C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第11話

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 定時である八時半の三分前に機捜の詰め所に滑り込み、京哉はいつもの如く茶を淹れて皆に配給するとハンディモップで各デスクを掃除し始めた。
 霧島は一班と二班が本日上番の三班と交代するのに立ち合ったのち、デスクで書類と格闘する。

 結局バイク泥棒三件と強盗一件は初動捜査でホシが引っ掛からなかったため、全てを帳場に申し送って本日から機捜は平常運転になったのだ。

 そのうち三班の隊員たちも覆面での密行警邏に出かけて詰め所は閑散とする。

 今こそ空いたデスクの掃除時だと京哉は張り切り、霧島はそんな京哉が時折淹れる茶を啜りつつノートパソコンの書類を埋め続けた。警邏中の隊員からも案件の報は入らない。穏やかに時間が過ぎてゆく。

 昼には戻ってきた隊員たちが京哉の茶を飲みながら幕の内弁当をかき込んで、また警邏に出て行った。珍しくそのまま静かに夕刻の定時を迎える。

 督促メールが来ていた報告書類も耳を揃えて関係各所に送り終え、奇跡の一日だったなあとしみじみ思いつつ京哉が帰り支度をしていると、またも栗田巡査部長が困り切った顔で戸口に立っている。

 その背後からセーラー服姿で今日は学生鞄を手にした西原沙織が覗いていた。

 途端に霧島が機嫌を悪くした。
 当たり前だ。

「栗田巡査部長、前へ」
「あ、はい、隊長」

 昨夜、京哉と沙織がファミレスに行っている間に霧島がどれだけ皆をビビらせたのかが如実に分かる、水を打ったような静けさが詰め所を支配していた。
 栗田を自分のデスクの前まで呼びつけた霧島は片手でペンを弄びながら灰色の目でじっと部下を見つめ、低い声で訊いた。

「ここは一般人を通していい場所ではない。分かっているな?」
「……はい」
「ならば二日に渡り未成年を何故きみがつれてくる? 納得のゆく説明をしたまえ」
「ええと、それがですね、勝手にくっついてきて離れなかったんです」
「だがきみが同伴していたから庁舎入り口の警備部もクリアできた。そうだろう?」
「……」
「どうだ、栗田。答えろ」
「……あ、え、や」

 質問しているようで既に質問になっていない状況は、問われる側には強烈なプレッシャだ。何せ答えるべき回答など何処にもない。
 要するにこれは霧島の八つ当たりなのだと皆が気付いていたが、それを指摘するド根性の持ち主は存在しなかった。

 気の毒なのは栗田で脂汗だか冷や汗だか分からない汁を額に浮かべている。それを救ったのは問題の主人公である沙織だった。
 詰め所の中までは踏み入らず、今日はアームホルダーも外した左手を京哉に向けて振ったのだ。ごく親し気に。

「鳴海さん、今日はわたしの家に来てくれるのよね?」
「えっ……?」

 皆の目が栗田から京哉と沙織に移る。霧島隊長も含めた三者を忙しく視線が行き来した。ここで昨日のように主導権を握られまいと霧島が立ち上がり自己主張する。

「部下を招待するなら、私もご一緒していいだろうか?」
「あら、招かれざる客ほどマナーに反した者はいなくてよ」
「私は部下を監督し全責任を負う立場にある。昨夜も言ったが夜間に未成年と部下を二人きりにするのは倫理上、宜しくない。間違っても悪い噂など立てられては困る。部下は信頼しているが部下以外まで私は信用しない方針だ」
「まあ、それってわたしが鳴海さんを誘惑して淫行条例違反させるってこと?」

 薄く笑いを貼り付かせた表情の沙織と完璧な無表情の霧島の間には、蒼い火花がバチバチと燃え行き交っているようだ。

 涼しい声で霧島が応える。

「端的に言えばその通りだ。可能性はゼロでなはいと思っている」
「そこまで言うなら一緒に来て構わないわ、霧島カンパニー会長の二号の息子さん」
「事実だから否定はせん。だが多数の従業員を背負う立場なら公の場において個人のプライバシー攻撃は跳ね返るだけ、時に命取りだと心得ておいた方がいい」
「有難いアドバイスだわ。わたしも早く面の皮を厚くしなきゃ。行きましょう」

 ヒィ~ッとその場の皆がドン引きしていた。まさか霧島とここまで渡り合える女子高生がいるとは予想外だったのだ。その女子高生を結局頷かせた霧島も霧島である。

 だが京哉だけは胸を撫で下ろしていた。見えない所で沙織と会ったら霧島も愉しい想像はしないだろう。しかし目前なら少々居心地が悪くてもパートナーとしての京哉に関しては安心できる筈だ。

 年上の愛し人のご機嫌は京哉にとって最大の関心事なのである。それに傍にいてくれたら起きて見る悪夢も薄らぐ。

「今日はおそらくこのまま直帰する。では」

 隊長のラフな挙手敬礼に皆が立って身を折る敬礼をした。京哉も皆に頭を下げてから沙織と霧島のあとを追う。
 一階裏口から出て白いセダンに乗り込んだ。今日は油断せず京哉は助手席に収まる。振り向いて後部座席の沙織にUSBメモリを返した。

 出発した白いセダンの中で後部座席の沙織が声を投げてくる。

「このファイル、ちゃんとお二人で見てくれたのかしら?」
「僕と霧島警視で見ましたけれど、それがどうかしたんですか?」
「どうもこうもないわ。わたしはね、鳴海さん。貴方一人だけに復讐する気なんかないの。そのペアリングといい庇う態度といい、どう見たって霧島さんも同罪だもの。一緒に困ってくれなくちゃ」
「はあ、そうですか」

 暢気な反応をしながらも昨夜にも増して京哉は腹を立て始めていた。自分と霧島が全く関係ないとは言えないが、最後にスナイプを成功させたアガサ商事会長の暗殺時には、まだ霧島とは互いに今のような感情も持ち合わせていなかったのだ。
 事実として霧島は暗殺と無関係、沙織は霧島を弄って京哉の反応を愉しんでいるに過ぎない。

 女子高生にしては知恵の回る沙織は脅迫という直接攻撃だけでなく搦め手でも京哉を追い詰めようとしているのだ。
 京哉の黒い部分を見せつけて霧島との関係を破綻させ、僅かなりとも溜飲を下げようと思っているのかも知れない。

 ムッとしているうちに昨夜も訪れたアガサ商事社長邸に辿り着いていた。蔓薔薇の生け垣の傍でセダンを減速させた霧島に沙織が身を乗り出して指示を出す。

「もう少し先に行くと車で入れる門があるわ。そこに回して頂戴」

 女主人宜しく命じた沙織に返事はせず、霧島は指示だけに従った。車用門は監視カメラと眩いライト付きで、オートだが重たげにゆっくりと青銅の門扉が開き始める。

 何だかヤクザの本家みたいだなあと京哉が思ったその時、京哉側のサイドウィンドウが爆発的に砕け散り、熱が鼻先ギリギリを通過した。こなごなになった強化ガラスの破片を浴びながら、それが銃弾だと気付いた京哉は叫んだ。

「忍さん、ガラス割りです!」

 ステアリングに伏せつつ負けじと霧島も叫び返した。

「だから私は組長ではない!」
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