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第2話
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午後いっぱいの外出禁止令をヴィンティス課長から食らい、ふて腐れて寝たフリをしていたシドは、いつしか本当に眠り込んでしまったようだ。相棒であるハイファはシドの椅子に掛かっていた重たいジャケットをその背に被せてやる。
右隣の自分のデスクに着いたハイファは報告書類を作成しながら、時折愛し人の寝顔を眺めて愉しんだ。ややこちらを向いて目を瞑ったシドの造作は極めて整い、まるで精緻に作られた人形のようにも見える。
二晩続けての自主的張り込みで疲れたのだろうと思い、かなりの時間そっとしておいたが、やがてそうも言っていられない時刻となり手を伸ばし軽く肩を揺さぶった。
「シド、シド……若宮志度巡査部長!」
「……んあ?」
デスクに突っ伏して眠っていただけなのに、艶やかに黒い長めの前髪には器用にも見事な寝グセがついている。
これも黒い切れ長の目を擦ったのち、ハイファが差し出したハンカチを無視して口許のヨダレを綿のシャツの袖口で無造作に拭い、大欠伸をかました。
「ふあーあ……ハイファス=ファサルート巡査長、今、何年だ?」
「幾ら何でも寝過ぎじゃない? 夜、眠れなくなっちゃうよ」
「へいへい、分かって……ンだよ、くそう、もうこんな時間かよ」
左手首に嵌めたリモータを見て唸りつつシドは胸ポケットを探り、コットンパンツのポケットを探り、被せられていたジャケットまで探った挙げ句、デスクの引き出しから新しい煙草のパッケージを取り出して封切った。
積んだ書類の上に投げ出してあったオイルライターで火を点け、盛大に紫煙を吐く。
AD世紀から三千年、煙草からニコチン・タールが消えて久しいが依存物質は含まれる。企業戦略に嵌った哀れな中毒患者は、まずはこれがないと頭のロクロが回らないのだ。
素材は極上のクセして全く自意識のない一連の行動に、ハイファは呆れて席を立った。ヨダレでだめになった始末書A様式を捜査戦術コンから新たに打ち出し、ソフトスーツのポケットに軽く丸めて入れる。次に沸いていたコーヒーを紙コップふたつに注いだ。
通称泥水と呼ばれるコーヒーは定時の十七時半を目前にして『黒い悪魔』と皆が敬遠する煮詰まり具合、自分の方にだけ湯を足してデスクまで運ぶ。
「はい、これとこれね」
公私に渡ってシドの女房役を自認するハイファは、甲斐甲斐しく打ち出した始末書A様式と黒い悪魔の紙コップをシドのデスクに置いた。だがシドはおもむろにハイファのデスクに手を伸ばし、自分の紙コップと入れ替える。
「あっ、それ僕の……」
「そんな胃に悪いモン、飲めるか」
「胃が壊れるほど、ヤワじゃないクセに」
「何処かのスパイ野郎の鉄の胃袋と一緒にするな」
「ああ、もう、それを大声で言わないで」
周囲の人々に聞こえぬよう抑えた声で抗議しながら、ハイファはシドを睨んだ。
ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事部屋だ。今は定時前で、朝に次いでデカ部屋内の人口密度が高い時間帯である。
機動捜査課は殺しや強盗といった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションだ。だがAD世紀から三千年のそれも地球本星セントラルエリアでは、そんな事件を引き起こすような情熱的な人間は絶滅の危機に瀕していた。皆、醒めている。故に機捜課員は本来の仕事がない。
だからといって血税で遊んでもいられないので僅かな在署番を残して、課員は他課の聞き込みや張り込みにガサ要員など下請け仕事に出掛けているのが常なのだ。
だがそういった人員もこの時間になると殆ど帰ってきている。デスクで欠伸をし、手首に嵌めたマルチコミュニケータのリモータでゲームをし、噂話に花を咲かせ、ギリギリまで本日の深夜番を賭けてのカードゲームにいそしんで、それぞれにヒマを潰していた。
だからといって彼らの捜査能力が低い訳でもサボリきっているのでもない。彼らは同報という事件の知らせが入れば現場に飛び出してゆく。ここで待つことこそが本来の機捜課の仕事なのである。
どういった具合か不思議なまでに女性のいない機捜課で、彼らの情報収集能力は高い。
例えば男やもめだったヨシノ警部と七分署一のバストサイズを誇る業務課のミュリアルちゃんがやっと結婚に漕ぎ着けたがもう妊娠の兆候だとか、マイヤー警部補はセントラル・リドリー病院の男性外科医と付き合っているだとか、そういった情報にここの連中は大変敏感なのだ。
彼らに対し、ハイファは自身の秘密を守るため、非常に気を使っている。
ハイファの秘密、それは刑事でありながら現役のテラ連邦軍人でもあるという事実だ。テラ連邦軍においては中央情報局第二部別室という、一般人には殆ど名称すら知られていない部署の所属で現在は惑星警察に出向中の身だった。
その二重職籍を機捜課で知るのはバディのシドとヴィンティス課長のみという軍機、軍事機密なのである。
背後の同僚たちを気にしつつハイファは小声で訴えた。
「ここの人たちは地獄耳なんだから。ヤマサキさんトコの二人目の赤ちゃんの性別だって、みんなヤマサキさんより早く知ってたんだよ?」
だがシドは適度な濃さの液体を啜りながら鼻を鳴らした。
「ふん、誰も聞いちゃいねぇよ。大体このヒマな機捜課で俺たちにばっかり『出張』だの『研修』だのが降ってくる機捜課七不思議だぞ。俺たちには何かあるって、みんな悟ってるぜ」
と、今は主のいない自分の左隣のデスクを指し、
「それこそたった一人、七分署一空気の読めない男のヤマサキを除いてな」
仕方なく黒い悪魔に口をつけ顔をしかめながらハイファもヤマサキの方を眺める。
「うーん、否定できないなあ」
右隣の自分のデスクに着いたハイファは報告書類を作成しながら、時折愛し人の寝顔を眺めて愉しんだ。ややこちらを向いて目を瞑ったシドの造作は極めて整い、まるで精緻に作られた人形のようにも見える。
二晩続けての自主的張り込みで疲れたのだろうと思い、かなりの時間そっとしておいたが、やがてそうも言っていられない時刻となり手を伸ばし軽く肩を揺さぶった。
「シド、シド……若宮志度巡査部長!」
「……んあ?」
デスクに突っ伏して眠っていただけなのに、艶やかに黒い長めの前髪には器用にも見事な寝グセがついている。
これも黒い切れ長の目を擦ったのち、ハイファが差し出したハンカチを無視して口許のヨダレを綿のシャツの袖口で無造作に拭い、大欠伸をかました。
「ふあーあ……ハイファス=ファサルート巡査長、今、何年だ?」
「幾ら何でも寝過ぎじゃない? 夜、眠れなくなっちゃうよ」
「へいへい、分かって……ンだよ、くそう、もうこんな時間かよ」
左手首に嵌めたリモータを見て唸りつつシドは胸ポケットを探り、コットンパンツのポケットを探り、被せられていたジャケットまで探った挙げ句、デスクの引き出しから新しい煙草のパッケージを取り出して封切った。
積んだ書類の上に投げ出してあったオイルライターで火を点け、盛大に紫煙を吐く。
AD世紀から三千年、煙草からニコチン・タールが消えて久しいが依存物質は含まれる。企業戦略に嵌った哀れな中毒患者は、まずはこれがないと頭のロクロが回らないのだ。
素材は極上のクセして全く自意識のない一連の行動に、ハイファは呆れて席を立った。ヨダレでだめになった始末書A様式を捜査戦術コンから新たに打ち出し、ソフトスーツのポケットに軽く丸めて入れる。次に沸いていたコーヒーを紙コップふたつに注いだ。
通称泥水と呼ばれるコーヒーは定時の十七時半を目前にして『黒い悪魔』と皆が敬遠する煮詰まり具合、自分の方にだけ湯を足してデスクまで運ぶ。
「はい、これとこれね」
公私に渡ってシドの女房役を自認するハイファは、甲斐甲斐しく打ち出した始末書A様式と黒い悪魔の紙コップをシドのデスクに置いた。だがシドはおもむろにハイファのデスクに手を伸ばし、自分の紙コップと入れ替える。
「あっ、それ僕の……」
「そんな胃に悪いモン、飲めるか」
「胃が壊れるほど、ヤワじゃないクセに」
「何処かのスパイ野郎の鉄の胃袋と一緒にするな」
「ああ、もう、それを大声で言わないで」
周囲の人々に聞こえぬよう抑えた声で抗議しながら、ハイファはシドを睨んだ。
ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事部屋だ。今は定時前で、朝に次いでデカ部屋内の人口密度が高い時間帯である。
機動捜査課は殺しや強盗といった凶悪犯罪の初動捜査を担当するセクションだ。だがAD世紀から三千年のそれも地球本星セントラルエリアでは、そんな事件を引き起こすような情熱的な人間は絶滅の危機に瀕していた。皆、醒めている。故に機捜課員は本来の仕事がない。
だからといって血税で遊んでもいられないので僅かな在署番を残して、課員は他課の聞き込みや張り込みにガサ要員など下請け仕事に出掛けているのが常なのだ。
だがそういった人員もこの時間になると殆ど帰ってきている。デスクで欠伸をし、手首に嵌めたマルチコミュニケータのリモータでゲームをし、噂話に花を咲かせ、ギリギリまで本日の深夜番を賭けてのカードゲームにいそしんで、それぞれにヒマを潰していた。
だからといって彼らの捜査能力が低い訳でもサボリきっているのでもない。彼らは同報という事件の知らせが入れば現場に飛び出してゆく。ここで待つことこそが本来の機捜課の仕事なのである。
どういった具合か不思議なまでに女性のいない機捜課で、彼らの情報収集能力は高い。
例えば男やもめだったヨシノ警部と七分署一のバストサイズを誇る業務課のミュリアルちゃんがやっと結婚に漕ぎ着けたがもう妊娠の兆候だとか、マイヤー警部補はセントラル・リドリー病院の男性外科医と付き合っているだとか、そういった情報にここの連中は大変敏感なのだ。
彼らに対し、ハイファは自身の秘密を守るため、非常に気を使っている。
ハイファの秘密、それは刑事でありながら現役のテラ連邦軍人でもあるという事実だ。テラ連邦軍においては中央情報局第二部別室という、一般人には殆ど名称すら知られていない部署の所属で現在は惑星警察に出向中の身だった。
その二重職籍を機捜課で知るのはバディのシドとヴィンティス課長のみという軍機、軍事機密なのである。
背後の同僚たちを気にしつつハイファは小声で訴えた。
「ここの人たちは地獄耳なんだから。ヤマサキさんトコの二人目の赤ちゃんの性別だって、みんなヤマサキさんより早く知ってたんだよ?」
だがシドは適度な濃さの液体を啜りながら鼻を鳴らした。
「ふん、誰も聞いちゃいねぇよ。大体このヒマな機捜課で俺たちにばっかり『出張』だの『研修』だのが降ってくる機捜課七不思議だぞ。俺たちには何かあるって、みんな悟ってるぜ」
と、今は主のいない自分の左隣のデスクを指し、
「それこそたった一人、七分署一空気の読めない男のヤマサキを除いてな」
仕方なく黒い悪魔に口をつけ顔をしかめながらハイファもヤマサキの方を眺める。
「うーん、否定できないなあ」
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