C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

文字の大きさ
42 / 52

第42話

しおりを挟む
◇◇◇◇

 バスを待ちながら京哉は携帯で一ノ瀬本部長にコールして長々と話した末にバスと電車を乗り継ぎ、途中でコンビニに寄ってから県警本部に辿り着いた。

 十時半の重役出勤で機捜の詰め所に入ると怪我を皆から労われたのち、席を立って武器庫係の警部補に武器庫を開錠して貰う。

 するとSBのハードケースの横にソフトケースが増えていた。その場で検めて中のPSG1と気象計にレーザースコープを確かめる。7.62ミリNATO弾も六発フルロード、予備弾もあった。ジッパーを閉める。

「うーん、また寺岡警視がブチ切れてるんだろうなあ」

 呟きつつソフトケースを持ち出し、そっと詰め所を出ると本部庁舎もあとにした。

 白藤市駅方面行のバスに乗り、駅のひとつ手前の停留所で降りる。目的地は大通りから二本奥まった場所に建つ二十階建てのアイリスビルだ。警邏で近くを通るたびにスナイパーの目で駅東口近辺を狙える最上物件だと判断していたビルだった。

 皮肉にもビルの中身は殆どが海棠組の地上げに遭って退去している。お蔭で誰にも見咎められず屋上階まで辿り着いた。まずはホッとしてアームホルダーを外す。

 そこで怒声が響いて飛び上がった。

「どういうつもりだ、鳴海!」
「わあっ、寺岡警視!?」
「ああ、尾行つけさせて貰ったぞ、人殺し」

 霧島の心配ばかりしていたとはいえ、尾行にも気付かなかったマヌケな自分を後悔しても、もう遅い。
 だがここで不用意なことは言えない。本部長が寺岡にどんな説明をしたのか詳細不明である以上、余計な口を利いて藪蛇になっても困るからだ。

 しかし寺岡に検挙されるのはもっと困る。超速であれこれ考えたが言い訳を思いつかず居心地の悪い十数秒が経った。そうして本部長の嘘が寺岡の口から語られる。

「鳴海、海棠組と取引していた海外マフィアに霧島が狙われているのは本当か?」
「え、あ……そうですそうです。先日の麻取と海保の大捕物で恨みを買って」
「それならそうと何故俺に言わん。D国絡みのマフィア相手で正式な逮捕は国際問題になる。それも敵はマフィアのふりをした旧東側とのトリプルスパイだ。そうなんだろう?」
「は、はい、その通りですね」
「だがそこで現場の俺たちが犠牲になるいわれはないからな」
「そ、そうですよね。ええ、そうですとも」

 どうやら一ノ瀬本部長は寺岡に嘘っぱちどころか壮大なホラを吹いたらしい。

「でも寺岡警視が霧島警視を助けて下さるとは思ってもみませんでした」
「馬鹿か、貴様は? こいつは霧島に恩を売る絶好の機会だ。逃す訳ないだろうが」
「はあ、それで……けど霧島警視が恩を感じる理由もないと思いますけど」
「こいつは面白い、あの霧島を俺様の前で跪かせるチャンス到来だぞ!」

 京哉の言葉も耳に入らないようで寺岡はもう目前で霧島が跪いているかのように、天に向かって高笑いした。絵に描いたような悪役笑いをする寺岡のご機嫌を損なわぬよう京哉も迎合の笑いを浮かべて見せる。
 だがふいに寺岡は真顔に戻って訊いた。

「それで何時に何処なんだ?」
「十五時ジャストにウィンザーホテル一階の喫茶店『エルシィ』ですが、一時間以上早く来ると思います」
「何だ、あと二時間もあるな。それで鳴海、その腕で撃てるのか?」
「撃てるかではなく、撃たなきゃならないですから」
「ふん。ウィンザー前の歩道まで距離、六百八十だ」
「あっ、はい。六百八十メートル、コピー」

 それからも京哉がコンビニで買ってきた缶コーヒーを飲みながら二人してスコープ越しの世界をつぶさにチェックし、敵の狙撃ポイントに当たりをつける作業をしていたので、思いのほか時間が経つのは早かった。

 十三時二十分になると京哉はPSG1を出す。

 屋上の周囲には一メートル二十センチほどのフェンスが張り巡らされていて立射姿勢しか取れない。スポッタの寺岡が報告する条件変化に合わせてスコープのダイアルを微調整する以外は約八キロもの重量がある銃を構えたままじっと動かなくなる。

 そのまま約三十分が経過するも霧島たちの乗った黒塗りは現れない。

「遅いな……いや、来たぞ。地下駐車場じゃない、パーキングエリアに駐めた」
「マル対を確認、パーキングエリアの木陰」

 黒塗りは防弾のボディが凹んでいて既に一戦交えたらしいことを窺わせた。だが街路樹を掩蔽にしたのはいい手だ。しかし通り掛かったホテルマンの挙動がおかしい。

 居銃した京哉が撃つか迷った途端に噴き出す炎を目にする。けれど一瞬前に霧島がホテルマンの手首を撃ち抜いていた。
 二人は無事。
 そこで勘に従いウィンザーホテルの上階に京哉は銃口を向ける。スナイパーはスナイパーの目でしか探せない。

 二十五階前後の窓で眩いマズルフラッシュが閃く。

 焦らずに息を止め、心音三回で摘むようにトリガを引いた。カウンタースナイプ。手応えあり。敵は沈黙する。

 更に周囲のビルを目で走査し続けた。駅側ナガオビル八階でキラリと光る。
 オフィスビル中腹で小さく炎が吐かれた。瞬時に距離の誤差を計算して撃つ。
 ガツンとくる筈の反動も意識せず、勘を研ぎ澄ませ目で走査した。

 駅周辺の窓を舐めるように見つめたが異状は見つけられない。次に目に映ったものに初めて心音が跳ねる。霧島がスーツの左腕を黒く染めていたのだ。
 沙織が座り込んでいる。男が二人、腕に何かを被せて沙織に向けていた。何も考えられず跳ねる心音を抑えるのに二秒足らず。反動を一呼吸でいなして連射した。

「オールヒット、全て右肩だ。相変わらず化け物だな貴様は」

 シグ・ザウエルを手にした霧島が黒く染まった腕で沙織の腕を取り、引き摺るようにウィンザーホテルのスロープへと駆け出していた。二人の後ろ姿がウィンザーホテルのエントランスに消えるのを見届け、ようやく京哉は肩付けしていた銃を下ろす。

 これで自分にできることはなくなった。だが心の中は霧島が撃たれたという事実でいっぱいだった。ホテルの中も絶対安全な訳ではなく狙撃銃を手にした自分が初めて激しく動揺しているのを自覚する。呆然としたまま顔を上げると寺岡と目が合った。

「どうした、人殺し。霧島がそんなに心配か?」

 素直に頷くと寺岡は鼻を鳴らしてアームホルダーを拾い、京哉に投げる。

「毎度、俺に後片付けさせるとは巡査部長も偉くなったもんだ。行け」
「いいんですか?」
「二度も言わせるな、行け!」

 身を折り最敬礼した京哉はもどかしくアームホルダーを着けてダッシュした。

◇◇◇◇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...