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第32話
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「だからその豆鉄砲ひとつで逃げられないと言った筈なんだが」
アンセルム=バーナードは血のついた細身の両刃ナイフを手にしていた。
最初に通された執務室の暖炉の前のラグの上には、服を剥ぎ取られた上にその肉をも僅かずつ削がれた男が転がっている。あの女ヒットマンについていた男だった。生きているのかどうかは分からない。
だが霧島にとってそんなことは今、どうでもよかった。
「あんたの命を救った。代わりに手下二人だ。おつりはこないのか?」
「そういう問題じゃないんだよ。わたしの屋敷で手下を二人も半殺しにして、おまけに四階の壁とドア、それに床に穴まで開けてくれるとは。わたしでさえこの通りラグ一枚で済ませているというのにだよ? どうしてくれようか」
再びロウテーブルを挟んで向かい合い、三人掛けソファに腰掛けて霧島はドン・アンセルムと対峙していた。アンセルムは本当に困っているらしく、ナイフをひねくり回している。
マフィアの思考形態は良く分からない上にアンセルムは特に読みづらい男だったが、一刻も早く話を付けたい霧島が提案した。
「落とし前というヤツか。私がカジノで稼いだのは知っている筈、賠償金なら払う」
両腕に京哉を抱えたままで早く医者に診せないと拙い、命に係わる状態だと分かっている。霧島は内心焦り狂っていた。生死不明だった時より焦っている。何故なら、あと五分早ければ助かったのに……そんなことも起こり得るからだ。
だが苛立つ霧島を尻目に「うーん」と首を回しながら、アンセルムは暢気に考えを巡らせている。
「カネ、ねえ。不自由はしていないからなあ。今ひとつ魅力がないんだよねえ」
「ならば、どうすれば私たち二人分の命が買える?」
可能な限り冷静に振る舞いつつもキレそうな霧島にアンセルムが顔を上げた。
「そうだな、なら賭けをしないか? わたしは自分の店でも他人の店でも同じ、勝つこともあるが、勿論負けることもある。それでも負けたからといって相手をいちいち手下に撃たせるような無粋はしない。きちんと払うものは払う。だから賭けようじゃないか」
「勝てば私たちを無事解放する、と」
「その通り。フェアだろう?」
可能性に賭けるだけ、負ければ血路を開くだけだ。霧島はアンセルムに頷いた。
「分かった、乗ろう。だが何で賭けるんだ?」
「そうだねえ、ポーカーはまだ良くルールが分かってないみたいで、フェアな勝負ができそうじゃないし。霧島さん、キミはサシでの勝負といったら何ができる?」
「麻雀はサシでは無理だしな。将棋やオセロなどという長丁場はパスさせてくれ」
「じゃあブラックジャックはどうだい? 足して二十一になれば勝ちっていう簡単なカードゲームだけど。サレンダーとかインシュアランスとか知ってる?」
「残念だがサツカンには縁がなくてな。スロットマシンでも置いていないのか?」
「それも残念ながら。うーん、困ったねえ。ロシアンルーレットでもするかい?」
「そこまで安い命は持っていないつもりだ。ではこれなら――」
そっと立った霧島は意識を失くしたままの京哉を静かに三人掛けソファに寝かせ、ポケットから五百円玉を一枚取り出すと、指に挟んで銀色のコインをアンセルムに見せる。
「表が葉っぱ、裏が数字の五百になっている。表か裏か二分の一。これでどうだ」
「おっ、シンプルでいいねえ。けれど一発勝負じゃ勿体ない、二人分の命を買いたいのならもう少しわたしを愉しませてくれなくちゃ。ときに霧島さんは今何歳?」
「二十八歳だが、それがどうかしたのか?」
「ふうん、歳の割に落ち着いてるねえ。じゃあ二十八回勝負で。投げるのは交互ね」
「ふん。ならば歳の割に老けている私からでいいか?」
「結構根に持つタイプなんだね。まあいい、始めよう」
振り向いて京哉の様子が変わらないのを確認してから、霧島は右親指の爪の上に載せた五百円玉を弾き上げた。落ちてきた五百円玉を右手の甲で受け止め同時に左手で隠す。
アンセルム=バーナードが「表」と言った。頷いた霧島も「悪い、私も表だ」と言うと、アンセルムは「そんなのアリかい?」とクレームをつけたが霧島は無視してオープン。
「なるほど、表だね。ちょっと待ってくれるかい?」
ナイフをロウテーブルに置いたアンセルムが執務机からペンとメモを持ってきた。回数チェックするらしい。そして今度はアンセルムが五百円玉を取り上げて投げる。
霧島は「裏」。アンセルムは「では、わたしは表だ」。結果は裏だった。負けても酔狂なマフィアのドンは子供のように目を輝かせている。テーブル上を滑ってきたコインを受け止めた霧島が再度弾いた。霧島は裏、アンセルムも裏。結果は裏である。
その調子で賭けを続け、最後の二十八回目をアンセルムが投げた。
アンセルムが「裏、だね」。霧島は「いや、表だ」。
桐の葉の文様が現れる。そうして暫し互いにじっと表情を窺いながら黙っていた。
黒髪をかき上げながら不審そうな呟きでアンセルム=バーナードが静けさを破る。
「最後の一回しか外さないなんて、イカサマしたんじゃないのキミ?」
「イカサマできるような賭けではないだろう。それにイカサマは見破られない限りイカサマではないというのが博打の世界の掟ではないのか?」
「それにしても、わたしだって二十八回中、十八回当てている。これだって半端じゃない高確率の筈だ。だがキミはまさかの二十七勝一敗だぞ?」
「それがどうかしたのか?」
「どうもこうも、二十七回連続で二分の一の賭けに勝ち続ける確率は――」
ドン・アンセルム=バーナードはデスクから電卓を持ってきて計算した。
「一億三千四百二十一万七千七百二十八分の一だよ?」
「だから何だというんだ、日本の宝くじに当たる確率も似たようなものだと思うぞ」
「けどこれで信用しろという方が無理だと思わないかい?」
「ふん。今日の私はツイているんだ、その目でカジノでの私を見ただろう? そんなことよりこれで堂々とこの屋敷から出て行っても構わないんだな?」
「構わないが、勿体ないな。ウチのカジノのディーラーとして雇いたいくらいだ」
「悪いが興味がない」
バッサリ斬って捨て、霧島は京哉をそっと抱き上げた。あまりの軽さが切なかったが、そんな想いに囚われている場合ではない。執務室を出る前に声を投げる。
「血気逸ったあんたの手下に撃たれるのはご免だ。玄関までご同行願いたい」
「いいだろう。二人の門出を祝ってあげるよ」
アンセルム=バーナードは血のついた細身の両刃ナイフを手にしていた。
最初に通された執務室の暖炉の前のラグの上には、服を剥ぎ取られた上にその肉をも僅かずつ削がれた男が転がっている。あの女ヒットマンについていた男だった。生きているのかどうかは分からない。
だが霧島にとってそんなことは今、どうでもよかった。
「あんたの命を救った。代わりに手下二人だ。おつりはこないのか?」
「そういう問題じゃないんだよ。わたしの屋敷で手下を二人も半殺しにして、おまけに四階の壁とドア、それに床に穴まで開けてくれるとは。わたしでさえこの通りラグ一枚で済ませているというのにだよ? どうしてくれようか」
再びロウテーブルを挟んで向かい合い、三人掛けソファに腰掛けて霧島はドン・アンセルムと対峙していた。アンセルムは本当に困っているらしく、ナイフをひねくり回している。
マフィアの思考形態は良く分からない上にアンセルムは特に読みづらい男だったが、一刻も早く話を付けたい霧島が提案した。
「落とし前というヤツか。私がカジノで稼いだのは知っている筈、賠償金なら払う」
両腕に京哉を抱えたままで早く医者に診せないと拙い、命に係わる状態だと分かっている。霧島は内心焦り狂っていた。生死不明だった時より焦っている。何故なら、あと五分早ければ助かったのに……そんなことも起こり得るからだ。
だが苛立つ霧島を尻目に「うーん」と首を回しながら、アンセルムは暢気に考えを巡らせている。
「カネ、ねえ。不自由はしていないからなあ。今ひとつ魅力がないんだよねえ」
「ならば、どうすれば私たち二人分の命が買える?」
可能な限り冷静に振る舞いつつもキレそうな霧島にアンセルムが顔を上げた。
「そうだな、なら賭けをしないか? わたしは自分の店でも他人の店でも同じ、勝つこともあるが、勿論負けることもある。それでも負けたからといって相手をいちいち手下に撃たせるような無粋はしない。きちんと払うものは払う。だから賭けようじゃないか」
「勝てば私たちを無事解放する、と」
「その通り。フェアだろう?」
可能性に賭けるだけ、負ければ血路を開くだけだ。霧島はアンセルムに頷いた。
「分かった、乗ろう。だが何で賭けるんだ?」
「そうだねえ、ポーカーはまだ良くルールが分かってないみたいで、フェアな勝負ができそうじゃないし。霧島さん、キミはサシでの勝負といったら何ができる?」
「麻雀はサシでは無理だしな。将棋やオセロなどという長丁場はパスさせてくれ」
「じゃあブラックジャックはどうだい? 足して二十一になれば勝ちっていう簡単なカードゲームだけど。サレンダーとかインシュアランスとか知ってる?」
「残念だがサツカンには縁がなくてな。スロットマシンでも置いていないのか?」
「それも残念ながら。うーん、困ったねえ。ロシアンルーレットでもするかい?」
「そこまで安い命は持っていないつもりだ。ではこれなら――」
そっと立った霧島は意識を失くしたままの京哉を静かに三人掛けソファに寝かせ、ポケットから五百円玉を一枚取り出すと、指に挟んで銀色のコインをアンセルムに見せる。
「表が葉っぱ、裏が数字の五百になっている。表か裏か二分の一。これでどうだ」
「おっ、シンプルでいいねえ。けれど一発勝負じゃ勿体ない、二人分の命を買いたいのならもう少しわたしを愉しませてくれなくちゃ。ときに霧島さんは今何歳?」
「二十八歳だが、それがどうかしたのか?」
「ふうん、歳の割に落ち着いてるねえ。じゃあ二十八回勝負で。投げるのは交互ね」
「ふん。ならば歳の割に老けている私からでいいか?」
「結構根に持つタイプなんだね。まあいい、始めよう」
振り向いて京哉の様子が変わらないのを確認してから、霧島は右親指の爪の上に載せた五百円玉を弾き上げた。落ちてきた五百円玉を右手の甲で受け止め同時に左手で隠す。
アンセルム=バーナードが「表」と言った。頷いた霧島も「悪い、私も表だ」と言うと、アンセルムは「そんなのアリかい?」とクレームをつけたが霧島は無視してオープン。
「なるほど、表だね。ちょっと待ってくれるかい?」
ナイフをロウテーブルに置いたアンセルムが執務机からペンとメモを持ってきた。回数チェックするらしい。そして今度はアンセルムが五百円玉を取り上げて投げる。
霧島は「裏」。アンセルムは「では、わたしは表だ」。結果は裏だった。負けても酔狂なマフィアのドンは子供のように目を輝かせている。テーブル上を滑ってきたコインを受け止めた霧島が再度弾いた。霧島は裏、アンセルムも裏。結果は裏である。
その調子で賭けを続け、最後の二十八回目をアンセルムが投げた。
アンセルムが「裏、だね」。霧島は「いや、表だ」。
桐の葉の文様が現れる。そうして暫し互いにじっと表情を窺いながら黙っていた。
黒髪をかき上げながら不審そうな呟きでアンセルム=バーナードが静けさを破る。
「最後の一回しか外さないなんて、イカサマしたんじゃないのキミ?」
「イカサマできるような賭けではないだろう。それにイカサマは見破られない限りイカサマではないというのが博打の世界の掟ではないのか?」
「それにしても、わたしだって二十八回中、十八回当てている。これだって半端じゃない高確率の筈だ。だがキミはまさかの二十七勝一敗だぞ?」
「それがどうかしたのか?」
「どうもこうも、二十七回連続で二分の一の賭けに勝ち続ける確率は――」
ドン・アンセルム=バーナードはデスクから電卓を持ってきて計算した。
「一億三千四百二十一万七千七百二十八分の一だよ?」
「だから何だというんだ、日本の宝くじに当たる確率も似たようなものだと思うぞ」
「けどこれで信用しろという方が無理だと思わないかい?」
「ふん。今日の私はツイているんだ、その目でカジノでの私を見ただろう? そんなことよりこれで堂々とこの屋敷から出て行っても構わないんだな?」
「構わないが、勿体ないな。ウチのカジノのディーラーとして雇いたいくらいだ」
「悪いが興味がない」
バッサリ斬って捨て、霧島は京哉をそっと抱き上げた。あまりの軽さが切なかったが、そんな想いに囚われている場合ではない。執務室を出る前に声を投げる。
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