零れたミルクをすくい取れ~Barter.18~

志賀雅基

文字の大きさ
14 / 48

第14話

しおりを挟む
 カタールのハマド国際空港でのトランジットをクリア、チュニジアのチュニス国際空港から難儀しながらもリーファ空港便に何とか乗り継ぐことに成功した京哉は、着陸の振動で目を覚ました。伊達眼鏡を外して目を擦り、左手首の電波時計を眺める。

「都合二十三時間もかかって、八時間マイナスだから朝の四時か」

 やや焦って入国カードを記入するとアナウンスがリーファ空港への到着を告げた。毛布を畳んで片付けショルダーバッグを担ぐと、客列に混じって並び降機する。ボーディングブリッジを渡ってターミナルビルに移ると入国審査だ。

 だが英語力のない京哉は携帯の翻訳アプリとバッグの中のバルドール国軍発行の書類に頼るしかない。しかしここでトラブルが生じた。入国審査の役人は銃の持ち込みに関していわゆる賄賂を求めたのだが、京哉はそれをなかなか理解し得なかったのである。

 ようやく解放された時には一ノ瀬本部長から預かったクレジットカード以外の有り金の殆どを分捕られていた。腹は立ったが交渉もできないので冷や汗をかき、釈放パイされた安堵の方が大きかった。そこで真っ直ぐ二十四時間営業のATMへと向かう。

 カネを引き出してそわそわしていると携帯にメールが入った。操作すると日本語で【ダレド便に乗ってベスタ射場に来るように】なる指示がなされる。

 本部長室で高級スーツ男が言っていた『バーナードファミリーに潜入しているモーガンのバックにいる軍の手の者』なるサポート役が日本語を解する人間と知って、ホッとしながら慌ててチケットカウンターに走った。五時発のダレド便のチケットを手に入れる。

 そうして僅かな待ち時間にロビーのベンチに座ってみたが、見回すにテナントの店舗は一軒だけしか営業しておらず、明るさが却って侘しさを醸しているようだった。空港自体は新しいので爆撃でも受けて建て直したばかりなのかも知れないと思う。

 二十分前になってようやく電光掲示板にダレド便の案内が出た。国内便でもあり、このような地で面倒な手続きは一切なく、専用出口から空港面に出れば送迎車が待っている。
 ライトに照らされた中、ボディもベコベコに凹んだマイクロバスに乗り込んだ。他に客は軍人めいた男の二人組と眠たげなチンピラが三人だけだった。

 そのメンバーで小型双発機の傍まで運ばれる。小型機の前でやたらとけばけばしい化粧をした女性のキャビンアテンダントが皆のチケットを確認した。

 皆が小型双発機に乗り込むとパイロットは機を無造作に出航させた。CAのアナウンスもなかった。だからといって文句もない。黙って京哉は窓外を眺める。
 眼下の空港は明るかったが、空港を抱えているというのに周囲の街に明かりは殆どなかった。やはりここも爆撃でやられたのかと、以前に霧島とやって来た時のことを思い出す。

 そこでまた霧島を想いながら、京哉は目を瞑って眠る努力を始めた。
 ウトウトしていると小型機は一度小さな空港にランディングし、軍人めいた男二人を降ろして、代わりに農民風の男女を乗せるとまたテイクオフした。

 ダレドの街の空港に着いたのは六時過ぎだった。

 降りてみると乾いた風がやや冷たく感じられた。日本ほど寒さが厳しくないとはいえ、ここも北半球で一応は冬である。足早に空港面から歩いて出た。小さな空港事務所を通過して敷地外に出てみると、幸いタクシーが二台駐まって客待ちをしていた。

 迷わず一台に乗り込んでドライバーに行き先を告げる。

「ベスタ射場までお願いします」

 たどたどしい片言英語で何とか喋った。だが何かおかしかったのか中年のドライバーは京哉をまじまじと眺めたのち向き直ってタクシーを発車させた。
 幾らもしないうちに朝日が窓から差し込んできて眩しくなる。目を眇めているとタクシーは埃っぽく茶色い丘を越えた。目前の光景に京哉は僅かに目を見開く。

 そこには小規模ながら街が存在していた。それも茶色い建材で造られた二階建て程度のものばかりだったが、見渡すに爆撃の痕跡がない。

「お客さん、驚いたかい?」

 ドライバーに話し掛けられて、京哉は慌てて携帯の翻訳アプリを立ち上げる。

「内戦もマフィアの『領土』は遠慮したからねえ。飢餓の煽りも多少は食らったが、俺たちにとっちゃバーナードファミリー様々だ。外貨も落ちてくれるしねえ」
「はあ」
「まあ、そういうこったが、お客さんもマフィアの関係者じゃないのかい?」

「あ、ええと……そんな風に見えますか?」
「いや、見えないから不思議なんだがね。けどベスタの射場に行くのはバーナードファミリーのお人か、ドン・バーナードの賓客と相場が決まってるからねえ」
「ふうん、そうなんですか」

 だからといって自分が何者なのかを語る能力もなく、暫し黙って京哉は窓外の街を眺め続けた。そのうち小さな街を縦断したタクシーは埃っぽい道を爆走し始める。
 やがて先の方に森が見えてきた。あっという間にタクシーは森の中の一本道に突入し、悪路で幾度も車体がバウンドして京哉は物理的にも喋れなくなった。

 タクシーを爆走させながらドライバーがまた話し出す。

「ほら、あそこがベスタ射場だ。ベスタってのは何代か前のバーナードのドンでね、そのドンが造った射場ってことで名前を冠してるんだ」

 よく舌を噛まずに喋れるものだと思いながら指された方を眺めると、森を切り拓き山肌を削り取った広大な射場の一部と、それに付属する施設が見えてきた。施設は大きなログハウスが三棟に、壁が赤茶色のレンガで出来た屋敷ともいえる建物が一棟である。

「すごい、立派ですね」

 思わず日本語で喋ったが既に道はアスファルトで整地されていて、もう舌を噛む危険はなかった。京哉の言葉を解したとも思えないが、ドライバーは我が事のように胸を張る。

「さすがはバーナードってこった。何処も射場は掘っ立て小屋だが、ここは別格だ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...