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第35話
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たった六日で『退学』となったシドとハイファは荷物を担いで警衛所をクリアした。
タクシーに乗って単身者用官舎ビルの座標を打ち込み、走り出すとシドは狭いコイル内で伸びをする。制服はバッグの中、今は私服姿だ。
「あーあ、幹部候補生なんてガラじゃねぇ、肩凝ったぜ」
「ご苦労様。銀堂も全治一週間で済んだし、クライヴもみんなの洗脳を解いたし」
「全てを背負ってサンドル=ベイルは引退、別室は強力なEシンパスを手に入れたしな」
「嫌味な響きだなあ」
「だってそうだろ。全部チャラにするから幹候上がったら別室ってのは、あれだけナイーヴなクライヴにはどうかと思うぜ?」
「でもギルドを裏切ることになるからね、擁護する組織が彼には必要だよ」
「確かにそうかも知れんが、あいつがキッタネェ任務をこなせるようなタマかよ?」
肩を竦めてハイファは白い頬に薄く笑いを浮かべる。
「あれだけのことをやらかしたんだよ? おまけに『自分は神だ』で納得しちゃったんだから。タダの人間の僕なんかより、よっぽど水が合うと思うけどね」
「ふん。俺にはそいつが銀堂の言う『償い』とは思えねぇって言ってんだ」
「まあ、生きること自体が贖罪になるのかもね。フォボス第一艦隊にミサイル照準されてる時、『死は平等』みたいに言ってたじゃない?」
「ああ、そうだな。何だか『死だけが』平等、他にフェアなことなんかねぇって風に聞こえたよな」
他人の何倍も努力したって天賦の才には絶対に勝てないことがある。だから皆それぞれが迷い、手探りで自分の道を見つけようと足掻くのだ。けれど慎重に見極めたつもりの道が自分にとって苦労の連続でしかない場合もある。誤った道を選んでしまって引き返せないこともある。
それでも人生はたった一度きりしかないのだ。
スタートラインからして誰もが違うのに、自分に似合わぬレールを敷かれて必死で応えようとしたクライヴが抱いた憎しみは、それこそ誰もが持ち得る感情だ。
嘲られ見下された時に抱く憎しみが、人間の持つ感情の中で一番強いとシドは何処かで聞いたのを、ふと思い出す。
「突出した才能っつーか、サイキなんか持っててさ、幾らでも復讐できると思えばこそ、今まで我慢して頑張れたのかも知れねぇな。それが幹部学校に入れられて、とうとう我慢の栓が吹き飛んだのか」
「なあに、犯罪心理学でも始めちゃった?」
「そういう訳じゃねぇけどさ。同情してたら商売上がったりだしな」
結局は何処までも刑事なシドにハイファは笑みを零す。
「まあ、僕らが逮捕できるような相手じゃなかったのは不幸中の幸いだったよね」
「けど別室員クライヴ=ベイルってのもなあ……」
「まだ言ってるの? 所詮神サマじゃない只人の僕らには銀堂の言葉は理解し難いし、人にはない力を持った以上、彼らは人と同じ平穏な一生なんて送れないだろうし、その一生も果てしなく長いんだろうし」
「先は分からねぇし、関われねぇってか」
「そうそう。割り切らなきゃ別室員は保たないよ」
「俺は別室員じゃねぇって! ……まあ、保たねぇって言えば、他人の心が読めちまうテレパスなんてのは、ある意味、超越してねぇとテメェが保たねぇのかもな。テメェ自身がヤスリになって他人をゴリゴリ削る野郎もいるが」
上司をけなされ、別室員は吹き出した。
「あんなにシドのこと買ってるのに、室長も報われないなあ」
「気持ちの悪いことを言うな、耳が逃げ出すぜ。……でもクライヴには長い一生使って神サマ仲間だけじゃねぇ、本当に信じられる人間にも出会って欲しいもんだ」
後部座席のシートの上でシドの左手の指先にハイファの指が重なる。官舎に着くまで二人の指は触れていた。
「あー、六日ぶりの我が家だー」
シドの部屋で定位置の二人掛けソファに寝転び、ハイファは猫のように頬を背凭れに擦り付ける。上着を脱ぎ執銃を解いたドレスシャツとスラックス姿で心ゆくまでダラダラした。
まだ午前中だ。昨日の騒ぎを一晩で終わらせ、シドの強硬な主張でとっとと『退学』してきたのである。別室と幹部学校を何度も往き来したハイファは目の回るような忙しさだった。
「おーい、配給だぞ」
気遣いからか朝だというのに渡されたコーヒーのマグカップからはウィスキーがほのかに香っている。座り直して有難く頂いた。
「で、まさか貴方その格好、今から署に出勤するつもりじゃないよね?」
シドはいつもの刑事ルック、対衝撃ジャケットを羽織ったままで執銃までしている。
「一秒でも早くヴィンティス課長のガッカリした面、拝んでやるのが趣味なんだ」
「せめて午後からにしてよね。別室側だってギルドのテレポーターとPK使いの件、捜査に圧力かけなきゃならないんだから」
「じゃあ、午後ならマジでいいのかよ?」
「どうせ疑惑の目で見られるのは同じだろうけど、根回しは午後が確実」
「仕方ねぇな、お前お手製のランチを食ってからにするか」
「買い物に行ってないからミートソースのパスタと冷凍野菜のサラダくらいしか作れないよ。ミートソースはパウチだし」
「上等、それ食いたい」
あっさり食べ物で釣られたシドは対衝撃ジャケットを脱いで椅子に掛け、ヒップホルスタを寝室のライティングチェストに置きに行った。
戻ってくると定位置の独り掛けソファに腰掛ける。
「こいつは返しとく」
ショルダーホルスタに収まった旧式銃をロウテーブルに置いた。サッとハイファが手を出しシドの手を捕まえる。引っ張られて身を乗り出すと唇同士が柔らかく衝突した。温かな舌が入り込むに任せ、シドは欲しがるだけ唾液を与えて舌を吸わせる。
「んっ……コーヒーと煙草の一本だけでも吸わせろよ」
「じゃあ、待ってる」
「妙に乗り気だな、どうしたんだよ」
「だって昨日も一昨日も……欲しくないの?」
「いや。お前からの誘いとは、目茶苦茶嬉しいかも知れん」
「ふふん」
先に寝室に引っ込んだハイファを追って早々に煙草を消した。
タクシーに乗って単身者用官舎ビルの座標を打ち込み、走り出すとシドは狭いコイル内で伸びをする。制服はバッグの中、今は私服姿だ。
「あーあ、幹部候補生なんてガラじゃねぇ、肩凝ったぜ」
「ご苦労様。銀堂も全治一週間で済んだし、クライヴもみんなの洗脳を解いたし」
「全てを背負ってサンドル=ベイルは引退、別室は強力なEシンパスを手に入れたしな」
「嫌味な響きだなあ」
「だってそうだろ。全部チャラにするから幹候上がったら別室ってのは、あれだけナイーヴなクライヴにはどうかと思うぜ?」
「でもギルドを裏切ることになるからね、擁護する組織が彼には必要だよ」
「確かにそうかも知れんが、あいつがキッタネェ任務をこなせるようなタマかよ?」
肩を竦めてハイファは白い頬に薄く笑いを浮かべる。
「あれだけのことをやらかしたんだよ? おまけに『自分は神だ』で納得しちゃったんだから。タダの人間の僕なんかより、よっぽど水が合うと思うけどね」
「ふん。俺にはそいつが銀堂の言う『償い』とは思えねぇって言ってんだ」
「まあ、生きること自体が贖罪になるのかもね。フォボス第一艦隊にミサイル照準されてる時、『死は平等』みたいに言ってたじゃない?」
「ああ、そうだな。何だか『死だけが』平等、他にフェアなことなんかねぇって風に聞こえたよな」
他人の何倍も努力したって天賦の才には絶対に勝てないことがある。だから皆それぞれが迷い、手探りで自分の道を見つけようと足掻くのだ。けれど慎重に見極めたつもりの道が自分にとって苦労の連続でしかない場合もある。誤った道を選んでしまって引き返せないこともある。
それでも人生はたった一度きりしかないのだ。
スタートラインからして誰もが違うのに、自分に似合わぬレールを敷かれて必死で応えようとしたクライヴが抱いた憎しみは、それこそ誰もが持ち得る感情だ。
嘲られ見下された時に抱く憎しみが、人間の持つ感情の中で一番強いとシドは何処かで聞いたのを、ふと思い出す。
「突出した才能っつーか、サイキなんか持っててさ、幾らでも復讐できると思えばこそ、今まで我慢して頑張れたのかも知れねぇな。それが幹部学校に入れられて、とうとう我慢の栓が吹き飛んだのか」
「なあに、犯罪心理学でも始めちゃった?」
「そういう訳じゃねぇけどさ。同情してたら商売上がったりだしな」
結局は何処までも刑事なシドにハイファは笑みを零す。
「まあ、僕らが逮捕できるような相手じゃなかったのは不幸中の幸いだったよね」
「けど別室員クライヴ=ベイルってのもなあ……」
「まだ言ってるの? 所詮神サマじゃない只人の僕らには銀堂の言葉は理解し難いし、人にはない力を持った以上、彼らは人と同じ平穏な一生なんて送れないだろうし、その一生も果てしなく長いんだろうし」
「先は分からねぇし、関われねぇってか」
「そうそう。割り切らなきゃ別室員は保たないよ」
「俺は別室員じゃねぇって! ……まあ、保たねぇって言えば、他人の心が読めちまうテレパスなんてのは、ある意味、超越してねぇとテメェが保たねぇのかもな。テメェ自身がヤスリになって他人をゴリゴリ削る野郎もいるが」
上司をけなされ、別室員は吹き出した。
「あんなにシドのこと買ってるのに、室長も報われないなあ」
「気持ちの悪いことを言うな、耳が逃げ出すぜ。……でもクライヴには長い一生使って神サマ仲間だけじゃねぇ、本当に信じられる人間にも出会って欲しいもんだ」
後部座席のシートの上でシドの左手の指先にハイファの指が重なる。官舎に着くまで二人の指は触れていた。
「あー、六日ぶりの我が家だー」
シドの部屋で定位置の二人掛けソファに寝転び、ハイファは猫のように頬を背凭れに擦り付ける。上着を脱ぎ執銃を解いたドレスシャツとスラックス姿で心ゆくまでダラダラした。
まだ午前中だ。昨日の騒ぎを一晩で終わらせ、シドの強硬な主張でとっとと『退学』してきたのである。別室と幹部学校を何度も往き来したハイファは目の回るような忙しさだった。
「おーい、配給だぞ」
気遣いからか朝だというのに渡されたコーヒーのマグカップからはウィスキーがほのかに香っている。座り直して有難く頂いた。
「で、まさか貴方その格好、今から署に出勤するつもりじゃないよね?」
シドはいつもの刑事ルック、対衝撃ジャケットを羽織ったままで執銃までしている。
「一秒でも早くヴィンティス課長のガッカリした面、拝んでやるのが趣味なんだ」
「せめて午後からにしてよね。別室側だってギルドのテレポーターとPK使いの件、捜査に圧力かけなきゃならないんだから」
「じゃあ、午後ならマジでいいのかよ?」
「どうせ疑惑の目で見られるのは同じだろうけど、根回しは午後が確実」
「仕方ねぇな、お前お手製のランチを食ってからにするか」
「買い物に行ってないからミートソースのパスタと冷凍野菜のサラダくらいしか作れないよ。ミートソースはパウチだし」
「上等、それ食いたい」
あっさり食べ物で釣られたシドは対衝撃ジャケットを脱いで椅子に掛け、ヒップホルスタを寝室のライティングチェストに置きに行った。
戻ってくると定位置の独り掛けソファに腰掛ける。
「こいつは返しとく」
ショルダーホルスタに収まった旧式銃をロウテーブルに置いた。サッとハイファが手を出しシドの手を捕まえる。引っ張られて身を乗り出すと唇同士が柔らかく衝突した。温かな舌が入り込むに任せ、シドは欲しがるだけ唾液を与えて舌を吸わせる。
「んっ……コーヒーと煙草の一本だけでも吸わせろよ」
「じゃあ、待ってる」
「妙に乗り気だな、どうしたんだよ」
「だって昨日も一昨日も……欲しくないの?」
「いや。お前からの誘いとは、目茶苦茶嬉しいかも知れん」
「ふふん」
先に寝室に引っ込んだハイファを追って早々に煙草を消した。
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