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第17話
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廊下の角が食堂、曲がってすぐ厨房になっている。食堂で声を掛けられた。
「もう腹が減ったのか?」
訊いてきた男は白いエプロン姿で、いかにも料理人だ。中年というには少し早い。
「えらくミテクレのいい新顔二人だな」
「特にお腹は空いてはいないんですけど、時間で……ここでいいんですか?」
「旦那様以外はもうひとつ向こうのドアだ。そっちから言えば飯は出す」
一旦食堂を出ると言われたドアから入り直した。そこはテーブルが五つも並んだレストランのようになっていた。客は使用人らしいのが三人。厨房に近いテーブルに二人は着いた。カウンターから声を掛けられてトレイを受け取りに行く。
行儀良く手を合わせてから二人は食事を始めた。
「あ、このスープ美味しい」
「この肉も旨いぞ。食生活には恵まれたらしいな」
食べ始めると食欲が刺激され瞬く間にプレートを空にしてしまう。トレイをカウンターに返すと、さっきの料理人が大きめのカップをふたつ突き出した。
「美人の新人二人にサーヴィスだ」
「あ、どうも」
カップの中身は紅茶でベルガモットの香り高いアールグレイだ。有難く頂く。
新たに客が入ってくる気配で霧島が目を上げるとやってきたのは秘書の三浦政美だった。トレイを持った三浦が腰を下ろすのを待って霧島は同じテーブルに移動する。ランチが少々不味くなるのを我慢して貰う魂胆だ。遠慮なく飯食う相手に訊いた。
「あんただったな、夫人殺害の夜に砂宮仁朗を見たというのは」
「そのお話なら、もう何度も刑事さんに……」
「すまんが、私は初めてなんだ」
謝りながらも退きそうにない霧島に、三浦政美は不機嫌な顔をするまいとして失敗し、助けを求めるように京哉の方を見た挙げ句、大きく溜息をついた。
「……あの日、将道様と一緒に帰ったのは二十二時過ぎでした。将道様の夜食を頼みにここに来て出来上がるまで待ち、トレイを持って三階の将道様の私室に戻る際に、サロンから玄関に向かう砂宮を遠目に見たんです」
「遠目、それも夜だ。砂宮仁朗だと言い切れるのか?」
「いつも彼と繋ぎを取るのはわたしの役目でしたから」
「そんな時間に夫人専用サロンに砂宮がいて、その場で不審に思わなかったのか?」
そこで僅かに目を泳がせた三浦政美は諦めたように言った。
「これも刑事さんに言いましたが、何卒将道様には内密に……」
「分かった。それで?」
「夫人の静香様は将道様をお慕いしていらっしゃいました。でも将道様はあの通りで仕事が第一のお方です。お淋しかったのでしょう。気の迷いといいますか……」
「つまり夫人と砂宮仁朗はできていた、そういうことか?」
「端的に言えば、そうですね」
「だが何故砂宮だ? 暗部を受け持つ奴がこの屋敷に出入りするのは拙いだろう?」
「そりゃあ拙いですが、わたしに言われても困ります。女性特有の勘でわたしの不審行動を嗅ぎつけ調べさせたのか……あとは男と女の話です。わたしは知りませんよ」
「ふむ。付き合いは長そうだったか?」
「わたしが気付いたのは、ここ一ヶ月くらいです」
「そうか。食事中、悪かった」
訊くだけ訊くとテーブルを離れた。飲み干した紅茶のカップを厨房に返して礼を言い、二階の控室に戻ると、京哉はいそいそと煙草を咥えオイルライターで火を点けた。
「考えてみたらこの屋敷で夫人と逢瀬なんて、二重に拙いんですよね」
「プロとしては失格もいいところだな」
京哉がチェーンスモーク三本目を吸い終え、二人とも手洗いを済ませると、執務室前の立ち番と交代である。青野に佐藤というSP畑の二人はそのまま食堂へと降りて行った。
「それにしても砂宮仁朗の人物像が今ひとつ掴めんな」
室内でもなく多少喋るくらいはいいだろうと霧島が小声を出す。
「禁断の恋に身を堕とす暗殺者など三文メロドラマでもなし、おかしいだろう?」
「警察を欺いた知能犯的人物像と合致しない気はしますよね」
「血路を開いた勇猛さと爆弾を使う卑怯さもだ」
「でも元はテロリストですからね。知識もルートも持っているでしょうし、裏切った柾木議員に色々と搦め手で揺さぶりを掛けてきてもおかしくはないと思いますけど」
そのうち話のネタも尽きて二人とも黙った時、霧島のポケットが振動した。
「あ、霧島警視にメール、誰からですか?」
「一ノ瀬本部長だ。このパターンは嫌な予感がしないか?」
眉をひそめた京哉と顔を見合わせたが読むしかない。携帯を操作した。
【日本政府首脳より要請された特別任務を霧島忍警視と鳴海京哉巡査部長に伝える。元テロリストで通称マッドドッグこと砂宮仁朗を排除せよ。 一ノ瀬】
「へえ、これで忍さんの説がビンゴだって分かりましたね。機捜隊長殿までが四号に就かされた意味が。嬉しくはありませんけれど」
「確かにな。最初から特別任務を課すつもりで私を柾木議員のSPに就けたか」
「でもこの任務って、何か微妙な気がしませんか?」
「妙というか皮肉な命令ではあるな。今の我々の立場からすると、柾木議員を護りつつ囮にするということになる」
「与党若手議員をまとめる重鎮でもある柾木議員は使い捨てにできる人材じゃないですよね。彼を囮にしてまで日本政府が砂宮仁朗を排除したがる理由は何でしょう?」
「さあな。柾木議員が砂宮に過去やらせてきた仕事の中には、日本政府としてもバレたら拙い仕事があったのかも知れん。例の薬屋の親父が言っていただろう、背任だの黒い噂だのと」
「与党の大スキャンダルになるくらいなら派閥に属さない柾木議員一人を切る?」
「おそらくそんなところだろう。それにな……」
「それに何ですか?」
「今後の柾木将道議員が目論んでいること自体、政府にとっては拙いのかも知れん」
「若手ながら重鎮、それでも無派閥。使い捨てにするには惜しくても、代わりの利かない人材じゃありませんからね。でも今度は『マッドドッグ』なんて」
京哉の言い分は尤もすぎて、霧島は妙に期待した自分を笑いそうになる。何より分かっていた筈だった、世は殆ど交換条件で動いていると。同等の価値の者がいたら入れ替わっても状況は変わらず維持できる。都合が悪ければ釣り合いを崩してでも都合のいい奴を持ってくる。
そうして自分も他人の命を吹き消し、己の命の炎を燃やし続けているのだ。
二人は見張りもそっちのけで命令と共にメールで送られてきた資料を読み始める。
「もう腹が減ったのか?」
訊いてきた男は白いエプロン姿で、いかにも料理人だ。中年というには少し早い。
「えらくミテクレのいい新顔二人だな」
「特にお腹は空いてはいないんですけど、時間で……ここでいいんですか?」
「旦那様以外はもうひとつ向こうのドアだ。そっちから言えば飯は出す」
一旦食堂を出ると言われたドアから入り直した。そこはテーブルが五つも並んだレストランのようになっていた。客は使用人らしいのが三人。厨房に近いテーブルに二人は着いた。カウンターから声を掛けられてトレイを受け取りに行く。
行儀良く手を合わせてから二人は食事を始めた。
「あ、このスープ美味しい」
「この肉も旨いぞ。食生活には恵まれたらしいな」
食べ始めると食欲が刺激され瞬く間にプレートを空にしてしまう。トレイをカウンターに返すと、さっきの料理人が大きめのカップをふたつ突き出した。
「美人の新人二人にサーヴィスだ」
「あ、どうも」
カップの中身は紅茶でベルガモットの香り高いアールグレイだ。有難く頂く。
新たに客が入ってくる気配で霧島が目を上げるとやってきたのは秘書の三浦政美だった。トレイを持った三浦が腰を下ろすのを待って霧島は同じテーブルに移動する。ランチが少々不味くなるのを我慢して貰う魂胆だ。遠慮なく飯食う相手に訊いた。
「あんただったな、夫人殺害の夜に砂宮仁朗を見たというのは」
「そのお話なら、もう何度も刑事さんに……」
「すまんが、私は初めてなんだ」
謝りながらも退きそうにない霧島に、三浦政美は不機嫌な顔をするまいとして失敗し、助けを求めるように京哉の方を見た挙げ句、大きく溜息をついた。
「……あの日、将道様と一緒に帰ったのは二十二時過ぎでした。将道様の夜食を頼みにここに来て出来上がるまで待ち、トレイを持って三階の将道様の私室に戻る際に、サロンから玄関に向かう砂宮を遠目に見たんです」
「遠目、それも夜だ。砂宮仁朗だと言い切れるのか?」
「いつも彼と繋ぎを取るのはわたしの役目でしたから」
「そんな時間に夫人専用サロンに砂宮がいて、その場で不審に思わなかったのか?」
そこで僅かに目を泳がせた三浦政美は諦めたように言った。
「これも刑事さんに言いましたが、何卒将道様には内密に……」
「分かった。それで?」
「夫人の静香様は将道様をお慕いしていらっしゃいました。でも将道様はあの通りで仕事が第一のお方です。お淋しかったのでしょう。気の迷いといいますか……」
「つまり夫人と砂宮仁朗はできていた、そういうことか?」
「端的に言えば、そうですね」
「だが何故砂宮だ? 暗部を受け持つ奴がこの屋敷に出入りするのは拙いだろう?」
「そりゃあ拙いですが、わたしに言われても困ります。女性特有の勘でわたしの不審行動を嗅ぎつけ調べさせたのか……あとは男と女の話です。わたしは知りませんよ」
「ふむ。付き合いは長そうだったか?」
「わたしが気付いたのは、ここ一ヶ月くらいです」
「そうか。食事中、悪かった」
訊くだけ訊くとテーブルを離れた。飲み干した紅茶のカップを厨房に返して礼を言い、二階の控室に戻ると、京哉はいそいそと煙草を咥えオイルライターで火を点けた。
「考えてみたらこの屋敷で夫人と逢瀬なんて、二重に拙いんですよね」
「プロとしては失格もいいところだな」
京哉がチェーンスモーク三本目を吸い終え、二人とも手洗いを済ませると、執務室前の立ち番と交代である。青野に佐藤というSP畑の二人はそのまま食堂へと降りて行った。
「それにしても砂宮仁朗の人物像が今ひとつ掴めんな」
室内でもなく多少喋るくらいはいいだろうと霧島が小声を出す。
「禁断の恋に身を堕とす暗殺者など三文メロドラマでもなし、おかしいだろう?」
「警察を欺いた知能犯的人物像と合致しない気はしますよね」
「血路を開いた勇猛さと爆弾を使う卑怯さもだ」
「でも元はテロリストですからね。知識もルートも持っているでしょうし、裏切った柾木議員に色々と搦め手で揺さぶりを掛けてきてもおかしくはないと思いますけど」
そのうち話のネタも尽きて二人とも黙った時、霧島のポケットが振動した。
「あ、霧島警視にメール、誰からですか?」
「一ノ瀬本部長だ。このパターンは嫌な予感がしないか?」
眉をひそめた京哉と顔を見合わせたが読むしかない。携帯を操作した。
【日本政府首脳より要請された特別任務を霧島忍警視と鳴海京哉巡査部長に伝える。元テロリストで通称マッドドッグこと砂宮仁朗を排除せよ。 一ノ瀬】
「へえ、これで忍さんの説がビンゴだって分かりましたね。機捜隊長殿までが四号に就かされた意味が。嬉しくはありませんけれど」
「確かにな。最初から特別任務を課すつもりで私を柾木議員のSPに就けたか」
「でもこの任務って、何か微妙な気がしませんか?」
「妙というか皮肉な命令ではあるな。今の我々の立場からすると、柾木議員を護りつつ囮にするということになる」
「与党若手議員をまとめる重鎮でもある柾木議員は使い捨てにできる人材じゃないですよね。彼を囮にしてまで日本政府が砂宮仁朗を排除したがる理由は何でしょう?」
「さあな。柾木議員が砂宮に過去やらせてきた仕事の中には、日本政府としてもバレたら拙い仕事があったのかも知れん。例の薬屋の親父が言っていただろう、背任だの黒い噂だのと」
「与党の大スキャンダルになるくらいなら派閥に属さない柾木議員一人を切る?」
「おそらくそんなところだろう。それにな……」
「それに何ですか?」
「今後の柾木将道議員が目論んでいること自体、政府にとっては拙いのかも知れん」
「若手ながら重鎮、それでも無派閥。使い捨てにするには惜しくても、代わりの利かない人材じゃありませんからね。でも今度は『マッドドッグ』なんて」
京哉の言い分は尤もすぎて、霧島は妙に期待した自分を笑いそうになる。何より分かっていた筈だった、世は殆ど交換条件で動いていると。同等の価値の者がいたら入れ替わっても状況は変わらず維持できる。都合が悪ければ釣り合いを崩してでも都合のいい奴を持ってくる。
そうして自分も他人の命を吹き消し、己の命の炎を燃やし続けているのだ。
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