C-PTSD~Barter.3~

志賀雅基

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第45話

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 翌日は部屋に運ばれた朝食を頂いたのち、二人はダークな色合いのスーツに着替えた。タイもなるべく大人しいものを選ぶと京哉のタイは霧島が締めてくれる。
 
 二人で一階に降りると昨夜頼んであった墓前用の花を今枝執事が渡してくれた。

 車寄せに停めてあるのは早めに修理が終わって戻ってきた白いセダンである。運転席と助手席に収まると今枝執事とメイドたちに見送られて出発だ。墨蝉寺は二人が拉致監禁に遭ったアガサ商事の別荘よりやや南にあった。

 運転しながら霧島は京哉を窺う。京哉は窓外の曇り空を眺めているばかりで何も言わない。昨日もあれからずっと言葉少なで何事か考え続けているようだった。その胸に去来するのが何なのかは霧島にも図り知れず、だがどんな京哉であっても受け止めてやるつもりでいた。

「そう遠くないからな、二十分で着くぞ」

 黙って京哉が頷く。やがてアガサの別荘を通り過ぎ左折して坂道を上った。丘陵地の中腹にある墨蝉寺の駐車場にセダンを駐め、花を手にして京哉と降りる。辺りを見回すと寺から上の丘陵地全体が霊園だ。広大な墓所は公園のように整備されている。

 まずは寺務所に向かい、アガサ前会長の墓所を訊いた。

 寺務所から出てきた袈裟姿の坊さんは水桶を持ち、丁寧にアガサ前会長の墓石の前まで案内してくれる。礼を言って坊さんを帰すと目前のかなり大きく彫刻も微細に施された豪華な墓石にポツリと雨が当たった。

 雨はあっという間に増殖し、二人のダークスーツを更に濃い色に変える。

 だが京哉は墓を見つめて動かない。仕方なく霧島が墓に花を供えた。京哉の腕の怪我は心配だったが、本人が納得するまで好きにさせようと思い霧島は一歩下がる。

 しかしせっかく雨も降っているのに京哉は泣きもしない。霧島は見て見ぬふりくらいしてやるつもりだったが、京哉はいつまでも墓石を眺めているだけである。それは自分に何か変化が起こるのをじっと待っているようだった。

 それでもこうして雨に濡れていたら後でツケを払うことになりそうだなと思う。

 ふいに京哉が振り向いて霧島を見上げた。目で促すと京哉はふっと息をつく。

「ここに来るまでは這いつくばって号泣しながら謝る自分を想定していたんですよ。それなのに来てみたら何だかカラカラに乾いてて、涙の一滴も出てこない……どうしたんでしょうね、僕は?」
「何も涙を見せるばかりが弔意の表現ではあるまい」
「それでも最低限謝らなきゃならない。生きてたら在ったかも知れない色んな可能性を僕は全て叩き折り消し去ったんですから。でも今ここで謝っても形ばかりのような気がするんです」
「こういったら何だがな。誰かが死んで、その生き様や死に方に対して思いを馳せるのは死んだ本人ではない。周囲で生きている者たちだ。謝って欲しいと思うのも生き残った者なんだ。お前は沙織に笑って貰えただろう?」

 頷きながらも京哉は納得していない表情だ。自分に苛立ってでもいるようだった。

「確かに沙織は笑ってくれました。お蔭で僕はこの手で命を奪ってきた事実と向き合えるような気がしたんです。寝ても覚めても現れる亡霊たちをただ見てるだけじゃなくて、せめて謝れたらって思ったのに……」
「ふむ。それは謝れたら楽になるかも知れんな。だが酷なことを言わせて貰うが何も変わらんかも知れんぞ。それでPTSD患者が快癒するなら誰も苦労はせんからな」

 虐待を受けてC-PTSDになった者は虐待の元がなくなる、つまり虐待していた側の人間が喩え死んでも晴れて健常者になる訳ではなく、やはりC-PTSDの症状は治まらなかった……そういう症例を霧島は調べて読んだことがあった。

 それにそもそも京哉の心の傷は長期に渡って殺人を強要されたのが原因である。確かにスコープ越しに何度も見た悲惨な光景自体も原因の一端かも知れないが、因果が複雑に絡んでしまっている以上、そう簡単に心のヒビがくっついて元通りとは考えづらかった。

 ただ京哉が謝りたいのなら謝らせてやりたいとは思う。

「何度でも連れてきてやるから今、無理に謝ることもないんじゃないのか。疲れすぎて感情が乾くという現象は誰にでも起こる」
「そんなものですか?」
「ああ。元々お前は暗殺肯定派の奴らが振り回す銃にこめられた弾薬の弾丸にすぎなかった。自らの意思など持たないライフル弾の弾丸だ。トリガを引かれて飛んで行く弾薬の弾丸自体には意思も罪もないだろう? 無理に謝ることはない」

 重ねて言うと京哉は納得した訳ではなかろうが薄く笑みを浮かべて見せた。

 そこで霧島のポケットが震える。こんな時に事件の呼び出しだ。忌々しく思いつつ携帯を取り出し操作した。一瞥して吸い込んだ息を止める。京哉には伝えまいと思ったが霧島の反応を敏感に察知し京哉は真剣な目で訊いてきた。
 息をついて告げる。

「アガサ商事の白藤支社が狙撃された」
「本当ですか……それで?」
「西原沙織が撃たれて意識不明の重体だ」
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