

「京哉、大丈夫だ。お前は警察の総力を以て護られた身、今更逮捕などされん」
「有難いんですが、たまに逮捕された方が良かったかもと思います。逮捕されて法廷で罪をさらけ出され、罵声を浴びて死刑執行の宣告を受ける……それこそが悪夢から覚める唯一の方法かもって」
「そんな淋しいことを言うな、こうしている私も夢だと思うのか?」
「夢だとしたら、すごく都合のいい夢ですよね」
「まだ悪夢も見るのか?」

 柔らかな低い声に京哉は頷く。

「フラッシュバックも酷いのだろう?」
「お見通しですか。だけど本当に大丈夫です。僕には忍さんがついていますから」
「ああ、私はいつでもお前の傍にいる。私が護る、だから大丈夫だ、問題ない」

 低く甘い声を聞きながら京哉は強い眠気を感じた。以前は高熱の寒気で震えながら眠ることもできなかったのだ。その頃に比べたら温かさを得た今は大違いだと思う。

 そして柔らかな眠気に意識を沈めたが、滑り落ちたのはまたも悪夢の淵だった。

◇◇◇◇

 ハッとして目を開けると三十センチくらいの至近距離から霧島が覗き込んでいた。

「目が覚めたか。酷いうなされ方をしていたぞ」
「すみません、起こしちゃって」
「もう六時半だからいい。今週の食事当番は私だ、お前は熱を測って三十七度以下なら起きてシャワーを浴びてこい。汗も酷いぞ」

 言われてみればパジャマは絞れるくらい濡れていた。肌に貼りついて気持ち悪い。体温計で熱を測ると汗をかいたからか平熱まで下がっていた。軽く息をついて起き出すとシャワーを浴びて着替えた。キッチンに出て行くと香ばしい匂いが漂っている。

 霧島の定番朝メニューであるバゲットのフレンチトーストに冷凍ほうれん草と京哉の好きな赤いウインナーのソテー、インスタントのカップスープとコーヒーの朝食を頂いてしまうと二人で後片付けをして京哉は換気扇の下でニコチン補給だ。

 TVニュースを聞きつつ昨日返却しそびれたシグ・ザウエルP230JPを寝室のライティングチェストの引き出しから出して二人はショルダーホルスタに収める。銃に関しては霧島が武器庫係に連絡したので問題なしだ。
 あとは特殊警棒や手錠ホルダー付きの帯革を腰に巻いてジャケットを着た。

「じゃあ、今日はどちらが運転しますか?」
「お前は病み上がりだからな、私がしよう」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...